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当惑2

 ある程度落ち着きを取り戻したように見える楓に、コマはその不自然さに気付きながらも洗面所へ足を向けた。

 狼の姿で居間に戻れば、楓はまだ冷たい床の上に座り込んだままでいる。


「楓。冷たい場所に座り過ぎると、余計に足が悪くなるぞ」

「え? あ、そうだね」


 酷く疲れた笑顔のまま立ち上がった楓は、それ以上口を開かない。

 何が悪かったのかわからないコマは、服の入った籐の箱を隅に押しやり、とりあえず定位置に座った。

 楓父が少し乱れた前髪を後ろにかきあげながら、黒い扉から入れば、不自然な笑顔で立っている楓が目に映る。


「楓ちゃんが立っているというのに、お前は何をのんきに座り込んでいるのだ」


 と、コマの前を通り過ぎるように見せかけながら、楓からの死角で前足を踏みつける。

 呻き声をあげる事もせず、コマが立ち上がれば、また呼び鈴が鳴らされた。

 先程の鳴らされ方よりかは、幾分控えめで短い。


「どなた様かな」


 楓父が内側から声をかければ、ためらうような女の声が返ってくる。


「こちらに、シンリンオオカミがいると聞いてきました。内田と申します」

「……内田」

「以前、調査の件で報告した女です」

「あれか」


 首の後ろの分厚い毛皮を猫掴みし、持ち上げる。


「何故その女がここにいる」

「何故と言われても」


 前足を力なくダラリとたらし、後ろ足で立ち上がりながら彼の怒りを受けるその姿は、第三者の目から見れば滑稽に映るのだろう。

 楓も例外なく、しかし少しだけ悪いかなと思いながらも、くすりと笑った。


「本当にパパとコマさんって、仲良しさんだね」


 思いもよらない所で、仲良し判定を受けてしまった楓父は、苦笑いしながら手を離す。

 深くため息を吐き、黒い扉を開けた。

 目の前に立つ女性は白衣ではなく、えんじ色のブラウスに黒いタイトスカートを身に着け、犬だか猫だか分からない生き物を抱いている。

 だが、楓父は特に興味を示すでもなく笑顔を張りつけた。


「内田さんと、言ったかな?」

「はい。その節は本当に失礼致しました」

「何の事でしょう?」

「ですから、こちらのシンリンオオカミを……」

「家に、オオカミなんぞ存在しませんがね」


 楓父の言葉に、はっとして内田は彼の目を見る。

 張り付いた笑顔の中で、目だけは笑っていないように感じ、彼女は頭をさげた。


「ご、ごめんなさい!」

「あなたは、コマさんを連れに来た内田さんの娘さんなの?」

「違います! あんなのと一緒にされるだなんて……」


 楓父の後ろからのぞく楓に、内田が声を荒げたが、以前コマとした別れ間際の話を思い出し口をつぐむ。小さな彼女に、その説明がなされていないのだと一人納得し、うなずく。


「コマさんの知り合い?」

「知り合いというか。私もよくは覚えていないのだけど、その、コマさん? というオオカ……いえ犬に助けられたのよ。それは間違いない事だと思うわ。あなたの大切なコマさんを誘拐した男もちゃんと警察に捕まったから、安心してね」


 今度は楓が息を呑む番だった。


たしかに何かがおかしいと、漠然とだが思ってはいた。

 コマが帰ってきてしまったのに、病弱の娘の為にと言っていた男は、一月たった今でも、まったく姿を現す事もなく連絡もない。

 それにコマを連れ去る時でさえ、その男からはコマへの愛情は微塵も感じられなかったのだ。

 誘拐だったと聞いて、どこか納得のする自分も嫌だった。

 だとしたら、楓はうっすらとではあるがその可能性に気付いていた事になる。そしてわかっていてコマを送り出した事になる。


 静かに身をひそめるコマの方へ、楓が目を向けた。

 コマは少し青ざめた彼女に、怪訝な表情を浮かべ小さく首をかしげて見せる。

 それにすら思わず目をそらし、小さな手で楓父の黒いセーターの裾を握りしめた。

 そんな彼女の肩を抱き寄せ、楓父は大丈夫だよと微笑みかける。


「その話はもう済んだ事だ。貴女がここに来る事で、彼女の心が痛む事を考えなかったのかね? お引取り願おう」

「……でも、私は知っているんです。そのコマさんが喋る事が出来る事実を」


 余計な事を、と思わず悲鳴をあげたくなったコマだが、かろうじて飲み込んだ。

 だが楓父から発せられる、強烈なオーラに前足を一歩だけ後ずさった。


「それが事実だとしたら、面白い話だ」

「事実です」

「本当に話せると思うのかね? 呆れたな。さあ楓ちゃん、中にお入り。こんなおかしな人間の言う事を間に受けてはいけないよ」


 扉を閉めようとする楓父に、内田は必死に声をかけた。


「本当に彼は話せるんです!」

「帰ってくれ」

「どうして内田さんもコマさんを彼って言うの?」


 半分ほど閉じた扉から頭を出して、食い下がった楓。

 それ以上扉を閉めるわけにもいかず、楓父は仕方なく前に出る楓を押し留めながら扉を押さえた。


「どうしてって。彼は雄でしょう? 動物だけど、話が出来るから……ごめんなさい、何かおかしかったかしら?」

「彼って使うのは、彼女の人が使う言葉じゃないの?」


 楓の言葉にこもっている感情は、あきらかな怒り。

 怪訝な顔で、内田は慎重に言葉を選ぶ。


「いいえ、そのくくりは正しいものとは言えないわ。例えば、表の道を歩く名前も知らない男性がいたとして、その人を指す言葉は『彼』ではないかしら? 女性であれば『彼女』ね」

「でも、さっき来た女の人が言ってた。彼氏と彼女は好き同士なんだって。それにコマさんは知らない男性じゃないでしょう?」

「たしかにその意味にも使われるわ。でもよく考えてみて? コマさんは犬でしょう? 彼氏にするのなら、いくらなんでも私は人間の方がいいわ」


 言葉に詰まる楓に、内田が優しく微笑する。


「あなたはコマさんの事が、すごく好きなのね。大丈夫、きっと彼もあなたの事がとても大切なのよ」

「そろそろお引取り願おう。二度とこの土地に踏み入らないでくれ」

「この近くに越してきたの! もし何かあったら……」


 内田の目前で扉が閉められた。

 楓は、顔を耳まで赤くして黙り込んでしまう。内田の言葉は、近くにいたコマにも聞こえていたはずなのだ。

 知られてしまった、どうしたらいいのか。

 コマの顔が見られず、避けるように一歩踏み出せば視界がぐるりと歪んだ。

 あれ? と思うよりも早く楓は気を失い、楓父が慌てて抱きとめる。


 最後に聞こえた楓の名を呼ぶ声が、果たしてどちらのものだったのかを、楓が判断をつける前に、暗闇へと意識は沈んでいった。




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