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帰還

「かごと女を降ろして、手を上げろ」


 かごの中でセイが竦みあがり、コマはゆっくり鳥かごと内田を床に降ろした。

 ジリジリと近づく足音を聞きながら、両手を上げる。

 嗅ぎ慣れた銃器のニオイに顔をしかめ、コマは小さく唸り声をあげた。


「馬鹿め、こんな所で泥棒かよ。こいつらを連れ出されたら、こっちの身も危なくなるんでな。不運と思って、死んでくれ」


 小口がその引き金を引く瞬間の音を聞き取ると同時に、コマはその身を反転させ身を屈め、驚くべき身体能力で小口へと飛びかかった。

 二度目の引き金を引いても、その凶弾がかする事もなく、コマの右手が小口の首を捉え、左手は銃を持った彼の手をへし折っていた。

 悲鳴をあげたくともあげられない状況に、小口はパニックに陥る。

 怯えとも驚愕ともとれるその表情に、コマは冷ややかに笑った。


「力加減が難しくてな。首を折らなかったのは奇跡だよ」


 力を込めたわけでもないのに、泡を噴いて小口は白目を剥く。

 発砲音に、閉じ込められているモノ達がざわめき、二階からも慌ただしい足音が響いた。

 小さく舌打ちをしたコマは、小口の襟をつかみ、手近なドアノブを軽く引く。

 扉は大きな音を立ててコマの手に収まり、渋い顔をしながら小口を中に放り込み、扉を塞ぐように立てかけた。

 その時、階下に辿りついた佐伯が、ひしゃげた鉄製の扉に絶句した。


「せ、先生。一体何が……」


 息を上げて追いついてきた中橋も、その惨状に思わず後ずさった。

 セイが甲高い声で鳴き、内田を起こそうと試みているが、だらりとして動かない彼女。

 コマは、顔を歪めながら銃を拾い、小口を真似て銃口を彼らに向けた。


「なんだね、君は。小口君はどうした」


 コマに気付き、倒れている内田に眉をひそめ、声を絞り出す佐伯に、コマは引き金を出来るだけ優しく引いた。

 乾いた音して、佐伯の頬に銃弾がかすめる。


「意外と難しいものだな」


 納得するかのようなコマの言葉に、佐伯は顔面蒼白のまま腰を抜かしたようだった。

 中橋に至っては、階段に身を隠し、顔をのぞかせようともしない。

 コマは手術室へと弾を撃ち込み、空になった銃を投げ捨てた。


「こ、ここは研究所だ! 金目の物など、ない。ないぞ!」


 腰を抜かしたまま、近付いてくるコマへと嘆願するように悲鳴をあげる。

 ゆっくりと歩み寄りながら、コマは口の端を持ち上げた。


「自分が死ぬのは怖いのか」

「当たり前だ! 死ぬのが怖くない人間なぞ、いない!」

「だが、お前達は殺し過ぎた。その報いは受けてもらう」


 灰色の短髪がザワリと揺れ、人の顔だった部分が歪に盛り上がっていく。

 着ていた緑の手術着は耐え切れずに裂け、人の皮膚ではない灰色の毛皮がのぞく。

 二足歩行で歩くソレは、力を持て余している獣の姿をした化け物。

 破壊の衝動を溢れさせるかのように、ソレは周りが震え凍りつくほどの怒りの声をあげた。


 目の前で人ならざる者に変貌を遂げたコマに、佐伯は恐怖に目を見開き、叫ぼうにもヒイと小さく息を吸い込む音しか立てられず、ただその身を震わせていた。

 影から見ていた中橋は、それでも這いつくばるようにして階段をよじ登って逃げる。


「お前達は、ここで恐怖に包まれるのだ」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった佐伯の首をつかみ、持ち上げる。

 知性ある金色の瞳は、冷酷に狂乱し始めた佐伯を見据え――


 ――階上から、乾いた音が鳴り響いた。

 コマは、右腕と脇腹の激痛に佐伯を壁に叩きつけ、下肢の筋肉を最大限に使って階上へと跳びあがった。

 中橋を確認するまでもない。銃器を持ち、自分を襲いくる者。

 コマにとって、反撃する理由はそれだけで良かった。


「なんで……!」


 中橋の言葉は、そこで途切れた。

 家具が壊れる派手な破壊音と咆哮。その後は、気味の悪いほどの静寂が辺りを包む。


 セイは、初めて知る恐怖に身震いをした。

 人間になる動物もいるのかと、最初は驚き憧れた。自分もいつか、そうなるのだと思った。

 だが、人でも獣でもないソレを見た時に感じたものは、純粋なる恐怖。

 ここにいると、自分も危ない。と、幼いながらにも備わっている本能に、セイは内田を起こそうと震える声で必死に呼びかけた。


 おにーサンが、上から降りてくる前に。

 おにーサンが、戻ってくる前に。

 ――こわい、こわいこわい……こわいよ!


「……ん」


 必死の呼びかけに、視線が定まらないながらも内田は呻いた

 目の前にある鳥かごをぼんやりと見つめ、とてつもない吐き気に嗚咽を漏らす。


「目が覚めたか」


 狼の姿に戻り、姿を現したコマに、セイは小さく悲鳴をあげた。

 そんな事は気にも留めず、内田は頭を押さえてゆっくりと起きる。


「……私、どうしたの?」

「気を失っていた。あいつらは片付けておいた。警察に通報しておいてくれ」


 乱れた黒髪を直しながら、ところどころ血で染まっているコマに手を伸ばす。


「怪我を……したの?」

「いや、何でもない」


 触られないように威嚇をし、鳥かごを持つよう顎で指し示した。

 内田はよろめきながらも立ち上がり、鳥かごの中で吠え続けているセイに首をかしげる。


「おかしいわね。こんなに吠えるなんて」


 セイの言葉は、内田には分からない。

 異質なモノへの恐れと、内田を守る為の威嚇が入り混じり、半狂乱の叫びがコマへと降り注ぐ。

 小さな部屋に寄り、鍵の束をもちだし、彼女は普段、目にしない物に眉をひそめた。

 正面玄関のガラスには、弾痕が白く残っていた。

 割れて粉々になっていないところを見れば、防弾ガラスなのだろう。

 内田が表情を固くして、伸びて床に転がっている佐伯を振り返った。


「本当に、最低だわ」


 鍵を開け、一人と三匹は外に出る。

 上空では、低く高く風が泣き、朝陽を呼んでいる。

 白々と東の空が色を変え、刺すような冷気が一人と三匹を包み込んだ。


「調べたい事は、たくさんあるけど。送っていくわ、あなたの家に」

「不要だ」


 白い小型車の扉を開け、黒髪をなびかせながらコマを見る。


「でも、待ってる人がいるんでしょう? 早く帰ってあげるべきよ」

「そんな物に頼らない方が、早く着く」


 コマの脚力を知らない内田は、呆れた表情を浮かべる。

 背を向けて歩き出すコマが、ふと振り返った。


「俺を連れてきた男も、内田と言ったが……親なのか?」

「あいつが? やめてよ! あいつは佐伯の弟よ。私の名を、騙ってるのね」


 さすがに怒りの表情に変え、許せないとこぶしを車の扉に叩きつける。

 それを横目で見て、コマは無言で、振り向く事もなく走り出した。


 *


 眠れず、窓の外を眺めていた楓は、山側の道で動く物を目にした。

 かなりの速さで近付いてくる小さな物体に、楓は思わず立ち上がった。


「コマさん!」


 慌てたせいで足がもつれ、転びそうになる。

 心ばかりが早くと急かし、早鐘のように大きく胸を打つ。

 帰ってきてくれた嬉しさで、楓は、胸が一杯になった。

 病気の女の子の事なんて、頭から抜けていた。

 ただ、嬉しくて。自分の心が震えた。熱いものが込み上げてくるが、楓はそんな感情にうろたえる。

 初めて感じる想いに戸惑い、玄関を開ける手にためらいが生まれた。

 心の中の戸惑いは、嬉しさと熱に交じり合い、一つの言葉が彼女の中で大きく居座る。


 コマさんが、好き。


 急激に顔が火照り、楓は冷たい指先で熱くなった顔を覆った。

 小さく悲鳴をあげ、洗面所に飛び込む。身も切れるような冷水で、何度も顔を冷やすがうまくいかない。

 コマは扉の前で待っているだろう。

 楓が起きてきた事だって、彼ならば気がついているかもしれない。


「パパだって、ネキさんだって、大好きなのに。なんでこんな特別みたいなの?」


 かじかんで真っ赤に染まった手をタオルで包みながら、玄関を窺う。

 開けなかったら、コマは寒い外でずっと待つのだろうか。

 パパが帰ってきたら、きっと一緒に入ってくるのだろうけど……


 寒空の下、気付いているのに入れてあげないのは、楓も辛い。

 でも今は、コマの顔が見られない気がする。

 楓は、玄関の前で途方に暮れた顔で立ち尽くしていた。



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