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それぞれの思想

 夜が明ける前の静寂は、コマの気持ちを穏やかにさせる事は出来なかった。


 ヒーターでも入れているのだろう、底冷えするような冬の凍てつきはなく過ごしやすいが、狭い箱と前を遮る檻だけがコマの神経を逆撫でていた。

 目だけで正面の小さな檻を見やれば、小さく不恰好な獣は何を疑う事もなく、幸せな顔で眠っている。

 四足のオウムが入っている鳥かごより、上にある小さな窓には鉄格子がはめられ、コマのどのような形態でも通り抜けられそうではない。いざとなれば、どうとでもなるだろうが。


 無用心に廊下を歩く音を聞きつけたコマは、気配を動かす事なく様子を窺う。

 足音はコマ達のいる房の前で止まり、大きな音を立てて鍵と扉を開け放つ。


「さて、狼くん。検査の時間だよ」


 痩せた男がつまらなそうに声をかけ、太った男が大きく口をあけ、これでもかと欠伸を繰り返している。


「ふふぁーぁぅぅ、うむ。いいから早くそっち持てよ」

「まったく。先生も時間帯考えて欲しいよなー。年寄りは早起きかもしれないけどさ」

「……早く、そっち持てって!」


 渋々、コマの檻を二人で持ち上げる。

 こんな大騒ぎで起きない犬はいないだろう。コマはとりあえず頭だけ上げて見れば、セイと目が合った。

 猫目の彼は暗闇の中、黒目を大きくさせてそっと囁く。


「おにーサン、戻ってくるよね?」


 コマはただうなずいてやった。

 だが、それが檻の揺れによるものかは、セイには理解が難しいほどの小さなものになってしまったが。


 廊下に出れば、煌々《こうこう》と白く冷たい蛍光灯が縦に同じ空間を開けながら配置されている。

 外観を思えば、二階建てだったはずだが階段が見当たらない。一直線の通路には、同じ扉が並ぶ。

 その一つを痩せた男が開け、疲れたように声を出した。


「先生。持ってきましたよ」

「何をぐずぐずしていたんだ。すぐに準備しないか」

「……はい」


 まだ身体が起きていないのか、緩慢な動作で痩せと太っちょは続き部屋へと消えた。

 先生と呼ばれていた白髪の男は、細い筒を近くの台に乗せ、少しのズレも許さないとばかりにわずかに斜めに置かれていた器具を神経質そうに眉をひそめて直している。

 コマはただ静かにその様子を見守った。


「小口くん! 中橋くん! 何をやっとるのかね!」


 焦燥に駆られるように声を上げ、コマの檻を覗き込んでくる。

 どちらがオグチで、ナカハシであるかなど興味はないが、コマは名前も覚えておく。

 この建物の中、そして周辺からも人外のニオイも気配もない。

 以前の三人組にまとわりついていたような、人のそれと違う雰囲気も、人間達からは感じられない。


 どうしたものか。と、コマは思案する。

 人外が絡んでいないのであれば、こんな所にいる理由などないのだ。


「まったく、あいつらは……こんな事は滅多にないというのに。どれだけ貴重なのか、分かっておらん!」


 覗き込みながら独りごちる彼から金色の瞳を逸らす事なく、コマはそのくだらない人間を見下していた。

 その態度も気に入ったのか、白髪の男は血走った目を輝かせて傍にセットした刃物に手を伸ばし、コマの檻の前でゆっくりと振る。


「ハイイロオオカミをこの手で解剖出来る機会など、そうそうないよなぁ」


 待ちきれないのか、細い筒を握りしめて檻の前を腹を空かせた熊のように行ったり来たりし始めた。

 やっと着替えて戻ってきた二人を怒鳴り散らし、筒を細い男に渡す。


(……麻酔か)


 コマは目を細めて、口の端を気付かれないように持ち上げた。

 高貴な狼を気取れ。

 楓父の言葉の通りに胸を張り、金色の瞳を細めて蔑む眼差しを向ければ、白髪の男はより狂気の入り混じった恍惚の表情を浮かべた。


 その時、勢いよく扉が開かれた。

 コマから見る事は出来ないが、ニオイと荒い息使いで女の内田だと知る。


「佐伯先生、何をしてるんですか!」


 佐伯と呼ばれた白髪の男は大きく舌打ちをし、苦々しげに言葉を吐き捨てた。


「見ての通り、解剖だよ」

「そんな!」

「君は呼んでいない。帰って寝たらどうかね」


 続けなさい、と二人をうながす。


「……こんな貴重な個体を、簡単に解剖するなんて! それこそ無駄だわ!」

「内田くんに何が分かるのかね?」

「分かります! だってそうでしょう? 今後、出会えるとは思えません。だったら生きている間に実験出来る事なんて、山ほどあるでしょう?」


 静まりかえる室内、怒りに顔を赤く染めた佐伯に、麻酔を持った男二人も居心地が悪そうに身をよじった。

 抗議の声を、幾分抑えて内田が諭すように続ける。


「ハイイロオオカミですよ? こんなチャンスは、もう二度とこないんじゃないですか?」

「……小口くん、中橋くん。中止にする」

「は? まじですか? こんなに早起きしたのに?」


 小口と呼ばれた細く眼鏡の男が、目をみはった。

 太った中橋も、頭痛でもするのか眉間にしわを寄せて大きな溜息を吐く。


「じゃあ、内田さんがこいつを部屋に戻しておいて下さいね」

「……何を言ってるの?」

「そうだな。反対してるのは内田さんだけなんだし、後はよろしくー」


 多少の怒りがこもった声を吐き、台に麻酔の筒を投げ捨て、小口と中橋はコマの目の前から消えた。


「では、ここの後片付けもしておくように」


 コマは静かに、身を伏せた。とりあえず山場は去ったと考えていいだろう。

 大きな音を立て、何かを蹴りつけた音が響いたが、男連中が戻ってくる事はなかった。

 怒りに顔を歪ませながら、内田が正面に回り、コマを見つめる。


「あんた、人に慣れてるわよね。出してあげるけど、大人しくしてるのよ」


 近くにあった刃物を檻に差し込みながら、内田はゆっくりと鍵を外した。

 襲おうと思えば簡単だが、自分の任務はそんな事ではないし、無駄に人間を殺せば、後々やっかいな事になるという事も分かっている。

 第一、『造られたモノ達』を置いていくのは忍びなかった。


 そこでふと気付き、思わず苦笑する。

 いつから自分以外のモノを気にするようになったのか。以前の自分には考えられない事だった。

 自力で生きられない者は、淘汰されていく。

 そうあるべきだと生きてきたのに。


「ほら、出るのよ。分かる? おいで!」


 内田がかして、側面を何度も叩く。

 コマは小さく肩を竦め、静かに床へと飛び降りた。

 小さな刃物を構えながら警戒する内田を、面白そうな目で眺めてやれば、やがて肩から力を抜く。


「……遊びたそうね。こんな箱に押し込められれば、仕方ないかもしれないけど」


 刃物を台に戻し、コマの正面にしゃがむ。

 手の平を上に向け差し出してくる内田に顔をしかめれば、彼女は小さく笑った。


「あんたの家族が、どんな手を使ってオオカミを取り寄せたかなんて知らないけど。大切にされてたのね」


 ここに来たコは皆そうだけど。と呟き、しばらくコマの顔を複雑な表情で見つめてから立ち上がった。

 檻に鍵をかけ、柵をつかんで派手な音を気にもとめずに引きずりだす。

 ついてくる素振りを見せないコマを振り返れば、灰色の獣は手術台の上で座り込んでいた。


「……そこは、もう関係ないんだから。ほら、おいで!」

「……お前は、何を憂う」


 低くしゃがれた聞いた事のない声に、内田は警戒して辺りを見回す。

 コマは胸を張り、静かな声でもう一度問う。


「後悔するくらいなら、何故この場に残る?」

「誰? 誰かいるの!? 小口か中橋ね! こんないたずら、悪趣味だわ!」

「答えろ。ここにはお前しかいない」


 彼らの声ではない事が分かっている彼女は、更に混乱した。

 金色の瞳が、彼女を捉える。

 震えながら驚愕を隠す事なく、内田はコマを見た。



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