出会うモノ
何も言ってこない彼らに、内田はもう一押しだと思ったのか、更に熱弁をふるう。
「コマは、娘が好きだった回る方の独楽が由来でね。娘はそりゃあこの犬を可愛がっていたんだよ」
「そうなんだ」
内田が何気なくコマの頭に手を置き、気安く触るなとばかりにコマは小さく唸り声をあげた。
瞬間、よろけた振りをした楓父がコマの尾を踏んだ為、声を即座にかみ殺したが。
真剣な顔で、楓は内田を見つめる。
「コマさんを連れて行くなら、私も行く。少しの間だったけど、飼い主だったんだから、内田さんの娘さんにも挨拶したい」
「ダメだ!」
楓の言葉に、内田が厳しい口調でにらみつけた。
その勢いに怯えたように小さな肩をすくめ、ネキは彼女を後ろから抱きしめた。
張り付けた笑顔はそのままに、黒い瞳を一瞬赤く光らせて、楓父はゆっくりと声を吐き出す。
「私の娘に、そのような汚い顔を見せないでくれたまえ」
「は?」
「ああいや、言い間違えました。人の娘を脅すような態度はどうかと思いますがね」
「そう見えてしまったのなら、申し訳ない。娘は今、集中治療室にいましてね、家族以外、面会謝絶なんですよ」
これもセリフとして考えてきたのだろうか。言い淀むわけでもなく、さらりと返してくる。
さすがのコマでも矛盾に気がつき、気づかれないように小さく息を吐き出した。
「……集中治療室にいるのならば、コマを連れて行く理由にはならないのではないのかね?」
あからさまに呆れた声を出した楓父を、予想の範疇だったのか内田は鼻で笑い飛ばす。
「どちらにせよ、コレはワタシの犬なのでね。引き取らせていただきますよ」
「悪いが、断る」
「では、警察沙汰にしても構わないんですね」
「警察を呼ばれて、困るのはどちらかな?」
内田は穏やかな笑顔を一転させ、尊大な態度をとった。
だが、尊大さではひけをとらない楓父は、長身にモノを言わせ、切れ長の目を細めて見下した。
「パパ。娘さん、苦しいけど頑張ってるんだよ。コマさんを見たら、元気になるかもしれない。あの……またコマさんに会わせてくれる? おじさん」
「あ? ああ、もちろんだとも。娘の容態が落ち着いたら、きっと連絡するよ」
「本当? ありがとう!」
楓はネキの腕から抜け、ゆっくりとコマに近づいた。
小さく振り返ったコマの横に座って、灰色の毛皮に顔を寄せた。
「…………」
「コマさん? 私なら大丈夫だから、これから行く女の子の傍にいてあげてね」
「…………」
顔を動かさず、金色の瞳をそっと伏せる。
ほんの数秒の事だったのだろうが、楓が離れた時、心の一部が悲鳴をあげた。
その動揺は、固く目を閉じてやり過ごす。
「またね、コマさん。生きていれば、絶対に会えるんだから」
「…………」
「絶対に、会いに行くから」
楓父が立ち上がった彼女を支えるように手を貸し、楓も震える手が白くなるくらい力を込めて袖を握っていた。
満足気な表情を浮かべた内田は、灰色の首に黒い首輪をはめた。
首輪と太い鎖からは、はっきりと感じ取れる血のニオイ。それでもコマは、引かれるままについて歩く。
振り返る事もなく。
シルバーのバンの前に立ち、内田は喜びを隠す事なくトランクを開けた。
窓には黒い布がかけられており、大きく汚れた鉄製の檻が、コマを待ち構えるかのようにぽかりと口を開けている。
思わず後ずされば、首に鋭い痛みが走った。身体は痺れるが、頭は冴えている。男の仕業だと身を低くして歯を剥き出せば、先程よりも激しい痛みが襲う。
「乗れ」
蔑んだ笑いを含みながら首輪をつかみ、檻へと押し込んだ。
コマは音を立てるほど奥歯を噛みしめ、痺れた自分の身体を呪う。
ギラギラと金の瞳を光らせて、男の顔とニオイを叩き込んだ。怒りが身を包み、コマからすればこんな簡素な檻など簡単に破れたが、自分の使命を反芻させ思いとどまっていた。
やがて、車が走り出す。コマさん、と叫ぶ甲高い声は遠くに消えた。
「まったく! なんて奴らだ。この俺がどれだけ苦労して低姿勢に努めてやったと思ってるんだ。くそっ! 馬鹿にしやがって!」
煙に包まれるほどのタバコの量と、走り出してからひっきりなしに続く愚痴に、痺れの取れたコマは辟易する。
タバコのニオイは、コマの鼻を刺激し続け苛立ちは増す一方だった。
三時間ほど走った所で緩やかなカーブを曲がり、車は停止した。
トランクが大きく開かれ、コマはひどく安堵する。
鬱蒼とした木に囲まれた、二階建ての白いコンクリートの古い建物。
横に長く作られているそれは無機質で、小さな窓が取り付けられている。
陽が傾きかけ、ほんのりと赤く染まった建物は、贔屓目に見ても廃屋としかとれない。
白い服を着た人間が三人ほど覗き込み、白髪の四人目が内田に金を支払っていた。
コマは彼らの手で檻ごと降ろされ、そんな彼らに興味を示すでもなく内田は車に乗り、砂煙を上げて消えた。
「へぇ。あんなクズでも、本当に人様の家から飼い犬を引っ張ってこられるのか」
「あんなクズだからこそ、だろ?」
「違いねぇな」
栄養状態の悪そうな眼鏡をかけた男と、正反対に首がないほど太っている男は下品に笑う。共通点といえば、白い白衣と陽にあたった事などなさそうな、白い肌くらいか。
黒髪を後ろで束ね、同じく檻降ろしを手伝っていた、おそらく戦力にならなかったであろう細腕の女が厳しい声で男達の無駄口をやめさせた。
「誰かに見られたらどうするの! さっさと中に運びなさいよ!」
「内田くんの言う通りだ。三番の部屋でいいか、運ぶんだ」
白髪の男性に仕切られ、二人は肩を竦めコマを運んでいく。
檻の中に彼らの指が入ってきているが、そ知らぬ振りで大人しい犬を演じる。
建物の中に入った瞬間、コマの鼻は違和感を覚えた。
人や、魔物のニオイとも違うが、普段知っている犬猫のニオイに近くとも遠い。
ざわりとコマの背筋に得体の知れない何かが伝い、警戒を強める。
「こんな図体なのに、よっぽど人間に懐くように育てられたんだな」
「そりゃでかい奴ほど、シツケに力入れるだろうしな」
呆れた声を出す眼鏡の男に、太った男が知ったかぶりで口の端を持ち上げた。
先を行く内田と呼ばれた女がまたジロリと振り向けば、男達は押し黙る。
白髪の男が鍵の束から一本取り出して、小さく「3」と書かれた扉を開けた。
消毒のニオイと、それに混じる『違和感』のニオイ。
コマは思わず顔をしかめた。
正面の鳥かごに入れられている赤いオウム。
せわしなく頭を動かし、身体を揺らす。
太い鳥の足元には、平行に取り付けられている太い木の枝。不自然なのは、四足であるという事実。
「先生、とりあえず角でいいっすよね?」
「そうだな、そこでいい」
電気を消され、外から鍵をかけられた音が聞こえてくる。
小さな部屋には、大小様々な檻が置いてあるが生き物の気配はない。
鳥かごと正面にある、コマが入れられた檻よりもはるかに小さい檻以外は。
「新しい仲間だね! おにーサン、だれ?」
「……名はない」
「そっか、だからここにいるんだもんねー。ボクもそうだよー」
小さな姿の彼は、犬でも猫でもない。まだ子供なのだろう事くらいは分かる獣だった。
全身は茶色で耳は垂れ、口や鼻の辺りは黒い毛で覆われている。
犬のように見えるそれには、猫の尾と暗闇でも光る双眸がついていた。
「何をされた?」
「何にも。ボクは気がついたら一人だったもの」
新参者がそんなに嬉しいのか、彼の猫のような尾を犬のように振っている。
コマは暗闇で光る彼の目を見つめ、ぎりっと奥歯を噛みしめた。
この状況が示すものは、動物実験と生命そのものの禁忌。
彼は猫と犬の『あいのこ』なのだろう。ならば、コマの鼻が嗅ぎ取る違和感にも説明がつく。
「お前一人なのか」
「ううん。ギャーサンとボクだよ。最初はいっぱいいたけど、今は二人だけ」
「そうか。いつからだ?」
コマの言葉に、彼は可愛らしく首をかしげ、ギャーサンと呼ばれたオウムを見上げる。
暗闇で鳥目が利くはずもなく、オウムは静かに目を閉じていた。
「いろいろだよ。出てったりー、入ったりー。動かなくなったり! いろいろ!」
「……そうか」
「ほかには? ほかに何か聞きたいことないの?」
茶色の垂れた耳をコマに向け、しきりに尾を振ってくる。
「ここの人間はどうなんだ?」
「どうって……ご飯くれるよ。時々注射ってやつで、血を採られるくらいだよ。ほかには? まだ聞きたいよね?」
「この部屋を出た事はあるか?」
そんなコマの言葉に、彼は意気消沈とばかりに尾を床に垂らした。
「一回だけ。なんか変な箱の前でゴロゴロして終わったよ。ねえ、本当はわかってて聞かないんでしょー?」
「何をだ」
心底分からない、という表情を見せたコマに、彼は大きく身体を震わせる。
「もう! ボクの名前だよ。聞きたいでしょ?」
「興味ない」
「ど、どうしてさ! みんなそう言うんだよ。ボクは聞いて欲しいのに!」
よっぽど暇を持て余していたのだろう。コマは大きく息を吐き出し、無言で続きを待ってやった。
見つめてくるが何も言わないコマに、彼は嬉しそうに尻尾を立て胸を張る。
「人間はボクを『せーこーれー』って言うけど、長すぎると思うんだ! だからね? 『セイ』ってどうかな?」
「いいんじゃないか?」
「ほんと!? ギャーサンはくだらないって言ってたけど、悪くないよね?」
適当にうなずいてやれば、小さな身体で狭い檻の中を器用にくるりと回った。
セイから聞きだせる事は、もうないだろう。彼の世界は、この中だけなのだ。
ゆっくりと伏せ、顎を前足の上に乗せる。
逃げる事は造作もないが、その為にここにいるわけではない。コマは、ゆっくりと目を閉じた。