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強弁

 次の日には、ネキさんはいつものように人型に戻り、パパにこびを売っていた。

 獣の特性として回復力は早いが、コマさんやネキさんのような獣人と呼ばれる人は、その上をいく早さで完治する。

 何事もなかった振る舞いは出来るものの、恐怖心は消える事はない。

 だが彼らは根底にある恐怖に縛られる事はないようだ。

 強靭きょうじんな精神力で支えられるのは、永い時間の中で息を潜め、身を隠し、抗ってきた成果であると言えるだろう。


「……楓様。それは何だ?」

「え? これ? ネキさんとコマさんの記録」

「何の意味がある?」


 分厚い辞書を広げながら、楓は何度も消しゴムをかけながらノートに書き込んでいた。

 コマやネキをちらりと見ながら思い出したように書き込む為、さすがに気になったコマが声をかけたのだ。

 彼女は少し首を竦めて、悪戯がバレた時の笑顔を作る。


「漢字の勉強にもなるんだよ。私、学校行ってないから自分でやらなきゃ」

「そうか。ってゆーか、俺や虎女の事を書いても楽しくはないだろう」

「そうでもないよ。書く事で、何か私でも出来る事が見つかるかもしれないし」

「楓様は、何がしたいんだ?」


 コマは楓のかたわらに座り、ローテーブルにあるノートを覗き込んだ、小さな手はさりげなくノートを閉じる。

 文字を見ても読めはしないのだが、その行動に違和感を感じて灰色の獣は小さく唸った。


「見ても分からないが、俺に見られると困る内容か?」

「……そんな事、ないけど」


 楓は少しだけ視線を泳がせたが、観念してコマへと視線を戻す。


「だって日記を人に見られたら恥ずかしいでしょ?」

「そうなのか。日記って何だ?」

「えーと。その日にあった大事な事とか、自分が思った事とかを書くの」

「……そうか。大変だな」


 緩やかな永い時間を生きているコマには、考えられない事だ。

 野生として生きてきた彼にとっては、その日を生き抜く事こそが大切で、書き留めておくなど自分の足跡を残すようで、意味が分からない。

 しかし、不意に襲われる天敵もなく建物に守られている人間と、激減した森や林に身を隠しては、減る事を知らない人間や魔物に追われるコマ達を比べる事こそ意味がないだろう。

 彼らとは根本から違うのだ。それに悠久の時をノートに書き込む事を考えると、どれほどの紙の束を持ち歩かなければならないのか。

 コマは何かを振り払うように、首を振った。生きる術など、自分の身に叩き込めばいい話だ。


「どうしたの?」

「いや、何でもない」

「あのね、私のせいで皆が戦わないといけないのが、すごく嫌なんだ」

「それぞれに役目がある。気にする事はない」


 それでもショートボブを左右に揺らし、強い光を湛えた茶色の瞳はコマを見据える。


「私だって、何か役目があるはずでしょ? だったら、皆の役に立ちたい。もう見てるだけじゃ、助けて貰うだけじゃ嫌だよ」

「そうか。じゃあ何が出来そうだ?」

「……まだ、見つかってないの」


 コマの言葉に、楓は動きの鈍い自分の足を見つめ考え込んだ。

 白いソファに身を沈めながら、奥の部屋から閉め出されたネキの情けない声を聞く。

 母親譲りの光があっても、使い方なんて分からない。


「使い方か。パパが何か分からないかな」


 背もたれから身体を離して、立ち上がる。

 それを待っていたかのように、呼び鈴が家中に響き渡った。

 近所の奥様が回覧板を持って来るくらいしか、滅多に鳴らない呼び鈴に、コマも立ち上がる。


「斉藤さんかな?」

「楓様は、ネキのそばにいるんだ。俺が出る」

「……その姿で? 大丈夫、コマさん心配しすぎだよ」

「ダメよ。楓様は、ここにいるの」


 楓父に袖にされたネキが、後ろから抱きつく。

 ごめんください。と、どっしりした黒い扉の向こうから低い男の声が聞こえてきた。

 楓が動けない事を確認し、コマは扉越しに声をかけた。


「どなたですか?」

『ワタシの犬が、こちらに迷い込んだと聞きましてね』


 楓の息を呑む音を背後に聞きながら、犬という単語に、コマは眉間にシワを寄せる。

 何か言おうと口を開く前に、いつの間にか隣に出現した楓父が、笑顔で黒い扉を開けた。


「ご主人ですか? こちらに灰色の毛並みをした犬がいると聞きましてね」

「どなたかと、私は聞いたはずですがね」


 聞いたのはコマだが、見知らぬ人間の前で文句を言えようはずがない。

 笑顔で優男に見える楓父に、笑顔の中年男。

 貼り付けたと分かる笑顔の応酬に、コマは困り顔で楓とネキを振り返った。

 無言で首を横に振られたが。


「ああ、これは申し訳ない。内田と申します」

「内田さん。我が家の犬が、そちらの飼い犬だったという証拠でも?」

「もちろんですとも!」


 ごつい手で見せられたのは、一枚の写真。

 興味を示した楓とネキは、楓父の後ろから覗き込んだ。


「何、これ」

「コマだな」

「なんだか、薬品臭そうな場所に見えるわね」


 銀色の檻に入れられたコマは、どこか別の場所を見ている写真。


「パパ、近くでよく見たいの。写真貸して欲しいんだけど」

「娘がこう言っているのだが、借りてもいいかね?」

「ええ、もちろんですよ」


 二人とも牽制するかのように笑顔で応対をする。

 背後に写真を回し、楓は小さな声でコマに尋ねた。


「コマさん、見覚えはある?」


 答えようと顔をあげれば、笑顔の楓父の視線を感じ、彼の言葉も思い出す。

 渋々といった調子になりながらも、コマは口を開いた。


「……ああ、そうだな」


 目を見開き大きく息を吸い込んだ楓だが、声を出す事が出来なかった。

 ネキも、何も言わない。

 握りつぶしかけた写真をネキが彼女の手からかすめ取り、楓父に戻す。


「うそ。嘘だよ」


 呆然として、楓は声を何とか絞り出したが、ネキも、コマでさえも言葉を返してはこない。

 楓父は写真を男に返し、コマを呼んだ。

 灰色の獣はゆっくりと歩を進め、楓父と男の間に座る。


「ダメだよ! コマさんは、あの写真の犬じゃないよ! だって、コマさんは犬なんかじゃ……」

「楓ちゃん。どちらを選ぶかは、コマ次第だろう?」


 楓の言葉を遮り、彼女の肩を優しく触って黒い瞳を残念そうに細めた。

 しかし、怒りの表情で首を横に振った楓は、楓父の腕をつかんで必死に訴える


「あんな檻に入れられた写真を持ってるなんて、おかしいよ! 本当に大事なら、どうして一緒に写ってる写真じゃないの?」


 楓の言う事ももっともだとうなずいて、楓父は内田を訝しげに見つめる。


「娘の言い分が正しい。悪いが、引き取ってはくれないか?」

「悪いが、こちらも娘が大好きだった犬なのでね。簡単に『はい、そうですか』とは言えないのですよ。分かっては貰えませんか?」

「では、その娘を連れてくるといい」


 楓父の言葉に、コマは内心、首をかしげていた。

 潜入捜査ではなかったのか。裏に何かいるのかを探るのではなかったのか。

 彼に任せておけば良いのだろうが、コマは板ばさみの状況で、ただ座っていた。


「……娘は、病弱でね。連れ歩けないんですよ。ここの所、体調が思わしくなくて、この犬は娘のお気に入りだったから、探していたのです」


 この大根役者が。

 楓父とネキは、言葉にこそ出さなかったが心の中で毒づいた。

 内田がうまく言えばコマを仕込むのも楽であるというのに、ヘタクソ過ぎてそのきっかけにもならない。

 しかし説明を聞いてうつむいてしまった楓は、複雑な顔をする。


「でも本物じゃないと、意味ないと思う」

「だから、探しているんだよ。それにこの犬はまさしく娘の犬に違いない」

「じゃあ、その犬の名前は?」

「偶然なのか驚いたんだけどね、コマと言うんだよ」


 さすがにここまでくると、怪しいを通り越して滑稽だ。

 あまりにもお粗末な茶番劇に、楓父は苦笑する。出直してこい、と蹴り出してやりたい衝動を我慢した。



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