3話 信念を貫く木偶人形
香寿が私の家のチャイムを鳴らしたのは、午後七時三分のことだった。進学クラスにしては早めのご帰還と言える。
「穂村さんに会った」
私がそう言うと、香寿は飲んでいた麦茶を吹き出して、穂村さんもとうとうお前の様なクズに成り下がってしまったのか、と呟いた。確かに、穂村さんに学校をサボるイメージは無い。寧ろ皆勤賞を取っていそう。
「あの状況で学校に行けっていう方が酷でしょ。ま、お休みするように進言したのは私だけどね」
私の言葉に、香寿は冷ややかな視線を向けていたが、しばらくすると、諦めたように、そうだよな、と溜息交じりに私の意見を肯定するのだった。珍しい、と半ば無意識に口を開くと、香寿は眉を顰めて、
「お前のサボりは正真正銘のサボりだけど、穂村さんのは逃げる為の手段として正当だろ」
と嚙みついてくる。きっと香寿の言葉は、進学クラスの誰もが弾圧してしまう様な気がする。あのクラスに居る私以外の全員は、余所者を受け付けない。だからどれだけ正しいことを他から突きつけられても、あのクラスの人間は皆、受け入れない。進学クラスの人間の特徴は、必ず自分が正しいと妄信していることだから。
「私が正義のヒーローになったら、やっぱり笑われるよね」
腹立たしい。あのクラスの全てが、腹立たしい。私の心の中に渦巻いている闇の上澄みを掬ったような言葉に、香寿はくつくつと笑って、
「お前は正義のヒーローっていうか、ヤンキーの頭領って感じだよ」
と返事をした。香寿の嫌いな玉ねぎを、ハッシュドビーフにいつもの二倍入れてやろう、と心に決めた瞬間だった。
香寿が帰った後にスマートフォンの通知を見ると、学校からの電話が一件入っていた。どうせここ最近のサボり癖に苦言を呈する担任からのメッセージだろう。私は折り返さなかった。あのクラスの考え方を根底から覆すには、どうしたらいいのか。私一人が粋がったところで、解決する問題ではない。あの学校の問題は、教師側も生徒を選り好みする傾向があるということだ。進学クラスの生徒には特に、あの学校の教師は甘い。
「進学クラスのヤンキーって面白いかも」
香寿の私に対する評価は時に辛辣だが、たまに良いアイデアのもとになることがある。今回は後者だ。ちょっとした悪戯を仕掛けてやろう、と決めたのは、夜十時を過ぎた頃だった。