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あれから、二週間ほどが経った。現在はお昼ご飯の最中である。
「平和幸せ……」
そんなことを言いつつ、私は目の前に広げたお弁当に箸を持っていく。我ながら味付けはいいと思う。
そばには千霞ちゃんと夕ちゃんがいつもいてくれるのでそれはもう安心感が半端ない。初日の出来事がインパクトありすぎたため、最初は何もないことが逆に怖すぎたが、この何もない毎日が私の普通であり、私が求めているものだと自覚した。自覚した瞬間の私の開放感ったらない。
「ひめのご飯ほんとうまー……」
「千霞ずるい。私も食べたいし」
「夕は自分の持ってるじゃん。あたしはひめのお弁当が生命線なの」
「それ前も聞いたし、お弁当が自分の生命線なら忘れてくるなんてちょっと意味がわからない」
「し、しょうがないじゃん!ちょっと朝寝坊しちゃってバタバタしてたんだから!」
「千霞は色々と大雑把だよね」
「そんなことないし!」
「まあまあ、夕ちゃんももちろん食べてもいいよ?」
「ほんと?やった!本人から許しが出たんだから遠慮なくもらうわ」
「ちょっとは遠慮してよ!」
「するわけないでしょー?私も美味しいご飯にありつきたいんだから」
「夕ー!」
日常的に交わされるこの会話が幸せすぎる。平凡でなんの取り柄もない私は、こんな毎日を望んでいた。
決して、睨まれることなく、迷惑をかけることもかけられることもない、こんな平和で平凡な毎日を――。
「失礼。結城姫乃さんはいらっしゃるかしら?」
突然、名前を呼ばれた。くるっと声がした方を向くと、明らかにこれはやばいやつ、とわかる。
だって、赤に近いほどに染めた茶色の髪をクルクルに巻いている少女が、数人の少女を後ろにひきつれていたのだから。
これで何もないと思わないほうがおかしい。
「……やばいの来たねぇ」
「え?面白そうだね」
「他人事!他人事だね二人ともっ!」
「まあ、呼ばれてるのは自分じゃないしね」
「そゆこと」
「ちょっ!かばって!私を庇って!?」
めんどくさい、と切り捨てる二人。
本当にめんどくさそうにしているあたり、かばってくれる可能性はほぼないに等しい。
ちょっと、さすがに泣きそうである。
「聞こえなかったのかしら。結城姫乃さんはいらっしゃるの?いらっしゃらないの?」
めっちゃ怒ってる。声がめっちゃ怒ってる!!
「……私、ですけど……何かご用が……?」
渋々とおずおずを混ぜて、私は応えた。
「……あなたが、姫乃さん?あら。普通の方ですのね。何故あなたみたいなのが。まあ、いいですわ、ちょっと一緒に来てくださらない?」
「……遠慮します。私、あなたのこと知りませんし、ついていっても損しかなさそうなので」
「あなたに拒否権はありませんわ」
「プリンスと同じこと言ってる。常識がないのかな?」
「何かおっしゃいまして?」
「え。常識ないんですか?」
「……喧嘩をしたいのかしら」
「いや、揉め事は良くないですよね。うん。なので、ついていかないです。諦めてください」
「あなたの為にわたくしたちは行動をしていますのよ?それを拒否なさると?」
「なんの権限があってあなたは私を拘束するんですか?」
「なっ!」
「初対面の人に私を拘束する権利なんてありませんよね?それに、話したのも今日が初めてですよね?」
「そうですわね」
「だったら、どうしてあなたの中で私があなたについていくことが決まっているんでしょう?私の意志をあなたが操作するなんておかしいことだと思いませんか?」
「思いませんわ。皆がわたくしの言葉に頷き、ひれ伏すのは当たり前ですもの」
……え、なんかすごいこと言ってるよ、目の前の人。どうしよう。これは言葉をかけても無駄な気がする。かといってついていったらこの人の思い通りになってしまうし。
というか、後ろの少女たちよ。そんなイラついたような顔をしているのなら何故その人に付き従っているのだ。離れよう?
あー。もしかして、親が権力者なの?そうなのね?だからこの人の言うことにはなんでも従っちゃうってやつ?損な人たちだなぁ……。
「あっ、プリンスのファンクラブの方?」
「親衛隊ですわっ!」
なんかめっちゃ怒られた。
「なので、我らがプリンスに近づいたあなたに物申したいことがございますの」
「ここで言えばいいじゃないですか。わざわざ違う場所に行くの、時間がもったいない」
「ここだと人が多いですわ。静かなところがいいんですの」
……それをここで宣言するあたり、後ろ暗いことがあると自分で白状しているようなものなのだが、彼女はそれに気づかないのだろうか。いや、気づかないからここで言ってるんだよね。
「あのさー」
突然、千霞ちゃんが割って入ってきた。
「場所を移さないと話せないってあたりですでに怪しいから。そんなものにあたしのひめを行かせると思うの?」
「あらぁ、このわたくしに口答えするのかしら」
「口答え!ただ普通に話してるだけなのにそんな風に受け取られるの?あなたの話する人がかわいそうねえ」
「なんですって!?」
「何かを言いたくても言えないなんてかわいそう意外に表現のしようがないわ。あんたが間違ってても、それを諌めることすらもできないんだから。ねぇ?後ろの取り巻きさんたち?」
「!!」
「この子たちは、常にわたくしに付き従う者。あなたの言葉に惑われるはずがなくってよ」
「その自信はどこから?」
「わたくしの人徳ですわ」
えっ、これは突っ込んでいいの?いいのね?じゃあ遠慮なく。
と思っていたら千霞ちゃんは私が言おうとしていることがわかったの、ぐっと私の手首を掴んで止めた。目が訴えている。面倒なことになるからお前は黙っていろ、と。あまりの眼光の強さに、私はしゅんとして渋々と下がった。
私のその様子を見ていた高飛車な少女が自分に恐れたと思ったのか、何故か勝ち誇った顔をしている。
いや、状況見て?私も含め、あなたの後ろに立っている少女たちも怯えるほど、千霞ちゃんの眼光ハンパないからね?
千霞ちゃんは私の手首を握ったまま席をガタッとたち、そのまま私を引き連れて、その少女の目の前まで歩いていく。
「で?お話は?」
「あなたには関係ございません。わたくしが話があるのは結城さんだけですわ」
「……もしかして、いいとこのお嬢様?」
「ええ。父親は大手企業の社長ですわ」
「……そういうことか」
「ですか、わたくしに逆らわない方がいいですわよ?」
「逆らってないし。ひめ。あなたの持論、どうぞ?」
「うえっ!?じ、持論って……」
「ほら、あたしに前言ってくれた言葉。聞かせてあげれば?」
これは確実にあのことを言っている。
「で、でもほら。あの時にも言ったけど、人それぞれだし。今までそれで生きてきたのなら、かわいそうな人だなーって思うしかないと思うけども……」
「かわいそうな人とはわたくしのことかしら!?」
「他に誰がいるのよ」
「千霞ちゃん……」
「この学校にいてよかったわ〜、親の七光り。ほらほら、ひめ。あたしが暴力からは守ってあげるから、言って言って!」
「いや、だから……」
「なんの話をしてますの?それよりも、早くわたくしときてくださらない?」
「時間がないんだって!ほら!今だよ今!」
「……千霞ちゃん……。……すごいのはあなたのお父様であってあなたじゃない。それを自分がいかにもすごいみたいに言うのは間違ってる」
「なっ……!」
「だから、あなたは普通の女の子であって、なんの権力も持っていないの。取り巻きみたいに言われてる人たちも、きっと同じこと思ってると思うよ?それでも言えなかったのは怖かったからじゃない?例えば、あなたのお父様の会社で働いてるとか」
「……っ!!」
「でも。それをあなたがあなたのお父様に言ったとしても、クビにはならないと思うよ。だって、今現在でも働いてるんだもん。少なくとも、その会社には必要な存在だって思ってもらえてるってことだと思う。だから、別に無理しなくてもいいんじゃない?」
「あなた何様のつもり!?」
「何様も何もないってば。私はただの一般人。普通を愛する女子高生です」
私の言葉に千霞ちゃんはかっこいい!と興奮気味に言うし、夕ちゃんもおお〜、と後ろで声を出しながらパチパチと拍手をしている。なんだろう、このよくわからない状況。
「……終わったか?」
と、再び声が割って入ってきた。それは、私が今一番警戒している声に違いなく、あの艶のある声だ。
「ひいっ!!」
「うわっ、雪村……」
「ルクス様っ!」
私、千霞ちゃん、高飛車な少女と続く。
「さすがに、そんな怖がられると俺も傷つくんだが……」
「自分がやったことの代償でしょ」
「……わかっているから、最近はおとなしくしているだろう。だが、溢れ出る愛情は日に日に多くなっていくばかりだ」
「怖いっ!なんでそんなに私なんですか!?」
「言っただろう。愛していると」
「だれかっ!誰かこの人の口塞いでくださいっ!!」
「……ひめ、落ち着いて」
「なんだ、もう愛を囁いてもいいのか?」
「やめてあげて。まだ何も大丈夫じゃないから」
そうか、と残念そうにしゅんとするプリンスに、高飛車な少女はおろおろとしていたかと思うと、私をきっと睨みつけてきた。
「あなたがっ!」
「えっ!?」
「あなたがルクス様のお気持ちを受け取れば、ルクス様もこのように落ち込んでしまわないのにっ!なぜお気持ちを受け取りませんの!?」
「………………え?」
「こんなにもルクス様に思われておいでなのにっ!他に気になる殿方でもいらっしゃいますの!?どうなのです!?」
どうしよう。反応にものすごく困る。
「話って、それ?」
「それ以外に何があると申しますの!?」
あ、リンチとかではなかったのね。ちょっと安心。
「最近のルクス様は、どこかずっと物憂げで、寂しそうでしたわ。わたくしたちはずっとそれが気がかりでしたの……。けれども、わたくしたちにはルクス様は高嶺の花と同じ。声をかけることも憚られますわ。ですから、その原因を作っている人を探し出して、直接お話をしようと……」
「じゃあなんで場所を変えようなていったのよ!?」「……?結城さんがここでは話しづらいと思いまして」
「最初にそれ言ってよ!」
千霞ちゃんナイスツッコミ……。
「ここまでいったのですがら、理由をお伺いしたいですわ。さあ、なぜなのです!?」
「えっ!?えー……こ、個人的な理由です……」
「その個人的な理由の具体的なことを聞いていますわ!」
「いや、えっと、さすがに言えないんですが……」
「ですから!場所を移しましょうとあれほど!!」
「いや。場所を移したとしても、言いませんって」
「なぜですの!?」
「プライベートなことを話すことになるからです」
「だれにも言いふらしたりなんていたしませんわっ!」
「いや、そこ重要じゃ……いや。重要だけど。……えーっと……」
どうやって切り抜ければいいのかさっぱりわからない。けれど、目の前の高飛車な少女の瞳が真剣すぎる。どうしよう。開放してもらえないかもしれない。
「…………昔、ちょっとしたトラブルがあって」
「それはなんなのですっ!?」
「そこまでは、本当に話せなくて……」
「……?話したくない、ではないんですの?」
「おお……よく気づきましたね……」
「もちろんですわ。ルクス様に関することですもの」
「すごいな……。その通りです。話したくない、ではなく、話せないんですよ」
「……支障がなければ、その理由をお聞きしても?」
「ずけずけきますね……」
「もちろんですわ」
「……そのトラブルの、トラウマになったことの原因の記憶が、ごっそり抜けてるからです」
「記憶障害……ということですか?」
「そこまでひどいものじゃないですけど、まあ、そんなようなものです」
なんでここまで話さなければならないんだ、と、内心思いつつ、でもこれ以上は本当に答えられることもないため、黙ってしまう。
「……わかりました。納得はしておりませんが、今日は許してさしあげますわ」
「いや、もうずっと許してくれるといいんですけど……」
「ルクス様の憂いがなくなったら、開放してさしあげます」
「……無理だ……」
「では諦めてくださいませ」
諦められないから言ったのだが、どうやら通じていなさそうだ。泣けてくる。
そして、嵐は去っていった。
シンとした教室には、再びいたたまれない空気が流れている。変な空気を残さないで欲しかった。
「……お腹すいた」
私は、以前と同じ方法でこの場を切り抜けようとしたが、千霞ちゃんが私の手首をぎゅっと握った。そういえば、引きずられてきてるから握られてるままなのだ。
「ひめ、今のほんと?」
「何が?」
「記憶がないって」
「……本当。でも、千霞ちゃんと出会う前のことだし、知らないのは当たり前だと思うよ?私も、自分から話したことなんてないしね」
「なんで?」
「言ってくれなかったのって?」
「……!」
「友達って、そんなことまで背負わなくてもいいと思うの」
「え?」
「私の過去のことを知っても、どうしようもないと思うし、そんなことを気にしながら過ごすのもなんか嫌でしょ?だから、話さなかった。それじゃ、ダメ?」
そういった私の手首を、千霞ちゃんは悔しそうにもう一度、先ほどよりも強い力で握った。
そばにいたプリンスも、なぜか悲しそうな表情をしていたのを、私は見た。