八話「片想い」
ナビが無事到着しましたと案内を終え、車内が一気にしんと静まり返る。
瑛ちゃんは家の前に路上駐車をすると、ご丁寧に後部座席のドアを開けてくれた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
お礼を告げて、車外へと出る。瑛ちゃんはそのまま運転席に戻って帰ると思っていたので、せめて見送りでもしようと立っていると、どう勘違いしたのか瑛ちゃんは心配そうに顔色を窺ってきた。
「酔ったか?」
どうやら、車酔いをしたと思っているらしい。新車の匂いや、なにかをやりながら車に乗っているとき以外は基本酔わないので、それは取り越し苦労なのだが、瑛ちゃんは私を病弱だと思い込んでいる節がある。
「酔ってませんよ。蒼井先生を見送ろうと思ってて立っていただけです」
「そうか。ならよかった」
瑛ちゃんほほっと息をつき、安堵していた。
「見送りはいいから、早く家に入りなさい。俺も一応挨拶しておきたいから、一緒に行くから」
「……はい?」
安心したのなら、てっきりそのまま帰ると思っていた。今の私はまぬけな顔をしているに違いない。
「ほら、行くぞ」
そんな私をよそに、瑛ちゃんは玄関のインターホンを鳴らした。中からぱたぱたと走る音が聞こえて、玄関のドアが開く。
「あらまあ、まあ……。なんてイケメンさん」
「お母さん!!」
お母さんはドアを開けるなり、頬に手をあてて呟いた。そんなお母さんの言葉が瑛ちゃんに向けられていると思うと恥ずかしくて、思わずっと叫んでしまう。
顔を真っ赤に染めた私をお母さんは一瞥すると、にやりと笑った。
「いいじゃないの、減るもんじゃないし。それに結芽、あなた叫べるってことは元気なのね。ごめんなさいね、わざわざ送っていただいて。私が迎えに行ければよかったのだけど、運転免許を持っていてもペーパーで、お父さんもまだ仕事だし。先生のお言葉につい甘えさせていただいちゃって。それにしても、本当にイケメンさんねぇ。結芽ったらこんな人が担任の先生なんてラッキーじゃない。先生にあんまり迷惑かけないようにするのよ?」
おそるべし、お母さんのマシンガントークだった。どこかで止めなければ、きっと止まることはないだろう。私はお母さんの腕を引っ張って、止めるよう促した。
「あら、いやだ。ごめんなさいねぇ」
「いえいえ、とんでもないです」
お母さんに呆れていないのかと瑛ちゃんを見れば、なんと瑛ちゃんは柔和な笑みを浮かべていた。イケメンと言われても動じていない。いや、言われ慣れてるだけなのかもしれないけど。でも、さすが先生をやっているだけのことはある。こういう母親もお手のものって感じだ。
前世で彼氏だった瑛ちゃんの新たな一面を知って、どこか感慨深く感じた。
「この件に関しては、担任として当然のことをしたまでですので、気にしないでください。それよりも、私の不注意で授業中に怪我をさせてしまい、申し訳ございませんでした」
「あらあら、いいのよそんなこと。子供が怪我するのは、子供の責任なんだから。それにこの子の場合は極度の運動音痴だし。これからもしょっちゅう怪我をするかもしれないけど、全然気にしないでちょうだいね?」
「お、お母さん……」
普通ここは、子を庇うところではないのか。お母さんの言い方にがっくりと肩を落としていると、くすりと笑う声が聞こえた。
振り向くと、そこには瑛ちゃんが口元で手をあて笑っている姿があった。
「もう、蒼井先生まで!」
頬を膨らませて怒ってますよ、とアピールすると、瑛ちゃんはますます笑ってしまった。瑛ちゃんのツボがイマイチ理解できない。
「ごめんごめん。でも相澤、いいお母さんを持って幸せだな。大事にしろよ?」
確かにお母さんは、色んな意味でいいお母さんだ。けれど、本人の前で大きく肯定するのはなんだか恥ずかしくて、小さく頷く程度にしておいた。
瑛ちゃんは私が頷くのを確認すると、お母さんに軽く頭を下げた。
「では私はこれで。相澤、また学校でな」
「はい。わざわざ送ってくれてありがとうございました」
瑛ちゃんが車に乗って、姿が見えなくなるまでお母さんと見送る。車が視認できなくなったところで、家の中に入ろうと玄関の扉に手をかけようとしたとき、お母さんが爆弾発言をかました。
「結芽、あんた蒼井先生のこと好きでしょ?」
玄関の扉を掴むことなく、手は宙に浮いたまま固まった。
「な、……ど、どうしたの、いきなり」
緊張のあまり声が震える。お母さんは前世のことを知らないし、瑛ちゃんと会ったのだってはじめてだ。なのにどうして、ばれたのだろうか。変なところで鋭いお母さんに、上ずった声で言葉を返してしまう。これでは肯定しているようなものだ。
「ずっと結芽の親をやってきたのよ? それくらい雰囲気でわかるわよ」
「雰囲気で?」
ドキリと心臓が痛いくらいに音を立てた。そんなに私は分かりやすいのだろうか。だとしたら、クラスメイトにもばれてしまっているのかもしれない。それでは瑛ちゃんに迷惑がかかってしまう。顔から血の気が引き、寒気が襲ってくる。
「あんた、なに青ざめているのよ。大丈夫よ、私が分かったってだけで、そんな簡単に想ってることなんか、ばれやしないわよ」
「そう……かな」
「そうよ」
お母さんの力強い肯定に、ほっと胸をなでおろした。でも用心するに越したことはない。これからはもっと気をつけようと心で決める。
そして数秒間を空けたところで、お母さんにある質問をした。
「でもさ、お母さん」
「なに?」
「好きなこと、反対しないの?」
もうばれているなら仕方がない。だったらここは開き直るべきだろうと判断しての質問だった。
「どうして反対しなきゃいけないの?」
なにかしら言われるだろうと意を決して質問したのに対して、お母さんの返答は実にあっけらかんとしたものだった。
「え……だって」
「蒼井先生が結婚してるから? それとも先生と生徒だから? そんな理由で私は娘の恋を反対なんてしないわよ」
お母さんはちゃんと知っていた。瑛ちゃんが左手の薬指に結婚指輪を嵌めていることを。
「どうして……」
「どうしてってそりゃ、普通は反対しなくちゃいけないことは分かってるわよ? でもね、どうしても諦められない恋ってあるでしょう? いいじゃない、別に蒼井先生に恋をしたって。結芽、あなたの心は自由なんだから。もちろん人に迷惑をかけないこと前提だけど、自分の心ぐらい自由にしなさい」
「っ、お母さん」
お母さんの言葉に思わず涙ぐんでしまう。後ろを振り向いてお母さんを見れば、太陽のように温かそうな笑みを私に向けていた。そんなお母さんの胸にためらいもなく、飛び込んだ。
「結芽、いい恋をしなさい」
「うん、ありがとう」
お母さんの腕の中は、笑顔と同じ太陽の匂いがした。