五話「二人目」
午後の授業が終わり、素晴らしい自由時間がやってくる。
「ねぇねぇ、美優。このあと一緒に」
「パス。バイトの面接あるから」
高校でできた初めての友達。中学のときにはできなかったカフェや本屋への寄り道は密かな憧れだった。だから美優を誘おうと声をかけてみたのだが、誘う前にきっぱりと断られてしまった。
「ちぇー……。まあでも、仕方ないか」
「ごめんね、また今度誘って。また明日」
「うん、ばいばーい」
登校二日目にして、友達は一人。上々なのかどうかはわからないが、他に誘う友達はいない。
部活もまずは学校に慣れて欲しいということから、勧誘が始まるのは一週間後からだった。結果暇を持て余すことになった私は、一人本屋へ向かうことにした。
自転車を漕ぐこと二十分ほどで、目的の本屋に到着した。帰り道、本屋は何か所かあったのだが、大型店舗で本以外にも取り揃えているところはここしかない。今日の目的は本ではなかったので、店内に入ると文房具のコーナーに足を向けた。
本屋独特の匂いを堪能しながら、気になったものを手にとっていく。
「うーん、どれにしよっかなぁ」
買いに来たのは、シャーペンと『vampiredoll』の作者に送るファンレター用のレターセット。シャーペンは気に入っているものが壊れて買いなおすだけだったから、すぐに決めれたのだが、レターセットはそうもいかない。
本人にきちんと届いているのか、読んでくれてるかどうかは、私の方では判断できない。でももし、届いて読んでくれているのなら、きちんとしたものを選びたいし、センスがいいなと思われるものを使いたい。
何通も送ったら迷惑かなと思って、新刊が出たときに送っていた。つまりは四カ月に一度程度だ。
子供すぎるのも高校生になったから嫌だ。かといって大人すぎるのも嫌だ。んー、と唸りながら考えていると、ふいに横から声をかけられた。
「ごめん。後ろ通りたいんだけど」
悩んでいたレターセットが下の方に置いてあったので、しゃごみこんで考えてしまっていた。いくら大型店舗とはいえ、種類豊富に取り揃えているから、通路は意外と狭かったりする。
「あ、すいませ」
ん。
最後の一文字を言う前に固まってしまった。
急いでどこうと立ち上がって、相手の顔を見ると、そこには前世での幼馴染であった彼がいた。
驚きのあまり、口をぽかんと開けて突っ立ってしまう。
そんな私を怪訝そうに眉をひそめて、横を通り抜けていってしまった。その後ろ姿を見ようと、彼の姿を目で追いかける。
やっぱりそうだ。昔は黒髪だった髪は染めて暗めの茶髪になっているが、さっぱりと短く切るより襟首まで伸ばしたい、という変な信念を持っていた。それは今でも変わらないのか、柔らかな髪が歩くたびに肩近くでふわりと揺れる。昔はあの触り心地のいい髪に触れるのが大好きだった。
昔のように触れようと手を伸ばしかけて――やめた。
いきなり赤の他人に触れられたら、彼、桐嶋悠翔とて警戒するに決まってる。会話をする機会がこれから先なくても、そんな視線を悠くんからもらいたくない。
先程かけられた声を頭の中で再生する。他人行儀ではあったが、確かに悠くんの声だった。二日連続で前世の幼馴染たちに会ったことにびっくりしたが、よくよく考えてみればすごい偶然ではあるものの、ありえないことではないことに気づく。
『夢』が生活していた市と、今現在の私が生活している町は隣同士なのだから。それにこの本屋は私が住んでいるところからだと、自転車で三十分はかかる。でも『夢』が住んでいたところからは、自転車で五分圏内。五年前くらいにできた新しい店ではあるが、幼馴染が利用していたっておかしくはない。
この偶然はもうないかもしれない。だからせめて瞳にその姿を焼き付けるようにと悠くんをじっと見つめた。そんな私の視線が気になったのか、たまに顔を上げて私の方をみてきた。その度にばれないよう視線を逸らすのだが、私の方を見てくる時点で、ばればれもいところだろう。
でも最後にもう一回だけ、と視線を向ければ、いつの間にか隣にやってきていた。
「ねぇ、なんか俺についてる?」
「いえ、そういう訳じゃ……。えっと、その……あ! こ、これレターセット選ぶのに迷ってて。人の意見を参考にしたいけど、相談できる人もいないし、よかったら選んでくれませんか?」
ちょうど手にしていた二つのレターセットを悠くんに見せる。せっかく向こうから話しかけてくれたのだ。このチャンスを無駄にしたくはない。
悠くんの顔をそっと窺うと、なにかに驚いたような、そんな表情をしていた。首を傾げていると、悠くんは自嘲的な笑みを浮かべながらその理由を教えてくれた。
「その唐突に思いついた理由を言う時の君が、俺の大切な幼馴染に似ていたからびっくりしただけ。……この子はあいつじゃないのに。変なこといきなり言ってごめんな」
「い、いえ。気にしてないので」
あいつ。恐らくそれは私のことだ。だって、悠くんの指す幼馴染はいつもだって私たち双子の姉妹と瑛ちゃんだけだった。それにあいつ、というときの悠くんはすごく辛そうな顔をしていたから間違いない。
私だよ、と油断したら言ってしまいそうな口を必死に止めて、笑顔を取り繕う。どうせ信じてもらえないのなら、変なことで悠くんを困らせたくはない。
雰囲気を変えるために、わざと明るい声を取り繕う。
「あの、それでどっちの方がいいと思います?」
右手に持っているのは、寒色系の無地で大人っぽいレターセット。左手に持つのは、動物のシルエットが隅に書かれている可愛らしいレターセット。どちらもすてがたい。
「うーん、俺的には動物の方かな。君、制服からすると、千野崎高校の子でしょ? どっちもいいと思うけど、高校生なら、こっちかな」
「ありがとうございます。じゃあこっちにしようかな」
寒色系のレターセットを棚に戻して、手元に動物のレターセットだけを残した。
まだまだたくさん喋りたかったけど、ずっと喋っていたらどこかでぼろがでちゃうかもしれない。本屋は本来静かにする場だし、こんな細い通路で喋っていたら、他のお客さんにだって迷惑がかかる。最期にちらっと悠くんの顔を見て、軽く頭を下げる。
「私、これ買ってきますね。本当にありがとうございました」
くるっと回って、悠くんに背を向ける。
レジに向かって一歩足を踏み出すと、誰かに手を掴まれた。
「っと」
最初の一歩だったことや、掴まれても引っ張られなかったこともあって、危なげなくその場で立ち止まることができた。
掴んでいる手を辿っていくと、そこにはなんでこんなことをしたんだろう、と驚いた表情をした悠くんがいた。
「あの……?」
「ごめん、なんで俺、こんなこと」
ぱっと手を離し、申し訳なさそうに頭を下げてくる。
「いえ、気にしてないので大丈夫です」
「本当にごめん。あのさ、ごめんついでに一つ聞いてもいい?」
「なんでしょう?」
「嫌なら答えなくていいんだけどさ、君名前なんていうの? って、こんなおっさんに名前なんて知られたくないよな。ごめん、やっぱり忘れて」
頭をわしゃわしゃと掻きながら、悠くんは私に背を向けた。確かに全く知らない人だったら、名乗るのに抵抗がある。けれど悠くんなら別だ。今世では知り合いじゃなくても、前世では幼馴染だったんだから。
その背中に向かって、名前を告げた。
「相澤結芽です、結ぶに発芽の芽って書いて、結芽です」
ばっと音がしそうな勢いで悠くんが振り返る。そんな悠くんはどこか驚きつつも悲しそうな瞳をしていた。
「結芽か、いい名前だな」
「はい、私も気に入ってるんです。あの、私も名前窺っていいですか?」
「俺? 俺は桐嶋悠翔。相澤さんはここによくくるのか?」
「結芽でいいですよ。相澤って長いし」
嘘。本当は結芽って昔みたいに、悠くんに呼ばれたいだけだ。
「ここは、本とか文房具が種類豊富だから二週間に一、二度って感じですね」
「そうか」
「桐嶋さんは、よく来るんですか?」
「あぁ、家近いし、欲しいものは大抵そろってるしな」
そんなこと言われたら、私もしょっちゅう来たくなっちゃうじゃん。
でもそんなことは顔に出さず、冷静に返す。
「そうなんですね。また会ったら思わず声かけちゃうかも」
「また迷ってたら、相談のってやるよ」
「お願いしますね。では、私はこれで」
「ああ、じゃあな。結芽」
名前を呼ばれて緩む頬を堪えられず、見られないようにさっと背を向けた。