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私たちの○角関係  作者: 鈴野あや
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一話「思い出した」

 教壇に立つ男性教師を見て、今まで不思議に思っていたことについて、ようやく腑に落ちた。黒い短髪に切れ長の瞳、薄い唇の右下辺りには男性教師の魅力を引き立てるかのように、ほくろが一つ。

「これから一年間、お前たちの担任になる、蒼井瑛太だ。担当は体育。よろしく頼む」

 爽やかな笑みを浮かべ、にっこりとほほ笑む姿に、大半の女子生徒はうっとりと瞳を細めた。対して私は、様々な昔の記憶が濁流のように脳へ流れてきて、青ざめる一方だった。けれど若干俯くようにして座る私が青ざめているなど誰も気づかず、先生への質問コーナーが始まってしまう。

「先生は今何歳?」

「三十」

「えー、見えなーい」

「そりゃどうも」

 クラスの中でも目立つ系の女子生徒が、先生に次々と質問をしていく。先生はそれに苦笑しながらも、答えられる範囲で答えていく。相変わらず、その優しい姿勢は変わらないなと心中で呟く。

 軽いテンポで質問がいくつか続き、女子生徒は一番聞きたかったであろう、質問を投げかけた。

「先生のそれって結婚指輪?」

「ずばりと聞くなお前は」

「いーじゃん、教えてよ」

 ドクン、ドクンと心臓が嫌な音を立てる。

 理由は分かっていた。私がその答えを聞きたくないからだ。身体が心が、それを耳にしてしまうことを本能的に拒絶している。

 その左手薬指に嵌っているのが、結婚指輪であると認めたくなかった。

 けれど現実は無情だ。

 先生は照れる顔を手で隠しながら、そうだと頷いた。

「っ……」

 時間というものは実に無常なものである。

 あの時、互いに想いあっていても、十五年という月日がそれを薄くし、新しい恋へと導いてしまうのだから。

 息ができない。苦しくて仕方がない。

「っぅ……、ぁ」

 そんな私の異変に真っ先に気づいたのは、先生だった。

「相澤!?」

 ひどく心配げな表情を浮かべて走り寄ってくる。十五年も経ってしまったのだから、年相応に顔や服装の趣味は緩やかに変化を遂げているものの、浮かべる表情は変わっていない。

(もう皆の名前覚えてるんだ。さすが瑛ちゃんだな。それにこの表情……最期に見た顔と同じだ)

 十五歳という若さで前世を終えた時に見た表情と、どこか重なって見えた。

「相澤っ」

 椅子に座っているにも関わらず、平衡感覚が失われ、ぐらりと床に身体が傾いてしまう。やってくる衝撃に目を瞑るが、一向にやってこなかった。代わりに私を包んだのは、懐かしい匂いの持ち主。

「相澤、相澤」

(瑛ちゃん、香水とかつけてないんだ。昔と同じままだ……)

 そんな場違いなことを思いながら、私は意識を手放した。




 目が覚めると、見慣れない天井が視界に入った。薬品の匂いがすることから、保健室なのだろうと推測する。誰に運ばれたのか、嫌でも分かってしまい、平均体重より少し軽いと把握していても、落ち込んでしまう。掛布団を頭まで被って、ため息をつく。

「このまま、家に帰りたい」

「今日は入学式と簡単な説明だけだから、もう帰れるぞ。むしろ相澤以外は帰った」

「え?」

 てっきり一人だと思っていたから、独り言に返事がくるとは思ってもみなかった。私が寝ていたベッドを囲っていたカーテンの一部が開けられ、そこからひょっこりと声の持ち主が顔を出した。

「えい……、蒼井先生」

 昔のように呼びそうになって、慌てて呼び方を正す。なんだか胸の中がもやっとするような、そんな奇妙な感覚に見舞われたが、奥の方にその気持ちを押し込んだ。

「体調、朝から悪かったのか?」

「……そう、ですね」

 瑛ちゃんと会って前世を思い出す前から、体調はいいとは言えなかったから、素直に頷く。

 前世で私は、どうしてもこの高校に入りたかった。他の学校と違い、桜並木ではなく銀杏並木なところや、それを潜り抜けると校舎がどん、と構えているところ。そんな趣のある学校が好きなことや、入りたい部活がここにはあったことが理由だった。

 けれど私は十五年前、入学式に向かう途中に命を落とした。いや正確には、命を奪われた、の方が正しいのだろう。なぜなら通学途中に、見ず知らずの男にいきなり刃物で胸を刺されたのだから。

 前世を思い出す前から、心が、魂そのものが、学校までの景色などに惹かれていたのだろう。だから受験をするためにこの高校に足を運んだときも、ようやく出席できた入学式のときも、頭や胸が記憶に訴えかけていたせいで痛かったのだ。

 数ヶ月前から悩まされていた痛みにようやく答えが見つかり、心がすっきりとする。思えば昔から既視感を感じる場面は幾つかあった。

「俺も今日は仕事ないし、このまま送っていくよ。荷物はこれだけでよかったか?」

「いえ、大丈夫です。少し寝たおかげですっきりしましたから。……それより一つだけ質問したいことがあるんですけどいいですか?」

「そうか? だったら、気をつけて帰るんだぞ。んで質問ってなんだ?」

 教室で生徒に質問された内容と同じレベルのものがくると踏んでいるのだろう。その顔には気負う素振りは見当たらない。

 私は意を決して、声を出した。左手の薬指についている指輪をなるべく見ないようにして。

「蒼井先生は十五年前の『夢』のことを覚えていますか?」

 瑛ちゃんは肩をぴくりと震わせ、顔を瞬時に強張らせた。得体の知れないものを見るかのように、私の顔を凝視する。

「どういう、ことだ」

 声が硬い。

 ただ、私はこうなることも予想はしていたから、同じ態度のまま瑛ちゃんに笑いかけた。むしろその表情になってくれたことに、喜びを感じてしまう。

「そのまんまの意味ですよ」

 『夢』を瑛ちゃんは覚えている。それだけで、私は嬉しかった。

「『夢』か。相澤がどういう意味で聞いているのかわからないが、将来の夢はあの頃はまだなかったしな」

 瑛ちゃんは困ったように、眉を寄せた。もちろん瑛ちゃんを困らせる気はさらさらないので、私も納得したかのようにそうですか、と頷いた。でも少しくらいの意地悪は許してほしい。

「まあ聞いた私も、まだ夢がないんですけどね。名前は『結芽ゆめ』なのに。高校一年生の時に夢がなかった蒼井先生でも、きちんとした職につけたってことは私も大丈夫そうですね」

「なんだそりゃ。ってか、相澤は下の名前、『ユメ』って呼ぶのか」

「まあまあ、いいじゃないですか。そうですよ、初めて会う人にはいつも『ユイメちゃん』って呼ばれちゃいますけどね。でも漢字も読み方も含めて結構気に入ってるんです。可愛くないですか? ユメって」

「…………そう、だな」

 瑛ちゃんはたっぷりと間を空け、苦々しさを押し殺すように瞼を閉じた。

「体調もさっきよりはよくなってきたんで、私そろそろ帰りますね。鞄ありがとうございました」

 ベッドのすぐ横にそろえてあった上履きに足を通し、鞄を手にすると、そのまま保健室をあとにした。

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