釈迦の憂鬱
「ふう……」
カンダタの一件から数千年。
極楽に居るお釈迦様は大きなため息一つ吐きました。
彼の目の前は地獄居る筈の亡者達で溢れ返っています。
モヒカン頭の男や黒エナメルのボンデージファッションの女達がわっちゃかわっちゃか騒ぎ立て押すな押すなの大賑わい。
お陰で極楽に通勤列車のようなむわっとした熱気と異様な臭気が辺りを漂い、これではどっちが地獄か分かったものじゃありません。
此処が極楽にも関わらずです。
「お釈迦様、蜘蛛の糸あざーす!」
突然、お釈迦様の後ろで声がします。
彼が振り返ると、ソコにいたのはモヒカン頭をした地獄の亡者でした。
彼がお辞儀をすると髪の毛がゆっさかゆっさか揺れています。
どうやらまた地獄の一人の亡者が蜘蛛の糸を伝って極楽に這い上がって着たようです。
「…う、うむ…」
顔をヒキツらせ、返事を返すお釈迦様。
モヒカン男の後ろには次々と糸を上る亡者の群が見えました。
行列は地獄までズラーっと連なっています。
しかし誰一人カンダタのように我先に上ろうとはしていません。
みな行儀良く、一列に並んで進んでいました。
その姿はさながら列車に乗り込む日本人乗客の様です。
情報化のご時世、彼らは例の話を熟知して居ました。
――行儀良く並んで上れば全員が極楽に行けることに。
そして、カンダタのように自己中な行いをしたものだけが糸が切れ地獄に堕ちると言う事を。
そうなると、誰も「我先に」と上る人はいません。
みんな譲り合いの精神を発揮し、聖人のように振る舞っています。
お陰で転落者は誰も出なくなりました。
誰だって地獄から逃げ出したいのだから。
釈迦は彼らの大群を見て、ある言葉が喉まで出かかっていました。
(もう極楽は満員じゃ。 おまえ等はもう来るな!)
しかし、口に出すことは出来ません。
出した瞬間、極楽にふさわしくないと地面が割れ自分が地獄に落ちることが明白だったからです。
亡者達で溢れ返り、沙羅双樹のたき火が所々に見える、さながら地獄の様相の極楽。
その場所に、更に整然と這い上がってくる亡者達の群。
それらをぼんやり見つめるお釈迦様。
為す術のない彼の口から出たのは深いため息一つでした。
「ふぅ…、正しい行いも、全員が選ぶと間違いなのかもじゃ……」
その間にも、亡者達は蜘蛛の糸を昇って居ます。
皆、整然と聖者のような行動で。