窮鼠と窮女 1話 窮鼠の平日
『果たして、窮鼠は龍をも殺せるのでしょうか?』
勝ち誇るようにあざ笑う彼女が、僕には理解できなかった。
龍車キャラバンという世界最大規模の商隊を率いる彼女が、ソロキャラバンの僕なんかを相手に優越感に浸る姿が不思議で仕方ない。
何より、彼女は誰と勝負をして、誰に勝利したのだろう。少なくとも僕には心当たりがなく、最後まで分かり合えない少女だった。
幸いなことにその日、僕は些細な出来事なら笑顔で受け流すことができた。なにせ、鼠車キャラバン創立以来より続く、長い依頼を終えたばかりなのだから。
『俺を王都に連れて行ってくれ! 俺は世界一の勇者になりたいんだ!!』
そんな親友の頼みより設立されたのが、鼠車キャラバンだ。10歳から旅を始めて実に6年。彼は勇者として仲間たちと共に龍車キャラバンへと移籍し、実名ともに世界一の勇者となった。こうしてキャラバンとしての初の依頼は幕を閉じ、僕はようやく重い荷を下ろすことができた。
『果たして、窮鼠は龍をも殺せるのでしょうか?』
分かりきった問いに、僕は今だに沈黙を貫いている。
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目を覚ますと、窓から朝日が差し込んでいた。
いつもなら仲間たち5人分の朝食を作るために慌てている時間だ。しかし、今の僕は違う。依頼を終えて一人気ままな商いが始まったのだ。僕はこの上ない達成感に包まれたまま起床しようと身を起こし、
『うぅん……お母さん』
僕の裾を握りしめて離さない幼女の存在を思い出した。
親友であり、勇者でもある彼らとの別れから数日。里帰りをする道中、行き倒れていた幼女を保護したのだった。
僕はそっと小さな手をほどき、立ち上がって伸びをする。今日は色々とやることができてしまい、鼠車を進めることは難しそうだ。ちらりとキッチンの大鍋に目をやる。この大量に作ったシチューは街に卸す予定であったが、遅れるとなると味が落ちてしまう。捨てるのも勿体ないので、今日の夕飯にでも黄太郎達に食べさせよう。黄太郎達は雑食だし、喜んで食べてくれるだろう。
さて、予定も大体決まったし、お仕事するとしましょうか。
鼻歌交じりでミシンをカタカタ鳴らしていると、コロモが起床する。がばっと勢いよく跳ね起きて、かけられた毛布とTシャツを確かめ、きょろきょろと不安げに辺りを見渡す。そして、リビングにいる僕と目があった。
『おはようコロモちゃん。ごめんね。ミシンの音で起こしちゃった?』
僕はしまったなと思いつつ謝罪する。この作業はコロモが起きてからでもよかったかもしれない。僕が一人反省していると、コロモはシテテテと駆け寄り『お姉ちゃん!』と抱き着いてきた。僕は昨日のように慌ててコロモを抱きとめる。
『おっとと、コロモちゃん。今ミシンを使っているから危ないよ。それに僕はお姉ちゃんじゃなくて……』
『夢じゃない?』
『……え?』
『お姉ちゃんも昨日のシチューも夢じゃない? 消えちゃわない?』
もしかしたら奴隷時代に何度かこんな夢を見たのかもしれない。コロモの不安や恐怖は僕が思う以上に深く感じられる。なので今は可能な限り優しくしてあげよう。
『少なくとも僕は消えないよ。それにシチューも食べきれない程あるから安心して』
『本当に本当?』
『本当に本当。……そうだ、ちょうど完成したところなんだ』
じゃーん、と作りたての洋服を広げて見せた。僕の服を改良し、コロモサイズに仕立て直したワンピースだ。我ながら短時間でよくできたものだと自負している。コロモの反応は分かり易く目を輝かせ、服を見上げている。
『かわいい。妖精さんみたい!』
『あはは、コロモちゃんは鋭いね』
コロモの言う通りこのワンピースのベールには妖精の羽が使われている。ぶっちゃけると、この服を着るだけで空を飛ぶことができる。本当はもっと守りに重みを置いた服にしたかったのだが、如何せん素材がなかった。下着を含め、今はこれで我慢してもらいたい。
ただ、僕の不安は杞憂で、ワンピースを着せてあげると、くるくる回ってはしゃいでいた。それこそ妖精のように踊るコロモを眺めながら、朝食の準備を始めるのだった。
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『おかわり!』
元気にシチューを完食するコロモ。昨日の怯えた様子とは打って変わり、明るく笑顔を咲かせている。これが本来の彼女なのだろう。
『ほら、口にシチューがついてるよ。慌てないで、お行儀よく食べなきゃ』
僕はコロモの口についたシチューをハンカチで拭ってやり、追加のシチューを盛り付ける。いきなり栄養を取り入れすぎると、お腹が驚いて体調を崩すと聞く。なので、薬草を刻んで入れて、お腹の調子を整えるように調合してある。つくづく魔法とは便利な技術である。
『そうだコロモちゃん。食事が終わったら紹介したい仲間がいるんだ』
僕が何気なしに提案すると、コロモはスプーンを加えて首を傾げる。
『仲間? この家にはまだ誰か住んでるの?』
『誰かと言っても人じゃないけどね。大きなハムスターだよ』
『大きな……ハムスター?』
ますます首を傾け混乱するコロモに、『会えば分かるよ』とだけ告げておく。
かくして、食事を終えた僕たちは鼠車の外にいた。コロモは鼠車から出ることを渋っていたが、僕と手をつなぐことでなんとか外出に成功した。
そして、コロモはというと、外への不安よりも驚きの方が優っている様子だ。大きな瞳をパチクリと開き、森を背景に立つハムスターを凝視している。
2メートルある巨大ハムスターの黄太郎を、始めて見たのだから仕方ない。
僕だって手の平サイズの黄太郎がここまで大きくなるなんて、夢にも思わなかったのだから。
『衣、食べられない?』
『食べたりしないよ。黄太郎は優しいやつだから。それに、主食はソルルの種だから、お肉はあまり食べないよ』
僕は説明しながら黄太郎の頭に手を置く。いつもながらふわふわで柔らかい毛並みだ。既に癖で病みつきになっている僕は、撫で回して心を落ち着ける。
『ほら、コロモちゃんも触ってごらん』
『う、うん』
コロモはおずおずと手を伸ばし、黄太郎の毛皮に沈みこませる。
『……わぁ、柔らかい。モフモフ』
そうだろそうだろ、と僕は自分のことのように誇らしくなる。黄太郎の触り心地は大陸一、いや宇宙一まである。
コロモは両手を毛皮に埋めて、しばらく黄太郎を堪能する。その間に僕は鞍を黄太郎に装着しておく。
『なにつけてるの?』
『黄太郎に乗るための道具だよ。これでよしっと』
胴に回したベルトを締めて固定すると、黄太郎は屈んで姿勢を低くする。黄太郎に跨り乗り心地を確かめ、問題なしと判断する。
『僕はこれから森へ黄太郎と食料調達に行くけど、コロモちゃんも一緒に行く?』
断っても説得して連れて行くけどね。一人でお留守番させるにはこの森は些か物騒だ。
『衣も乗っていいの?』
意外にもコロモは乗り気である。僕は一度黄太郎から降りて衣を抱えて乗せてあげる。高くなった視線にコロモは
大はしゃぎである。物怖じしないあたり、儚そうな外見とは裏腹に、逞しい性格なのかもしれない。
僕もコロモ抱えるよう跨ると黄太郎はゆっくり歩きだす。
『しっかり捕まっていてよ』
『うん!』
ある程度歩かせて、慣れたところで、黄太郎を駆け足させる。少し速いかな、とコロモを盗み見ると『あははははは』と楽しそうに笑っている。結局、最速で黄太郎を走らせても、コロモは喜ぶだけで怖がるそぶりも見せなかった。スピード狂なのかもしれない。
食料を採りながら森を一巡りして鼠車に戻る頃には、日は高く登っていた。
『ねぇ、それはどうするの?』
コロモの言うそれとは僕がバックに詰めたスライムである。緑や桃色と色のバリエーションに富んだスライム達を気味悪そうに見つめている。
『どうって、食べるんだよ』
『え!?』
僕が言うとコロモは黄太郎を見たとき以上の驚きを見せた。コロモは万能食材であるスライムを知らないようだ。これも旧人類の遺産なのだが、そこら中に転がっていて、養殖も容易なので有り難みが薄い。
『いやー、今日は大量で助かったよ。備蓄がつきかけていたからね』
『……』
コロモは化け物を見る目で、僕を見る。酷いな、あんなに美味しそうに食べていたシチューもスライムで作ったのに。
『コロモちゃん、このスライムを家の中に入れておいてくれるかな。僕は外を掃除するから大人しか中で待っていてね』
『え、うん。わかった』
素直に頷くコロモを車内に収めて、万が一を考えて結界を貼り直す。そして、
「……何のようかな?」
鼠車を取り囲む気配に向けて言葉をかける。すると茂みから2、30人のおじさん達が姿を現した。服は薄汚れた毛皮で、手にはそれぞれ剣に槍と武器を持ち、卑下たる笑みを浮かべている。
分かりやすい野党、追剝ぎだった。言葉を交わさずして、彼らの目的は理解できた。ただ、
「骨の二、三本は覚悟してよね」
彼らの目的は叶うことはない。
右腕に『機械仕掛』のガントレットを装着し、手の甲の突起を左手で叩く。重苦しい駆動音を唸らせて、ガントレットが起動した。