窮鼠と窮女 プロローグ
『鼠車』とは、2メートルもの巨体を持つスクィーク=ハムスターを動力源とした荷車のことだ。
製作者は僕で、おそらく世界に一台しか存在しない変てこな車である。街に入ると物珍しさから下手な曲芸師よりも人だかりができてしまう。
構造は少し複雑で巨大な回し車(ハムスターがカラカラ回すあれである)を、スクィーク=ハムスターで回転させてることで稼働する。回し車は車体の後方にあり、外部からは見えない作りになっている。そこに、魔法陣とギアボックスを組み合わせ、効率性を求め、時速180キロを実現させた超高機能荷車である。
とはいえ、この世界は道が整備されていないので、最高速度を出したことはほとんどない。時速30キロぐらいを目安にゆっくり走るのが常である。今日もスクィーク=ハムスターの黄太郎《きたろう》の力を借りて、装甲車にしか見えない厳つい鉄の塊は、急がず焦らず森の道を四輪で踏み固め進んでいる。
かれこれ数日、変化の乏しい山道を進んでいるせいか、眠気が尋常ではない。頑張ってハンドルを握ってはいるが、そろそろ休憩をはさんだほうがよさそうだ。
今日のお昼ご飯はなににしようと考えていると、道の端に倒れる人影が目に飛び込んだ。
「……っわ」
緊張感のない声が漏れるも、急いでハンドルを切り、ブレーキを踏みこんだ。車体は土煙を巻き上げながら、木の根に乗り上げる形で停車する。
危ない。人を轢き殺すところだった。いや、やっちまったか。
僕は安否を確認するために、鼠車から降りる。野党の類かもしれないので、回し車にいた黄太郎を伴い、辺りを警戒しながら近づく。
幼い少女だった。略して幼女。歳は4、5歳で服は粗布を巻き付けた簡易なもの。靴は見当たらず、麻袋を靴下のように履いているだけだった。おまけに怯えた表情で僕から距離を取ろうと身をよじっている。一目でわかる奴隷スタイル。こんな幼い奴隷を見たのは初めてだ。
彼女が誰かの奴隷と仮定しよう。ここは森の中腹に位置し、人里まで鼠車の走力でも半日はかかる距離だ。野党が餌としておいているのか、単純に持ち主もろとも遭難しているのか判断に困る。一応黄太郎が威嚇体制にないので、危険はいないようだ。
あれこれ考えても仕方がない。身をかがめて幼女と目線を合わせて、努めて笑顔で本人に尋ねてみる。まずは彼女の安否確認が先であろうか。
「ケガはない? どこか痛いところある?」
「……」
幼女がめっちゃ見てくる。しかしいくら待てど答えは返ってこない。このまま時間を浪費するのもあれなので、早めの回答をお願いしたいのだが。
「大人の人は近くにいるかな? それともはぐれちゃったのかな?」
『……衣、わからない……何言ってるかわからないの……』
途切れそうなか細い声から得られた情報は、彼女がコロモという名前である事。もう一つが、彼女が話している言語が日本語である事だ。
うわー、ややこしいことになったぞー。
『えっと、コロモちゃんでいいかな? これなら大丈夫? 僕の言っていること分かる?』
瞬時にキャラバン共通語から日本語へと切り替える。すると幼女は目を見開き僕ににじり寄ってきた。
『日本語……衣の言っていることわかるの?』
『あはは、人並みには分かるよ。それより、コロモちゃんはこんな場所でどうしたの? 迷子かな?』
よしよし、久方ぶりの日本語だったけど問題なく会話できるぞ。いいね、日本語。心が落ち着くよ。
それはコロモも同じらしく、瞳は虚ろなものも、先ほどより警戒はなくなり、表情が和らぎ始める。そして、僕の方へと小さな手両手を彷徨わせる。
『お姉ちゃん、助けて……衣ね、知らない場所にいきなりいて、怖い声でおじさんに怒鳴られて……ぶたれるの……やめて、言っても誰も聞いてくれなくて、みんな衣が分からない言葉で喋るの』
幼女が危なげな足取りで僕に歩み寄り、抱き着いてきた。咄嗟に抱きとめると、幼女は『……助けて』と僕の胸に顔を埋め啜り泣き、やがて大きな声で泣き始めた。
この状況をどう打開しようか思考を巡らせていると、幼女のお腹がぐーと鳴る。そういえばそろそろ夕飯時で僕自身も休憩を取ろうとしていた矢先だったな。
『……コロモちゃん、お腹空いてる? 僕はこらからお昼にする予定なんだけど、一緒食べない?』
『うん…グッス…食べる。衣、シチューが食べたい』
『シチューか、いいね』
ちょうど。街で売るために仕込んでおいたシチューがある。食べる分だけ小鍋に移して温めればすぐに食べられるはずだ。
僕はコロモを抱えたまま、鼠車で牽引してきた荷車へと向かう。ドアをスライドさせて、住居スペースに靴を脱いで上がりこむ。
まずはシチューの準備をしようと、コロモをソファーに座らせようとする。しかし、
『やだ……お姉ちゃんと一緒』
そう言って、コロモは頑として僕の首に回した腕を外そうとしない。弱り果てた幼児の力とは思えないほどだ。
仕方がないので、片手でコロモを抱えながら、コンロの火を入れる。コトコトとシチューを弱火温めていると、ストンとコロモが自ら手を離して床に降り立った。
『どうしたの? コロモちゃん』
『お外から帰ったら……お風呂……入らなきゃいけないの』
外から帰るとお風呂に入る家庭だったのかな。そう考えている間に、コロモはパッパと服を脱いでスッポンポンになる。そして、『お風呂』と呟き、フラフラと彷徨い始める。
一度身についた生活習慣て、異世界に来ても変わらないんだなぁ。
僕は感心しつつ、コロモに手を差し伸べる。
『おいで、浴槽はこっちだよ』
『……ん』
コロモは素直に僕の手を取り、頷いた。そのまま、コロモを先導し、浴室で簡単にシャワーで汚れを洗い流す。髪から湧き出す泥水が、彼女の環境の酷さを物語っている。さらにその柔肌にはいくつもの青あざや切り傷があり、日常的に虐待を受けていたのだと察することができた。僕がひそかに心を痛めている間、コロモは終始暖かいお湯に目を細め、気持ちよさそうにしていた。
コロモの髪をドライヤーで乾かす頃には、シチューは程よく温まっていた。子供服はないので、僕のTシャツを上からかぶせておく。見事にダボダボだ。ズボンも腰紐で無理やり履かせている有様だ。ごめんね。今晩にでも作ってあげるから。
僕は心の中で謝りながら、シチューをお皿に盛り付けて、食卓に並べる。コロモは湯気が立つシチューをまるで夢でも見ているように見つめていた。何度もその大きな瞳を瞬かせながら、両手でお皿を包み込み、伝わる暖かさを、シチューを逃すまいとしている。
『いただきます』
『はっ、い、いただきます!」
僕が手を合わせると、コロモも慌てて手を合わせていただきますをする。
コロモがわたわたする姿を微笑ましく眺めながらスプーンを口へと運ぶ。味はよく言えば家庭の味、悪く言えば普通の味でった。ただ、街で下しても問題ないと自負できる。まあ、本場の料理人には遠く及ばないんだけれどもね。
コロモはすでに限界だったらしく、しばらく食べるとうっつらうっつら舟をこぎだしていた。今の彼女に必要なのは、食事よりも休眠のようだ。
『コロモちゃん、眠そうだね。今日はもう休んで、シチューは残しておくから明日また食べようか』
『ううん。衣、食べたい。すごく……おいしくて……』
言いながらも思考がふわふわなコロモちゃん。半分を食べ終えてところで、テーブルに突っ伏してしまい、スプーンを握りしめたまま眠りに落ちてしまった。
やれやれ、本当なら歯磨きをさせるべきなんだろうけど、今日はゆっくり休ませたほうがいいだろう。
コロモを抱えてベットに運び、毛布を掛けて寝かせてやる。その後、食器を片付けたり、鼠車を道の傍に移動させたりと忙しく働く。一息つくと、空は陰り星が木々の間から瞬いているのが見えた。
僕は鼠車の屋根に上り、腰を下ろす。すると、回し車のハッチが開き、黄太郎がひょっこり顔を出す。
「お疲れ、黄太郎」
僕が声をかけると黄太郎は、のそのそと近づいて隣で丸くなる。いつも通りに毛の中に片手を埋めて、撫でてやると、目を閉じて脱力する。
「今日は食事が取れなかったね」
「……」
「いやいや、睨まないでよ。僕だって黄太郎と食べたかったけど、コロモちゃんがびっくりするかもしれないだろう?」
僕は黄太郎の視線を誤魔化すように黄太郎を撫で回す。
これで勘弁してほしい。
しかし、黄太郎は何が気に入らないのか、不貞腐れたままだ。このままでは、明日、回し車を回してくれないかもしれない。
一体、何が気がかりなのだろう。
「……」
「ん、ああ。コロモの傷が心配? こっそりシチューにポーションを仕込んでおいたから、明日には完治してるよ。多分、傷跡も残らないはずだよ」
やっとで黄太郎の意図を察し、問題ないと説明する。なんだかんだで、彼女のことを気にかけていたようだ。優しすぎるのは相変わらずだった。
「コロモちゃんは転生に失敗したんだよ。だから、どうしようもなかったんだ」
黄太郎と僕自身に言い聞かす。彼女が辿ってきた過去を容易に想像できる。理不尽、暴力、絶望、あらゆるものが彼女を追い詰めたはずだ。
ただ、この世界は何も悪くない。悪いのは転生なんて下らないシステムを作り出した旧人類なのだ。だから、恨むべき相手はもう、過去の人で、その感情を向ける先はなくなっている。つくづく旧人類はタチが悪い。
『うああぁ、ああああぁぁ!』
『……っ!』
叫びにも似た泣き声が突如響いた。言葉を知らない赤子があげるそれに近い泣き声だ。
僕は身を翻して黄太郎専用ハッチから車内に滑り込み、コロモの元へと駆けつける。
『コロモちゃん、どうしたの!!』
コロモはひきつけを起こしたようにベッドの上で暴れていた。急いで僕はコロモに精神安定の魔法をかける。僕の手から溢れる草色の光が、コロモを包み込むと、ゆっくりとだが落ち着きを取り戻していく。
『どうしたの?』
僕が背中をさすり問いかけると、コロモは僕の袖を掴み『お母さん……お母さんはどこ』と、うわ言を呟くばかりだ。
僕は嘆息し、添い寝をしながら背中を優しくポンポンと叩く。それでも、コロモの震えは収まらない。なので、少し魔力を乗せて、子守唄を歌ってみる。子守唄と言っても、『魔法少女隊メルキュア47』のエンディング曲である。47人のプロフィールを緩かなリズムで歌い上げたこの曲は、悪魔的に眠気を誘うのだ。
29目、魔法少女ディーナーに差し掛かる頃、『……お母さんだぁ』と安心したように寝息を立て、静かになった。ただ、僕の裾は最後まで離されることはなかった。
お母さん……か。
僕は沈んでいく意識の中考える。
僕、男なんだけどなぁ。