六:炎の精
「さてと、それじゃあ行きましょうか」
「行くのです!」
翌日、準備を整え父と調査のため出発しようとして居た所、何故か先に外で待っていた母とタマモがそう告げてくる。
「・・・プエラにタマモ?まさか、一緒にいくつもりか?」
「当然じゃない。あなたはともかく、セイにもし怪我があったら大変だし、すぐに治療できるようにしないと」
どうやら母とタマモも付いてくるつもりらしい。
いや、確かに治癒術師が直ぐ側に居るというのは心強いが、そこまでするほどの内容ではないのだが・・・
あとできればタマモにはあまり危険な目には合ってほしくない。
「俺としては、出来れば留守番してて欲しいのだが・・・」
「もう治癒院には休みの届け出を出してきたし、村長にも許可は取ってきたわ」
もう準備は万端ということらしい。何もこんな時にムダに高い行動力を発揮しなくても良いと思うのだが。
「あー・・・タマモ、今の森は、危ないかもしれないんだ、留守番しててくれないか?」
「ごめんなさいととさま。タマモ、どうしても一緒にいきたいんです。あの場所はタマモにとっても大切な場所ですから・・・」
今やあの泉はタマモにとっても大事な修行な場所でもあるのだ。確かにそこがいつまでも使えないとなれば自分でも何かしたくなるのだろう。
ただやはり私としても心配というか・・・
「大丈夫ですよととさま、にいさま、わたし、逃げ足は速いですし!それに・・・」
「ととさまとにいさまが居れば、危ないことなんてあるわけないのです!」
ぐ、信頼しきった笑顔が眩しすぎる・・・!
「それでも駄目・・・ですか?」
その上こう上目使いで寂しそうにおねだりなどされてしまっては、タマモを溺愛している私たちに断ることなど出来ないのであった。
実際ただの盗賊程度ならば父一人で私達全員を守り切れるだろうし、私一人だったとしてもそれは同じだった。父も私もそれだけの実力を持っているのだ。
もっとも父は私がそこまでの力を持っているとは思っていないだろうが。
それでもとりあえず守り切れるだろう、と言う自信を持てるだけの確かな実力が、父にはあったのだ。だからこの時の私達は連れて行く事に許可を出してしまった。
後にこの選択を後悔することになるのを、私達は、まだ知らない――
「ここ・・・か・・・」
数日ぶりに来た修行場は、見た目だけならば以前と変わらなかった。
静謐な森の奥にある大きな泉。斧でも投げ込めば女神でも現れそうな、そんな幻想的な空気すら感じさせる陽の気にあふれた場所だ。
もっとも、泉の中に眠っているのは女神ではなく炎の精という事だが。
「・・・うん、以前よりもさらに水温が高くなってるな」
泉に手を入れ温度を図っていた父がそうつぶやく。
私も実際に確認してみるが、確かに以前のような冷たい水ではなく、生ぬるいどころか、もう少し温度が高ければ温泉と言っても差し支えないくらいの温度になっていた。
泉の中心に意識を向け気配を探ってみると、以前よりも神霊の気配が強くなっていることがわかる。
もしかしたら地殻の変動などで泉の水に温泉が混じるようになったとか、そういう理由も考慮していたのだが、恐らくこの様子だと間違いなく精霊の影響だろう。
どういう理由かわからないが、封印が弱まってきているのだ。
(あまり猶予はないのかもしれないな・・・)
昨日は生ぬるい程度だった水温が、今日は明確に温かい。一日でこれだけ水温が上がるとなれば明日には恐らくお湯、ヘタすれば熱湯になっているかもしれない。
そうなれば周囲の環境にも大きく影響が出てしまうだろう。
それにここに封印されている精霊は、かつて暴れていたために封印されたというし、その封印が解けてしまえばロクな事にはならないというのは簡単に想像がつく。
「とりあえず例の祠を早く確認しましょう、父さま」
「ああ、そうだな・・・頼む、セイ」
私たちは泉の側にある大樹にぽっかりと空いた、大きなうろへと向かう。
「本当にこの中に祠なんかが・・・?どう見てもただの木のうろにしか見えないんだが・・・」
祠への入り口を見た父が、そう怪訝そうに尋ねる。確かに、外から見ただけではわからないだろう
「ええ、見た目にはわかりませんが、中は一種の『異界』・・・えーと、別の世界の空間に繋がっているんです。」
「別の世界の空間・・・噂に聞く迷宮なんて物に近い場所か」
「迷宮・・・ですか?」
なんだろうかその場所は。この世界は魔術だけでなくそんな所までコンピューターゲームっぽいのだろうか?
「ああ、深い洞窟の奥や、険しい山の山頂などへ行くと、時折そう呼ばれる場所に呼び込まれてしまうらしい。私も知り合いの冒険者から聞いた話なので詳しくは知らないが、なんでもそこはこの世界とは別の空間で、時間の進みも違うとか。ただそこには色々と財宝が眠っているとかで、そこを目指す冒険者も多いと聞くな」
ふむ、聞く感じだとゲームでの舞台というよりは迷い家等に近い存在なのだろうか。文字通り『迷い宮』という訳か。
確かにこの世界は現代日本などと比べて神秘が身近にあるのだし、そういう境界が緩い場所も多そうだ。ならば異界の存在も多少は身近な存在なのだろう。
「成程、迷宮の話はもっと詳しく聞きたいですけど、とりあえず今はそういう認識で大丈夫です。なので中は見た目以上の広さがあるんですよ」
「なるほどな・・・」
父もその説明で納得したらしく、興味深げに入り口を見つめている。
ふと後ろを見ると、タマモが今度は少し懐かしそうな顔で入り口を見つめていた。
タマモに取ってこの場所は、私との出会いの場所でもあるのだ。
あの後、この場所自体は毎日のように来ていたが、結局このうろ自体にタマモは一度も入っていない。
まぁその必要がなかったというのが大きいが、仮にも異界に繋がっている場所なのだし、封印の祠もあるのだ、不用意に入らないようにと私が禁じたのだ。
あとはまぁ、一日だけとはいえ我が家だった時もあるのだし、そういう意味でも懐かしんでいるのかもしれない。
あの時は、子供とはいえ何故こんな場所を家にしようと思ったのか不思議に思ったものだが、今ならタマモの判断は妥当な判断だったことがわかる。
異界であるため外の環境に左右されず、そこそこに広い空間、見つけたのは偶然らしいが隠れ家とするにはもってこいの物件だろう。
「辺りに魔力も人の気配もないし、とりあえずは安全そうか・・・よし、俺とセイで中に入って確認してくる。プエラとタマモは外で待っていてくれ」
そう、隠れ家にするにはもってこいの物件。それがわかっていたのに、入る前に何故その可能性に至らなかったのか。
その隠れ家を必要としている存在を、私たちは知っていたはずなのに。
うろに入った先に、父と私が見たものは、神護の森に逃げ込んだと言われている、盗賊らしき男達の姿だった――
「な、何だてめぇら!こんなところに何の用だってんだ!」
うろに入ってすぐの場所、一番入口側に居た男がそう叫ぶ。頭にバンダナをまいた、いかにも盗賊というような出で立ちだ。
ざっと見たところ中には他に3人、全部で4人の男達がいるようだった。その中の一人はローブのようなものを着ており、もしかして魔術師か何かであろうか?
「私はシャディノ村の自警団団長を務めているものだ。この森に盗賊団の残党が入りこんだと聞いて居るのだが・・・それはお前たちのことか?」
父が男たちを威圧しながらそう答える。というか自警団の団長だったのか父は。まぁ強さ的に考えると妥当ではあるか。
「はっ、だったらどうだってんだ!」
少し震えながらもあっさり認める男。まぁいかにもな格好だし、恐らく山狩りが行われていることも知っていたのだろう。
「なら話は早い。大人しく拘束されて一緒に来てもらおうか」
そう言って父は一歩前に出て、私をかばうような位置に立つ。
父としてもこの邂逅は予想外の物だったのだろう。しかしこのままというわけにも行くまい、どうやらこの場で全員を捕縛するつもりのようだ。
「はっ!こっちは4人、しかも一人は魔術師だぜ!それを子連れでなんとかするつもりか?どうやら状況がわかってないみてぇだなぁ」
我々の後ろから他に誰も来ないことに気づいたからか、今度は逆に強気に出る男。まぁ確かに、状況的にはそう見えるだろう。
男たちとしてはここで私達二人を始末すれば、この場所はバレないと思っているのだろう。知っていてこの場所に来たというならもっと大人数で来るはずだし、まさか子連れでは来ないだろう。
ならばこの場所に来たのは恐らく偶発的な何か、そう思っているのだろう。
そしてそれは実際事実だった。私たちはここにこいつらが居るとは思っていなかったし、知っていれば私達だけで入ってきたりはしなかった。
男たちの考えは普通ならば正しい判断だ。そう、普通なら。
ここにいるのが、私達でなければ、そういう話だ――
「ところで、お前たちはこれで全員か?」
「あぁ?だからどうしたってんだ!魔術師入れて4対1でどうにかなると思ってんのか?」
「そうか、ならプエラやタマモは安全だな・・・セイ、このまま入口に戻って、二人を連れて村に戻りなさい。その後道場の者を何人か連れて来てくれ。私一人で後処理をするのは、中々大変だからね。」
どうやら父は一人で相手をするつもりのようだ。まぁ実際この程度の相手なら父一人でも大丈夫だとは思うが・・・
「何ごちゃごちゃ言ってやがる!そのガキも返す訳ねぇだろうが!ジズ!やっちまえ!」
「おう!」
男の呼び声に答えて、ジズと呼ばれたローブ姿の男がこちらに杖を向け、何やら詠唱を始める。どうやら本当に魔術師だったらしい。
距離があるため詠唱の内容はわからないが、恐らく私を狙って何か魔術を使おうとしているのだろう。
だがそれは・・・
「な・・・っ!なんでだ!?なんで発動しない!?」
様子を見ていた父の魔眼の力により、あっさりと無効化されていた。
こういうことが出来るとは聞いていたが、実際目にするのは初めてだ。本当になんでもないようにそちらに目を向けただけで打ち消しているようで、恐らく相手は知らなければ何をされたかわからないだろう。
「何やってやがるジズ!もういい、頭ぁ!ドギ!3人でやっちましましょう!」
「おうよ!」
「仕方ねぇ・・・って、おい、まさかアイツ・・・っ!」
後ろの男二人に声をかけ、手前に居た男はナイフを鞘から抜き出してこちらに襲い掛かってくる。
その後ろから今度は大男が壁に立てかけてあった大斧を手に取り向かってくる。もう一人は父の顔を見て何かに気づいたのか、剣を構えながらも何か躊躇しているようだ。
恐らくそちらが頭と呼ばれていた男、ならばおそらくこいつらのリーダーだろう。もしかしたら父のことを知っているのかもしれない。
父は無言で腰に刺した剣に手をかけ、構える。
「くたばれやぁ!!!・・・・・・へ?」
そして男が父に向かってナイフを振りかざし、攻撃を加えようとした瞬間、そのナイフを握っていた右手が、無くなっていた。
「が、ァあ!お、俺の手がぁあ!?」
父の手に握られた剣には、わずかに血が付いており、そしてややしてから、カランという金属質な音と、どちゃりと何か湿っぽいものが地面に落ちる音がする。
見なくともわかる、今しがた切り飛ばされた男の右手とナイフだろう。
正直私でも目で追うのがやっとの早業だった。日本等での抜刀術ならまだしも、父はただ鞘から長剣を抜き放つという、何気ない、ただそれだけの動作で男の右手を一瞬で切り飛ばしたのだ。
男からすれば、いつの間にか父は剣を振り抜いていて、そして気づかぬ間に右手を切り飛ばされていたのであろう。男の顔には痛みと同時に戸惑い、わけのわからない状況に対する恐怖がありありと浮かんでいる。
しかし、その表情も一瞬だった。何故なら次の瞬間には、その表情を浮かべるための顔そのものが無くなっていたのだから。
気がつけば父は男の背後にまで回り込んでおり、その左手にはバンダナを巻いた、男の首から上だけが無造作に掴まれていた。
またしても一瞬だ。まるで瞬間移動でもしたかのようなその技術、武道の概念に縮地と呼ばれるものがあるが、恐らくそれであろう。
陰陽道にも術式としての縮地法はあるため、もしかしたら魔術にもあるのかもしれないが、父のそれはおそらく純粋な体術だろう。
まぁ肉体強化の魔術くらいは使っているのかもしれないが、それだけで出来る技術ではない。特殊な歩法や相手の呼吸や意識に合わせるタイミング調整など、かなりの熟練の業が必要な技術である。
父はそれをこともなげに使い、そして私ですら目で追うのがやっとの早業で男の首を刈り取っていた。
そして無造作に首を投げ捨て、次の瞬間には、今度は大斧を持った男の胸に剣が突き立っていた。
速い――そして的確で容赦がなかった。恐らく元々抵抗した場合は殺すつもりだったのだろう。
現代日本の倫理観で言えば抵抗のある光景だろうが、何だかんだで私は平安の世に生きた時間のほうが長い。その時の感覚で言えば、父の行動はまぁ当然の行いだろうという意見だ。
武器を持って襲い掛かってくる盗賊など、基本的に情けをかけるような相手ではない。
襲ってきた時点で殺し合いは必定。抵抗しなければ次の瞬間には自分が害されるかもしれないのだ、武器を奪って無力化など甘いことは言っていられない。
さらには父にとっては今は私という守る存在が居るのだ。少しでも私を害する可能性があるのなら容赦は出来ないのだろう。
「なんでだ・・・なんで魔術が発動しない!?」
走行している間にも、魔術師の男は何とか私達に向けて魔術を使おうとしていたらしい。しかしあいも変わらず父の魔眼による妨害を受け、発動できないようだ。
父は大斧を持った男の胸から剣を引き抜くと、今度はローブの男のもとにまたも一瞬で向かい、横薙ぎの剣戟で男の胴体を両断する。これで3人目、残りは頭目らしき男のみだった。
いやはや、惚れ惚れするほどの早業だ。父が強いことは知っていたし、盗賊程度なら4人がかりでも相手にならないだろうとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。王国騎士団の団長というものはこんなにまで強いものなのか。
「てめぇ・・・やっぱ王国騎士団団長の・・・『剣神ヤナ』か・・・!」
やはり頭目は父のことを知っていたらしい。というか剣神って・・・そんな二つ名みたいなものまでついていたのか父には。
「元騎士団長だ。今は引退してこの村で、ただの道場主兼、自警団の団長だ」
「ふざけんな!なんでてめぇみてぇなバケモンがこんな辺鄙な村に居やがる!」
「それは偶然だ。たまたま俺たちが余生を過ごすのに選んだ地がここで・・・そこに押し入ってきた犯罪者がお前だった、ただそれだけだ。」
「ちくしょう、ついてねぇ・・・」
頭目はそのまま剣を手放しうなだれる。どうやら父との実力差を鑑みて、無駄な抵抗をやめたようだ。
「懸命な判断だな。抵抗さえしなければこの場で生命まではとらない」
「ああ、あんたが相手じゃ分が悪すぎるしな・・・大人しく捕まる・・・・・・訳にいくかよおらぁ!」
「ちっ!」
頭目が懐から何やら取り出し地面に叩きつけると、急に強い閃光があたりを包みこんだ。
どうやら目くらましの魔道具のようだった、私も父も頭目の姿を一瞬見失ってしまう。魔道具版のスタングレネードのようなものだろうか。
まさか魔道具なんて物を持っているとは思わず、すっかり油断してしまった。
魔道具とは、魔術を使えないものでも魔術的な効果を起こすことが出来る道具のことだ。
流石に大魔術を発動できるような物は無いらしいが、簡単な効果でも魔術を使えない人間にはとても有用なものだ。
また発動に詠唱が必要なく、本人の魔力を消費し無いなどの利点もあるため、魔術師であっても使い所によっては大きな効果をもたらす。
そのため基本的に非常に高価なものだった。なのでこんな落ち延びた盗賊などが所持しているとは予想していなかったのだ。
さらに魔道具は基本的にその道具内でしか魔力が動かない。そのためか、父の魔眼でも発動が感知できなかったようだ。
ならば父を相手にするなら魔道具を使えば良いのかといえば、そういう訳ではないだろう。父の魔眼による魔術阻害は発動後でも有効であるらしいし、通常の攻撃魔術の効果ならば問題なく打ち消していただろう。
今回それが出来なかったのは、効果が光を発するだけという、発動から効果を表すまでのタイムラグがほぼ存在しない魔術だったためだ。
なのでまぁその理論で行けば、光を発するだけではなく熱量を持ったレーザーを発する魔道具なら父を傷つけることが出来るということだが、どうやらそもそもこの世界にはまだレーザーのような破壊力を持った光線という概念はないらしく、そういう魔術も無さそうだった。
というよりそもそも、実用レベルのレーザー光線など当たれば普通誰でも回避不能で死ぬ。
生身で光速以上の速さで動くとかそれはもう生物どころか物質ですら無いだろう。実体を持つ存在である以上、光速での攻撃を、攻撃が行われてから回避することなど不可能だ。
なので魔道具で父を気づけるということは基本的に不可能であり・・・こう考えるとどんだけチート性能なのだろうか父は。
だが今回のように攻撃目的でない効果の場合は別だ。そのため目眩ましの魔道具などはそれなりに有効ではある。
だが父ほどの手練となれば、例え一瞬視界を奪われても気配などで相手の攻撃を察知できるだろうし、視力による察知は出来なくとも、魔眼による魔力の察知は出来るのだ、簡単に対処できるだろう。
故に、この隙に父を攻撃すれば、恐らく父はそれを容易く迎撃し、次の瞬間には倒れ伏す頭目の姿があるはずだった。・・・そう、父を攻撃すれば。
「動くんじゃねぇ!ガキがどうなっても良いのか!」
――頭目の狙いは、私の方だった。
「くっ、セイ、だから戻れと言ったのに・・・!」
父が苦々しい表情で首筋にナイフを突き付けられている私の方を睨む。スマナイ父さま、完全に油断してました。
そもそも魔道具という存在自体知識でしか知らなかったし、この場でそれが使われるだなんて思いもしなかったのだ。
その上今の体はまだ7歳の子供のもので、多少鍛えてあるとは言っても現役の盗賊首領の身体能力と比べれば当然劣る。不意を突かれればこうして捕まってしまうこともあるだろう。
それに、何だかんだで100年以上生きてきた経験の中で、こうしてスタングレネードのような強い閃光にさらされるという経験、今までしたことが無かったのだ。
現代日本でスタングレネードの爆発を経験するとか、そんな機会がそうそうあるはずもなく、平安の世でもそんな術は存在しなかった。
今でこそ強烈な光というものが視界を奪うのに有効だとわかるが、あの頃は日の光以上にまばゆいものなど無かったし、それを再現するなどという発想はなかったのだ。
そしてそもそも魑魅魍魎たちは闇の住人であり、そんな術を使うものは居る訳がない。そのためこういう攻撃を受けたのはめでたく今回が初めてになる。
もし相手がこちらを人質ではなく本気で殺すつもりであったなら、もしかしたら少し危なかったかもしれない。
まぁそれでも、盗賊たちを見つけてからこの体はずっと練気法で強化しているため、それを打ち破れるだけの攻撃でなければダメージは受けないのだが。ただナイフで突き刺そうとする程度なら傷はつかないだろう。
晴明時代に、パフォーマンスを兼ねて刀で首を落とそうとしてもらったことがあるが、その時は余裕で無傷だったことを考えると、まぁ多分頭目が殺そうとしてこちらを攻撃してても大丈夫だったろう。よほど強力な身体強化の魔術を使えるなら話は別だろうが、そうは見えないし。
とは言え、この状況は父にとっては心穏やかでは居られない状況だろう。
自分で言うのもなんだが、可愛い息子が人質にされているのだ、私が同じ立場だったなら気が気でいられないだろう。一応父親だった頃もあるのだしその気持はよくわかる。
なのであまり心配をかける訳にも行くまい。本当はこの手段、私が魔術ではない術を操ることがわかってしまうため使いたくはないのだが、そうも言っていられまい。
「はっ、これで形勢逆転って奴・・・」
「ごめんなさい父さま、油断していました。けどもう大丈夫です」
「セイ!?」
「へ、・・・は?え?」
心配をかけた謝罪の言葉を、私は父のすぐ隣からかける。
見れば、さっきまで私を人質にとっていたはずの頭目は、今この瞬間まで首筋にナイフを突き付けていた存在が、目を離していないのにいつの間にか父の隣まで移動していたことに、理解が追いつかずあっけにとられていた。
――『縮地法』父が使った体術による技術ではなく、陰陽術による技法だ。
元々は道教の術であり、そこから大きな影響を受けている陰陽術にも同じ術式が存在している。
目的地まで知られずに移動するという点では一種の隠形術とも言えるが、姿や気配を隠すのではなく、一瞬で目的地に移動するという点で別個の術と分類している。
簡単にいえば、一種の瞬間移動の術式だ。地脈の流れを利用し、一点から一点までの間を、一瞬で移動する。陰陽道の中でもかなり高度な術の一つである。
父の体術による縮地がいわば高速移動なのに対して、こちらは文字通りの瞬間移動だ。発動には印を結ぶ必要があるが、逆に言えば手首から先さえ自由に動けばどんな状況からでも移動できる。
空間転移という意味では、一応この世界の魔術にも多少は存在しているらしい。しかし、それは巨大な特殊な魔法陣などを用い、膨大な空属性の魔力を消費するもので、とてもではないが個人で使えるものではないそうだ。
そんな術式を個人で、しかも詠唱も魔法陣も使わず一瞬で使うなど、魔術では不可能だとすぐにわかるだろう。ましてや父は魔眼持ちで、私が魔術を使っていないとすぐにわかる。
「セイ・・・いまのは・・・」
「後で説明します、父さま。それよりもアイツをどうにかするのが先です」
「あ、ああ・・・」
案の定父がなにか言いたげな視線を投げかけてくるが、今はそれよりも目の前の男に対する処置のほうが重要だ。
「ちくしょう!なんだってんだ!なんだってんだよぉ!」
理解が及ばない現象を目の当たりにし、恐慌する頭目。
「さて、抵抗したということは、わかっているな」
「ひぃっ!来るな!来るんじゃねぇ!!!」
自分の末路を悟ってか、怯えた表情で後ずさる頭目。ふむ、流石にああいう表情で見られると多少は罪悪感というものが・・・
「ちくしょう!全部あの時からだ!妖狐族の村を襲った時から何時だってツイてなかった!全部、全部あのガキに逃げられたせいだ!」
錯乱した頭目はなにやら語りだした。これから死ぬ罪人の言葉など聞き流しても良いのだが、少し気になることを言っているな。
「妖狐族の村・・・それは一年前の事か?」
父も同じ言葉が気になったようだ。一年前、妖狐族、私たちには共通して気になる単語だ。
「あ、あぁそうだ。アイツらを嫌う奴は多いからな、ちょっと金を積んでやれば襲う手引はすぐだったぜ」
何でも妖狐族というのは、リスティアナ聖教という宗教の伝承で、かつて主神を裏切った種族とされているらしく、明確な差別こそ今ではないものの、厳格な信者には快く思っていない人間は多くいるらしい。
リスティアナ聖教はこの世界での3大宗教と呼ばれるものの一つで、信者の数も多い。そのためそういう人間は多くいるのだろう。
この村には聖教の信者は居ないため意識していなかったが、他の土地では妖狐族というのは中々生きづらい環境らしい。
今思えば、となり村の神殿はリスティアナ聖教の物だ。そのためそこの孤児院にタマモを入れることを良しとせず、ウチで引き取ったという面もあるのだろう。
まぁ両親の様子から見るに単純に可愛いからという面のほうが大きい気もするが。もちろんだとしても私に異存はない。
「そん時女のガキを取り逃がしてからがケチの付き始めだ・・・他の奴らは全員ぶっ殺したんだがよ・・・アイツらに手を出したら呪われるなんて噂があったが、案外マジだったのかもしれねぇな、クソっ!」
私達の視線が段々と険しい物になっていくことにも気づかず頭目はさらに語り始める。
妖狐族の集落はそう数が多いわけでもないし、さらに時期的にも丁度同じ時期、そして取り逃がした子供・・・
十中八九この男たちがタマモの村を襲った犯人達だろう。まさかこんな所で出会うとは思わなかった。
「な、なぁ、アンタ王国騎士団に居たんなら聖教の信者だろ?国王が信仰してるのは聖教なんだしよ。どうだ?忌々しい妖狐族を排除したんだ、その功績に免じてさ、見逃してくれよ!な、な?」
・・・なるほど、男が語りだしたのはどうやら命乞いのためだったらしい。恐らく父が聖教の信者であると予想し、そこから繋げようと思ったのだろう。だが・・・
「あいにく俺はウディズ教徒だ。この国は別に国教を決めている訳ではないしな。そしてその取り逃がした妖狐族の子供だが・・・」
「――今は俺の大事な娘だ、外道がっ!」
父の怒声と共に兼が唐竹割りに振り下ろされ、頭目は血飛沫を上げながら左右真っ二つに割れ、声を上げるまもなく崩れ落ちる。
今の告白は私達の取っ手は完全に逆効果だった。始めに感じた罪悪感などとうに吹き飛んでいる。こんな外道にかける慈悲など無い。
しかし、期せずして山狩り騒動が解決してしまったうえ、タマモの両親の敵討ちも終わってしまった。
一応盗賊たちは生かして捕らえることが出来れば、犯罪奴隷としての売却金が発生するため国からより多くの報奨金が出たのだが、まぁ状況が状況であったし全員殺してしまったのは仕方がないだろう。
というかタマモの両親の仇と聞いた時点で、恐らく生かして捕らえるという選択は無かっただろうが。
何はともあれ、あとは祠の調査さえ終われば一件落着・・・
「ところでセイ、聞きたいことが色々あるんだが」
とはならないよな、うむ。
恐らくメインは縮地法についてだろう。他には・・・ああ、死体が散乱しているこの状況で落ち着いていることもよく考えたらおかしいのか。
さて何から説明したものか・・・後で説明するといった以上、陰陽術については説明しなければならないだろう。転生についてもこの機会だし、説明した方がいいかもしれない。
信じてくれるかはわからないが、今回はごまかすのが難しいレベルでやらかしてしまった。腹を括るしかないだろうか・・・
「「っ!」」
そう思い口を開こうとした瞬間、頭目が最期に立っていた場所の奥から、まばゆい光が発せられる。
見ると、どうやら頭目が立っていた場所は丁度祠の目の前だったらしく、祠は飛び散った血飛沫で赤く染まっており、さらに祠自身が赤い光を発し、眩く輝いていた。
赤い輝きとともに濃厚な神気も発しており、なんというかこれは・・・
「まさか、封印が解けた・・・のか・・・?」
父も魔力の流れから、この異常事態をそう判断したらしい。これには私としても同意見だ、でなければこの神気に説明がつかない。
状況から見て、恐らく血液に反応したのだろう。血液そのものか、それとも生命エネルギーに対してか、それとも血液の表す命という概念にかなど、色々と理由は考えられるが、細かい部分は検証してみなければわからない。
しかし今はそれはさして重要ではない。問題は封印が解かれたという事実だ。炎の精というものがどういうものかはわからないが、やっかいな事になったことだけは間違いないだろう。
「っ!来るぞ、伏せろセイ!」
魔力の流れから何かを察した父がそう叫ぶ。すると祠は急激に光を失い、その直後、轟音とともに地面が大きく揺れる。
元日本人として地震には慣れているつもりだが、それでもこの揺れは大きいと感じる。ここは異界であるため、恐らく揺れで崩壊するということはないだろうが、それでも心臓に悪い。
やがて揺れが収まり、ようやく立ち上がると、祠は粉々に砕け散っていた。おそらく、完全に封印が解けたということだろう。
そうなると、今度は逆に泉のそばにいるタマモや母のほうが心配だ。何故なら封印されている存在は、泉の底にいるのだから。
「急いで戻るぞセイ!」
父も同意見らしく、こちらを一瞥した後急いで入り口へと戻っていく。私もその後を急いで追う。
そして入り口にたどり着き、急いで外に出ようとした瞬間・・・
「止まれセイ!」
何かに気づいたらしき父が飛び出そうとする私を押さえつける。そして次の瞬間――
ゴウッ!!
爆音とともに何か熱量を持ったものが鼻先を掠める。ソレは随分と高熱を放っていたらしく、掠ったっだけの鼻先が少しヒリヒリとする。
「何だ・・・あれは・・・」
通り過ぎたものの正体を確かめるべく、ソレが向かった方向を見た父は、そう呟く。
私も急いで同じ方向を確認すると、そこに存在していたのは――異形の化物だった。
『グルルルッ!』
後ろを向いたまま、低く唸り声を上げるその存在は、一言で言えば巨大なトカゲのような姿をしていた。だが、ただのトカゲでないことは漏れだす神気から明確であり、そして何より明確に異常な点があった。
そのトカゲは、全身から炎を吹き上げていたのだ。
むしろ炎がトカゲの姿を形どっていると言っても良い程だろうか。時折見える地肌らしき部分も、真っ赤に赤熱したウロコで覆われており、まさに炎の化身とでも呼ぶべき姿だ。
いや、実際にそうなのだろう。この相手は炎の精、その化身なのだろう。
『サラマンダー』そう呼ばれる精霊がいる。炎の中に生きるトカゲであり、時にファイヤードレイクと同一視もされる、偉大なる四大精霊が一つ。
私も実際に見るのは初めてだ。何しろ西洋の概念であるため、陰陽道にはあまり関わりのない手合いだ。
しかし現代日本では、陰陽道のために海外の魔術も研究していた身だ、存在自体は理解している。問題は、この場所に封印されていたものがそんな厄介なものだったということだ。
四大精霊とは、つまりはそれぞれが示す事象の概念そのものだ。例えばこのサラマンダー相手には炎の魔術は意味を成さないし、むしろこの世界の魔術は五大元素、つまり炎に関してはこのサラマンダーの概念を媒介にしている。
つまり、この世界の魔術のうち、火属性と呼ばれる魔術は全てコイツの支配下にあるも同義なのだ。
例外はこの世界の魔術以外で炎を操る場合。例えば私の五行相生や式神達だろう。他にも存在する可能性は0ではないが、まぁ期待できそうにない。
そんな強大な力を持つ精霊が、こちらに牙を向いている。これは普通なら割と絶望的な状況な気がする。
父の顔色も青い。サラマンダーであると判断しているのかまではわからないが、途方も無い力を秘めていることはわかるのだろう。
「っ!プエラ!」
「母さま!」
サラマンダーの居る場所のさらに奥に、母が倒れていた。うめき声を上げているのを見るに、まだ息はあるようだ。恐らく先ほどの突撃で吹き飛ばされたのか、体のあちこちに火傷が見られる。
火傷自体は命に関わる程のものでは無さそうだが、それでも早く治療をしなければならないだろう。
しかし、うかつに動けばサラマンダーがどういう行動に出るかわからない。なんとももどかしい状況だ。
やがてサラマンダーはゆっくりと動き出し、こちらを振り返る。
すると、後ろ姿ではわからなかったが、何かを咥えているらしいことがわかった。
咥えているものの大きさは、丁度小さい子供くらいの大きさで、金色をしていて、何か赤いものをしたたらせながらうめき声を上げており――
その正体に気づいた時、全身が総毛立つのを感じた。
「「タマモーーッ!!!!」」
なぜなら奴が咥えているのは、私達の最愛の家族――タマモだったのだから。