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あれから小さいおじさん、ますさんからベースについての長い長い説明を受けた。
ギターとベースは弦の本数も違えば役割も違う。人によるけどベースの方が難しいらしい。
「ベースが間違えちゃうと曲の雰囲気まで変わっちゃうんだよ。低音が与える影響は大きいからね」
ますさんはベースをやっていたらしい。指がゴツゴツしてて皮まで硬そうだった。
本当にやる気になるまでお店に来ればますさんのベースを貸してもらえることになった。
「楽器屋さんは暇だからね。僕が教えます」
ますさんはふにゃんと笑った。なんだか山内くんの笑顔に似てる気がする。でもますさんのはオレンジ色。
「咲くんのこと、よろしくね」
帰り際、小さな声で言われた。
ますさんの笑顔がちょっと悲しそうでわたしは力強く頷いた。
そういえば。山内くん、去り際にわたしの名前呼ばなかった?
「おはよう」
綺麗な笑みをこちらに向ける彼。
「どう、ベース」
「ますさんに教えてもらえることになりました。ベースも貸してもらえます」
「良かったね」
なんでこの人はこんなに嬉しそうなんだろう。
いつもなに考えてるんだろう。
なにを見てるんだろう。
そんなことばっかり気になって、午前中の4時間全く集中できなかった。
ずっと左の山内くんを見ていた。
「三乗の展開公式を答えよ」
「えっ」
「(a+b)³=a³+3a²b+3ab²+b³ 」
なんだ急に。
「見すぎだよ。俺より黒板見てよ」
指差された黒板には彼が唱えた公式が書かれていた。
バレてた。恥ずかしすぎる。
「いや、これは、あの…ごめんなさい」
「補習かかっちゃだめだよ」
彼は楽しそうに笑った。あれ、今日は黄色い空気出してる。
「お話終わりました?」
急に知らない人が話しかけてきた。
「山内くん!顔すっごいキレイだね。まるで人形みたい。俺は北口太一!山内くんと仲良くなりたいんだ!」
なんてストレートな人なんでしょう。キラキラな笑顔を浮かべた彼、北口くんは運動部だろうなってくらい黒く焼けている。どうしよう、運動部じゃなかったら。
ガタイがいいから山内くんの隣に立ったらいじめっこといじめられっこみたいになっちゃいそう。
でも彼の笑顔を見る限り、とっても純粋な人なんだろうな。
「うん、よろしくね」
山内くんは昨日わたしに向けたような薄いピンク色の空気を出しながら微笑んだ。
あれ、ピンクに戻ってる。
「よし、じゃあ一緒にお昼食べよう!」
「いいよー」
北口くんは山内くんの手を引いて教室から出て行ってしまった。
パワフルな人だったなあ。
さ、わたしも友達見つけなきゃ。
「お昼一緒に食べてもいい?」
あれから北口くんは毎日山内くんに話しかけにくる。
気を使ってくれているのか特に気にしていないのか、わたしにも話を振ってくれて会話に入れてくれる。
中学の頃テニス部に入っていたから黒いんだとか。受験の間に白くならなくてちょっと気にしているらしい。
家がこの近くで中学が同じだった人が何人もここに通っているらしい。
「咲ってどこに住んでるの?」
いつの間に下の名前で呼ぶようになったんだ。
「赤羽。ここから電車で30分くらいかな」
電車で通っているのか。大変だなあ。わたしの地元は島に1つしか駅がなくて2時間に1本しか来ないから電車で通学してる子大変そうだったな。
「狭山さんは?」
「わたしもこの辺だよー。歩いて10分くらいかな」
「まじか!じゃあ家近所かもね」
ニコニコ笑う彼は大きい子犬みたい。
「あ、近所に楽器屋できたよね!行った?」
「増田楽器店?」
「そうそう!」
わたしと山内くんは目を合わせた。
「俺さギターやってるからちょっと気になってるんだよね」
「小さいおじさんがいるよ」
ピンク色をだした山内くんが言う。山内くんも小さいおじさんだと思ってたんだ。本当に小さいよね。
「小さいおじさん?なにそれ、今日ぜったい行こう!」
すると北口くんは丸くて大きい目をもっと開いた。
「2人とも行ったことあるってことはなんか楽器やってるんだよね!」
「うん」
「じゃあさ俺たちでバンド組まない?」
北口くんがそういった瞬間、窓から強い風が入ってきた。それは檸檬の匂いがして、青かった。
「いいね!やりたい!」
わたしは興奮して席から立ち上がった。
「俺はやめとく」
一瞬強い空気がでた。
「俺ピアノだし、バンドには参加できないよ」
さっきの空気は消えて、山内くんは申し訳なそうに笑った。
すると知らない女の子が彼を呼びに来た。
教室のドアの所にとっても可愛い子が立っていた。
山内くんはその子とどこかに行った。
「あれで10人目。女子から告白するなんてすごいよな」
今のわたしはそんなことより、さっき一瞬でた強い空気のことが気になって仕方がなかった。
放課後、増田楽器店に行くとやっぱりいた。
「今日はなに弾くの?」
彼はびっくりした顔でわたしを見た。
「うわ。いつからいたの」
「さっき」
「気づかなかった」
「なんでぼーっとしてたの?」
「考えごとしてた」
「ピアノの前で?」
「うん」
「なに考えてたの?」
「なに弾こうかなって」
彼はいつも通り薄いピンク色の空気を出して笑った。でもなんだかいつもより色が薄い気がした。
ピアノの上の楽譜を開いて「月の光」を弾いてくれた。
「愛のあいさつ」の時とは違ってとても悲しそうだった。いや、悲しそうよりも寂しそうなのかな。
彼の顔は今にも泣き出してしまいそうに見えて、彼の寂しさが曲に乗ってわたしに入ってくるようで
わたしは目を閉じた。
彼の指が鍵盤から離れた瞬間、わたしは口を開いた。
「やっぱりバンドやろうよ」
「やらない」
「なんで。本当はやりたいんでしょ」
彼は大きくため息をつくとピアノの蓋を閉じた。
「人前で演奏するのが怖いんだ。なんでかは言いたくないから言わない」
そこに座っているのは山内くんじゃなかった。
教室で見せたあの強い空気を出している。
今回は一瞬じゃない。
「わたしの前では普通に弾けてるじゃん」
すると彼は嫌そうに笑った。
「なんでだろうね」
そのまま彼は帰ってしまった。
なんであんな顔をしたのか分からないけど、さっきの彼のピアノは本当はやりたいと言っている気がした。わたしに向かって叫んでいる気がした。
そう思ったらじっとしていられなくて、彼の後を追った。
「山内くん!」
振り向いた彼の顔は無表情だった。綺麗な顔ほど無表情が1番怖い。
「理由なんて聞かないから、途中で逃げ出したくなったら逃げていいから、一緒にバンドやろう。調べたんだけどね、シンセサイザーっていうのがあるの。これなら山内くんにぴったりだと思うの。だから、やろうよ」
沈黙が続く。でもここで先にわたしが口を開いたら確実にやってくれなくなる気がして、じっと待った。
すると彼はぽつりと言った。
「本当に途中で逃げ出していいの?」
「いいよ」
「じゃあ、やる」




