第一話 女神との邂逅
世界が混沌に支配されて、早五年が過ぎた。
水と光、そして緑に溢れる≪アースガルド≫は衰退し、数多く共存してきた種族は一桁にまで落ち込んだ。多くの種族は飢餓、貧困により衰弱、権力と財力を持つ種族に買収され、その実奴隷などの最下級身分となり、最低限の生活基準以外を考慮されていない生活を強いられていた。
「……嫌な世界になっちまったもんだな」
薄暗い夜道━━いや、時刻的には朝だろうか。
最早、時間と言う概念は無く、常に薄暗く目に優しくない赤色の月が世界を照らしている。
クロード・ヴェスロイアは、≪アースガルド≫を旅して回っている。
貧困、飢餓による二次災害、つまり略奪や殺人の被害を最小限に食い止める為、何より「天空」を取り戻す手段を得る為に、一人旅を続けていた。クロードのような人種は珍しく、今のご時勢は世界を放浪するなんて事は頭のネジが飛んでるか、気が狂っているとさえ思われてしまう。
それでも、クロードは歩みを止めなかった。
現在、巨大な一枚岩の大陸、≪アースガルド≫を横断中である。≪人間≫の住まう最西端の領域、通称≪シャングリラ≫の一角、巨大な王都を持つ≪エルフェゴイ王国≫から出立し、東に向けて直線にして約二十万キロオーバーを走破、しかし、最東端に位置する≪亜人≫の住まう領域、≪エリシュオン≫までの道程は今まで走破した量の十倍以上は距離がある。
「……最盛期であれば、≪飛空挺≫や≪潜水艇≫があったんだが…。今じゃお互いの縄張りを必要以上に警戒させちまうだけだしな…」
共存、という言葉を文献上から抹消・消去した現状、気まま勝手に領空や領海侵犯をしてしまう≪飛空挺≫や≪潜水艇≫は廃止されている。長距離移動の基本手段は徒歩、或いは馬車等の乗り物を利用する事だが、大抵荷馬車は狙われ易い。盗賊や山賊による被害を運転手にまで巻き込むのは申し訳無い、結果、徒歩で陸路を行くしか手段を取れない、というわけだ。
「…流石にそろそろ装備も買い替えか? 革靴もボロボロだし、メイルも錆び付いている。これじゃ下手な山賊や盗賊の装備以下だし、命の危険もあるな…」
偶然にも、此処から数キロの場所にかつて大いに奮った商業都市がある。
今でも相応の評価を持つが、自由都市━━種族間フリーな体制により、その地位は没落している。
「(……ん?)」
≪アースガルド≫を縦断する、起伏の激しい≪アーシエ山脈≫の麓を遠巻きに、微かな剣戟の音を、クロードは拾った。方角は南、やや起伏を持つ山道を上に上がった所であり、東に聳える商業都市≪イリエスガーラ≫を前に、クロードは微かなその音を頼りに道を駆け上がる。
小気味良いリズムを刻んでいた心臓が、やや激しいビートを掻き鳴らす。
心拍数の上昇を気に、全体が熱を帯び、滴り落ちる一筋の汗を拭う。
ガサガサッ!!
草木を掻き分け強引に、頂上付近に点在する開けた場所の一つへとやってきた。
当然、そこには剣戟を打ち鳴らした本人、そして相対する敵が居る。
しかし、これはクロードの予想を遥かに超える結果となった。
そこには……。
「あァ…? んだこのガキ。同種じゃねェな…となりゃ、≪現地人≫か?」
「勢い付けて飛び出してきたは良いが、なんだ、死にに来たのか?」
敵影は二人、やや大きめの人型を持つが、その風貌は鬼神そのもの。
クロードが憎み、殲滅を試みる、劣悪にして最低最悪の優性種族。
「…丁度良い。初交戦だが、お手並み拝見させてもらおう」
≪屍神≫、それそのものであった。
◆ ◆ ◆
「なァにィ? 何か言いましたかー? 聞こえねェよ、クズが」
先程まで剣戟を鳴らしていたのは、どうやら≪イリエスガーラ≫の住人らしい。
女性であるが、その立ち振る舞いから、ただの婦女子ではなく、戦闘スキルを持つ部類の人種だろうと言う事が容易に判断出来る。無論、≪屍神≫の性質は悪逆非道を地で行く下種であり、それ故に大して強くも無い女性を嬲り、甚振るような真似をしていた事により、一命は取り留めている。浅いキズを身体中に負っては居るが、敵のヘイトは今完全にクロードへと矛先を向けた。
逃げる為の隙は出来た。後はタイミング、そしてクロードの技量が深く関わる。
「……チッ、噂に違わぬ下種野郎共だな。か弱い女を虐めて楽しいのかよ? 史上稀に見るクズじゃねーか。それとも、そっちの気があるド変体気質か、あぁ?」
「てめェ…!! 殺す!」
前方と後方に一体ずつ、前方の敵は思いの外沸点が浅いらしい。
瞬間的な加速により、猪もかくやと言わんばかりの突進、それに合わせたアッパーを見舞う。
ブンッ!
暴力的な空烈音が眼前を切り裂き、ゴツゴツとした灰色の表皮が鼻先を抉る様にして放たれる。
最早直感の領域で回避に成功したクロードは、一瞬の隙を逃さず、背中の剣を抜いた。
背中にバツを描く様にして配置していた二刀の剣を引き抜き、そのまま切り裂く。
ギィン、という鋼鉄を切りつけた様な鈍い音が響き、持ち手にじぃんと麻痺した感覚が走る。
「んだァ…? その程度かよッ!!」
ブォン!! ノーモーションから一気に打ち出されたストレートをバックステップで避ける。
しかし、動き出しが遅かったせいか、メイルに攻撃が掠り、鎖帷子の一部が粉々に破損していた。
「(くそったれが…。パンチ一つ取ってもこの威力かよ、嫌になるぜ……。厚いブレストプレートでさえ一撃で沈めかねない、一撃必死は免れないか)」
頑丈な鎖帷子、幾ら錆び付いてたと言えど、拳一つであっさり破壊出来るほど質は悪くない。
もろに攻撃を受けてしまえば、骨肉は千切れ、臓器は潰れ、身体はあっという間に拉げてしまう。
「もーちっと手応えあんのかと思ったがなァ。まァ、雑魚で底辺なカス種族が殆どダメージ受けてないとはいえ、一撃入れただけでも勲章もんだぜ、良かったなァ、ケヒヒ」
「まだ勝負は付いてねぇだろ…! こっからが俺の━━━」
ひゅん!!
その時、ハッタリをかまそうとしたクロードの頬を何かが掠めた。
遅れて三秒後、薄皮が捲れた頬から、ツーッと鮮血が滴り落ちる。
「熱くなるな、ディー。お前の悪い癖だ」
「チッ、分かってるよ…」
「其処のお前、今なら見逃してやる。さっさと退け、≪魔神復活≫の儀式には、生贄となる潤沢な素養を持つ個体が必要だ。人種問わず、性的な区分として、女の方が根本的な素養は強い。よって、男であるお前を狩る理由は無い。理解したのなら、二度言うが、さっさと退け」
「≪魔神復活≫だと…?」
「……チッ、俺とした事が…余計な情報を語ってしまった。すまないが、先程の話は無しだ。お前には此処で物言わぬ骸となってもらうこととする」
「…彼我の実力差は明らか、だが、はいそうですか、って簡単に死ねるかよ、アホが」
「別にお前の同意など求めてはいない。此方が勝手にお前の生命を奪うだけだ」
すると、不可視の矢弾が風を裂いて迫る。
クロードは、無論目に見えているワケではなく、その音を頼りに地を這って避ける。
目に見えたとしても、圧倒的な速度で迫るそれは、受け止める事など到底不可能だ。
しかし。
「甘い」
矢弾は不可解な曲がり方を呈して、進行方向を突如変えた。
その上、転がった先には沸点の低い、先程の≪屍神≫が構えている。
「(まず……!?)」
死んだ。或いは、一瞬で粉々になってしまうのを予想し、死、という瞬間を体感出来なかったとさえ思う程、目を瞑ったクロードの視界には永遠を彷彿とさせる暗黒が広がる。
しかし。
訪れるであろう激痛も、襲い掛かるであろう死の感触も、全てはやって来ない。
恐る恐る、ゆっくりと目を開けた、すると…。
矢弾を指で捉え、襲い掛かる≪屍神≫の首を右手に持った一人の少女が居た。
「は……?」
一番最初、クロードの口から出た感想、或いは言葉は、たった一文字であった。
女性らしさを強く意識させる華奢な体躯は、先程クロードを襲った筋骨隆々の暴漢の前では一瞬で跡形も無くなりそうでさえある。ぎゅっと握れば折れてしまいそうなほど、手足は細長く、しかし決して身長は高い方ではない。振り向き様に此方を見据えた少女は、本来の鬼神然とした≪屍神≫のそれには似つかわしくない程、圧倒的な美貌を持ち、他を凌駕する可憐な出で立ちだ。
彼女は誰だ? クロードは、根本的な疑問に首をもたげた。
彼女の風貌は≪屍神≫のそれではないが、あの攻撃を受け止めた実力は、それに匹敵する。
「……き、貴様は…」
「邪魔よ、退けて」
「ぐ……、が、……!」
「アンタも生首一つになりたいの? まぁ、もしなりたいなら、ご要望通り、アンタもこんな風にして差し上げるけど、どうかしら?」
「く、くそが!!」
「言葉には気をつけた方が、長生き出来るって知ってた? まぁ、アタシも別にそこまで沸点低くないけど、チンケな≪屍神≫如きにそー言われるとね…、これは罰って事で」
バシュン、と紫色のマズルフラッシュが、少女の右指から瞬く。
慌てて後退し始めていた生き残りの≪屍神≫の両手両足を、たったそれだけで弾き飛ばす。
「あがっぁぁぁぁぁぁ!?」
「数日すれば元に戻るんでしょ? それまではそこで這い蹲ってなさい。まぁ、出血多量で死ぬかもしんないけど、運次第ね。今まで悪行積んできたんだから、死んで当然よ」
くるり、と進行方向を変えて、木の根に腰を下ろして怯える女性の前まで、少女は進む。
手に持っていた矢弾は投げ捨て、≪屍神≫の生首は適当にそこら辺に転がしている。
「大丈夫?」
「あ、あぁ……は、はい…」
感涙咽び泣く勢いで、二言目にはありがとう、という言葉を連呼していた。
それを聞き納め、たおやかに笑う少女は、≪屍神≫とは、やはり掛け離れた存在に見える。
チラリ、と一瞬その視線が此方に投げられる。
「……あら、生きていて良かったわね、命知らずなお人好しさん。今度からは立場と実力を踏まえた上で戦う事をオススメするわ」
挑発的な笑みを浮かべた少女は、くるり、と踵を返すと降りてきた道を下ろうとしている。
呆気に取られていたとは言え、流石にカチンと来る一言だ。
クロードは鼻で笑い飛ばし、去り行く少女に少しばかりの毒を吐く。
「ハッ…。俺が居なきゃ、彼女は死んでたかも知れないぜ? 時間稼ぎしてやったんだから、人助けに遅刻してやって来るような不届き者は、陳謝こそすれ、毒を吐く権利なんて無いはずだがな」
その一言で、少女の歩みは止まった。
滑らかに進行方向を曲げると、埃を払い落とし、立ち上がったクロードの眼前までやって来る。
「惨めに無様に生き延びてくれてありがとう、これで良いかしら?」
「別に礼には及ばねえよ。まぁ、今度からはその伸びきった天狗の鼻を間違って折らないように、予定より早く人助けに専念する事をオススメさせてもらおうか」
「……へぇ…誰かさんみたいに、割って入っても救うどころか逃げるのに手一杯な脆弱人間にアドバイスを頂けるなんて、恐悦至極だわ」
「誰かを犠牲にしないと、誰かを救えないような、お偉い実力主義の誰かさんにお褒め頂き、こちらこそ恐縮だ」
ピクピク、とお互いのこめかみが、ひくつき始め、一触即発な雰囲気を醸し出す。
しかし、意外にもその雰囲気を自分から取り消したのは、少女の方であった。
「……フィスタルガディア、フィアで良いわ。確かに、アンタには悪い事した。ごめん」
「…まぁ、俺も言い過ぎたな。俺はクロード・ヴェスロイア、どう呼んでくれても構わない。俺こそ、命を救ってもらったからな……ありがとう」
ふんっ、とそっぽを向いてしまったフィアに対し、思わずクロードは苦笑した。
気難しい性格ではあるが、素直に謝れる心や人を思いやる気持ちを持ち合わせている。
「(…大人気無いのは俺の方か)」
思わず程度の低い挑発に乗っかって、自分より下の少女と舌戦を繰り広げてしまった。
クロードは自省的に反省し、取り敢えずの環境が整ったこの場で、色々と情報交換しようと考えた。
「フィア…で良いんだよな?」
「ええ、クロード」
「単刀直入に聞くが、お前は何者だ? 勿論、助けてもらった事に感謝はしているが、フィアの実力は≪屍神≫のそれと同格か、或いはより上だと判断出来る。一体、フィア、お前は何者なんだ?」
クロードにとっては、避けては通れない疑問の一つだ。
きっと、フィアにとっても根幹に忌わしくも根付く、答え辛い質問なのだろう。
やや苦渋に頬を歪め、それでも、ふぅ、と一息吐き出して、此方を見上げた。
そして、一言。
「アタシは………≪屍神≫よ」