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綾瀬さんはギターが得意  作者: Gorilla Hands
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第2章『転入』1

第二章 転入


 佐伯双葉の教室は朝からいつも以上の活気に包まれていた。普段ならまだ眠たげな雰囲気が残っていたり、実際に机に突っ伏して寝ていたりするというのに、今日はそんなクラスメイトも雑談に興じている。

 双葉が席に着くやいなや、さっそく自分の所にもその賑やかさが舞い込んだ。彼女にもその手の話題に飛びつく友人がいるのだ。丹呉楓は机に身を乗り出し、目を爛々と輝かせて言った。

「双葉、聞いたか?」

「何を?」

「転校生だよ」

 双葉には思い当たる節があった。クラス委員である彼女は先週、担任にその旨を伝えられていた。双葉達が初めて担任という我等が新米教師は、元からの心配性がここのところ激しくなっていた。転校生についても何度か面倒を見るように頼まれている。そんな事をされたら普通、新鮮味も失せる。

「ああ、その話ね」

「反応薄っ。ていうか知ってたんかよ」

「クラス委員ですから」

 双葉が少し嫌味に言ってみせると、友人の楓は「う」とバツの悪そうな顔をした。

 双葉はクラス委員をするほど責任感のあるタイプではなかった。かといって、任された役目を放棄するほど無責任でもない。つまりそういった事にあまり興味がなかった。しかしそんな彼女がや時には生徒会総務の手伝いまでするようになったきっかけは、誰であろう目の前の楓だった。

 中学生だった頃、二年に進級して初めてホームルームだった。「眼鏡をしているからマジメ。マジメだからクラス委員」と、それまでの面識のなかった楓が冗談で双葉を推薦した。それが無責任な投票によってそのまま現実になってしまったのだ。本当にしょうもないと思う。あとはずるずると、去年もやってたのだから今年もやればいい。中学の頃やってたから高校も、という次第でクラス委員を続け四年目になった。

 そんな経緯でも四年も続けているとどんな仕事もだんだん板に着いくるものだ。物事をついついそういう目で見てしまう。全体活動の場で、秩序を重んじて、それにそぐわない好意を注意して疎まれる事もごくたまにだがあった。全く理不尽な話だったが、それでも腐らずにいられるのも、また目の前の丹呉楓という友人のおかけでもあった。双葉の頭が痛い所だ。きっとこの能天気な友人はあまり深く考えないで発言する分、あまり深く考えないで人を励まし、心を軽くしてくれるのだ。

「そんな根に持つなよう」

「ん? ああ、違うってば。ちょっと考え事していただけ」

「なんだ、そっか。で、じゃあその転校生がどんな感じが双葉は知ってんだ?」

「そう簡単に立ち直られても釈然しないけど……そう言えば知らないわね」

 担任に世話を頼まれた時も、男子だと間が持つかしら、と頭にはよぎりはしたものの結局、確認することもなかった。

「上島によると女子らしいんだ。さっき教務室で見かけない顔を見たって言ってた」

「そうなんだ。それは楽かもね」

「ラクって何が?」

「校舎の案内とかする時に相手が男子よりもやりやすいでしょ」

「もっと盛り上がろうぜ!」

「そうね──楽しい人だと良いわね」

「……なんか違う。ベクトルが違う」

 予鈴のチャイムが鳴って楓は自分の席へと戻っていった。一人になった双葉は考える。やはり自分はいわゆる「旬の話題」に疎いようだ。流行を追いかけるクラスメイト達の話にはあまりついていけない。そもそもついて行こうという気持ちが沸かない。そういったタイプばかりではないので、友人には不自由していないが。

 双葉への印象は「お堅い」というものだった。さして真剣にそう考えているわけではない。ただ時折ふとした拍子に発した何気ない一言で「双葉は真面目さんだなあ」と言われたりする。クラスメイト達が普段目にする彼女から想像すれば無理もない事だった。自分達の話にあまり加わらず、机で仕事をこなしている姿ばかりなのだから。特に今年に入ってからは、中の良い先輩が生徒会長を任されていてその手伝いもしている。仕事は自分から探せばいくらでもある状態だ。

 だが、彼女にも夢中になり、心をときめかせるものがあった。それは音楽だ。

 双葉の趣味はクラシック音楽の鑑賞である。彼女にとってそれは筋金入りの趣味だった。なにしろ九歳の時に祖父からプレーヤーを譲り受けて以来、毎日何かしら欠かさず聞いている。休日の午後、彼女は自室で一人、音楽に浸る。高尚と思われそうだがそういうわけでもない。ポップスやロックを聞くのに特別な知識がさして必要ないのと同じようにクラシックを聞くのにも知識を必要とする事もなかった。ただ曲のタイトルや作曲者、演奏者にやや明るい程度である。けれど、とにかく量は聞いている。友人が部屋に遊びにきて、そのコレクションの規模を知って軽くヒクくらいは集めていた。

 双葉が最近よく聞いているのはスペインの音楽フラメンコだった。フラメンコは本来、踊り、歌、そしてギターがセットになって、そう呼べるものとなるらしい。しかし委員の興味はそういったものではなく、ある一人のフラメンコ・ギタリストに傾倒していた。ギタリストの名前は綾瀬律。

 きっかけはYouTubeで何気なく視聴したどこかのライブ映像だった。双葉自身は楽器を演奏しないので技術的な善し悪しはわからないが、そのギタリストの演奏には奇妙なくらいの安定感が感じられた。ことさら自信に満ちているわけでも無く、かといって他を引っ張っていく力があるわけでもない、ただ歌に寄り添って演奏しているだけなのに、その歌に負けないくらい存在感があった。彼女の自然な演奏に双葉はすっかり魅了されていた。

 綾瀬律は確か自分と同い年だったはずだ。自分と同じ十七歳なのにもうヨーロッパで一人で生活して活躍しているという。信じられないことだ。けれども、もし彼女が転校生としてやってきたとしたら、それはそれで想像できなかった。それだけ縁遠い存在という事なのだろう。自分の荒唐無稽な空想に委員は口端に笑みを浮かべた。

 本鈴が鳴り、廊下で待機していた担任の上塚が教室に入ってくる。彼女に続いてもう一つ人影がドアをくぐる。クラスメイト達が待ちに待っていた転校生だ。双葉もその顔を拝見しようとして、息が詰まった。目の前に綾瀬律がいた。

「はじめまして、綾瀬律です。宜しくお願いします」

 綾瀬の挨拶は何の変哲も無いものだったので、クラスメイトも転校生を受け入れる一般的な反応で彼女を迎えた。名前を板書している時も先生による紹介にも、ギタリストのギの字もなかった。綾瀬の人気はヨーロッパでは高まってきているが、日本に限ればまだ無名と言っていい程度だ。おそらく誰も知らないのだろう。ただ一人、正体を知っている双葉だけが挙動不審だった。高鳴る胸の鼓動を隠すように、机に身を伏せてチラ見する。で何度確認しても間違いなかった。

 そのうち目が合った。偶然でもなんでもない。向こうが気がつくくらい、双葉の挙動はおかしかった。何を思ったか綾瀬も目を逸らさずまじまじと双葉を見つめた。

 心臓が一際大きく脈打つ。動画サイトで見ていても、モニター越しでは決して交わらなかった綾瀬の眼差しだ。深い黒をしたなんて涼しげな瞳なのだろうか。これ以上何か重なったら自分はもうもたないかもしれない。

「転校してきたばかりで色々わからないだろうから、双葉さん、彼女の事よろしくね」

 双葉の動揺をよそに担任は何気なくそう言った。当然だ。そういう打ち合わせだった。

「というわけで綾瀬さんは佐伯さんの隣に……」

「なあっ!?」

 かつて一度も上げた事のないような叫び声を上げて双葉は椅子から立ち上がった。

「さ、佐伯さん? な、何か問題でも?」

 予定外の出来事に早くもパニクりそうな担任を見て双葉はかろうじて我に返った。「ななないです」となんとか答えて席に着く。先生に促されて、綾瀬が学校指定のショルダーバッグを肩から外しつつ近づいてきた。なるべく視界に入れないように顔を背けるが、しかし足音は耳がしっかりと捉えてていた。

 綾瀬が隣でバッグを引っかける金属音や、椅子の足と床の摩擦、彼女の制服の衣擦れまでがいくら締め出そうとしても意識に上ってくる。まるで一度気になり出した耳から離れなくなる秒針の進む音のようだった。

「えーと、よろしくね、佐伯さん」

 綾瀬の一言でその音の氾濫の中に、ぽっかりとエアポケットができた。さっきまでの雑音がまるで嘘のように静かだ。かといって別に状況が好転したわけではない。いよいよ余計な事まで考える余裕をなくしただけだ。

「よ、よろしく」

 それでも蚊の鳴くような微かな声で双葉はかろうじて応える事ができた。

 朝礼は綾瀬の紹介だけで終わり、そのまま授業に移った。一限の歴史は彼女の担当だった。クラスメイト達は綾瀬に興味津々だったものの、大人しく授業の準備していた。上塚は余裕がないだけで頑張り屋なので、生徒達からの受けは良い。ここは大人しくしてあげよう、という善意からの行動だった。

「先生、私、まだ教科書がないんですけど」綾瀬が言った。

「は、はい! それじゃあ届くまでは隣の佐伯さんに見せてもらってください。他の教科の先生には私からも伝えておきますから」

「ありがとうございます。というわけでいいかな?」

「ええ」

 双葉が頷くと、綾瀬が机を寄せた。

「な、なんで机を近づけるの?」

「えっ、そうしないと教科書が落ちちゃうから?」

「せ、正解よ」

 自分の意味不明な発言に、双葉の脳裏には一瞬、自害するという選択肢がよぎった。しかし同時にさらに冷静さを取り戻すきっかけにもなった。もうここまで恥をかいたら逆に開き直れるというものだ。

「ありがとう?」

 綾瀬も不思議そうな顔はしつつも気にしない事にしたらしい。今度は机に置かれた教科書をぺらぺらとめくって難しい顔をしている。

「何かあった?」

「うーん、私、日本史とかほとんどわかんないだよね。英語は大丈夫だと思うけど」

「わからなかったら聞いて。成績は悪くない方だから」

「ほんとに? えっと」

「双葉、佐伯双葉」

「私は綾瀬律。ってさっき言ったから知ってるね」

 紹介される前から知ってる、と喉の所まで出かかった。綾瀬はそうとも知らず、ペンケースから筆記用具を取り出していた。それにしても彼女の落ち着きっぷりと来たらどうだ。まるで最初からこのクラスにいたかのようだ。

「転校してきたばかりなのに落ち着いてるのね」

「いや結構ドキドキしてたんだけどあんまり表にでないだ。それに何故か私よりも狼狽えてる人がいたから、なんか呆気に取られちゃって」

「もしかして、私のこと?」

 綾瀬はニコリと笑った。双葉は身体がかあっと熱くなる。顔も紅潮しているに違いない。様々ないい訳が頭に浮かぶ。だって、それはあなたが私の憧れだから、とは言えなかった。「これから宜しくね、双葉」

 そんな事情は露とも知らない綾瀬は軽い口調でそう言った。

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