帰り道
複雑そうな顔をした太田さんと見送られてヒガシと一緒に校門から出た時には、雨は上がり、薄い雲に覆われた空はオレンジ色に染まりつつあった。
学校から出ると、ホッとした。今日はひどく消耗した。今も新たに菊池がバドミントン部の女子達からバシバシ蹴られていたけど、それはもうスルーする。あいつならきっとご褒美になるはずだ。まんざらでもなさそうだったし。
「おまえってバカだよな。あそこまでしてやる必要もなかっただろうに」
ヒガシがあたしを乗せた自転車をせっせと押しながら悪態をつく。だけど言葉とは裏腹に口調は穏やかで、どこか労わるような響きがあった。
「しょうがないじゃん、自分でも馬鹿なことをしたもんだと思うけれど、あの場は放っておけなかったんだよ」
言いながら再び吐き気がのど元に押しよせてきて、あたしは目を瞑って治まるのを待った。
あれからずいぶんマシになったとは言えまだ気持ち悪さが胸に残っていて、歩いて帰るのはちょっと厳しいので、自転車の後ろに乗せてもらって帰っている。
ちなみに自転車通学が許されるのは家から学校まで2キロ以上かかる生徒のみで、あたし達はギリギリ徒歩範囲内のため、このシルバーのママチャリは借り物だ。
あたしがトイレに籠っている間に、気を利かせてどこぞから借りてきてくれた。ナイス判断である。
「おい顔色悪いけど本当に大丈夫かよ。おばさん呼びつけたほうがよかったんじゃないか!?」
「いいんだ。さすがにこれ以上心配かけるわけにはいかないし……」
「他に何やらかしたんだ?」
「な、なんでもないよ、こっちの話!」
あぶないあぶない。ドロボー退治の件は内緒だったんだ。
あたしは慌てて他の話題を振った。
「そういえばさ、試合はどうだったの?」
「一応勝った」
「よかったじゃん。なんかすごく上達してたよね。びっくりした」
「まあ毎日しごかれてるからな」
そこでちょうど地獄の坂道を登り終えたヒガシは、ペダルに足をかけて自転車にまたがった。
あたしはそれを見た瞬間、えっ、と驚いてしまった。
「もしかして自転車にも乗れるようになったの!?」
「当たり前だろ」
「だって昔は乗れなかったじゃん」
「いつの話だよ」
「小5」
「しっかり掴まってろよ」
ヒガシはそのまま自転車を走らせた。
長い長い坂道を登り切ればあとは下り坂だ。ぐんぐん速度が上がって建物を一気に抜き去っていく。風をきる軽快な走り。自転車だけはどうしても乗れず、泣く泣く野外活動をサボった在りし日の姿は、もはやどこにも見当たらなかった。
――あたしは息が苦しくなった。きっとこれは空気抵抗のせいだけじゃない。置いてかれた気分なのだ。目の前の少年は、いつの間にか壁を乗り越えて新しいステージへと進もうとしている。あたしは何も変わってないというのに。
「陸上部続けてればよかったな……」
思わずこぼれたつぶやきに、ヒガシが振り返って心配そうに訊ねてきた。
「おい、マジでヤバくないか? 顔真っ青だぞ」
「大丈夫だって。前見て、前!」
別の意味で青ざめてしまう。車も歩行者もめったに通らない住宅街とはいえ、物陰に潜む年寄りや子供や変質者がいつ飛び出して来るかもしれないから、ちゃんと安全運転してほしい。まあ最後のはどうでもいいけども。
あたしは情けない顔を見られたくなくて、ヒガシの背中に顔を押しつけた。
「吐きそうになったらここに吐くからヘーキ」
「待て、それは全然平気じゃない」
「なら脇見運転はやめてよ。なんか今日は妙にかいがいしくて気持ち悪い」
「俺はいつだってマメで優しいぞ」
「うそこけ」
今までさんざんそっけなかったくせに、と若干の恨みを込めながらも、とりあえずこの背中は心地よいなと思った。




