敗北をしりたい
1対1のタイマン勝負の申し込みは、すんなりと受け入れられた。
やはり向こうも外見を裏切らない血気盛んな持ち主だったようで、“しばき合い”という言葉に即座に反応してくれた。
「アタシにケンカふっかけてくるなんて、いい度胸じゃないか。泣かせてやるよ」
ハスキーボイスはすぐさま広い場所まで歩いて行き、短く刈られた芝生の上で、見せつけるように素振りをし始めた。うーん、すごい腕力。ラケットを振りまわす度にブン、ブン、と勢いよく風が空を走った。
やばい。こんなのまともにくらったら、きっと痛いだけでは済まない。
でもあたしはちゃんと勝機があった。
「ルールは目潰しのみで……といきたいところだけど、後腐れのないように顔などの急所は避ける。そんで先にラケットを落とすか、ギブアップを口にしたほうが負け。で、いいかな?」
あたしが何食わぬ顔で勝利条件を提案すると、ハスキーボイスはそれでいい、と頷いた。
よし、ここまでは計算通り。
「キョーコ、頑張ってやー!!」
三咲ちゃん達がハスキーボイスに声援を送る。
どうやらハスキーボイスの名前は、“キョーコ”というらしい。
当たり前なんだけど、三咲ちゃん達はハスキーボイスの味方だった。
まあこれは仕方ないなと思いながら、あたしは借りたラケットを小脇に抱えて太田さんの元へ近づいた。
無理やり立たされた太田さんは、ぼんやりとしていた。目が虚ろだ。
「太田さん」
「……なによ」
「汚れるといけないから本体持ってて」
まずは用済みになったカツラをぽいっと手渡す。
そして宣言するかのように言い添えた。
「あたしは戦ってくる。べつにあんたを守るためじゃないから勘違いしないでよね。そんでさっきのアレ余ってたら貸して」
「……わかったわ」
あたしの催促を受けて太田さんはポケットに手を突っ込み、手のひらにすっぽり収まるようなガラスの小瓶を取り出してきた。
中見は言うまでもない。ウネウネ動く蛭だ。
小瓶を手にしたあたしは、すかさずハスキーボイスのほうにそれを向けた。
「あんた、自分の体を確かめたほうがいいよ。あたしはこれで保健室に行った!!」
あたしが声を張り上げると、目を細めたハスキーボイスが小瓶の中見を理解して、「うげっ」と小さく悲鳴をあげた。
虫だけに無視はできないのだろう。その場で体操着を引っ張ったりして隙だらけの状態になった。
そこであたしはここぞとばかりにラケットを持ち直して突進していき、ハスキーボイスの肩にバシッと一発お見舞いしてみせた。よっしゃ!
「痛ったいな。何すんだてめぇ、卑怯だぞ!」
「戦場は一瞬の油断が命取りというのを知らんのか! これが真剣だったらおまえはもう死んでいる!!」
一喝しながらあたしはハスキーボイスから素早く離れる。そのまま走って距離を広げた。
こんなのと正面から殴り合ったら分が悪いので、まともにやり合うつもりはない。あたしは卑怯者の鈴木でいく。
「あっ、逃げんなてめぇ!」
「逃げてないよ、一時退却してるだけ!」
ハスキーボイスがちゃんと追いかけて来てるか時々振り返って確認しながら、元来た道をたどり職員室へと向かう。
途中でヒガシたちとすれ違って「何やってんだ?」と声をかけられたので、「しばき合い!」と短く返した。
そして体育館脇の細道を全速力で突っ切って校舎のほうへと曲がり、職員室前に到着したところで、あたしは乱れた息を整えながらハスキーボイスを迎え待つ。
ややしてハスキーボイスが現れラケットを乱雑に振りまわしてきた。動きはともかくパワーが凄い。
一振り、二振り、三振り……
手が痺れそうになりながらもなんとか全て受け止め、あたしは力の限り叫ぶ。
「キョーコちゃん落ち着いて! これはケンカじゃないんだよ!!!」
しばき合いなのよ!
そんで横目でチラリと職員室をうかがうと、窓越しにポカンとこちらを見ている体育教師と目が合った。休日出勤お疲れさまです。
「お前ら何やってんだ!」
体育教師が立ち上がってこちらに近づいてくると同時に、あたしの意図に気づいたハスキーボイスの勢いも急速に萎んでいく。
さすがに教師の前で争うのはマズイことだと判っているようだ。
「くそ、卑怯者……っ!」
手を止め苦々しげにつぶやくハスキーボイスを無視して、あたしは体育教師に向かって言った。さも怯えたように。
「バドミントンで遊んでたら、キョーコちゃんが突然キレだしちゃったんです!」
「おいふざけんな!!!」
「違うの?」
「ぐ……」
否定はできないよね。ヤブヘビになるだけだから。
言葉に詰まったハスキーボイスに、体育教師の叱責がようしゃなく飛んだ。
よしよし、これでしばらくは動けれないはずだ。無事に足止めすることに成功したあたしは、そっとこの場を後にした。