あるものでなんとか
そうしてヒルはエタノール液を注ぐことによってあっけなく剥がれ落ちた。
床に転がったやつらの後始末は池谷に一任して、あたしはその間に傷口を水道水で念入りに洗い流し、患部に軟膏を塗る。
手際良く処置を済ませたところでふと顔を上げると、ヒル係こと池谷が手持無沙汰に立ちつくしてこちらをじっと眺めていた。
「手伝ってくれてありがとう。もう戻ってくれていいよ」
「いやあのさ、よかったらメルアドとか教えてもらえると嬉しいかなって」
そんなものはない。
あたしのケータイ電話は旧式の糸電話だと告げると、池谷は悄然とうなだれた。
勝手にガッカリされても困るんだけど。つーか、そんな悠長にしてる暇があるならとっとと行けと促そうとして――ハッと気づく。
そうだ。バスケ部の一員なら太田さんについて何か聞き出せるかもしれない。それに、うまくいけば協力を仰げるかも!
「ねえ、太田さんっていう女の子のこと知ってる?」
すると、池谷はパッと顔を輝かせて言った。
「あのカワイイ子なら知ってるよ。最近よく見かけるようになったけど、ひたむきで一途な子だよね」
対照的にあたしは顔をしかめた。
“かわいいは正義”という言葉が頭に浮かんだからだ。
嫌な予感を覚えながら、「ヒガシがあの子につきまとわれて迷惑してるよね」とさりげなく確認したら、案の上好意に満ちた口調で太田さんのフォローをし出したので、あたしはこいつを≪太田信者≫と認定することにした。
使えないなら用はない。
「ほら異教徒はとっとと去りな!」
「えっ、どうしたの急に!?」
「太田さんの差し入れの妨害を頼みたかったけど、あんたにゃ無理でしょ」
「えっ!? ……あ、やっぱり鈴木さんも東のことを――」
ああもう、どいつもこいつも面倒くさいな。こんなところで時間を無駄にしてる場合じゃないのに。
手っとり早く話を切り上げようと思って、あたしは悪魔払いの真似をすることにした。異教徒なんか容赦なく追い払ってやる。
「きえええーっ、サタンよ立ち去れ! サタンよ立ち去れ!」
「ちょ、鈴木さん!?」
「近寄るでない、太田に魅入られたサタンの手先め。退け! 退け!」
「ほんとどうしちゃったの!?」
「悪魔いやぁああああああああ」
聖水の代わりにエタノール液のボトルをブンブン振り回して、池谷を戸口のほうへと追い立てる。
池谷はしばしの間こちらを振り向いてなにやら言ってきたけど、あたしがバカの一つ覚えみたいに「サタンサタンサタン……」とつぶやき返してたら、やがて諦めて踵を返した。
すごすごと廊下に消えていく池谷の後ろ姿を目で追いながら、頭の中ではめまぐるしく考えを巡らせる。
(あいつはダメだった。信者だった。そしてたぶん、他にも太田信者はいるはず)
これはマズイぞ。なんせ太田さんは外見だけは守ってあげたくなるような可憐な乙女なのだ。
信者フィルターを通せば、あの汚料理を抱えてヒガシに迫る姿だってほほえましく映るに違いない。自分が食べるんじゃないからな。
そんな中であたしがのこのこ妨害しに現れたら……うーん、信者達からの突き上げを食らいそう。だからと言ってこのまま黙って見過ごすのも癪に障る。
もし万が一にでも太田の筋書き通りに事が運んだりしたら――あたしはきっと子供じみた感情を爆発させてしまうだろうし、ヒガシの胃袋もただではすまないだろう。やっぱ断固阻止阻止。
とはいえ状況はかなり厳しい。
あのセクハラ菊池までいるのがまた七面倒くさい。なぜか気に入られちゃってるんだよな。ああ、やだやだ。こんなことなら油断せずにばっちり化粧を施して変装して来ればよかった。
(今から家に戻ってたら到底間に合わないだろうし、どうしたもんだか……)
あたしは指をアゴに添えてしばらくの間思案した。そしてもう片方の手で握りしめているエタノールのボトルを何気なく眺めた時――ハタと閃いた。
そうだ、エタノール液ってたしか髪を脱色できたはず。それにジャージとマスクなら教室のロッカーに入ってるから……
よし、通りすがりの金髪DQN男という設定で体育館に乗り込もう!
それなら多少手荒な真似をしたって“鈴木静”の名前には傷がつかないし、菊池避け対策にもなる。そうと決まれば善は急げだ!




