ないものはない
あたしは毒菓子を取り下げるよう、説得を試みることにした。
「太田さん、愛だけじゃどうにもならないことだってあるんだよ。どうしても差し入れがしたいってんなら、今からコンビニにでも走りなよ」
諭すように言うと、逆に切々と訴えかけてくる太田さん。
「そっちこそ一発逆転を狙ってる私の気持ちをわかってちょうだい。私はこの恋に懸けてるのよ。ショーゴ様にそっくりな東君が本当に好きなの!」
は? ショーゴ???
初めて耳にする名前に「誰それ」と訊ねると、太田さんはさも呆れたように口を開いた。
「まあ、そんなことも知らないの!? ショーゴ様はね、“バスケの王子様”という漫画に出てくる南部ショーゴ様のことよ。この素敵キャラのイメージに東君がぴったりなの!」
えっ、ちょっと待って……。
マンガの登場人物とヒガシを混同視してるってこと!?
ヤバイよそれ……。
「あたまだいじょうぶ? ヒガシはあんたの好きなキャラとは違う、生身の人間なんだよ」
「うるさいわね。ガサツな鈴木さんには私の繊細な乙女心なんてわからないでしょうけど、どちらも本気で好きなんだから! 額縁の恋だろうが恋は恋、もう放っておいてちょうだい!」
話は終わりだとばかりに立ち去ろうとしたんで、すかさず両手を広げて通路に立ちふさがった。
ここは通さないぞ!
だけど、太田さんはそんなあたしを一笑に付した。
「そんなことをしてる暇があるなら、さっさと保健室に行って処置したほうがいいわよ?」
「は?」
「ヒル、足に4匹くっつけたから」
「なぬッ!?」
半信半疑でおそるおそる制服のスカートを持ち上げてみると、膝のあたりにコンニチワしてる4匹の刺客を見つけて、あたしは卒倒しそうになった。
「ぎええええええええええええっ」
何すんだこの女! 殴ってやろうか!!
……だめだ、それより先にヒルを取り除かないと気持ち悪くてたまらない。このナメクジみたいなビジョンは生理的に受けつけないんだ……。カタツムリなら平気なんだけど、殻がついてるのとついてないのじゃ雲泥の差がある。
あたしは勝ち誇る太田さんに人差し指をビシッと突きつけ、
「ここはいったん退くけど、ヒガシに変なもん与えたらしょうちしないからね。差し入れは持って帰りな!」
と捨て台詞をはいて、ダッシュで保健室に向かう。
ムカついてしょうがないから、一刻も早くヒルを始末して阻止しに舞い戻ってやる。
これはもう、ヒガシのためというより自分の意地だった。調子こいてる太田さんの好き勝手になんかさせるもんか!
そんなことを考えながらガランとした廊下を走って勢いよく保健室の扉を開けたとたん、第二の修羅場を予感してあたしは立ちつくした。
なんとそこには、イスに座って手当てを受けている菊池の姿があったからである。
うげげ、今日は厄日だ……。
◆ ◆ ◆
「シズニー、会いたかったよ!」
満面の笑みで走り寄ってきた菊池から抱きつかれて、あたしは身を震わせた。
な、なんで菊池が学校に来てるんだよ!?
「あんたゲームするためにサボったんじゃなかったの!?」
顔を強張らせながら叫んだら、したり顔でうなずく菊池。
「よく知ってるねシズニー。2年も待たせておいてクソゲーだったから速攻売り払ったんだ。何をするにも課金が必要なんてムリムリ」
まじかよ。せっかく買ったんだから覚醒せずに有り金吸い取られとけよな!
しかしこの抱擁はうっとおしいことこの上ない。
頬ずりまでされそうになって、あたしは反射的にアゴを仰け反らせた。
「いいかげん離れて!」
そのまま両手で菊池の胸元をぐいぐい押し返してみるがビクともしない。
図体だけは立派になった菊池が、不思議そうに首をかしげる。
「なんで? せっかくの再会の喜びをもっとわかち合おうよ。あれから色んな女の子に声をかけてみたけど、シズニーほど可愛くておちょくりがいのある子はいなかったんだ!」
「そんなこと言われたって嬉しかないわい!」
もうっ、どうしてくれようかな。頭突きをくらわすか玉蹴りをするか――などと考えている間に第三者から制止の声がかかった。
「その辺にしといてあげなよ。ほら、もう試合に戻らないと時間がヤバイって」
ハの字眉毛で菊池をたしなめるその人物は、なんとなく見覚えがあった。
えっと、こいつは――
「山谷君?」
「池谷だよ」
そうそう、池谷だった。
以前、早とちりして西園寺に濡れ衣を着せようとしたバスケ部員のひとりである。ま、その節はあたしが真犯人を釣り上げて一件落着したんだけどね。
ここで会ったのも何かの縁だ。
これ幸いと目で助けを求める視線を送ってみると、池谷は軽くうなずいてから、うまいこと口を動かして菊池をひき離してくれた。
おだてられた菊池は壁時計をチラっと確認して、
「そうだよな。皆エースの帰りを待ちわびてるんだった。じゃあシズニー、先に行くけどオレが活躍するところを絶対見に来てね!」
と言い置き、テーピングが巻かれた左足をさすりながら試合真っ最中の体育館へと戻って行った。
あとに残ったのは、あたしと池谷。
やかましいのが消えて一気に静けさを取り戻した保健室に、今度はまた別の気まずい空気が漂った。
「あんたは急がなくていいの?」
静寂を打ち消すべくたずねると、池谷は、ふ、と笑みが口元に刻まれる前に霧散したような表情を作って言った。
「オレは戦力外の万年補欠だから、特別急ぐ必要はないんだ」
あ、地雷踏んだかも。
「それより鈴木さん、保健室に来たってことはどこか具合でも悪いんでしょ? 何か手伝えることがあればするけど」
わわっ、そうだった。
早くヒルを始末しないと、どんどん血が吸い取られてしまう。
この際だし、こいつにも協力してもらおうっと。
「ねえ、あんた虫とか平気!?」
「まあ、一応は」
あたしはポンと手を打った。
よし、それなら話は早い。
「よかった。菊池の次はこいつを引っぺがすのを手伝ってほしいんだ!」
そう言ってサッと足にまとわりついてる4匹の刺客を見せると、池谷はつかの間ポカンとして、次に信じられないという表情でつぶやいた。
「オレにもフラグがまわってきた!」
そんなものはない。




