どういうことだよ
そうこうするうちに昼休みも残り僅かとなり、予鈴のチャイムに急き立てられてヒガシと別れることになった。
「じゃあな。頼んだぞ」
「わ、わかった」
結局押し切られる形で了承しちゃったけど、あくまで差し入れを届けるだけだ。厄介事に巻き込まれそうになったら全力で逃げだすことにしよう。うん。
次は体育だというのに何も準備が出来てないことを思い出してあたしだけ教室へ引き返すと、待ちわびたようにすぐさま奥野さんが近寄って来て、あたしに喋りかけてきた。
「ああ、いたいた。どこ行ってたの?」
「えっと、トイレ、とか」
ロッカーから素早く体操着を取り出しながら答える。嘘はついていないはずだ。
「なんだ。あのね、今さっき西園寺君が具合を悪くして保健室に行ったとこなのよ」
「えっ!?」
思わず手を止めて奥野さんのほうに顔を向ける。 そのまま自分でも思ってもみなかった言葉が口から飛び出した。
「あたしもお腹が痛い」
しまった、今のはかなり白々しい!
慌ててお腹を押さえて苦しげに眉根を寄せてみせると、奥野さんはちょっと笑ってからあたしも保健室に寄るよう勧めてくれた。
「体育の先生には腹痛で遅れるって伝えておくから、鈴木さんも立ち寄ってきなよ」
「あ、ありがとう。……あの、本当に痛いんだ!」
「わかってる。今度詳しいこと教えてね!」
うっ、なんか見透かされた気がする……。
失態に気づいて目を覆いたくなったけれど、それよりも今は西園寺のことのほうが気掛かりだったので、奥野さんの好意に甘えることにした。
ま、今後のことは、また改めて考えることにすればいいだろう。
体操着を机の上に放り投げて奥野さんとも廊下の途中で別れ、急ぎ早に保健室へ行くと、先客の西園寺がひとり静かに椅子に腰かけていた。
まともに向き合うのは数日ぶりだ。
こちらに気付いて目が合うと、西園寺の顔がパッと輝いて、にこやかに立ち上がった。
「来てくれると思った」
んん? あまり具合が悪そうには見えないぞ。……もしかして、
「仮病?」
「……うん。どうしても渡したい物があって一芝居打ってみた」
「ばっかじゃないの!!!」
思わず声をはりあげてしまい、慌てて口元を押さえる。
大きな声を出したら廊下のほうまで丸聞こえだ。
あたしはまず深呼吸をして昂ぶる怒りを鎮めてから、腰に両手をあてて、あきれたように言った。
「で、優等生がわざわざ仮病まで使ってまで、何を渡すつもりだったの?」
「心配掛けてごめん。教科書の間に挟んでおいた書き付けにも気付いていないようだし、こうでもしないと顔を合わせる機会がとれないと思ったんだ」
「バカ、教科書なんて必要最低限しか開かないよ! もっと頭を働かせろ!」
叱り飛ばすと、西園寺は神妙にうなずいた。
「うん。僕がうかつだったよ。それで渡したかったのはこれなんだ」
西園寺は制服の上着のポケットから小袋を取り出して、あたしへと差し出してきた。
中に見えるのは、輪切りのオレンジをチョコレートでコーティングしたお菓子。
これなんていったっけ。
「オランジェットっていうんだよ。重たいプレゼントは要らないって言ってたけど、お菓子なら気兼ねせずに受け取って貰えるかと思って、試しに作ってみたんだ」
それはまあ可愛らしくて見事な出来だった。イラっとくるぐらい。だけど見た目がいいからって、味まで良いとは限らない。
ふつふつと湧き上がる対抗心を隠して、試しに一口かじってみた。
すると口いっぱいに爽やかなオレンジの香りと、ほろ苦いチョコレートのハーモニーが広がって、あたしは驚きを隠せなかった。
な、なんだこれ、めちゃくちゃ美味いじゃねーか! はっきりいって店先に並んでいても遜色のないレベルだぞ。
あっという間に食べ尽くしてから、あたしは西園寺を問いただした。
「あんたお菓子作りが趣味だったの!?」
「いや、ぜんぜん」
「うそっ!?」
目を剥くあたしに西園寺が「気に入ってくれたのならもっと持ってくるよ」と微笑みかけてくる。
それであたしはもう、プライドがズタズタ。
だってあたしはこれでも一応、専業主婦を目指しているんだよ。それなのにこんな立派なもんを苦もなく持って来られちゃったりしたら、あたしはもう――将来は肩身の狭い思いをしながらパートにでも出るしかない――
「働きたくないでござる……」
涙があふれでた。
ぽろぽろと泣きだしたあたしを見てぎょっとした西園寺が、困惑の色を浮かべながら必死になだめてきた。
「ああ泣かないで。口に合わなかったの?」
「ちがう。あたしはこんなに美味しく出来ないからショックを受けたんだよ。クッキーひとつすら満足に作れやしないあたしは、時給780円でコキ使われる運命なんだ。悲しい……」
「よくわからないけど料理が苦手なのが辛いなら、練習して克服すればいいじゃないか」
「やってるけど上手くいかないの!」
「なら一緒に作ろうよ」
「え?」
涙が止まった。西園寺が名案とばかりに話を続ける。
「もともとその話をするつもりだったんだ。今週は誰もいないから家においでよ。菓子作りなら僕の家で思う存分挑戦すればいい」
「いいの?」
「もちろんさ。僕でよければアドバイスもするよ」
あたしは目の前がぱあっと明るくなったような気がした。
西園寺から手ほどきを受けて、ヒガシのやつをあっと言わせる。そんな光景を想像するだけでアドレナリンが上昇しまくった。
「じゃあ、お願いしちゃおうかな」
食べ終わった菓子の包み紙をポケットにしまいながら承諾すると、西園寺も笑顔で喜んだ。そうして週末の打ち合わせを始めたところでノックの音が昼下がりの保健室に響いて、担任の橋本ちゃんが入室してきた。
「んーやっぱりダメだったわ~。ご家族に電話してみたけど繋がらなかった。って、あら、どうして鈴木さんまでここにいるの?」
「あ、あたしもお腹が痛くなって来ました!」
泣き跡が真実味を帯びたのかあたしの嘘はすんなりと受け入れられた。しかし、今度は大げさにとられる事態に陥った。
養護教諭は3年生の修学旅行に付き添ってて不在のため、この場で采配をふるうのは橋本ちゃん。そしてあたしたちの嘘を真に受けた橋本ちゃんは、
「この際だから、ふたりとも病院で診てもらって来なさいな」
うげげっ。
一気にひきつったあたしを尻目に、西園寺がすばやく言った。
「どうやら一時的な不調だったようで、治まりましたので授業に復帰しようと思います。ご心配おかけしました」
「あああたしももう平気です!」
「ダメよ。期末テストも控えていることだし、ちゃんと調べてもらったほうがよいと思うわ」
「でも本当にもう」
「ダメダメ。とくに西園寺くんの家って、誰もいないんでしょ~? 夜中にぶり返しでもしたら大変!」
どうやら橋本ちゃんの中では、あたしたちを病院に連れていくことで確定してしまったようだ。これはマズい。大事になる前に、あたしはこの船から降りることにする。
「ええと、あの、あたしは病気じゃなくて……」
「あらそうなの?」
何故か残念そうな顔をした橋本ちゃんから鎮痛剤を出してもらって、あたしは解放されることとなった。
さようなら西園寺。あたしは――逃げる!
「なら鈴木さんは薬を飲んで少し横になってなさいな」
「そうします」
もの言いたげな西園寺の視線を何食わぬ顔でスルーして、あたしが室内に備え付けられている水道口からコップに水を注いで薬を飲んでいる合間に、粛々と話は進んだ。
西園寺は橋本ちゃんに付き添ってもらって、学校の裏手にあるA山病院で診てもらうこととなった。
でもこの病院、院長が倒れた際にべつの病院へ搬送先を指定した逸話があるほどヤブで有名で、うちのパパなんかは「あの病院にだけは行くな、死ぬぞ」なんて言ってた覚えがある。
だから思いとどまらせるべきか一瞬迷ったんだけど、どうせ仮病なんだしいいかと口を挟むのは控えた。
近いし待ち時間もそんなにかからないだろうから、ちょっと行って帰って来る分にはうってつけだろう、なんて考え直したからだ。
しかしこの時の判断が大間違いで、後に大いに悔やむことになる――……
翌朝。
あたしは学校に着いて早々にショッキングな知らせを受けて、ボーゼンと立ちつくした。
奥野さんから「何か聞いてない?」と訊ねられたけど、逆にこっちが聞きたいぐらいだった。
なんと西園寺が――、あの後盲腸と診断されて、すぐさま手術を受けたそうである。