もう佐川に改名すればいい
空にオレンジ色の朱が混じりはじめた夕暮れ時。
人がさばけるのを待ってから上履きを履き替えて正面玄関から外にでると、嵐のような春風が吹き荒れていた。
グラウンドの砂が強風にあおられて舞い上がり、時折こちらのほうまで吹きつけてくる。
「すごい風だね。砂埃が目に入りそうだ」
なんてのんびり構えている西園寺を尻目に、あたしは演劇部から拝借中のカツラが強風で飛ばされやしないかと内心、気が気じゃなかった。
なんと言ってもあたしは今、頭にカツラを装着中で、肩下までのロングヘアーになっているのだ。
(もう校長の頭がズレてようが絶対に笑ったりなんかしないぞ――!)
固く誓いながら頭部を押さえていると、西園寺が気まずそうに咳払いをひとつして言った。
「鈴木さん、スカートがめくれあがってるよ」
「いいの、パンツのひとつやふたつぐらい見えたところで死にやしないわ。でも髪は女の命と言うでしょ。髪が飛んでったら私は死ぬッ!」
つーか詰む。
こっちはそれどころじゃないんだよ! と必死こいてると、「もう少し慎みをもったほうがいいよ」と渋い顔でたしなめてきた。うっさいバカ。短パンはいてるからいいんだよ。
無視して歩き出そうとしたところで体が浮く。
あれ? と感じた時には、西園寺に抱き上げられていた。
西園寺はどこぞの姫のようにあたしを担ぐと、そのまま早足で校門の外に向かう。
「……お、お、お、お……」
お前いったい何するんだよ、と言いたかったが咄嗟に言い換えた。
「何をするの、下してちょうだいっっ」
「そんな姿で歩かせれるわけないでしょう。鈴木さんは思うぞんぶん頭を押さえているといいよ。僕が鈴木さんを運ぶから」
「いい。必要ないからいいッ! そうだ西園寺君ケガしてるじゃない、悪化するよっ!」
「大丈夫。手加減してたからそんなに深い傷ではない」
「ナニソレ! とにかく恥ずかしいから自分で歩く!」
部活に励んでいる生徒たちの一部が何ごとかと中断してこちらを見てくる。
元部活仲間と目が合うと、彼女はあたしの正体に気づいたようで、噴き出しながら親指を立ててきた。違う違うこれは違うからっ!
あたしが下りようとすると、西園寺のはしばみ色の目に怒りがこもった。
「ダメ。人通りがなくなるところまで連れていくよ。僕だってこんなに美味しいイベント逃したくない」
だからイベントってなんだよ!!!
そんなに運びたかったら小包でも運んでろよ馬鹿野郎、などと心の中で悪態をついているうちに周囲の喧騒は遠ざかり、閑静な住宅街まで到着した。
そこでようやく拷問から開放された。は、恥ずかしかった……。
◆ ◆ ◆
「そういえば鈴木さんの家ってどこ?」
あたしを地面に下ろして開口一番がこれである。
方角も知らないで担いだのかと怒鳴りつけたかったが、これまた面倒なことになりそうなので口をつぐんだ。
自宅場所を知られるのに抵抗があってどうしようかと迷ったけど、必要以上にウソを重ねるのも得策ではないと考えて素直に説明する。
「あの角を曲がってしばらく歩くと途中でコンビニがあるでしょ。そこから右に曲がって更に12分ぐらいかな」
実際には17分ほどかかるのだが、ほんのりと嘘を混ぜてみた。これぐらいなら構わないだろう。
ちなみにその辺にヒガシの家があるので、万が一周辺をうろつかれることがあればあいつにすべてを託す方向だ。まとわりつかれる苦悩を少しは味わうがいい。
「そっか。方角が一緒だね。よかったら――」
「あらかじめ言っておくけど、途中まででいいからね」
ビシッと宣言すると、西園寺は端正な顔を歪めてあからかさまに落胆の色をみせた。
そのしおれ具合をみて既視感が頭をもたげる。
あれ、以前にもこんな光景なかったけ――と過去の出来事がよぎったが、それはすぐさま弾けて消えうせた。
「鈴木さん」
「あ、はい」
「じゃあさ、すこし寄り道してかないか? 僕の家はすぐそこなんだ」
西園寺の住居は目の前にあった。
懐かしい思い出が蘇る、白い壁が映える趣のある洋館。
昭和初期に建てられたという歴史あるその建築物は、玄関部分や窓がアーチ型になっていて、当時としてはとてもハイカラな部類の家だったのだろう。
広い庭には落葉樹がバランスよく植えられていて、これが秋になるととても風情のある景色になるのだ。また一角には果実木もある。
(知ってるよ。いろいろ隠し置いていたら、ある日突然処分されててムカついたからな!!)
アニメなどで登場しそうな謎めいたその家は、いじめるきっかけとなった原因のひとつでもあった。
何故なら西園寺一家が引っ越してくる前はもうずいぶん長いこと空き家になっていて、あたしたち子供グループがこっそり入り浸っていた秘密基地だったからである。