っょぃ。勝てなぃ。
「さあ捕まえるのです!」
なっちゃんが現行犯のオッサンを指さすと同時に、弟たちが我先にへと庭へ飛び出していった。
だが、昨日自らが仕掛けた落とし穴にズボズボとハマっていく。こいつらはアホだろう。
そしてオッサンはビックリして硬直したものの、しかしそれは一瞬のことで、サッと身を翻して逃げていく。
向こうも必死なのだろう、中年にあるまじき俊敏な動きだった。
ああ、これはマズイぞ!
「使えない鉄砲玉ですね。かくなる上は西園寺センパイ、野球部の本気を見せてやってください!」
「ええ、僕ッ!? 入部してまだ1か月半なんだけど!」
突然の指名に目を丸くした西園寺はなっちゃんから白い球を手渡されて、困惑しながらもオッサンに投げつけた――これはオッサンの背中に見事命中した。
グシャッと白い球が割れて、臭気を放つドロッとした灰色の液体が現れた。どうやら白い球は卵だったようだ。
「田中さんのところから貰った腐った卵(有精卵)です。ちょっとやそっとじゃ落ちませんよ!」
うええっ、怖っ! しかし目印が付いたことはありがたい。
次はあたしの番だろう。よし、ここで元陸上部の俊足を披露してやるよ。
「後は任せな! 捕まえてくる!」
「待って、しずかちゃん。深追いは危険だ!」
「大丈夫、あんたは通報しといて!」
西園寺の制止を振り切って、あたしは庭へ飛び出した。
土に埋まっている弟たちを器用に避けて通って塀をよじのぼり、ジャンプして降りて一般道路に出たときにはオッサンは点になっていた。
これはマズイぞ、一気にいかないと!
あたしは距離を縮めるべく山道を全速力で駆け抜ける。
途中で山の中へ入って行かれたらどうしようかと内心焦ったが、オッサンは幸いにも無謀なことはしなかった。
いくつかの角を曲がる度に少しずつ距離が埋まっていき、とうとうオッサンに至近距離まで迫ったので、地を蹴ってオッサンへ飛び掛かった。
「とうっ!」
「うわあああ!」
不意打ちくらったオッサンはそのまま崩れ落ちてくれたので、抑えつけることに成功した。
この時点で既に体力の限界がきていたけど、もてる力を振り絞ってすかさずヘッドロックをかける。
「おっしゃ、捕獲したぞ!」
あとは誰かが来るのを待つばかりだとギリギリ締めていると、なんとオッサンの呼吸がどんどん荒くなっていく。
やばい、力を込め過ぎたのだろうか。
窒息死されたら寝覚めが悪いので少しだけ腕の力を緩めてやると、オッサンがかすれた声でつぶやいた。
「至福♡」
ひいいいっ!
またたく間に悪寒が全身を駆け巡り、あたしは思わず手を放してしまった。
するとオッサンはよろよろと立ち上がって、再び逃げていこうとする。
ど、どうしよう、捕まえないと。だけど触りたくないっっ!
相反する感情を同時に抱えてパニックになりかけていると、オッサンもあたしの動揺を嗅ぎとったみたいだ。ピタリと歩みを止めてくるりと振り返った。
「おじょうちゃん、おイタが過ぎるよ」
スクール水着を握りしめながら下品な笑みを浮かべるオッサンは、なんだかとても恐ろしかった。
(あ……どうしよう……どうしよう……)
そのまま立ち尽くすあたしを見て、オッサンがますます増長した。調子に乗ったオッサンはじりじりと間合いを詰めてくる。
(覚悟を決めないと!)
涙をこらえながら戦う構えをとったところで、後方から金切り声が聞こえてきた。
振り返ると、そこには金属バットを握りしめながら駆け寄って来るなっちゃんの姿があった。
来てくれたんだ!
「なっちゃん、よくここがわかったね!」
「卵のニオイをたどって来ましたあああぁ!」
おまえは犬かよ。
と思わず脱力しちゃったんだけど、それがいけなかった。
一瞬の隙をつかれて、気がついた時にはオッサンに両の手首をきつく掴まれていた。
しまった、油断した!
オッサンは拘束したあたしを盾にして、金属バットを構えたなっちゃんと対峙する。
「この娘がどうなってもかまわないのか!」
「かまいません!!!」
言ってなっちゃんは間髪入れずに踏み込んできた。
げえ、そこは躊躇しようよ!!!
とっさにあたしは上半身を前に折り曲げた。掴まれた手が捻じれて激痛が走ったけれど、殴りつけられるよりかはマシだ。
案の定、振り下ろされた金属バットがあたしをかすってオッサンの肩に炸裂した。
オッサンの受けた衝撃が掴まれた手からあたしにも伝わってきて、あたしはもう顔面蒼白。
(い、今の……避けなかったら思い切りあたしに当たってたよね……?)
カエルが潰れたような悲鳴をあげて尻もちをついたオッサンを、なっちゃんは尚もバシバシと攻撃し続ける。
はわわわ、ヤバイヤバイ。巻き添えくらわないようにしないと!
あたしは這う這うの体でふたりの間を抜け出して、安全な位置まで移動した。
そしてなっちゃんに向かって力の限り叫んだ。
「それ以上はダメだよ! オッサン死んじゃうって!!」
しかし、なっちゃんは高笑いをしながらあたしの警告を一蹴した。
「あははははは、心配しなくても大丈夫ですよ! ちゃんと死なないように急所は外してますし、仮に失敗しても正当防衛で通るはず。だってわたしはか弱き12歳!!!」
ひいいっ、怖すぎっっ!
よほど鬱憤が溜まっていたのだろう、なっちゃん目が完全にイッちゃってるよ。オッサン泣きながら命乞いを始めてるし、どっちが悪だかわかんなくなってきた……。
その時、ふいに肩を掴まれて誰かによって抱きすくめられた。
反射的にふりほどこうとしたけど、腕に力が入らずビクともしない。
「あ……」
顔を上げると、そこにはひどく不機嫌な顔をした西園寺が映った。
うわ、めちゃめちゃ怒ってる。
「君はどうしてそう無茶なことばかりするんだ!」
「う……ごめん」
あたしがしゅんとして謝ると西園寺は深いため息をついた。
「もう無謀なことはしないと誓ってくれ。君の姿を見失ったとき、胸がはり裂けそうになった」
「ほんとごめん……反省します……」
「頼むよ。その上通報してる合間に奈津美ちゃんまでいなくなってるし――ふたりとも何か酷いことされなかった?」
むしろオッサンのほうが酷いことになっている。
「それなら大丈夫。でも、よくここまで辿り着くことができたね」
「ああ、エンピツ転がして来たんだ」
意味がわからない。
やっぱり西園寺はおかしい。例の呪いとかだって絶対ホンモノだったに違いないよって、おっとしまった、悠長にしている場合じゃなかったんだ。
このままではオッサンが昇天してしまう!
「あんたなら手加減してもらえるはず。お願い、なっちゃんを止めて!」
「本当に無事だったんだね?」
「うん!」
あたしが大きくうなずくと、西園寺はいまも荒ぶっているなっちゃんに近づいていって、見事動きを封じてくれた。
こうして制服ドロボーはお縄となり、事件に決着が着いたのであった。




