それでも振らせない
一足遅れてあたしが玄関先に駆けつけると、なっちゃんと西園寺で押し問答をし始めていた。
以前あたしを強く抱きしめて窒息寸前にまで追い詰めた西園寺の馬鹿力は健在のようで、なっちゃんを食い止めることに成功していたんだけど、その分なっちゃんはすごくキレていた。
「離してください! 行かなきゃならないんです!」
「そんな殺気だった状態で外には出せないよ。一体どこへ向かうつもりなんだ」
「ああもうっ、殴りこみに行くんです! いたんですよ、ごくちゃんがすぐそこの路地に!」
「ごくちゃん??」
あたしと西園寺が同時に聞き返すと、なっちゃんはいまいましげにまくし立てた。
「はす向かいの、いい歳して親のすねをかじって暮らしている穀潰しのことです。さっき数年ぶりに姿を見かけたと思ったら声をかけてきたんですよ、『こんばんは』って。ああ恐ろしい、制服だって絶対あいつが盗んだに違いないです! 今から自供させてきます!」
「…………」
正直、反応に困った。
だってねえ、あいさつしてくるぐらいなら別に不自然なことではないぞ。
西園寺もあたしと同様に困惑の色を浮かべ、「根拠はそれだけかい?」となっちゃんに問いかける。
するとなっちゃんは鼻息も荒く「それだけです」とうなずいた。
なっちゃんはきっと頭がわるいはずだ。
あたしは呆れながらなっちゃんをたしなめた。
「その程度で疑って追求しにいくの? 間違ってたらどうすんの。ごくちゃんとやらはきっとすごく傷つくだろうし、なっちゃんの立場だって悪くなるよ」
「だって、働いてもないのに外をうろついてるなんておかしいじゃないですか!」
「働いてなくても外を出歩く理由なんていっぱいあるじゃん。散歩とか買い物とか、――それこそハロワとか」
「……ハロワ……」
なっちゃんはハロワという言葉に心を動かされたようだった。
「そうか、バイトなら受かるかもしれない……」とひとりごちたあとは憑き物が落ちたかのように冷静になって、あたしへ向き直った。
「そうですね、うちの父も船に無理やり乗せられるまでは職探しに苦労したんです。なのにハロワ通いの可能性を失念していました。ハロワなら仕方ない」
「わ、わかればいいんだよ。とにかくなっちゃんはその猪みたいな性格をなんとかしたほうがいいよ。本能おもむくままに突撃しまくってたら、そのうち謝罪と賠償金の支払いまみれになるよ」
「……そうですね、賠償金はまずいです。わたしもそろそろ言い逃れができない年頃になってきましたし、この性格を改めようと思います。ですが鈴木センパイ、やたらごくちゃんの肩を持ちますね……?」
不思議そうに見つめてこられて、あたしは思わず視線をそらした。
言えるわけがない、自分の将来を見ているようだからだなんて――……
「さあ、落ち着いたら部屋に戻ろう」
そこで西園寺が助け舟をだしてくれて、あたしたちは再び和室へと戻った。
部屋ではなっちゃんの弟たちが戦の準備をし始めていて、武装解除を求めると、弟たちはおのおの道具を片付けだした。
あたしの場合ケンカのときは腹にノートを巻きつけるのがセオリーなんだけど、彼らは布団を巻きつけていた。どうやら盾要員だったようだ。
そんななか、なっちゃんが思い出したように手をポンと打った。
「ああ、そろそろ晩御飯の支度をしなくちゃ」
それと同時にあたしのお腹もぐう、と鳴った。
うっ、このタイミングは恥ずかしい……。
「鈴木センパイ達も食べていかれますか? 覗きこんだら顔が映るぐらいの薄いお粥しか出せませんが……」
「いやいいよ我慢する。いい加減痩せないとヤバいって思ってたところだし」
「しずかちゃん、もしかしてダイエットを考えていたりする?」
西園寺が会話に割り込んできた。あたしはムッとしながら答える。
「当然。こないだあんたに餌付けされて肥えた分がまだ戻せてないんだよ」
「それなら大丈夫。全然太ってないから、減量する必要性なんて全くないよ」
「うそこけ、服のサイズが変わったんだぞ!」
「ほんとだって。今でも十分細いしとっても可愛い!」
「…………」
(もしかしてこいつ、昔騙して太らせたことを根にもってて仕返しするつもりなんじゃ……?)
その手には乗らないぞと身構えたところで、今度はなっちゃんがこれみよがしに舌打ちしてきた。
「わたしをそっちのけでふたりの世界に入らないでください。これ以上見せつけてくるなら塩を撒いて追い払いますよ」
「な、なに言ってんだよ。べつに見せつけてなんかないし! 今のは口論!」
「ならいいです。撒く塩も惜しいですからね。ところでまだ帰られないんですよね?」
「う、うん。まだいるよ」
あたしは頷く。
いつの間にか外は真っ暗になっていたけど、このまま帰るのもはばかれる。あともう少しだけいよう……。
するとなっちゃんは「先にこちらを済ませましょう」とおもむろにタンスからタオルの束を取り出してきて、なにをするかと思いきやそれを1枚ずつ配りはじめた。
なんだこれ??
あたしの手元にも渡ってきた、漢字が沢山書き殴ってあるタオルを見つめながら首をかしげていると、なっちゃん一家は部屋の中央に集まりタオルをぶんぶん振り回しだした。
そして指揮者のなっちゃんはカウボーイの真似ごとのみならず九字切りまで始めて、それは傍から見ると異様な光景だった。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前……、わたしたちはぁ負けない!!」
「負けない!!!」(×4)
「ナウマク、サンマンダ、バザラダン、カン……、来るなーぁら来い!!」
「来い!!!」(×4)
部屋にとどろく大合唱に、あたしと西園寺はポカンと立ち尽くすほかない。
「……何やってんの?」
狂ったか??
なっちゃんたちの頭を本気で心配しながら声をかけると、なっちゃんは顔だけこちらに向けてとんでもないことをのたまった。
「見ての通り除霊です。この家はいわくつきの格安物件なので夜になると出てくるんですよ、お化けが」
「えええええっ!?」
びっくりして思わず叫んでしまったあたしを、なっちゃんが一笑する。
「うちの貧乏暮らしを見ておきながら今さらなに驚いてるんですか。そうでもなければ一軒家になんて住めませんよ。素直に市営住宅に移ります」
まあ、たしかに。
あたしが納得して黙ったところで、深刻な顔をした西園寺がなっちゃんに詰め寄った。
「これを振り回せばいいの?」
しまったこいつはオカルト野郎だった!!!
どうやら西園寺はお化けと聞いて何かのスイッチが入ってしまったらしい。なっちゃんの心霊話に熱心に耳を傾けちゅうちょなく輪に加わろうとし出したので、あたしは慌てて引きとめた。
「あんた一振りでも真似したらその場で縁切るからね!」
「ええっ、どうして!?」
「どうしてもこうしても! とにかく嫌なんだよっ!」
奇声をあげながらタオルを振る彼氏なんて御免こうむりたい。なんて頭を抱えているうちに――どこからかラップ音と女の人っぽい哄笑が聞こえてきて――これはヤバイと恐怖を感じたあたしは、半泣きになりながらその日は逃げ帰ることにしたのだった。




