手痛い出費だったドン!
動くなら早いほうがいい。
というわけで、その日の夕方、部活を休んだ西園寺と校門の外で合流してなっちゃんに会いに向かった。
なっちゃんの家は、あたしたちの住居とは間逆の、山がある方面だった。先輩から用意されたという走り書きの地図を片手に、雑談を交わしながら緑豊かな坂道をしばらく歩いてると、今にも朽ち果てそうな平屋建ての一軒家が見えてくる。
古びた民家が立ち並ぶなかでもその家は異質だった。
「ここかな?」
あたしが指をさしながら言うと、横に並ぶ西園寺がうなずいた。
「おそらく。表札が見当たらないけど、“いつ倒壊してもおかしくないほどのボロ屋”とメモに書かれてあるから、まずここで間違いないだろうね」
(こんな家あったんだ。昔のあたしだったら、空き家だと勘違いして嬉々として侵入してるよ、これ)
インターホンもなかったので、錆びついた鉄製ドアをドンドンたたく。
ここを開けるんだドン! いるのはわかってんだドンッ!
リズムに合わせて辛抱強くたたき続けてると、ガチャリと音がして、ドアがゆっくりと開いた。ほんの5センチぐらい。
「いい加減にしてください。それ以上たたくと扉が壊れてしまいます!」
「フルコンボだドン! なっちゃん、聞こえてんならとっとと出てきてよ」
目もとだけ見えた、怒りのなっちゃんに向かってすばやく言った。
なっちゃんはあたしの訪問に驚いたようだ。
「鈴木センパイ? どうしてここに……。尻を拭いたら血が出てくるトイレットペーパー1個しか置いていかない新聞の勧誘かと思って無視していました」
「……。(ツッコミ返しにくいな)そ、それはそうと学校ズル休みしてるって聞いてさ。西園寺と一緒に様子を見にきたんだ」
すると、なっちゃんは後ろに控えていた西園寺に初めて気づいた様子で、
「西園寺センパイも!? やだ、こんなボロ屋に恥ずかしいっっ」
バタンと勢いよくドアを閉じてしまった。
おいおい、まだ話は全然終わってないんだけど……。
そこで西園寺が慌てて「奈津美ちゃん、出てきて!」とドアをノックする。
ふーん、奈津美ちゃんって呼んでるんだ。なにその親しげな呼び方。なんかムカツク……。
「ちょっとそこ退いて。邪魔」
いらいらしながら、西園寺の服の袖をひっぱった。
ドアの前からどいた西園寺は、険しい表情のあたしが何かしでかすと思ったんだろう。心配そうに訊ねてきた。
「まさか、ドアを蹴破るつもり? それはやめておいたほうがいい」
「そんなんじゃないよ。こんなこともあろうかと、ちゃんと対策練ってきたんだ」
努めて冷静に返すと、ポケットから小銭入れを取りだして、中身を豪快にバラまく。
チャリンチャリンと小銭が雑草だらけの路面に散らばる音とともに、勢いよくドアが開いた。
「今、100円玉2枚と、10円玉17枚の落ちた音がしました」
よし、引っかかった。
そうとうなビンボーだと聞いていたから、小銭の音でも聞かせりゃ飛び出して来るかと思ったら、ビンゴだった。
ただ硬貨の種類と枚数まで聞き分けられるなんて、一体どんな耳してんだろ。まあこちらとしては都合がいいんだけどさ。
「1割! 1割!」と口走りながら、地べたに這いつくばるようにして小銭を拾い集めてるなっちゃんを見下ろしながら、あたしはにっこりと微笑んだ。
「それ全部あげるから家の中に入れてよ」
◆ ◆ ◆
こうしてあたしたちは見事なっちゃん宅に潜入成功した。
「ほらね、あたしは役に立つでしょ?」
後ろに続く西園寺に、作戦が成功したことを得意げに告げると、西園寺はげんなりしながら首をふった。
「信じられない。370円でドヤ顔するしずかちゃんも、それにつられる奈津美ちゃんもありえない」
どうやら羽振りのいい坊っちゃんには、小遣いが少ない女子中学生や、生活苦にあえいでいる女子中学生の気持ちなんてものはわからないらしい。
ふんだ。あんたもいつかお金に苦労するがいいよ。
なっちゃんの家は、以前なっちゃんが言っていた通り、本当に狭かった。
玄関を開けたらすぐさま小さな台所があり、そしてその先には畳の部屋が見えて、たぶんここがなっちゃんの寝泊りしている場所だろう。部屋の隅に布団が積みあがっていた。
玄関には男物の靴が散乱していて、なっちゃんはそれらの靴を豪快に蹴っ飛ばして空間をつくった。
「どうぞ」と言われたので自分の靴を置いて部屋にあがると、朽ち果てそうな外観を裏切らない古びた室内には、家具がほとんど見当たらない。
そこになっちゃんの弟らしき小さな男の子が4人寄せ集まって、薄明かりの中、黙々と造花作りをしていた。
(なんて物悲しい光景なんだろう……)
あたしがいたたまれない気持ちになっていると、なっちゃんが男の子たちに歩み寄って合図をするかのようにパンパンと手をたたいた。
「弟を紹介します。ほらイチロー(10)、ジロー(10)、サブロー(7)、シロウ(5)。手をとめてこっちにいらっしゃい」
名前を呼ばれた小さな男の子たちは、顔を上げてこちらを見るなり顔をパッと輝かせた。
「わっ、お姫様と王子様だっ!」
おっ……。
王子様ってのはなんとなくわかるんだけど、お姫様って誰のことだよッッ!?
あたしがあんぐりと口を開けてかたまっていると、男の子たちはぐるりとあたしを囲んで「高貴で知的な香りがする!」「なんて綺麗なんだ!」などと更にハードルを上げるようなことをまくしたてる。
もうカンベンしてくれ。
小さな男の子たちの無邪気な口撃に気圧されてたじたじになっていると、なっちゃんがかるく頭を下げてきた。
「気に障ったようならすみません。この子たちは本能で上流階級の人間を嗅ぎ分けられるので、おふたりを見て興奮してるんです」
「上流階級って……うちは別にたいしたことないよ」
「いえ、謙遜したって、極貧生活のわたし達からしたら立派なブルジョワです。ところで西園寺センパイ、さっきからだんまりしてますけど、どうなさったんですか!?」
「……いや、なんか凄まじいなと……」
それっきり口を閉じてしまう。
風変わりな西園寺にとってもこの家はカルチャーショックだったようだ。
変態を凌駕する貧困、恐ろしい。
いけない。このままでは、なっちゃん一家のペースにのまれて時間だけが無駄に過ぎてく。いつまで経っても、本題にはいれないじゃないか。
あたしは腕や腹にまとわりついてくる小さな男の子たちを無視して、なっちゃんに視線を向けた。どうでもいいけど、この姉弟は顔立ちがよく似ている。
「ねえ。そんなことよりもさ、なっちゃんはどうして学校に来ないの?」
まだろっこしいのは苦手なので直球で訊ねると、なっちゃんは途端に顔を曇らせた。
「それは……言えません」
「教えてよ。もしかして誰かにイジメられた!?」
「そんなのではありません。イジメてこようものなら10倍返しにしてやります」
「じゃあなんなの!? なっちゃんが来なくなってみんな心配してるんだよ!!」
煮え切らない態度に痺れを切らして詰め寄ると、なっちゃんはとうとう泣き出してしまった。
「わたしだって……わたしだってそりゃ行きたいですよ、給食は数少ない楽しみのひとつなんですから。でも、無理なんです。だって、1枚しかない夏のセーラー服を盗まれてしまったんだもの!」




