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あの頃を思い出す  ~前編~

 そいつはあたしが小学4年生に進級したと同時にひょっこりと教室に現れた。


 名前は西園寺聖司。


 後にあたしと大きく揉めることになる西園寺は、ふっくらとした健康的な頬に、長い睫毛にふちどられた大きな目をしており、この時点ではとても愛らしかった。この時では、まだ。

 

「はじめまして、西園寺聖司です。よろしくお願いしまぁっす!」


 西園寺が小さな体を折り曲げてぺこりと頭を下げると、隣に立つひっつめ髪の女教師が、黒縁眼鏡を鼻の上でちょっと押し上げながら話を続ける。


「みんな仲良くしてあげてね。席は――そうね、鈴木さん。ちょうど貴女の隣が空いていたわね。西園寺くんに色々と教えてあげて」


 うげ。

 一番後ろの席で独り気楽に過ごしていたあたしは突然の指名に顔をしかめた。

 また面倒なことを押し付けてきたな、と思った。

 当時の担任のこの女教師は、あたしのことが気に食わないらしくて、事あるごとに叱り飛ばしてきたりとやたら目の敵にしていたのである。

 またあたしもその頃は鈴木王朝絶頂期を迎えとくに気が強い時期だったので、軋轢がハンパなかった。

 この時ももちろん、あたしを困らせようというみえみえの意図に反発した。

 自然に西園寺に対しても刺々しくなる。


「おいチビ。くれぐれも俺に迷惑かけるんじゃねーぞ」

「うん! ところでおにいさんは、どうしてこのクラスにいるの? 留年したの?」


 殴った。

 ゲンコツくらった西園寺は不機嫌なあたしを見ておっかなそうにしていたが、別に好かれようとも思っていなかったので、それでいいと思った。

 何か面倒そうなタイプだし関わり合いになるのは御免だった。

 だけど――運命とは皮肉なもので、あたしは否応なしに巻き込まれていくことになる。



 まず学校から帰って秘密基地に足を向けると、隠しておいた宝物が全部処分されていて愕然とした。

 空き家だったはずの家には、『西園寺』という真新しい表札がかかっていた。



 更に数日後、体育の授業の際にそれは起こった。

 どんくさい西園寺は、マラソン途中で転倒してビービー泣きだしたのである。

 そして当時クラスで一番背が高く、保健係でもあったあたしにお鉢がまわってきた。

 体育教師から西園寺を保健室まで連れて行くようにと指示がでて、内心舌打ちしながらグラウンドで座り込んでいる西園寺に近づき、言われたとおりに保健室へと促す。


「おい、歩けるかチビ」

「ぐすっ。む…むり……血を見てたら頭までクラクラしてきちゃった……」


 西園寺は転んだはずみで右膝の部分をざっくりと切っておった。傷口から血が滴り落ちて結構痛そうだ。本人もぐずりながらもう一歩も歩けないという。


「しっかたねーなぁ。ほら、運んでやるから、俺の首に腕をまわしな」

「あ、ありがとう……ぐすっ」


 あたしは横抱きに西園寺を持ち上げて、よろよろと校舎に向かう。

 チビのくせして西園寺は意外と重たかった。


「くっ……こんなことなら走ってたほうがマシだった」

「ご、ごめんねぇ」


 西園寺は拝むように謝ってきた。

 おいっ、勝手に手ぇほどいてんじゃねーよ、バランス崩れるだろうが!

 そう思ったのもつかの間、案の定あたしは支えきれなくなって西園寺もろとも崩れ落ちてしまう。

 はずみで一瞬だけ唇が重なってしまった。

 うへぁ。

 ほんの数秒とはいえ、こんなのとキスしてしまった。最悪……。

 ま、いいや。これは単なる事故だ。なかったことにしよう。

 そう思い直し、何事もなかったかのように再度西園寺を持ち上げようとしたのだが――西園寺は違っていた。

 まんまるになった目をキラキラさせて、ほほを紅潮させながら、


「キス、しちゃったぁ……!」


と、まるで乙女のように可愛らしくつぶやいた。


「僕もうお嫁にいけないかも」

「お前は貰うほうだろーが!」 

 

 西園寺のボケにあたしがすかさずツッコミを入れると、西園寺は素直にうなずく。


「そうだね、僕ももらうほうがいいや。ねぇしずかちゃん、お嫁にきてくれる?」

「は?」

「僕ね、今の衝撃でしずかちゃんに恋しちゃった♡」

「なっ……なにトチ狂ってんだよ。転んで頭がイカれたのかッ!?」

「僕は正気だよ。あのね、はじめてしずかちゃんを見たときに心臓がドキドキしたんだ。それはおっかない人だからだと思ってた。でも違った。これは恋だったんだ!!」


 あたしはもう、その瞬間から鳥肌がたちまくってドン引き。

 持ち上げ直した西園寺を落とさないのが不思議なくらい硬直した。

 そこに異変を感じたヒガシが「どうしたん?」と駆け寄ってきた。

 大丈夫、なんでもないから、とヒガシを追い払って、またおかしなことを口走ろうとする西園寺に頭突きを食らわして黙らせた後、あたしは急ぎ早に保健室へと直行した。

 今度はすんなりと運べた。火事場の馬鹿力とはよくいったもんだ。


 そして保健室に入ると、室内はガランと静まり返っていた。

 保健医は、あいにく席を外している最中だった。

 くそっ、ついてない。とっととこいつを引き渡して立ち去ろうとしていたのに……。

 仕方なくベッドまで歩いていって、シーツの上にごろんと西園寺を落とす。


「今傷口の手当てをしてやるから、そこでじっとしてろよな」

「う、うん」


 先程のハイテンションとは一転、西園寺はおとなしかった。頭突きが効いたのかもしれない。

 あたしは戸棚の中からいくつかの薬品を取り出して、手際よく傷の手当てを済ませる。こういった作業は慣れているので朝飯前だ。


「まだ痛むか?」

「うん。でも頭のほうが痛い……」

「そうか。ならちょっと寝ておけ。じゃあもう俺は行くから」

「待ってぇ。ひとりは怖いよぉ……」

「あーもうっ、しゃーねーな。先生が戻ってくるまでついててやらぁ」


 再びぐずりだした西園寺の頭をしばらく撫でてやって寝かしつけると、もういいだろうと仕切りカーテンを閉めて西園寺のそばから離れ、窓際にそっと歩み寄った。


 窓から覗く校庭は、 春のうららかな日差しに包まれていた。

 その中をクラスメイト達が必死こいて走っているのが遠目に見える。


(あーあ、あのまま走ってたら1位とれてただろうにな)


 なんて心の中でぼやいていると、背後で扉が開く音がした。

 振り返ると、保健医が戻ってきたところだった。


「あら鈴木さん、どうしたの?」

「うん。怪我人を運んできたんだ。頭痛までしてきたって言う話だったから、手当てしてベッドに寝かしてつけてある」


 そう言ってあたしはカーテンで遮られた方角を指差す。

 保健医はおだやかな笑みを浮かべた。


「そうなの、ありがとうね。今から授業に戻ってもすぐに鐘がなっちゃうだろうし、せっかくだからここでゆっくりして行きなさい。また先生とお話しよう」

「うん、そうするつもり!」


 あたしはこの仏顔の保健医が大好きだった。当時の担任とは大違いで、包容力があって優しかったから。

 この先生とおしゃべりしたくて保健係に立候補したぐらい。

 しかしその保健医は、今日に限って無茶振りをしてきた。


「そうだわ。先日はおめでとう」


 うへっ。

 よりにもよってこんな時にその話題かよ。

 焦りながらすかさず横目でカーテンの方角を窺う。

 耳を澄ませてみたが物音ひとつしない。きっともう熟睡中なのだろう。

 よ、よかった。

 ホッとため息をついてから、あたしは下を向いて小さな声で保健医との雑談を続けた。

 何度も言うがあたしはこの保健医が好きだった。慕っていた。

 そうしてしばらく語らってると、授業が終わる鐘が聞こえてきた。

 ようやくこの居心地の悪い空間からオサラバできると、あたしは胸を撫で下ろした。


「じゃ、俺はもう教室に帰ります」

「そうね。先生とのおしゃべりに付き合ってくれてありがとうね」

「いえ…」

「そうだわ、あの子の様子もみてみないと。ねぇ西園寺クン、調子はどう?」


 保健医が仕切りカーテンをシャッと開けると、すぐさま返事が返ってきた。


「えへへ、僕はもうだいじょうぶですっ!」


 西園寺は起きていた。

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