涙もひっこんだ
「う、うそだ!」
「本当だよ。君なんか嫌いだ」
「――――ッ!」
そっけない声に、あたしはショックで力が抜けてその場に座り込んだ。
自分の考えの甘さを痛感した。
正直、今まで心のどこかに余裕のようなものがあったんだと思う。ほんとはあたしのこと嫌いじゃないって。周りが言うように好いてくれてるって。それが見事に打ち砕かれて、ただただ悲しかった。
目が熱い。好きな相手に嫌われるのがこんなにも辛いことだとは思いもしなかった。
…………。
そっか。あたし、いつの間にか西園寺のことが好きになってたんだ。
いつからそうなっていたのかはわからないけど、ここ数日間モヤモヤしていた気持ちにようやく説明がついた。だけど、同時に失恋も決定した。
「……うくっ」
ポタポタと、しずくが膝の上に落ちていく。
あたしが声を殺して泣いていると、西園寺もしゃがみこんできた。
戸惑ったようにあたしの顔を覗きこまれて慌てて袖口で涙を拭うと、「涙はハンカチで拭くものではなかったの」と指摘してくる。いつぞやのあたしのセリフを覚えていたらしい。声は先程と違って柔らかかった。
「ハンカチなんて持ってきてないもん」
あたしが情けない声をあげると、西園寺は制服のポケットからハンカチを取り出して無言で差し出してきたので、ありがたく受け取って涙を拭った。
たぶんあたしの顔は今とてもヒドイことになっているだろうな。
「ありがとう。後で洗って返すね」
「いいよ、べつに」
「ううん、それぐらいはさせて。ねぇ、いつ向こうに行くの?」
「とりあえず明日の球技大会が終わったら話をつけようと思っている」
「そっか。寂しくなるな……」
寂しいどころじゃない。これで接点がなくなると思うと胸が潰れそうに苦しい。泣き叫んで「行かないで」とすがりたかった。けれども、そうしたところで西園寺にとって負担にしかならないだろう。
ならばせめて笑顔で見送りたい。
(ごめんなっちゃん、やっぱりあたしには無理だったわ……)
心の中で謝りながらあたしは今できる精一杯の笑顔をつくって西園寺に言った。
「ならさ、あたしのことなんか忘れていいから向こうでちゃんと幸せになってよ。それは約束して」
「…………」
返事が返ってこないので慌てて補足する。
「ああ、誤解しないで。べつに責任逃れがしたくてこんなこと言ってんじゃないよ。そうじゃなくてさ、あんた結構苦労してるって話じゃん。だから報われてほしいの。向こうに帰るのなら、あたしのことなんか振り返る暇がないぐらい沢山好きなことをやって、幸せになってほしいんだよね。今のはそういう意味で言ってんの」
「…………うん」
ようやく相づちが返ってきてホッと胸を撫で下ろす。
上手く説明できたかはわからないけど、とりあえず気持ちは伝わったようだ。
あたしが口を閉ざすと倉庫内には奇妙な沈黙で満ちた。
西園寺はというと先程からずっと不思議そうにあたしを見つめてきていた。しばらくじっと目を合わせていたけど、あたしのほうが息苦しさに耐えられなくなって先に視線を逸らした。
き、気まずい。
もう少し一緒にいたかったけれど、そろそろ解放してあげるべきかもしれない。もうとっくに授業中だろうけど、今ならなんとか言い訳もきくだろうし。
そう思ってあたしは明るい声を張り上げた。
「さてと。話はもうおしまい。行っていいよ」
「君はどうするの?」
あたしが立ち上がらないことを指摘してきたので、ああ、鼻をすすりながら頷いた。
「こんな顔だからさ、もうちょっとここで時間を潰してから行くよ。あんたは先に戻ってていいよ」
「だけど……」
「いいからいいから。早く行って!」
急き立てると、西園寺はのたのたと扉に向かった。
カチャカチャと鍵をこじ開ける音がして、あたしは再び涙がこみ上げてくる。
やっぱり、悲しい!
「あの……」
咄嗟に西園寺の背中に声をかけていた。
自分で急かしておきながら呼び止めるってどうなのよ、と思いながらも、そういえば大事なことを伝えてなかったことに気づいた。
好きだっていう気持ち。
これが最後のチャンスになるかもしれないから、ちゃんと伝えておかないと。
よし、言うぞ。
「あんたは嫌いでも、あたしは好きだから」
振り返った西園寺の目は見開いていた。相当驚いているようで、信じられないといった様子でまじまじとこちらを見てくる。
うっ……、そんなに予想外だったのだろうか。
あたしは急にぶわっと恥ずかしさが込み上げてきて、思わず手で顔を覆った。
「が、柄じゃないのはわかってんだよ。自分でも一体どうしちゃったんだろうって思うし……。あ、あの、迷惑だったらごめん。今のはもちろん流しちゃっていいから……」
「今の、もう一回言ってみて」
「へ?」
「僕がなんだって?」
「……好き」
「もう一回」
「好き」
「もう一回」
「好き」
「もう一回」
「好き」
「もう一回」
「好き」
「もう一回」
「好き」
「もう一回」
「好き」
「もう一回」
「好き」
「もう一回」
「好き」
「もう一回」
「好き」
「もう一回」
「好き」
「もう一回」
「…………」
だーっ! もう、しつこいっ!
何回言わせりゃ気が済むんだといい加減ウザくなって食ってかかろうとしたとたん、いきなり西園寺に抱きつかれた。
え? え?
視界が反転してあたしは呆然。その間にもぎゅうぎゅう西園寺は抱きしめる。ちょっと何これ、何がどーなってんの!?
「本当に……本当に僕のことが好きなの? LIKEとかでなくLOVEで」
「う、うん。LOVEで好き」
答えた瞬間、首筋に熱を感じた。ひいっ、キ、キスされた!
「ちょっと待って、あんたあたしのこと嫌いって言ってたじゃん。なんなのこれ。なんで抱きしめたりキスまでしてくんのさ」
あたしが暴れると、西園寺は声をたてて笑い、少しだけ腕の力を緩めた。そして笑顔で言う。
「しずかちゃんなんて嫌いだよ。だって僕がどんなに好きだと言っても相手にしてくれないどころか、罠にハメまくってきたじゃないか!!」
「え……?」
あたしはしばらくの間ポカンとして――背中に冷たいものが伝い落ちた。
「あ……あ……」
思い出した。思い出したぞ!
記憶のいちばん底に厳重に封印していた過去を。
何で今まで思い出せなかったのか不思議なくらい、そこの部分だけ都合よく忘れていた。
きっと、それだけ嫌だったんだと思う。あのいまいましい日々が。




