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イヤイヤしてもダメだ

 更に時が流れて数十分後。ようやくママが保健室に到着した。


「ごめんね、診察券を探していたら遅くなっちゃった。体は大丈夫?」

「うん。平気平気」


 開口一番に怒られると覚悟してたけど、思いのほか優しい口調だったのでホッとした。ま、家に帰ってからが本番なのかもしれないが。

 あたしがベッドから起き上がってカバンを手に取ろうとすると、「ママが持つわ」と言ってくれたので素直に甘えてみる。

 橋本ちゃんに挨拶を済ませてから保健室を退室し、ふたりでゆっくりと歩いて部活に励む生徒達を横目に校門を出たところで、後ろから呼び声がかかった。


「鈴木センパイ、待ってください!」


 驚いて振り返ると、なっちゃんが沈みかけた夕日を背にして小走りでこちらに駆け寄ってくるところであった。

 あたしのそばまでやって来たなっちゃんは、軽く息を切らせながらとつとつと先程の無礼を詫びてくる。

 よほど叱られたのだろう、目には涙の跡がみてとれた。

 そんで今までの印象が悪すぎていい顔はしたくなかったんだけど、泣き腫らした顔を見てしまったからには、あたしもあんまり強くは出れない。

 気がついたら「あたしも悪かったしお互い様でいいよ」と口走って、先程西園寺にしたように手を振って追い払っていた。

 マシンガントークのママがさっきからだんまりと観察してるし、気まずいったらありゃしない。

 もうとっととタクシーに乗ってしまおうとママの袖をぎゅっとつかんで促したところで、「待ってください」と再び制止の声がかかった。なんなんだよもう。


「なにまだ用があるの? もう詫びはいらないよ」

「違うんです、そうじゃなくて、西園寺センパイのことでお願いがあるんです」

「へ? またしても西園寺に近づくなって言いたいの?」

「そういうことでもないんです。あの、引き止めて欲しいんです。西園寺センパイまた転校するって言うから」

「はいィ!?」


 思いも及ばなかったなっちゃんの言葉に、あたしは面を食らった。

 な、なんだそれ……どういうことだってばよ。

 暫くその場を動けずに困惑していると、ママが身を乗り出して聞き耳をたてていたので、あたしは慌ててママの背中をタクシーの方へと押しやった。


「ママは先に乗ってて」

「男の子の取り合いをしてるんでしょ? ママも聞きたい」

「ダメ! これは内緒の話なんだから!」


 茶化さないで、と真剣な目で言うと、のんびりしていたママもにわかに真面目な顔つきになって、じゃあこの場は我慢する、とうなずいた。

 そしてあたしの目をじいっと見つめながら、


「いいわ、話し合ってきなさい。でもね、しぃちゃん、覚えておいてほしいことがあるの」

「何?」

「タクシーのメーターのことを忘れないで」

「わ、わかった」


 こりゃ大変だ。校門の前に待たせてあったタクシーにママが乗り込んだのを見届けてから、あたしは素早くなっちゃんに向き直った。


「というワケで手短かにお願い。西園寺が転校するってどういうこと? あいつはこっちに帰ってきたばかりなんだよ」

「はい。実はさっき西園寺センパイから部の備品を勝手に持ち出したことと、人に向けてバットを振り回したことを叱られちゃったんです。その時につい西園寺センパイの為にしたことだと反論したら、『そんなことなら僕はこの学校から去る』って……しくじりました」


 目を伏せながら喋るなっちゃんは辛そうだった。

 でもあたしはあたしでまだ半信半疑でいた。だってフツーそんなに簡単に転校を繰り返したりはできんだろ。

 そう思ってそのことを指摘すると、なっちゃんは首を横に振った。


「鈴木センパイは、西園寺センパイの家庭事情をご存知ですか?」

「知らない」

「西園寺センパイのお母さまは亡くなられているんです」

「は?」

「そしてお父さまのほうは新しい家庭にしか関心がなくて、東京で暮らしているそうなんです。こちらに戻って来たのは自分のワガママで、だから戻るのはたやすいことだと」

「待って、ちょっと待って!」


 思わず遮った。

 あたしの頭の中は今度こそ本当にパニックだった。突然そんな重い話をされたってますます信じられないし、第一に以前あたしが西園寺の家に押しかけた時にちゃんと「両親はいない」って言ってたぞ。だから――

 そこまで考えて、ハッとした。

 もしや、「いない」とはそういう意味だったんだろうか!?

 じゃあなんだ、西園寺はあんなに広い家に子供だけで暮らしているってこと!?

 年の離れたお兄さんはいるって話だったけど、でも――たとえ兄がいたって親がいないのは辛いことだろう。ならばあたしが今までしてきたことは……。


「……どうしよう、あたし、知らない間にたくさん傷つけていた……」


 ぽろぽろと、涙がこぼれた。

 やたらと幽霊の存在を信じていたのは、そういう背景があったからなのか。

 事情を知らなかったとはいえ、ずいぶんと無神経な嘘を重ねていた気がする。そりゃ西園寺が怒るのも当然だろう。

 どうしよう、どうやって謝ったらいいんだろう。

 途方に暮れて立ち尽くしていると、なっちゃんがあたしの腕をとってゆさぶってきた。


「お願いします。東京に行かないように説得して引きとめてください!!」

「なっちゃん……あたしには無理だよ……そんな資格はないもん」

「いいえ。鈴木センパイならきっとできます。悔しいけど、鈴木センパイのことが本当に好きなみたいだから。戻ると決めたのだって、鈴木センパイ絡みのことでなんです」

「でも……」

「お願いします。後生です。そうじゃないと東京なんかに行かれたらわたし……わたしの玉の輿の夢が完全に潰えてしまう……っ!」


 なっちゃんの本音が垣間見えた瞬間だった。


「なっちゃん……なっちゃんは西園寺の財産が目当てだったんだね……」


 あたしが手の甲で涙を拭いながら非難の眼差しを向けると、なっちゃんは口の端をつりあげて笑った。


「いけませんか? まぁ、いかにも温室育ちといった鈴木センパイにはわたしの気持ちなんてわかりやしないでしょうけどね。……うちはね、とても狭くて貧乏なんです」

「……そうなの?」

「ええ。6畳一間に、弟4人とすし詰め状態で暮らしてるんです」

「なっ……!」


 それは厳しすぎる。ひとり1畳かそこらしかない。

 あたしが「そんなんでどうやって寝ているの?」と問うと、なっちゃんはいっそう唇を歪めて、「蹴り飛ばして寝ています」と答えた。

 そして挑むようにあたしを見据えながら言った。


「こんな生活をしているとやはりお金が第一になってしまうんですよ。だから西園寺センパイの住んでいる家が別荘のひとつだと話のはずみで知った時、これは運命だと感じたんです。ああこの人こそが、わたしを隙間だらけの我が家(築35年)から救い出してくれる白馬に乗った王子様だって。――ねぇ、こんなわたしは間違っていますか!?」

「なっちゃん……」


 そこまで言われるともう何も言えなかった。

 これ以上とやかく言うのも野暮だろう、何故ならあたしもまた専業主婦を目指している身だから――


「わかった。できるかどうかは分からないけど頑張って説得してみるよ」


 気がつけばポロリと口からこぼれでていた。

 途端になっちゃんの目に輝きが戻った。


「本当ですか!? ありがとうございます、ありがとうございます。よっしゃ、これでわたしにもまだチャンスがあるっ!」


 バンザイしながらはしゃいでいるなっちゃんを見て、あたしもこのえげつなさを見習おうと思った。

 そうだ、遠慮なんてするもんか。あたしは別に善い子ちゃんでもなんでもないんだもん。どんな手を使ったって引き止めてみせる!

 西園寺、今更あたしの前から姿を消そうだなんて、そんなの絶対に許さないよ。こんなあたしが好きだと言うのならそばにいてよ――


 そこであたしは改めてなっちゃんに目を向けた。

 ちょっとクギを刺しておかないといけないと思ったのだ。

 あたしはきっぱりと告げる。


「喜んでるところに悪いけど、西園寺は渡さないよ。なっちゃんは――玉の輿は諦めてサマージャンボでも買いな!」


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