笑顔がやべーよ
週始めの月曜日。
あたしは重い足取りで家を出た。
西園寺やヒガシとの気まずい一件があって、本当は学校に行きたくなかったんだけど、ここでズル休みをしたらダメだと思って気力を振り絞った。
それで学校に着いたら、ヒガシが昨日の出来事なんてなかったかのようにフツーに話しかけてきて、拍子抜けくらった。
どうやらちょっと気構えすぎてたみたい。自意識過剰で恥ずかしい。
でも西園寺は相変わらず氷の空気をまとっていて、あたしのことをガン無視。
おはようって挨拶しても、うんともすんとも言いやしない。
あげく休憩時間になるとすぐさま席を立ってどこかに行っちゃうもんで、もう一度ちゃんと話し合う機会になかなか恵まれなかった。
で、意識してじっくりと西園寺を観察してみると、西園寺って決して群れて行動するタイプではないんだけど、声をかけられることが多いのだ。
とくに他のクラスの女子から慕われていて、廊下とかで見かけても大抵誰かといるので隙がない。
今までほっといても向こうから近づいてきてたんで、こんなに苦労することに全然気づかなかった。
あたしってとことん優遇されていたんだなぁ、なんてしみじみと思いながら、割り込む度胸もないので少し離れた廊下の隅で西園寺が話し終わるのを待っていると、そのまま去って行かれてしまった。
あ、あいつめ、今わざと無視していきやがったな。むっかつく!
◆ ◆ ◆
「なんであの時ぶってくれなかったんだろ…」
「鈴木さん、その発言はあらぬ誤解を受けるわよ」
奥野さんから苦笑気味にツッコミされてハタと我に返る。
いけね、またぼんやりしていたようだ。
時は放課後。球技大会を間近に控えて帰宅部のあたしが黙々とシュートの練習をしていると、奥野さんがひょっこりと現れて練習に付き合ってくれるという。そして現在に至る。
彼女は手芸部に所属しているので、この後もう少ししたら家庭科室に向かわなくちゃならないんだけど、種目も違うのに(彼女はドッジボールを選択してた)わざわざ一人で練習するのは寂しいでしょ、と声をかけてくれたのである。
本音をいうと別に平気だったりするんだけど、気遣いがうれしいもんだ。
ちなみに体育館のゴールなんてもちろん使えないので、校庭の片隅にある今にも朽ち果てそうなゴールを使って練習している。しかもバスケを選択した人は運動部で活躍している子ばかりで帰宅部なのはあたしぐらい。
だから、休憩時間はともかく放課後の居残り練習にでるのは基本的にあたし一人だった。みんな部活を優先しちゃうから。
そんなワケでこのまま家に帰ってもいいんだけど、今の気分はなんとなく体を動かしていたいのだ。西園寺の件で鬱憤が溜まってるんだと思う。
ま、どうせ球技大会までの数日間のことだし、ガラじゃないけどたまには汗水たらして頑張るのもいいだろう。
しかしまぁ多少体を動かした程度ではこの悶々とした気分は治まらず、時折ふと独り言が漏れたりして完全に怪しい人になっちゃってる。
今もポロリとでた言葉を拾われて、この際だからちょっと相談しちゃおうかな。
「ねぇ、今からあたしが言うこと誰にも話しちゃだめだよ。絶対にダメだよ」
「それはお約束のアレでいいのかしら。OK、話してみて」
「あのさ、どうやったらアイツ……西園寺の怒りが解けると思う?」
「まだ気にしてるの!? あれだけ鈴木さんにお熱だったんだもの。そのうちに我慢できなくなってまた執着し出すわよ」
「さすがに無理だよ。すごく恨まれてたもん。あーあ、せめてカミングアウトした時に殴ってくれてたら、許してもらえなくても気持ちを切り替えて次にいけたのに、なんかこう消化不良でモヤモヤする」
「西園寺君もバカよねぇ。意地はって悠長なことをしてると、鈴木さんとられちゃうだろうに」
「は? 何言い出してんの」
「知ってるのよ。今日、渡り廊下で同じクラスの男子から告白されてたでしょ。一部で噂になってるわよ」
「うっ」
封印しようと思っていた出来事をズバリ暴かれて、あたしは言葉につまった。
そうなのだ。なんとあたしにモテ期が到来したようで、ヒガシ以外からも好きだと言われたのだ。
でも、本気じゃないと思うよ。ここんところ悪目立ちしてたからお祭り騒ぎに便乗しただけ。
現に、「どんな君でも好きだ」なんて寝ぼけたことを言い出したもんだから、よくもまぁ殆ど話したこともないのにそんなコトが言えるもんだと呆れながら、試しに怪しげな宗教の名前を出して勧誘してみたらそそくさと逃亡しやがった。所詮はその程度である。
あたしがそのことを説明すると、奥野さんは嬉々として顔を輝かせた。
この好奇心溢れる表情には既視感がある――そうだ、井戸端会議に花を咲かせるオバチャンのそれだ。
「やだ楽しい。青春よねぇ。じゃあいいこと教えてあげる。それを知った西園寺君、明らかに動揺してたわよ」
「ホントに!? でもあたしが見た時は全然そんな風には見えなかったよ。こちらを見向きもしなくてさ、すげーカンジ悪い」
昼間のことを思い出しながらあたしが顔をしかめると、奥野さんはちょっと笑った。
「だからポーカーフェイスを装っているのよ。次の授業の時、ずっと教科書が逆さまだったもの」
「へえ。ならめげずに話しかけてれば、そのうちに折れて相手してくれるかな。とにかく今の宙ぶらりんの状態って、すごく落ち着かなくて気持ちが悪いんだ」
「そうね、私の見識ではきっと大丈夫。あ、でもめんどくさそうな人だからその気がないなら放っておいた方がいい――」
「そっか。じゃあもう少し頑張って声かけてみる。助言ありがとうね!」
「……まぁいいか。さてと、私はそろそろ行くね」
校舎の壁にかかる時計を見ながら奥野さんが言った。
おっと、ついつい話し込んでしまったようだ。
いつの間にかお留守になっていた手を再び動かしながら、あたしは軽く頭を下げた。
「長々と引き止めちゃってごめん」
「あ、べつにいいのよ。本当はもう少し時間があったんだけど、手紙を出しに一旦教室に戻らないといけなくて」
「手紙?」
「今、太田さんと文通してるのよ」
「えっ、いつの間にそんなに仲良くなってたの!?」
びっくりして尋ねると、奥野さんはこともなげに言った。
「べつに仲良くなんてなってないわよ。だから、罵り合いの文通」
「…………」
鈴木さんも罵倒合戦に参加する? 案外ストレス発散になって楽しいわよ、と笑顔で誘ってきたけど、あたしは謹んで辞退した。
女の闘いって怖い。