あの店もしばらく近寄れない
「何やってんだよ……」
呼びかけられて、我に返る。
気がつけばヒガシが奇声をあげて徘徊中のあたしを、遠巻きに眺めておった。
うへぇ。こいつ、最悪のタイミングで戻って来よったな!
完全にドン引きしてるのが見てとれて、あたしは慌てて説明をする。
「さっき通りすがりのおじいちゃんが大学生風のDQNに絡まれててさ、助けたら今度はあたしのほうに言い寄ってきたんだ」
それで関わり合いになりたくないと思わせるために、「コロスコロス…」と唾を飛ばしながらゾンビの真似をして内股歩きで徘徊してみたら、あたしの迫真の演技に恐れをなしたようで、大学生風の男は途中で去っていった。そして程なくしてヒガシが戻ってきたというわけだ。
てっきり笑って流してもらえると思ってたのに、話を聞いたヒガシは怒り出してしまった。
「馬鹿かお前は。なに無茶なことしてんだ」
「え、なんで!? だって今にも昇天しそうなじいちゃんが絡まれてたんだよ。ほっとけないよ」
「だからそういう時はまず人を呼べって」
「近くに誰もいなかったんだよ」
「なら大声だせばいいだろ」
「みっともないじゃん。なんとかなったんだから、いいでしょ」
「ならなかったらどうするつもりだったんだ。今回みたいに上手くいくとは限らないんだぞ」
「ふぇい」
あたしが生返事をすると、ヒガシは不機嫌なままあたしの手を引っ張って再びベンチまで連れて行き、座るよう命じてきた。
何様かと思ったが、なんとなく逆らえない雰囲気なのでおとなしく従う。
一方ヒガシはベンチに腰掛けずあたしの前で身をかがめ、「靴買ってきたから足見せてみろよ」と催促してきた。
言われた通りにおずおずと片足を差し出すと、あたしが履いている厚底パンプスを脱がし始めるではないか! ひいっ。なんだこの状況は!
「じ、自分でやるからいいよ」
「いいからいいから。じっとしてろよ」
「ん。くすぐったい……」
「それ程たいしたことにはなってないみたいだな。てかこっちのヒザ小僧のアザのほうが酷くないか」
素足を検分されて、あたしはいたたまれない気持ちになった。ちなみにこのアザは、一昨日のジャンピング土下座で失敗して出来たアザだったりする。触るとそれなりに痛い。
「もーいいじゃん。足の裏とか汚いしさ、触んなっ」
ヒガシの手を振り払ってあたしがいそいそと靴下をはき直していると、ヒガシが買ってきた包みの中から真新しい靴をとりだした。
「こっちを履いてみろよ。その格好には合わないが、だいぶん楽になると思うぞ」
「え……運動靴買ってきてくれたの? どうしよう、あたしもうそんなにお金残ってないよ」
「スニーカーって言えよな。金はいいよ、こないだ誕生日に他にも何か贈るって言ってたろ。それがこれ。だから気にせず受け取ればいい」
おお。タダって素敵な言葉!
ヒガシのさりげない優しさに、あたしは心がじーんと温かくなった。
ありがとうね、と精一杯笑顔でお礼を述べると、ヒガシはテレたようでそっぽを向いた。
◆ ◆ ◆
「さっきはまあ、お前を1人にした俺も悪かったよ」
百貨店から出ようとしたところでヒガシが謝ってきたので、あたしは立ち止まってふるふると首を横に振った。
殊勝な態度をとられると、こちらが調子狂う。一体どうしたんだよ。
「べつにいいよ。なんか今日はやたらと過保護だけど変なもんでも食べた? 別人みたいで気味悪い」
「それはお前がバカみたいに隙だらけだからしょうがないだろ」
むかっ。なんだそれは。
ケンカになるかもしれないとわかっていても、一言言わずにはいられない。
「は? あたしがいつ隙を見せたっていうんだよ。こちらとらいつだって殺気に対応できるようにビンビンにアンテナ張ってんだよ。その辺のスイーツどもと一緒にしないでくれ」
「じゃあ言うけどさ、さっきだって座ってる時パンツ丸見えだったぞ」
「げっ。みっともな」
あたしが顔をしかめてると、店を行き交う通行人とぶつかりそうになって慌てて脇に寄った。
出入り口のど真ん中で突っ立っていたら、邪魔以外の何者でもない。
人の流れから外れた場所にふたりで移って、ここなら大丈夫だろうとあたしは改めてヒガシに向き合った。
「ちょっと! そーゆーことはその場で教えてよね!」
「ばっか、言ったら隠すだろーが」
「な……っ!」
あっさり返されてあたしは絶句した。
スカートめくりして喜んでる小学生かよ、こいつは!
とりあえず注意しとかないと。
「その手のハプニングは、あたし以外で愉しみな」
「自分以外でならいいのかよ」
「まぁ犯罪にならない範囲でならどうぞご自由にってカンジ」
なんなら彼女でも作ったら、とそっけなく言うと、ヒガシがまたもや不機嫌になった。
「…………俺はお前がいいんだよ」
「は?」
「お前が好きなんだよ」
「あ? ごめん、聞こえなかったからもう1回言ってみて」
「だからお前のことが好きだっての!」
「――っ!」
信じられない。
ヒガシの衝撃的な発言にしばらく呆けていたが、ハタッと気づいて慌てて周囲を見渡した。
謎はすべて解けたぞ。どこだ、どこにいるッ!?
「おい、人がコクってんのに何キョロキョロしてんだよ」
「だってこれドッキリ企画でしょう? あたしは騙されないぞ。デジカメ持ったクラスメイトがどこぞに隠れて、あたしが慌てふためいてる姿を見て笑ってるんだ」
「冗談でこんなこと言うかよ」
「言うヤツじゃん、あんたは。口先だけで生きてるようなヤツじゃん」
「…………」
通行人のなかに見知った顔を見つけてやろうとあたしが目を皿にして探していると、ヒガシの顔が近づいてきて――――あれ、と思う間もなくキスしてきた。
なっ、なっ、なっ……
「何すんだバカ! チカンは犯罪だぞ!!」
あたしが口元を拭いながら、無理チューが許されるのは太田が描くような少女漫画の中だけだと憤ると、ヒガシはこともあろうに開き直った。
「こうでもしないとお前が信じないんだから、しょうがないだろ」
「だってあんたモテるじゃん。よりにもよって、なんであたしなんか……」
記憶を振り返れば、つるんで悪巧みしてた印象しかない。
あとは桃鉄で殴り合ったりマリカで殴りあったりと、とにかく色恋沙汰とは程遠い間柄であった。悪友という表現がぴったりだ。
あたしの怪訝な気持ちが伝わったのだろう、ヒガシがバツの悪そうな顔をして言った。
「俺だって悪夢だから言うつもりはなかったよ。けどまぁ気が変わったんだ。お前だってあいつにカミングアウトしたんだから、俺もケジメというか区切りをつけとこうと思ってな」
「ええっ、じゃあ本当に本当なの!?」
「ああ」
「スリランカジョークでした、ってのはナシだよ!?」
「しつこい。で、返事は?」
真剣な目をして尋ねられたもんで、あたしはすっとぼけることもできず、自分の今の気持ちを正直に白状することにした。今まで考えてもみなかったことなのだ。
「……ごめん。突然そんなことを言われても困る」
すると背後から盛大なため息が聞こえてきた。
え、なに!?
振り返ってみると、いつの間にか通行人がわらわらと立ち止まって、あたしたちの成り行きを固唾をのんで見守っておった。
ぎゃあ、なんだこれ!!!
無数の視線を浴びて恥ずかしさのあまり硬直していると、「お似合いなのになんでフッちゃうの」「あの男の子がかわいそう」なんてオバチャン同士の勝手なささやき合いまで聞こえてきて――あたしはヒガシの腕をとって一目散にその場を後にした。




