半額でも欲しくなかった
「しーちゃん電話よ、起きて」
――ふえ。それは後で。
「ほんとにもう、この子ったら毎日毎日寝てばかりで起きやしないんだから!」
――寝る子は育つっていうでしょ。成長期だからしょうがないじゃん。
「この4年間まったく変化のなかった子が何言ってるの! ……まぁ最近はあちこちに肉がついてきたようだけど?」
――うるさいなぁ。もうあっちに行って!
「なんですって、ママを邪険にするとひどい目に遭うわよ! ――もしもし、ごめんなさいね、うちの娘ったら、未だにヨダレを垂らしながら熟睡中なのよ。もうどうしようもない子でね、そうなのそうなの、この間のテストも8点だったしこの子の将来が不安でね。まあ私に似て器量はいいから放っておいても誰かが育てると思うけど、よかったら貰ってやって――」
「まてーいっ!!!」
あたしは慌ててベッドから跳ね起きて、子機を片手に傍らで話し込んでいたママに掴みかかった。
「ねぇ今誰としゃべってんの!?」
「知樹クンよ。はい」
子機を手渡されたので、急いで電話の応対に出る。
「もしもし、ヒガシ!? 今のたわごとは無視していいからね!!」
『わかったわかった。つーかお前、いつまで寝てるんだ。もう昼だぞ』
電話越しのヒガシの呆れた声に、あたしは一瞬だけど言葉につまった。
「うっ……休みの日は夕方頃までごろごろ寝てるのがジャスティスなんだよ、ほっといて! ところで何の用? あんたが電話してくるなんて珍しいじゃん」
『ああ。今から球技大会で使用するハチマキの生地を買い出しに行くんだが、女子の意見も必要だと思ってな。お前もついてこいよ。どうせヒマだろ』
「ええー、めんどくさい。他の人を誘ってよ」
『だからその怠け癖を治せって。とにかくあと1時間ぐらいしたらそっちに行くから、飯食って準備しとけよ』
そう言って、あたしが返事を返す前にヒガシのやつは電話を切りおった。一方的な態度にあたしは額に青筋を浮かべたが、こうしちゃおれんと子機を充電器に戻して出かける支度にとりかかる。
それでまずは顔を洗おうと部屋を出ようとしたところで、財布を手にしたママに呼び止められた。
「ねぇ、デート?」
「ちげーよ」
「なら、どこに行くの? 知樹クンからの電話って久々じゃない」
「どこだっていいでしょ。ママには関係ない」
「場合によっては臨時のおこづかいをあげてもいいわよ」
「学校で使うハチマキの生地を買いに行くんだ。言ったんだから、お金ちょーだい」
すかさず両手を差し出すと、ママは英世さんを3枚もあたしにくれた。そして、「期待してるわね」とにっこり微笑んだ。
何がだよ、とあたしがツッコミを入れると、ママはすかさず壁に飾ってあるカレンダーを指差した。
なんと、今日は母の日であった。
わ、忘れてた……。
「しーちゃんのことだから、どうせ忘れてたんでしょ」
どきっ。
「それでもう、おこづかいも殆ど残ってなかったんじゃない?」
どきどきっ。
図星を指されてあたしは押し黙った。
むぅ。仕方ない、ここは従来の伝統に則って――
「あとで“勉強する券”でも作って渡すよ」
(そしてこの英世さん3体はもらう)
「どうせしないから、そういうのはいいわよ。それより先日買ってあげたお洋服があったでしょ。今日はそれを着て行きなさい」
「げっ。あの服すげー少女趣味じゃん。絶対嫌だ!」
パパのトンデモプレゼントの影に隠れていたが、実はママからの誕生日プレゼントも大概であった。
フリルが沢山ついてて水色を基調とした膝丈ワンピースに、ヘッドドレスなどの小物――ロリータファッションていうの? 手渡されたのがそれだったのである。
「どうして今更そんなことを言うの。可愛い服が欲しいってねだってきたのは、しーちゃんの方からじゃない。ママに着て見せてよ」
「たしかに言ってたけど限度というものがあるし……それにもう着る必要なくなったんだ」
正体バラしちゃったから。
友達は無理だ、と西園寺から拒否された昨晩のやり取りが思い返されて、あたしはうつむいた。
昨夜は結局気まずくなったまま別れてしまって、思い返す度にへこんでいるのである。
しかしママはそれで許してくれなかった。
「何寝ぼけたこと言ってるのよ。あれ一式でいくらかかったと思ってるの!? この手の服はね、とぉっても高いのよっっ!」
鬼の形相ですごまれ、また英世さんをもらった手前それ以上拒むこともできず、結局着せ替え人形となったのであった……。
後で思えばこの英世さんは巧妙な罠だったんだろうな。
◆ ◆ ◆
「おまたせ、遅くなってごめん」
玄関先で待機していたヒガシと対面すると、ヒガシのやつは頭からつま先まで全身飾り付けられたあたしの姿を見て、ポカンと口を開いた。
「どこ行くつもりなんだよ……」
「うるせーな。あたしだってこんな格好したくなかったよ。ほら、ママがしゃしゃり出てくる前にとっととズラかろーぜ!」
あっけにとられているヒガシの腕を引っ張って、ずんずんと家から離れる。歩く度にレースの裾が足にまとわりついて落ち着かないったらありゃしない。どう考えても似合ってないはずだ。
曲がり角を曲がったところでもう追ってはこまいと、あたしはようやく一息ついた。
さてと。
気まずさを紛らわすために咳払いをひとつして、まだ面食らってる様子のヒガシに問いかけた。
「で、どこに行くつもりなの?」
「あ、ああ……中心部まで繰り出そうと思ってたんだが」
「えーっ! 中心部っていったら電車で8駅30分以上もかかるじゃん。絶対ヤダ! しかもどうせ電車賃は自腹なんでしょう!?」
「まーな。じゃあ、隣の駅の百貨店」
「それもヤダかったるい。ねぇ、たしか近所にも手芸店があったはずじゃん。あそこで済まそうよ」
「げ。ザ・昭和って感じの今にも傾きそうなオンボロ個人店じゃねーか。きっと、ろくなもん出てこないぞ」
「いいじゃんいいじゃん。とりあえずさ、見るだけ見てこよーよ」
そうしてヒガシを促して近所の手芸店に半端無理やり入った途端、あたしはモーレツに後悔した。
薄暗い照明の店内に並べてある商品は、どれもこれもあたしが生まれる前に入荷したような代物ばかりだったのである。
明らかに古ぼけて経年劣化が進んでいる上に、肝心の柄も若者向けではない。
そこに人の良さそうなオバチャンがニコニコしながら店の奥から現れて、「どれにするの?」と買う前提で話しを振ってくる。
(うっ、笑顔がまぶしい……)
この笑顔を振り切って外に出るのは至難の技だ。
ほらみろ、と言わんばかりのヒガシの冷たい視線もあいまって、あたしは窮地に立たされた。
し、しかたない。ここは漢らしく責任をとってやるよ。
「ママにプレゼントするんで一番安い生地をください」
――こうしてあたしは、悪趣味なリアル魚柄の生地を手にして店を後にした。
店から出た途端、それまでだんまりだったヒガシが関口一番話しかけてきた。
「それ絶対に喜ばれないぞ」
「うるさいな。あげることに意義があるんだよっ。それとも何、ここでハチマキの柄を選ぶべきだった!?」
「いや、それは厳しい。とりあえず次に行くか」
「そうだね」