友愛の時間だ
翌朝。
あたしは誰よりも早く学校に着いた。
今日は日直の当番があったし、何よりも少し調べたいことがあったのだ。
それで美術室に立ち寄り目的を果たして教室に戻ると、登校してきたヒガシとかち合った。今しがた廊下でも何人かの生徒とすれ違ったし、そろそろ人がやって来る頃合いになったようだ。
ヒガシに向かって軽く手をあげると、向こうは向こうで意外そうにつぶやく。
「なんだよオイ。今朝はやけに早いな。槍でも降ってきそうだ」
「むっ。あたしだって、たまには早起きしたくなることだってあるんだよ」
「にしたって早過ぎないか? まだ6時半にもなってないぞ」
「まーね。ついでに朝練見学でも行こうと思ってたけど、やっぱ時間まで机に突っ伏しとくことにするわ」
眠い。今頃になって睡魔が再び押し寄せてきた。
少し仮眠をとろうとあくびをかみしめながら自分の席に座ると、カバンを置いたヒガシが寄って来た。のぞきこまれるように見られて少し身構える。
何、まだなにか用があるの!?
「朝練ってどこの?」
「野球部。あんたのところは菊池がいるじゃん」
つい先日、菊池のしつこさから逃れるために一芝居打ったばかりなのに、のこのこ見学しに行ったらすべてがパーになってしまう。そんなマネするもんか。
「そっか……そうだよな。けど野球部ってことは西園寺のことが気になるのか?」
「ちょっとね。元はと言えばあたし達のウソを真に受けて始めた部活だし、やっぱり責任感じるじゃん? ちゃんと馴染めてるか、実際に確認しておきたいと思ってるんだ。眠いから今日はもう寝るけど」
「ふぅん」
ヒガシは何か言いたげにあいづちを打つ。
なんだよその眼……。
「何か言いたいことがあるならハッキリ言ってよね」
「じゃあ言うけど、お前ちょっとの間にずいぶんと変わったよな」
「太って悪かったな」
「そういうんじゃなくて。忠告しとくがあまり西園寺に情をかけない方がいいぞ」
「どうして?」
「バレた時に気まずい思いをするのはお前らだぞ」
「うっ、そう言えばそうだった」
このところ油断しきってたけど、西園寺とあたしは敵同士であった。
そのことを思い出して青ざめていると、ヒガシがさらに恐ろしいことを言う。
「それに、今お前が陰でなんて呼ばれているか知ってるか?」
「知らない」
「魔性の女鈴木」
「ぶはっ」
眠気が一気に吹っ飛んだ。なななななんですかそれは!!!
眼をむいて驚いてるあたしの横で、壁にかかった時計を確認したヒガシがにわかに慌てだした。
「やばい、もう行かんと」
「待って! チャックリン鈴木とか、社会の鈴木ならまだ分かるけど魔性って……」
「すっかりアイツを手玉にとってるからな。あまり弄んでるとそのうち周囲から反感買い出すぞ」
「人聞きの悪いこと言わないでよ。弄んでなんかないもん!!!」
「なら誤解を受けないようにちょっと距離をおけ」
「わ、わかったそうする」
「よし」
「へ?」
「なんでもない。じゃあな」
「あ、うん。練習がんばってね!」
ヒガシを見送ってから、あたしはよろよろと再び自分の席に戻った。
その後も続々と朝練組が姿を現したが、魔性の女呼ばわりされていたことのショックが大きくて、あいさつされても上の空だった。――やがて押し寄せた一般生徒の波に混じって、太田さんが訪れるまでは。
太田さんが教室に入ってきたとたん、あたしの気持ちはすとんと入れ替わった。
……そうだ、今は落ち込んでる場合じゃない。まずは太田さんの件を片付ける方が先だ。
反省して謝ってもらうまで許さないって決めたんだからっ。
両手で頬をバチンと叩いて気を引き締めると、腰元を確認してから立ち上がって太田さんの方へと向かった。
◆ ◆ ◆
向こうが呼び出しに応じないつもりなら、こっちだって考えがある。
手をこまねいて引き下がるつもりなんて毛頭ない。
腐っても元ガキ大将をなめんな。絶対に無視できないようにイヤガラセしてやる!
なお、イヤガラセと一口に言っても色々とあるよね。例えば他人の物を壊したり、足がつくような真似をするのは下の下だとあたしは思う。
ましてや今回の対戦相手は、一見か弱そうな小動物だ。少しでも危害を加えようものなら、こっちが悪者になるのは目に見えている。
だからもっと合法的かつスマートな方法をとることにしたんだ。それは――
「太田さん、ちょっといいかな?」
あたしは朝のざわめきの中、最大級の猫なで声で太田さんに声をかけた。
席に着いたばかりの太田さんは少し驚いて嫌そうな顔をしたけど、すぐさま落ち着きをとりもどして、
「何の用かしら? 忙しいから手短かにお願いするわね」
と余裕の態度でほほえみを返してきた。
ちくしょうやっぱり可愛いな、と思いながらも牙を隠していることを知っているので、ほだされたりはしない。
彼女は目立つ存在だからか、好奇の目が集まってくるのを肌で感じる。悩ましいことに最近注目を浴びてばかりだが、今は返って好都合だと思いながら、あたしは予め用意しておいた言葉をつむいだ。
「あのね、頼み事があるのだけど」
「あら。そういった事なら、もっと仲が良い相手にしたほうがいいわよ?」
「ううん、そういうのじゃいの。実はそろそろ帰宅部を返上したいと思ってて、太田さんと同じ美術部に入ろうかと迷ってるんだ」
「は? 鈴木さんが? 貴女、思いっきり体育会系じゃない」
「ラクガキならよくするし、以前からちょっと興味あったの。それでね、今朝美術室を下見に行ったら、太田さんのデッサン絵が飾ってあって……太田さんってすごく絵が上手いよね。陰影のつけ方とか中学生とは思えないレベルで、これは天才だと思った……生まれながらの天才っているんだね。絵を見て泣いたのは初めて」
「ええっ!?」
ほめ殺しは予想外だったらしく、みるみる顔がこわばっていく。
うわべだけの笑みを外すことに成功したあたしは、菊池や西園寺の顔を思い浮かべながら更にたたみかける。今回はあいつらのウザさを参考にさせていただく。
「でねでねっ。太田さん……ううん、太田様って呼ばせて。私すっかり太田様のFANになっちゃって! 憧れちゃって! 恐れ多くも太田様のことがもっと知りたい、これから仲良くしていきたいと思ってるんだけど……ダメかなあ?」
「ちょっとやめてよ、そらぞらしい! 気持ちの悪いこと言わないでちょうだい!」
太田さんは顔をしかめて声を荒げたが、周りにいた生徒がギョッとしたのを一瞥して、慌てて笑顔をとりつくろった。
あたしはその笑顔を完全スルーして、うつむき震えるような声をしぼりだす。
「そっか……やっぱり迷惑だよね。そうだよね……私みたいなぼっちと関わり合いになんか、なりたくないよね……。時間とらせてごめんね……ぐすっ」
「あっ、待ちなさいよっ」
制止を聞かずにそのまま小走りで自分の席に戻った。
太田さんは何か言いたそうに口をパクパクしてたけど、予鈴が鳴る音を聞いて諦めたようだ。伸ばした手を元に戻して着席し直すと、それっきりもうこちらを振り向いてはこなかった。
――けど、落ち着きのなさから動揺を隠せないことがうかがいしれた。
(ふふふ……効いてる効いてる……)
あたしの考えたイヤガラセは、ずばりこのあたしから懐かれまとわりつかれること!
これ絶対効くと思って試しに特攻してったら案の定ばっちりであった。
あの垣間見せた心底嫌そうな態度にちょっぴりマイハートが傷ついたけど、あれを目撃した人はさぞびっくりしたことだろう。普段の彼女は猫被ってるからね。
むしろ、そんだけ嫌がってんだなって思うとが ぜ ん 燃 え て き た !
周囲の目がある限りはあまり無下にもできないだろうから、あたしはそこを利用させていただく。
さあ、ガマン比べのはじまりだ。
お前ほんとに絵は上手いよな。次の休憩時間にねだりに行くつもりだから夜露死苦な。
降参してくるまでどこまでも慕い続けてやるから、覚悟しとけっ!




