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いいともって言え

「お……おわった……」


 課題が終わった。全部ではないが、最初に決めておいたノルマ分は片付けた。ついでに、菊池にやらせる予定だったプリントも。

 久しぶりに脳みそをフル回転したあたしは、燃え尽きたようにその場に突っ伏す。もうへとへと。


「お疲れさま。頑張ったね」


 いつの間にか飲み物をたずさえた西園寺がねぎらいの言葉とともに、手にしていたカップを差し出してきた。

 さっき一瞬姿が消えたので、トイレにでも行ったのかと思ってたら、飲み物を買っていたらしい。気が利くのな。 

 お礼を述べてそれを受け取って、そっとカップに口つけた。

 あたしが近頃ミカンに執着してるのを知ってか、今日はオレンジジュースだった。


「お菓子もあるけど食べる?」

「いいの!?」

「もともと勉強の合間にでも食べてもらおうと思って、用意しておいたんだ」


 西園寺はかいがいしく箱に入ったチョコレートを取り出した。

 

(おおっ)


 それはお取り寄せなんかも受けつけてる某有名洋菓子店のもので、これあたし知ってる。ちっこいくせに1粒300円もするんだよ!

 ただ明らかに小遣いの範囲を超えているので、素直に受け取っていいものかと迷っていると、どうもそれが顔にも出たらしい。

 いただきものだから気にしなくていいよ、と告げてきた。


「ありがとう。半ぶんこしようよ」

「いや僕はいいよ。甘いもの断ちしてるんだ」

「ふぅん?」


 ま、いいかと頂く。……あっまーい。

 口の中でとろけるような食感に思わず舌つづみしていると、じっとその様子を見られていることに気づく。

 なんだよ。ほしいのかよ。


「やっぱりいる?」

「いらない。鈴木さんって美味しそうに食べるよね。見ていて楽しいや」

「なっ、見せ物じゃないんだからっっ!」


 それで慌てて一気に食べようとしたけど、値段を思い出してやめた。

 …………そう言えば。


「ねぇ、今日は本当に来てもらっておいてよかったの? なにか予定があったみたいだけど」

「それならだいじょうぶ。既に一度、顔見せは済ませて来てあるから。ここだけの話、帰っても気苦労が絶えないから、断る理由ができて正直助かったぐらいなんだ」

「それって実家?」

「そんなようなものかな。僕の家はとても複雑なんだよ」

「えっ……」

「部屋数が多いんだ」


 ……そっちのことかよ。

 一瞬、昼ドラの世界を思い浮かべて心配してしまったじゃねーか。

 あたしが軽く脱力してると、西園寺はやわらかく微笑して立ち上がった。


「じゃあ、そろそろ帰るね」



 えっ えっ



 その言葉に血の気がひいた。ちょ、待てよおい、まだ菊池来てない……

 だめっ! 帰さないっ!

 あたしはベッド脇から立ち上がると、飛びかかるような勢いで西園寺の腕をつかんだ。向こうはギョッとしたようだけど、構ってる余裕なんかない。とにかく引き止めようと絞り出すような声で叫ぶ。


「いやだ! まだ帰ってほしくないっ!」

「でも身体に障るし、あまり長居するわけには……」

「だってひとりは寂しいもの!」


 そうだ。寂しいのは確かだ。

 とっさに口から飛び出した言葉だが、それは本当のことなので、あたしはいつものペースを取り戻して続けた。


「今日は西園寺君がお見舞いに来てくれて、本当に嬉しかったんだよ。だからお願い、あとちょっとだけでいいから、ここに残ってて。ね?」

「いいけど……鈴木さんって時々すごく残酷だよね。そんなこと言われたら毎日でも来るよ?」

「いいよ、別に」

(お菓子持って来てくれるならな)


 そこであたしは、西園寺のことを憎からず思っている自分の気持ちに気づいた。

 関わり合いになりたくないと思ってたけれど、懐かれているうちに情みたいなものが湧いてきてるのかもしれんな。

 こいつも危険人物だけど、菊池に比べたら100倍マシだ、うん。西園寺なら毎日来てもいい。

 さてと。

 ここからが本番だと感じたあたしは、昨日ヒガシからレクチャーされたことを思い出す。

 えーと、小首をかしげて、上目づかいで……


「あのね、もう一つお願いがあるの」

「な、なに?」

「今から、“How much?”しか喋らないでほしいの」

「は、はうまっち?」

「もっと発音をそれっぽく」

「How much?」

「そう。それそれ、その調子」


 あたしは大きくうなずいた。

 よし、これでいい。

 他の言葉を喋ったら絶交だからね、と念押ししたあとに時計を見やる。そろそろ時間だと思っていると、案の定、遠くの方からバタバタとした足音が聞こえてきた。あいつの足音はせわしなくてうるさい。

 やがてノックと同時に扉がいきおいよく開く。

 姿を表した菊池が、意気揚々と声をかけてきた。


「シズニー、約束どおりきたよー!」

「無礼者ッ! 貴方、いったい誰なの!?」


 覚悟を決めたあたしがすかさず声を張り上げると、キョトンとするふたり。

 先に我に返ったのは菊池だった。


「え……だってここ、シズニーの病室じゃ……」

「シズニーなんて人、知らないわよ。さあ、セージ君からも何か言ってちょうだい!」


 あたしは当惑する西園寺の背中をぐいぐいっと押しやって、菊池のほうに向ける。

 すると彼は、

「……How much?」

 約束があるのでこれしか言えない。


 そして。

 西園寺の言葉と、日本人離れした容姿を目の当たりにした菊池は、みるみると青ざめて震えだした。


「うわあ、ガイジンだぁっ……」

「早くここから出て行きなさい。これ以上居座るつもりなら、このセージ君をけしかけるわよ。ほらセージ君、今のもう一回言ってみて」

「How much?」

「ウホッ! ……だ、だめだ。そーゆーのマジ勘弁して!! 撤退する!!!」


 そう言って菊池はほうほうのていで引き返して行った。……勝った!

 あたしはバンザイしてその場をぴょんぴょん飛び跳ねる。


「すごいすごーい。西園寺君、ありがとうねっ! もう普通に喋っていいよ!」

「い、今の人はなんだったの!?」

「さあ、よくわかんない。部屋を間違えたか、DQNのナンパじゃないかしら?」

「それはよくないね。ナンパなら物騒だ。しかし酷い誤解を受けていかれたような……」

「まぁまぁ、細かいことは気にしない。おかげで2度と近づいて来ないと思うし」


 ――なんのことはない。

 菊池は以前、持ち前の人懐っこさで屈強な外人の後をほいほい連いて行ったらエライ目に遭いそうになったそうで、それ以来、極度の外人アレルギーなのだそうだ。

 そこでこの弱点を利用する他ないと、ヒガシに一計を講じてもらったのが今回の作戦であった。

 こんなに上手くいくとは思わなかったけど、これで退院後も一安心。学校ですれ違ったとしても、あの様子なら西園寺をチラつかせてる限りは絡んで来ないであろう。

 すべては西園寺さまさまのおかげである。


 ……そうだ。

 アフターケアも忘れるな、って言われてたことを思い出した。

 えーと、労いの言葉、労いの言葉っと……

 まだ釈然としていない西園寺に向かってあたしは微笑んだ。


「また明日も来てね」


 ……あれ。これは労いの言葉とはちょっと違ったかな?



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