このあたしにやる気を出させるとは
「よし、これでいいかな」
あたしは手鏡を覗いて、身なりの最終チェックを行っている真っ最中である。
今日の装いは淡いピンクを基調としたネグリジェ。
胸元や袖口にはフリルがついており、それに合わせて髪形も長くしてリボンが付いたカチューシャをはめてみた。
間違ってもあたしの趣味ではない。
では何故こんな格好をしているのかというと、すべては菊池対策である。
西園寺に行ったように、菊池相手にも別人になりきって追い払い、今後の関係を一切絶とうと――入院5日目のあたしは計画を企てていた。
こちらも必死だ。平穏な生活を取り戻すためなら多少の屈辱にだって耐えてみせよう。
そのため、服装だけではあきたらず病室内も可愛らしく少女趣味に飾り立ててもらったりもした。
これにあとひとつ、手札が加われば迎え撃つ準備は完了する。
(見てるがよいぞ、狂勇者、菊池よ――)
あたしが手鏡を置き、いずまいを正して来訪者に備えていると、扉の向こうからノックがなされた。
入室をうながすと、西園寺が姿を現した。これは予定どおり。
こいつが今日のキーアイテムだったりする。菊池退治には欠かせない。
「来てくれてありがとう。ごめんね、無理言っちゃって」
あたしはまず深々と頭を下げた。
というのも昨日、西園寺宅の電話番号をヒガシに調べてもらって、今日この時間帯――昼下がりにお見舞いに来てくれるように頼み込んだ経緯があるのだ。
二つ返事で了解してくれたが、どうも予定をキャンセルしてくれたようで、本当に申し訳ないことをした。
手招きしてイスに座るように勧めるが、西園寺はあたしの気合が入った姿を見てびっくりしたようで、しばらく扉の前から動こうとしなかった。
……うーむ、覚悟はしていたことだが、しげしげと見つめられるとテレてしまう。恥ずかしくて耳の穴から何か出てきそうだ。
「に、似合わないでしょう?」
思わず顔をそむけて言うと、ハッと我に返った西園寺があたしの元に近づいてきた。
「そんなことないよ。今日の鈴木さんはとても可愛いらしくて驚いた」
「お、お世辞はいいよ。自分でもわかってるから……」
「いや本当に。すごく似合ってるよ」
その他にもいろいろ褒め称えてもらえたが、あたしは曖昧に笑ってすべて受け流した。
たとえその言葉が本当だったとしても、中身は所詮このあたしなのだ。
はっきり言ってガラじゃないし、こんなのは嘘っぱち。一時のまやかしのようなものであろう。
気をとり直してもう一度、椅子を勧めると、今度はすんなりと座ってくれた。
そうして今度はあたしのほうから西園寺をじっと見渡す。
また白狩衣姿で来られたらどうしようかと密かに心配していたのだが、今日はいたって普通の格好だった。
ボーダーの七分丈Tシャツに濃い目のストレートデニム、それにテーラードジャケットをはおった姿は貴公子然としていて、これで性格さえぶっ飛んでなければクラスの女子どもが放っておかなかったんじゃなかろうか。観賞用、という言葉がぴったりな実に残念な美形である。
「そうだ。お見舞いの品を持ってきたんだ」
「えっ、そんなの必要なかったのに」
西園寺が手持ちのカバンをあさり始め出したので、あたしは軽く身がまえる。
ショルダーバッグの中から出てくるのは開運グッズかはたまたバラの花束か――と思いきや、なんとまぁ予想を裏切って参考書と勉強道具の数々であった。
しかも『数学』の文字が見てとれる。うへぁ。
「鈴木さん、勉強ニガテでしょ? 休んでいる間に少しでも追いつければと思って対策を練ってきたんだ」
「ああああの本当に気持ちだけで十分だから、それはもうしまってクダサイ……」
「駄目だよ。ちゃんとやらないと」
「だって、やってもどうせ解らないもの」
「そういう部分は教えてあげるよ」
「何が解らないのかさえ解らないのに?」
「なら基礎からやり直そう」
「ううう……」
西園寺は辛抱強くあたしを説き伏せ、またあたしもあたしで負い目があるもんだからあまり強いことが言えなくて、そこでなし崩しに勉強会が始まってしまう。何この鬱展開。
まだ呪符とか売りつけて来られたほうがどんなにマシだったことか……。
――そのうえ、あろうことか西園寺のやつ、ものすごーく口やかましかったんだよ!!!
「鈴木さん、ぼーっとしてないで早く問題を片付けて」
「何パラパラ漫画作ってるの。……サイコロも作っちゃダメ!」
「お願いだから人の話は真面目に聞こうよ」
だーーーっっっ! もうっっ!! さっきからうるさいっっっ!!!
人が変わったかのように小姑モードになった西園寺にあれこれ口出されて、あたしは忍耐が早々に限界に達した。
これは菊池どころの話じゃねーぞ。やつの登場時刻までまだ時間があるというのに、戦う前にHPが尽きてしまう。
握り締めていたシャープペンとテキストを放り出して、ごろんとベッドに寝転がる。
「ムリムリムリ。もう無理だから! 私の代わりに西園寺君がやっといてよ」
「それじゃ意味がないでしょう。ホラ、起き上がって」
「い・や・だ。絶対に動かないから!」
「まだ30分も経ってないんだよ。そんなこと言ってて将来どうするの」
「どうもしようもないよ。ナマポは私の美学に反するから、専業主婦を目指す」
「えっ……」
あたしの返答に西園寺は虚をつかれたようで、あたしの腕を引っ張っていた手が止まった。
「……鈴木さんの口から、“専業主婦”という単語が出てくるとは思わなかった……」
「そう?」
(ナマポには反応しないのかよ)
「うん。恋愛とか結婚とか全然興味なさそう。だって僕が何を言っても受け流すじゃないか」
「あー、まぁね。……でも、私のところはパパが個人病院を経営をしてるから、いずれは誰か適当に見繕われるんじゃないかしら。一応、ひとり娘だもの」
病院って言っても実際にはそんなたいそうなもんじゃなくて歯科なんだけどね。うちは祖父の代から自宅と離れた駅前で歯医者さんを営んでいるのだ。
興味のないことなので、窓の景色を眺めながら投げやりに言う。午後の天気は、曇りのようだ。先ほどまでは見なかったどんよりとした灰色の雲が空に立ちこめている。
…………。
反応が返ってこないので寝返りを打って西園寺のほうを振り返ると、彼はひどく青ざめた表情で深く考え込んでおった。
――あれ、なんかこの展開、先日もあったような……。そうだ、墓参りの件だ。こいつが何か思いつめるとロクな流れにならない法則をあたしはすでに学んでいる。
嫌な予感を覚えながら、あたしは西園寺の反応を確かめる。
「もしもーし? 西園寺君?」
「…………そうか、僕が養えばいいのか。鈴木さんはそのまま寝てていいよ。今から医師を目指すことにした。鈴木さんの分まで頑張るから!」
そう言って西園寺はあたしに差し出していたはずの参考書をめくって自ら読み出した。
……えっと……おいおい、ちょっと待ってくれ。
今、聞き捨てならないキーワードをいくつか耳にしたぞ。まず養うってどういうことなんだ。
「ちょっと、今のはどういう意味なの!?」
「言葉通りだよ。鈴木さんは僕と結婚して思う存分専業主婦を満喫するといいよ。とくに相手にこだわりはないみたいだし問題ないでしょう」
「はあぁぁッ!? とつぜん何言い出してんの。前から思ってたけど、西園寺君って極端すぎるのよっっ!」
「それは自覚があるけどしょうがないよ。僕は誰かに執着してないと自我を保てないタイプなんだよ。そしてメインターゲットを失った今、残されたのは鈴木さんだけなんだ。……絶対に絶対にこれだけは確保しとかないと……」
眼には剣呑な光が浮かび、最後はまるで自分に言い聞かせるようだった。
な、何思い詰めてんだよ。こえーよ!!!
背筋が寒くなったあたしは西園寺が手にしていた参考書をあわてて奪い取った。
「そ、そういうのは別の子でやってよねっ!」
「ムリムリムリ。インスピレーションを感じないから! 鈴木さんの方こそ観念してよ」
「そんなことないでしょう。ホラ、もっと周りをよく見て」
「い・や・だ。絶対に心動かされることなんてないから!」
「私たちまだ高校生にもなってないじゃない。そんな先走って他に気になる存在が出来たらどうするの」
「どうもしようもないよ。僕が執念深くてしつこいのは鈴木さんだってもう知ってるでしょう」
「うっ……」
そこで先ほどと立場が逆転していることに気づいた。
おいおい、勉強やりたくないって駄々こねて説得されていたハズなのに、なんでこんな話になってんだ!?
うろたえるあたしに西園寺がずずいと迫ってきた。
「とにかくそれは返して。鈴木さんは本当にそのまま寝てればいいよ。将来自活できない方が外堀が埋められて何かと好都合なことに気づいたし……って、どうしたの?」
「やっぱり勉強する」
あたしは参考書類を布団で覆って手出しできないようにしておいてから、散らばってたシャープペンとテキストを拾い上げて再び手に持った。
遠い未来のことなんて頭になくて今が楽できればそれでいいやと思っていたけど、急に不安が押し寄せてきたのである。
やはり何があってもひとりで生きていけるぐらいの学力は必要だ。じゃないと逃げ場を失って万が一のこともあるかもしれん。
一話で終わりませんでした。続きます。