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食い物の恨みは恐ろしいから

 病室ってのは大体において殺風景である。

 身を隠せれるスペースなんて、基本的にどこにもないのだ。

 そんな訳で菊池君があたしのベッドに潜り込もうとしてきたのに気づいて、取引に応じた己の浅はかさを後悔した。ふたりでひとつの布団とか勘弁してほしいシチュエーションだ。


「(ちょっと、別のところにしてよ!)」

「(ムリだって。オレ、引き出しの中に入れるほどコンパクトじゃないもん)」

「ぐぬぬ……」


 どうしたものかと唸っていると、菊池君はさっさとあたしの布団の中に入ってきて、あたしに寄り添う形で丸まってしまった。うへぇ。

 ……こ、こうなったら、早いところ来訪者を撃退して布団から出ていってもらおう。そんで菊池菌がついたシーツを後で必ず取り替えてもらおう。

 あたしは上半身だけゆったりと身を起こした姿勢で、「どうぞ」とドア越しの相手に愛想良く入室を促した。

 おそらく笑顔がこわばっているだろうけど、それはしゃーない。


 ガチャリ。


 ドアが開く。てっきり看護婦さんが入室して来るものだと思ってたら、やって来たのはヒガシだった。

 うげっ。これは長引く……


「よっ、来たぞ」

「は、早かったね……」

「連休中だからな。顧問の都合で、今日は早めに切りあがったんだ」

「そうなんだ。でも、それにしては顔が疲れている気がするよ」


 部活が短縮されたというのに、何故かヒガシの顔には疲労が濃く彩られていた。


「それはたぶん、精神的疲労だ。ここに来る前に、ちょっと探しものに駆り出されててな……」


 “もの”って“者”だろうか、やっぱ。


 なんて考えていると、ヒガシは持っていた黒い手提げカバンを、パイプ椅子の上に降ろした。

 そして自身は立ったまま4畳半ほどの室内をぐるりと見まわすと、すぐさまあたしの方に視線を向けてきた。


「怪我の具合はどうだ?」

「おかげさまで、もう痛みとかは殆どないよ」

「よかったじゃないか。おばさんは出かけてるのか?」

「うん。家事をしに自宅に帰ってるから、まだ当分は戻って来ないはずだよ」

「ふぅん」


 それっきり何やら考えこんでしまった。

 室内に、沈黙がただよう。

 ……このままでは間がもたない。

 気まずくなる前に何か適当な話題でも切り出そうと思った矢先に、太ももにぞわっとした感触が走った。


「ひゃあっ」

「どうしたんだ!?」

「ううん。なんでもな……ぎゃあっ!」


 い、今、太ももを撫でられた……それも2回もっ!

 菊池のやつ、あたしをからかって反応を楽しんでやがるだろ。お前のせいで変な声出しちまったじゃねーか。見ろ、すっごい怪訝な顔をされてるぞ!!!

 今度やったら問答無用で突き出してやるからな、と菊池の足をつねっていると、ヒガシの顔が間近に迫ってきてることに気づく。

 えっ、と思う間もなく、おでことおでこがくっつけられた。


「……熱はないみたいだな」

「病気じゃないもん。ていうか体温計ならそこに置いてあるよ」

 

 あたしがベッドの傍らに設置されてるサイドテーブルを指差す。空のコップの中に体温計が入ってるのがすぐに見て取れるのだが……。

 するとヒガシは初めてそれに気づいた様子で、「ほんとだな」と体温計を手にとった。

 そして、「俺が測ってやるよ」と不穏なセリフを吐いてあたしのパジャマのボタンに手をかけてきた。


 えっ? えっ?

 咄嗟に、“セクハラ”の4文字が頭に浮かんだ。けど、まさかねぇ……ヒガシに限ってそれはないだろう。

 だって表情なんかもあっけらかんとしてるし、固まってるあたしが意識し過ぎなのかもしれない。……うん、きっとそうだ!

 ま、いいやと思ってあたしは眼の前の幼馴染の不埒を許すことにした。

 しかし、まぁ、なんだ。間近に顔があると緊張してくる……肩に手をまわされて抱き寄せられる形になってるし……


「お、押さえるぐらいは自分でするよ」

「いいからいいから。怪我人は甘えるもんだぞ」

「そうかな?」

「そういうものだ」

「でも以前入院した時はこんなことしなか」

「おっと、熱はないみたいだな」

「だから言ったじゃん」


 ほらね、とあたしが告げるとヒガシは何も言わずに体温計を元の場所に戻した。

 そして再びあたしのパジャマのボタンに手をやると、今度は着崩れを整えてくれた。

 な、なんだか赤ん坊にでもなった気分だ……


 ほてった顔をどうにかしたくて、ふと自分の足元に眼をやると布団が小刻みに震えておった。

 何笑ってんだよ、と一蹴り入れてからあたしはヒガシに向き直る。


「な、なんか悪いね。至れり尽せりで」

「いや、別に……」

「でもちょっとビックリしちゃった。今日はなんだかいつもとキャラが違うみたい」

「誰もいないからな」

「は?」

「こっちの話だ。そうだ、約束の差し入れ持ってきたぞ。お前、たしかシュークリームとか好きだっただろう。ブランデーの入ってるやつ」


 そう言って、先ほど付き添い用の椅子に置いた鞄の中から紙袋を取り出す。

 あたしはそれを喜んで受け取った。入院してると、楽しみが食事ぐらいしかないのよね。


「ありがとう。これ好きだ。今、食べてもいい?」

「というか生物だからとっとと食ったほうがいい」

「そだね。それでは早速……」


 紙袋を開けるとブランデーとバニラビーンズの甘い香りが周囲に広がる。うん、いい匂い。

 あたしが一時の間、その香りを楽しんでいると、布団がもぞもぞと動き始め出した。

 おいおい、あんま動くとバレるぞ、と思った次の瞬間。菊池君が勢いよく布団をはねのけて立ち上がった。げげげっ。


「ヒャッハー! オレも食う食うっ!」

「ちょ、ばっか、何今出てきてんだよっっ!」

「えー。だって食欲には敵わないもんっ」

「どあほっ! お前は畜生かっ! 人の好意をあっけなく無駄にしやがって馬鹿やろう!」

「シズニーきっつい。なんかオレ嫌われてる?」

「あたり前だろーがっ。昨日からお前のせいで、どんだけ恥かいてると思ってんだ!!!」


 あたしと菊池(もう敬称つけるのはやめる)とで激しい押し問答をしていると、仰け反って驚いていたヒガシが我に返って口を挟んできた。


「な、なんで菊池がここにいるんだ!」

「えー。昨日知り合ったんだ。オレ達もうデートまでしちゃった仲だもんねっ」

「だから誤解を招くようなことは言うんじゃないッ! 点滴が嫌で逃げ出してきたくせに!!」


 菊池に対して鬼の形相で叫んでから、あたしはヒガシに向き直って頭を下げる。


「ご、ごめんね。興味本位に負けて内科病棟を覗きに行っちゃったんだ。そしたら……」

「……まぁ、事情はだいたい察する。しかしだな、ちゃんと説明しておかなかった俺も悪いが、こいつは気に入った相手にはすっぽんみたいにまとわり憑くぞ……しかもロクなことをしないから、またの名は疫病神だ」

「うげっ」


 あたしが再度菊池のほうを見やると、菊池はいつの間にやらあたしから奪ったシュークリームをほおばりながら口ずさむように言った。


「しかし個室っていいよなー。もぐっ。オレのところなんか隣のおっさんの痰を吐く音がBGMなんだぜ。もぐっ。あと3日間は滞在する予定だから、それまで毎日この時間帯に来ることにするねっ♪」

「なっ……なっ……ハッ。あーーーーーーーっっ!!!」


 気がつけば3個あったシュークリームが1個もなくなっておった。

 それを見てあたしの何かがプツンと切れる。たぶん、これが堪忍袋の緒というものであろう。


「もう許さん! さっき足を触った分も含めて叩き切ってやる!!!」


 あたしがキレて菊池にヘッドロックをかけると、やつは応戦はしてこなかったが助けを求めだした。


「痛い痛い痛いっ。ともっち助けてぇー。真人ね、なーんにも悪いことしてないのにシズニーがいじめるぅ~」

「だからそのムカつく言い方はよせってばッ!」


 あたしが更に腕に力を込めて首をギリギリと締めてると、それを呆然と見ていたヒガシが近づいてきた。

 何するのかと思ったら、菊池の後頭部に手刀を一発お見舞いして黙らせてくれた。

 やはり、もつべきものは話の分かる幼馴染だ。

 

「看護婦に引き渡して来る」


 ヒガシは静かになった菊池の首根っこを猫のように掴むと、ズルズル引きずって部屋を出て行く。

 やっと、嵐が去った……。




 そうして暫くした後。

 戻ってきたヒガシに対して憤慨しながら「あんた友達は選んだほうがいいよっっ!」と忠告すると、珍しく弱気になってたヒガシは、「少し考える」と神妙にうなずいておったのであった。

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