等価交換ってやつだ
昨日は最悪だった。
くり返す。昨日は最悪だった。
あのくそガキ、あの直後に何をしたと思う?
「まずは軍資金が必要だ」って言い出して、人目もはばからずに院内に設置してある自動販売機に跪いたり、つり銭口を覗き込みだしたのだ。
あたしは決して知り合いだと思われないように遠巻きにその様子を見守りながら、確信したね。
こいつはあたし以上のDQNであると。
そしてめでたく小銭をゲットした菊池君と一緒に百貨店を見て回ったんだけど、白装束とパジャマ姿の組み合わせは、絶大なる相乗効果をもたらした。
なんと行く先々で通行人に避けられたり逃げられたりして――これはさすがのあたしも本気で堪えた。
あの人お迎えがきてる、なんて陰口まで聞こえてくるんだよ。
もう辛くなって、「早く帰ろう」と何度も服を引っ張って帰還を促したんだけど、菊池君は聞く耳なんかもっちゃくれない。
「もうちょっと」と言いながら食品コーナー、本屋、玩具店、ゲーセンと歩き回り、結局予定時間を大幅にオーバーしてしまった。
そのせいで病院を抜け出したことがバレて、ママからすっげー大目玉をくらう羽目になったんだから!
しかもである。
最後はドラマの再放送に間に合わないからって、唐突にあたしを置き去りにしてひとりで走って帰っちゃうオチまでつきよった。まったくもって信じられない。
あんなデリカシーのないやつ、もう二度と会うもんか。太田と菊池は敵だ。そう決めた。
そんな訳で金輪際、内科病棟には近づくまいと誓った入院4日目のあたしは、現在ベッドの上でくつろいでる真っ最中である。
昨日の今日なので、さすがに今日はおとなしく1日寝て過ごす予定だ。これ以上怒られたくないからね。
ただ、あたしの病室は個室なのでひと目を気にせずにあれこれ出来る点は良いんだけど、長時間ひとりで過ごしてると心細くなってくるから困る。
太田さんのこととか、ここを出るまでは考えないって決めてるのに、時折頭をもたげてくるし……。
今は誰かと話し合って気分を紛らわせたい。
(ヒガシのやつ、早く来ないかなぁ……)
あたしはぼんやりと壁にかけられた時計を見やった。
現在の時刻は、午後3時27分。
もうしばらくすれば、部活帰りのヒガシが顔を見せにやってくるハズだ。
何か差し入れを持ってくると言っていたので、目下それだけが楽しみだったりする。
(……ああなんか、わびしいな)
ごろんと寝返りを打ったら、先ほど枕元に放棄したプリントが視界に映った。
それを乱雑に手にとって、ぼんやりと眺める。
暇を持て余している間に宿題でも進めておこうとしたのだが、どだい無理な話だった。
進まぬ。捗らぬ。数学というモンスターはなんと手強いことか。一時間ほど格闘してみたものの、産出された成果はいくばくかのラクガキだけであった。
(せっかく持って来てもらっておいて悪いけど、これはもう未提出のままで終わるかもしれんね)
などと、良からぬことを考えていたからバチが当たったのかもしれない。
そこであたしの静かな一時は終わりを告げ、カオスの時間が始まりだした。
けたたましいノックの音とともに、菊池君が室内に飛び込んで来たのである。
「シズニー、助けてー!」
「うげっ。なんであんたがあたしの病室を知ってるの!?」
「えー? 昨日のうちに調べておいたに決まってんじゃん。てか今、鬼の形相をした白衣の天使たちに追われてるんだ、匿ってよ!」
「今度は何やらかしたんだ。素直に謝ってきな」
身を起こしたあたしがスリッパを履く。
招かれざる侵入者を部屋から摘み出そうとすると、菊池君は素早くあたしのベッドにへばりついた。そして駄々っ子のようにかぶりを振って声を張り上げる。
「何もしてないよ。嫌いな食べ物が出たから昼飯を全部残しただけで。そしたら点滴を打つって言われたんだ。オレ、もう元気なのに酷いよ!」
それで逃げ出してきたという訳か。お前は一体いくつなのだ。
あたしは呆れながら菊池君をたしなめる。
「注射で逃げ回るのはせいぜい小学生までにしておきな。そんな恥ずかしいこと、あたしは小2で足を洗ったよ」
「なんだ、シズニーだって逃げ出してたんじゃん」
「はぁ!? トシが違うだろうがっ! あんたと一緒にしないでよねっっ!」
これと同類だなんて思われたくないっっ! 出ていけっ!
とっとと看護婦さんに突き出そうと思い立ち、あたしは菊池君のわき腹に両手を差し込んで大根でも引っこ抜く要領で引っ張る。
えいやっ、と渾身の力を込めてみた……けれども、菊池君も踏ん張っててビクともしやしない。
くそう。こいつ、ひょろっこいのに力はあるのな。
だけどあたしの剣幕に気圧されてはいるようだ。
「てか今日のシズニーはなんか怖い。昨日とちょっと違うっ!」
「あたしはくそガキ相手には戦闘力がアップする仕様になってんだ。昔の血が騒ぐのかもしれんな」
「なんだよ昔の血って」
「そこにツッコミを入れないように」
さらに何か言おうとした時である。再びドアがノックされて、あたしと菊池君の会話はピタリと中断された。
「はーい。少し待っててくださいっ!(ほら、観念して出て行け)」
「(お願いお願い。隠してっ)」
「(嫌だね。あんたを匿ったところで、あたしになんのメリットもない)」
「(な、ならそこのプリントを手伝ってあげるよ。オレ、数学だけは得意だから)」
「早く身を潜めな」
あたしはこれみよがしに溜め息をひとつついてから、隠れるように促した。
今回だけだぞ。