忘れないで、嫌って。
もし、好きと言った瞬間、
その人の記憶から自分だけが消えるとしたら。
あなたは、それでも「好き」と伝えますか。
これは、誰よりも人を想いながら、
最後まで「あまのじゃく」であり続けた一人の青年の物語です。
「好き。」
その一言を口にした瞬間、彼女は首をかしげた。
「……ごめん、君って誰だっけ?」
笑い話みたいだった。
昨日まで毎日話していた。
一緒に帰った。
くだらないことで笑った。
なのに、たった一言で、全部消えた。
彼女の記憶から、「俺」だけが。
医者は首を振った。
「そんな症例はありません。」
神父は言った。
「呪いでしょう。」
俺はその日から、二度と「好き」と言わなくなった。
⸻
人は案外、嫌われても忘れない。
教室で毒を吐く。
わざと冷たくする。
素っ気なく帰る。
「あいつ、感じ悪いよね。」
その言葉を聞くたび、少しだけ安心した。
嫌われている。
つまり、覚えていてもらえている。
好きになるほど、消える。
嫌われるほど、残る。
皮肉な人生だった。
⸻
大学で、一人の男に出会った。
「……変な人。」
第一声がそれだった。
笑った。
たぶん俺は、その言葉を待っていた。
彼は人の懐に入るのがうまかった。
俺が冷たくしても笑う。
悪口を言っても笑う。
「そういう優しさしか知らないんだろ。」
図星だった。
俺は初めて、怖くなった。
この人だけは、消したくない。
だから今日も冷たくする。
今日も突き放す。
今日も傷つける。
全部、覚えていてほしいから。
⸻
ある雨の日。
彼が泣いていた。
「僕、何かした?」
違う。
悪いのは俺だ。
でも言えない。
言えば、消える。
「嫌いだから。」
精一杯の優しさだった。
彼は泣きながら笑った。
「……嘘つき。」
その一言が胸に刺さった。
⸻
卒業式。
彼は最後に言った。
「僕ね。」
「きみのこと、ずっと好きだった。」
世界が止まる。
言うな。
頼む。
俺を好きになるな。
「でも、きみは一度も振り向いてくれなかった。」
違う。
違うんだ。
俺はずっと。
ずっと。
君が好きだった。
喉まで出かかった言葉を飲み込む。
飲み込めば、彼は俺を覚えたまま生きられる。
吐き出せば、俺はまた一人になる。
長い沈黙のあと、俺は笑った。
「ああ。」
「そういうことなら、よかった。」
彼は泣きながら去っていった。
最後まで、俺は嫌な男だった。
⸻
十年後。
街角で彼を見かけた。
結婚指輪。
隣には、小さな女の子。
幸せそうだった。
その笑顔を見て、俺は初めて思った。
これでよかった。
彼の人生から俺は消えなかった。
それだけで十分だ。
俺は背を向ける。
そのときだった。
「……ねぇ。」
振り返る。
彼は不思議そうな顔で俺を見ていた。
「どこかで会ったこと、ありましたっけ?」
胸が少しだけ痛んだ。
でも、笑えた。
そうか。
人の記憶は、呪いなんかなくても、少しずつ薄れていく。
俺が必死に守ろうとしたものも、
時間には勝てなかった。
「いいえ。」
俺は首を振る。
「初めまして。」
そう言って歩き出す。
あの日、飲み込んだ「好き」は、
誰にも届かなかった。
だけど。
たった一人だけは知っている。
俺が世界で一番あまのじゃくだったことを。
——それは、俺自身だった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
この物語は、「好きだからこそ離れる」という、少しひねくれた愛の形を書いてみたいと思って生まれました。
主人公は最後まで「好き」と言えませんでした。
それが正しかったのか、間違っていたのかは、読んでくださった皆さんに委ねたいと思います。
少しでも心に残る物語になっていたら嬉しいです。




