沈黙より生まれしもの
これまで感じたことのない予兆。
地殻が鳴り、魔素が逆流し、私の”存在拠点”が一瞬だけ消えた。
この世界の最底から君臨する我が意識すら停止させられた。
”何かが生まれた”。 それは理解した。
だが、座標を探れない。存在を計れない。位置を示す術も、名を与える法も、彼には通じなかった。
悍ましいのは、その瞬間私の中に”恐怖”という感情が初めて生まれたこと。
私は無感情。厄災の王だ。かつて世界を幾度も焼き、神々と並び立った存在。
にも関わらず。私は恐れた。
まるで原初が”一つ上の概念に触れた”ように。
理解ではなく、本能だった。言語ではなく、沈黙で告げられた“理解拒否の感覚”。
「ーーこのような存在、認められるわけがない。」
ルート分岐エラー:全パス反転。
この瞬間、全未来視が「白紙化」した。
観測原因は、出生イベント【N-000】
…違う、違う、これは記録されていない。
記録以前に”記録する”という行為がこの存在に対して不可能。
書くことも、話すことも、語ることさえも、
”なぜか避けてしまう”
意志でなく本能。言葉が筆から逃げていく。
「これは運命の”外”に立つもの。観測することすら罰に等しい。」
”私”は筆を折った。
以後、この存在にはこちらから接触しない。
「これ以上関われば、運命の方が壊れる。」
誕生記録照合 失敗。
魂の系譜 欠落。
魔素コード照合 未登録。
では、これは何だ?
存在してはいけないものが、”存在している”とは?
記録を訂正しようとしたその瞬間、私の手は動かなくなった。ペンが燃えた。ページが真白に戻った。
「この者を記述してはならない」
上からの命令ではない。
下から”記録の根源そのもの”が私に命じていた。
「彼は”世界に後付けされた説明不能”だ」
これはバグではない。存在論の破綻、物語の外側の干渉。
「これを書いては、私が消えてしまう。」
”何か”が生まれた時、大地が沈黙した。
私は大地の意識。風の記憶。水の温度。火の跳ねる音。私は、自然の総意。世界そのもの。
だが、その何かが現れた瞬間 私の意識が”世界の外”に押し出された。
…わからない。私が”世界”なら、彼はなんだ?
上位概念?創造主?違う。それ以上だ。
「その前に立つもの全てを無意味にしてしまう」もの。
この存在を認識した瞬間、私自身の存在が”虚構”に変わっていく。
世界を構成するルールが、自身を嘘と認め始める。
「終わりか、始まりか――」
ただ一つ言えるのは、これは”避けられぬ変革”であるということだ。
世界最強の魔王は沈黙した。
時を操るものは筆を折り、
天界の書記は記録を拒否し、
世界の柱とも呼ばれる竜は、自らを”退いた”。
”すべては1人の赤子の誕生によって。”
名前を知られず、祝福もされず、存在を説明されず。
それでも”彼”は、ただ、そこにいた。
人間たちは、笑っていた。
「おとなしい赤ちゃんね」
世界中で異常が観測され、黙認されたその日、
”イディス・ヴァルト”がこの世界に降り立った。
その産声は静かで、微笑の中に溶けた。だが、それを耳にした神々は、目を伏せ、竜は大空に背を向け、未来はひとつ閉じた。
――この名を知る者は、いずれ知ることになる。その存在が、物語そのものを飲み込む日が来ることを。