8 ガリ勉、威嚇する
いよいよ期末考査が近づいてきた。僕も気合いの入れどころだ。
だというのに学校にいると、ジェラルドのことが気になって仕方ない。気が散る。
そのくせ僕は、僕の「教室」がないときは必ず、図書館へ行ってしまうのだ。ジェラルドも毎日来てるんだから、これってもしかして……。
ルークに相談すると、「春ですね」とだけ言われた。なんだ、春ですね、とは。もう夏だぞ。
僕は気が気じゃなかった。ジェラルドと僕に、特別な何かが芽生えかけている気がしてならない。
だって毎日一緒になって、放課後に勉強しているんだ。その上、ジェラルドは、僕の努力する姿が好きらしい。これって……。
ちらちらジェラルドを見ると、たびたび視線が合う。さっと視線をそらされて傷つくけど、よく見ると耳が赤いことに気づいた瞬間、叫び出しそうになった。
やっぱり、そういう可能性を、考えた方がいいんじゃないか?
毎晩ジェラルドのことを考えて眠れない。胸が高鳴って、身体が熱くなる。その結果、家での勉強すら捗らない。顔を見られたくないのにずっとジェラルドを見ていたいし、あの時みたいに抱きしめ合ってみたい。
御託はよそう。つまり僕は、ジェラルドのことが、好きなのだ。
まだ出会って半年も経っていないのに。新生活が始まって早速、僕は自分が惚れっぽい人間だと分かった。実りの多い生活だ。
今日も、放課後に図書館で一緒に自習している。僕は眠いのと、どきどきするのとで、全然教科書のページが進んでいない。
「エリス。最近、顔色がよくないな」
急に話しかけられて、慌てて背筋をのばす。ジェラルドは心配そうに眉間へしわを寄せて、僕の顔を覗き込んでいた。僕は悲鳴をのみこんで、「なんでもないよ」と首を横に振る。彼は「そうか?」と、怪訝な顔をしながらも引いてくれた。
「お前、無茶しそうだから、心配なんだよ」
そう。あの一件以来、ジェラルドは僕のことを「お前」と呼ぶようになった。ちょっと特別感があって、いい。
無茶と言われても、と唇を尖らせた。
「でも僕は、もっと勉強しないと。まだまだ努力が足りてないから」
「は?」
ジェラルドは、信じられないものを見る目で僕を見る。なんだろう。
「エリス、お前。本気で言ってるのか?」
「うん。きみに勝ててないっていうのは、そういうことじゃないの?」
だって、勉強は、努力すればしただけ結果が出る。
いつかはジェラルドに勝てるはずなんだ。そのための努力が、まだできてない。
ジェラルドは頭を抱えて、悩んでいるみたいだ。はっと我にかえる。たしかに、ライバル本人の前で言うのは、みっともなかった。
「ごめん、忘れて。気にしないで」
慌てて取り繕ったけど、ジェラルドの顔はすっきりしない。僕をじっと見つめて、物言いたげな表情だ。
「なあ、エリス」
ジェラルドが何か聞きかけたときだ。同級生のグループが、騒ぎながら図書室へやってきた。同じクラスの生徒たちだ。入学式の日に、僕へ挨拶に来た、推薦入試組だ。
少し声をひそめてはいるけど、喋っている集団は目立つ。ジェラルドは一瞬そちらへ視線を滑らせた。すると彼らは、それに気づいたのか、こちらへずかずかとやってきた。
「きみたち。自習中か? テスト週間でもないのに、えらいね」
彼らはジェラルドを見て、さっとあざけりを表情へ乗せた。僕へ、うやうやしく話しかけてくる。
「ライブラくん。あまり身分の卑しい者と交わってはいけないよ。高貴な者の言葉を、やすやすと下げ渡してはもったいない」
僕は無表情になって、彼らをしげしげと見つめた。
何が高貴な者だろう。
何を理由に、ジェラルドみたいな立派な人を、貶しているんだろう。
「高貴な人間は、身分の低い者を馬鹿にしてもいいのかな」
声は少し刺々しくなってしまった。同級生たちは顔を見合わせて、「違うよ」と諭すように僕の肩へ手を置く。
「僕たちはアルファとして、オメガのライブラくんを導こうとしているだけさ」
「階級があるからこそ、社会秩序が保たれている。それを乱す行いは、咎められるのだよ」
くだらない。僕はふうと息を吐いて、彼らをにらんだ。反抗的な僕の視線に、彼らはわずかにたじろぐ。
「では、上流階級の優位性は、何によって保証されるんだ?」
「それは血筋だよ。だからこそ、僕たちは生まれに感謝して、自らの能力を磨かなければならないんだ」
いよいよもってくだらない。僕は蔑む心を止められず、思ったよりも冷たい声が出た。
「じゃあきみたち、高貴な者としての努力が足りていないよ。上流階級のアルファなのに、オメガの僕、それから平民のジェラルドに、学業で負けているじゃないか」
そう。僕たちは、学年の次席と首席。
つまり彼らの成績は、少なくとも、僕たちより下。
「結果の伴わない自慢は虚しいだけだ。きみたちは誇りある高貴な者ではない。卑しくも、生まれを鼻にかけているだけの愚か者だ」
僕が淡々と反論すると、彼らは呆れた顔をした。お兄さまたちも、時々同じ顔をする。オメガがそんな反論をするなんてはしたない、という顔だ。
まるで話が通じていない。でも僕は、噛み付かずにはいられない。
言わなければないのと同じ。それに、僕の好きな人を、彼らは貶したんだ。怒るべきだ。
なおも続けようとする。ジェラルドは口を開いて「いいよ、エリス」と言った。
驚いてそちらを見ると、なぜか彼は、苦笑していた。
「いいよ。こんな連中の言葉、俺には響かない」
行こう、とジェラルドは立ち上がる。僕も慌てて立ち上がって、彼に続いた。彼らを振り向くと、ぽかんとした表情でこちらを見ている。
外に出ると、強い日光が肌に触れた。暑くて手で顔をあおぐと、ジェラルドは木陰へ僕を連れていく。
ジェラルドと、木の下で向かい合った。
彼の緑の瞳が、優しく細められる。
「俺のために、怒ってくれたのか?」
「そりゃあそうだよ。怒って当然だ」
悔しかった。ジェラルドはこんなに努力して、こんなに結果を出しているのに、身分が低いってだけで馬鹿にされる。
僕が俯くと、ジェラルドの身体がわずかに僕の方へと傾いた。ジェラルドの表情は優しくて、なんでか熱っぽく見える。暑いからだろうか。
「エリスは、優しいな」
どきん、と心臓が跳ねた。そんなこと、と顔をそむける。
これまでたくさん、そういうふうに言われてきた。使用人に勉強を教えて優しいって。でもそれには、皮肉が混じっていることもあった。そんな卑しい人たちと交わるなんて、と思われているときもあった。
でも、ジェラルドの「優しい」には、そんないやらしさが一切ない。ただ、僕を褒めるだけの言葉だ。
「そんなこと、ないよ」
いつもよりずっと、弱々しい声になってしまった。ジェラルドは「そうかな」と、顔を離す。それが残念だと思う自分もいた。
「エリスはがんばってる。お前は、十分、やってる。がんばりすぎなくらいだ」
ジェラルドは真剣な顔だ。でも、本当に、そうだろうか。
僕は、違うと思う。
ジェラルドと同じ結果を出せていない僕は、彼ほどがんばっていない。ましてや、僕はこれだけ恵まれているんだ。たぶんどこかで怠けているんだろう。
「全然、がんばってないよ」
なのに声が、ものすごく甘えていて、びっくりした。ジェラルドは呆れたように笑って、「ほどほどにな」と囁いた。




