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7 ガリ勉は仲裁もできない

「マクソンというと……ああ、あの慈善事業好きの、人徳者が当主だったね。分け隔てなく貧しい子どもたちに支援をして、我が子のように慈しむ人だと評判だなぁ。いや、僕のような若輩者は感服するばかりだよ。年齢を重ねると、やはり、視点が変わるんだねぇ」


 エネメラ先輩が口火を切った。顔は微笑んでいるけど、口調はやたらゆったりしていて、かつ、僕たちが口を挟む隙がない。それとなく厭味ったらしい。ちらりとジェラルドを見ると、戸惑ったように視線を揺らしている。

 さっきのは褒めたんじゃない。君のご養父を馬鹿にしたんだ。たぶんこれ、老いさらばえてから金を出して、見境なく養子をとる馬鹿だって言われてる。

 でも僕がそう翻訳するのは、絶対に違う。僕は内心半泣きで、今ばかりはお兄さまたちがいてくれたらいいのにと思った。


「それにきみも、よかったねぇ。きみのご養父が慈悲深い人で。そのおかげで、きみなんかでも、ここへ通えるようになったんだよね?」

「はあ」


 さすがに、ジェラルドもこれは嫌味だと気づいたらしい。苛立ちは見えないけれど、空気はどんどん不穏になっていく。


「ジェ、ジェラルド。勉強が途中だったよね! 戻ろうよ」


 僕はわざとらしく明るい声をあげて、ジェラルドの裾を引っ張った。彼は顔をあげて、なんでか少し顔を赤らめてこちらを見る。どうした。何があった。

 エネメラ先輩は「勉強の途中だったの?」と、ひょいと眉をあげた。


「きみのような可憐な人が、そんな苦労をしているだなんて。進んで学ぶというのは立派な行いだけど、見ているだけは心苦しいな……何か、手伝えることはあるかい?」


 それで、これは本心というか、僕に媚びてる。


「結構です~」


 僕が愛想笑いを浮かべると、隣のジェラルドの威圧感が増した。おい、やめろ。刺激するな。


「俺たちは勉強中なんです。エリスはとても優秀で、俺も競い甲斐があります。一番のライバルです」


 嬉しい。喜びで口角がつりあがったけど、いけない。今、僕は、この緊急事態からいかに逃げるかということを考えていたんだ。

 エネメラ先輩は案の定、威圧感を増した笑顔でこちらを見ている。筋肉質な首筋を少し傾けて、「そうかい」と微笑む。乗馬でもやっているんだろう、太い腿をわずかに持ち上げた。貴族階級のアルファらしい、優雅で、謙虚で――いやらしい自己顕示。


「それでは、失礼します」


 ちょっと強引に、ジェラルドの袖を引っ張った。ジェラルドは、簡単に引っ張られてくれた。焦りで足元がつんのめりそうになると、彼が支えてくれる。

 ありがとう、と小声で礼を言って、半分走るようにして逃げた。とにかく、怖かった。怒っているアルファというのは、それだけで僕にとって脅威だ。それも二人ともなれば、なおさら。


「エリス、どうしたんだ」


 ジェラルドは戸惑ったように言うけど、僕はそれどころじゃない。エリス、と、ジェラルドがもう一度名前を呼ぶ。それに、はっとなって立ち止まった。図書館とは真逆の方向に来てしまっていた。辺りにはうっそうと木々が茂っていて、薄暗くて、ひんやりしている。ここは、裏庭にある森だ。周りには誰もいない。


「大丈夫か? 顔色が悪いぞ」


 気が抜けて、へなへなとその場へ座り込んでしまった。へたれた僕に、ジェラルドが慌てて「おい、大丈夫か」としゃがみこむ。


「こわかった」


 足ががくがく震える。久しぶりにアルファの怒気を浴びた。ましてや他人のものは初めてだった。

 オメガとしての本能が、身体を萎縮させる。お腹の奥から、何かがふつふつと沸き立ってくる。それが嫌で、嫌で、僕はぎゅっと目をつむった。


「ごめん、な。こわかったな……」


 ジェラルドが、恐る恐るの手つきで僕の背中を撫でる。そうだ、怖かった。僕はジェラルドをにらんだ。さっきは嬉しいことを言ってくれたけど、さっきの行いは、咎めたほうがいい。


「なんで、先輩に喧嘩を売ったんだ」

「喧嘩なんて……」


 心外だと思っているのが、声の調子で分かった。僕は「喧嘩だよ」と、少し荒っぽく言った。


「先輩の言うことに楯突いただろう。先輩は怒っていた。きみも怒っていた。あれが喧嘩じゃなくて、なんなんだ」

「いや。俺はただ、お前が馬鹿にされたのが嫌で」


 え、と間抜けな声が漏れる。

 僕が馬鹿にされたのが嫌。

 生まれて初めて、家族以外に「お前」って呼ばれた。ジェラルドはずっと、「きみ」って呼んできたのに。

 ショックの重ね掛けで、フリーズする。頬がじわじわ熱くなった。

 ジェラルドはそれに気づいているのかいないのか、ぽつぽつと言葉を続けた。


「お前の努力を見て、あいつ、『心苦しい』って言いやがった。お前はこんなにがんばってるのに、そんなことしなくていいって言ってるみたいで、俺……腹が立ったんだ」

「ふえ」


 驚いて、変な声が出た。慌てて口を閉じても、彼はまだ続ける。


「俺さ、お前ががんばってるの見るの、好きなんだ。だからあいつがお前を馬鹿にしてるの、余計に腹が立った」


 また悲鳴をあげそうになるのを、必死でこらえた。

 これはすごいことだ。

 ジェラルドは僕の努力を認めているし、それを否定されたら、怒ってくれるらしい。

 なんだか、僕は馬鹿らしくなってきた。彼に怒るのも野暮だろう。

 だって彼は、先輩にムカついたんじゃなくて、僕のために怒ってくれたんだ。それを無碍にするような、冷たい人間にはなりたくない。


「ふ、ふーん。そっか」


 僕は立ち上がろうとしたけど、まだ腰が抜けていた。かくんと躓きそうになる僕の身体を、慌ててジェラルドが支えてくれる。


「で、お前は何に怒ってるんだ?」

「……もう怒ってない。きみのおかげ」


 恥ずかしくて、俯きがちで答える。というか、ジェラルドって……。


「僕のこと、お前って呼ぶんだ」


 こらえきれずに呟くと、「あっ」とジェラルドは声をあげた。「違う」とか、「俺は馬鹿にしてない」とか、「怒ってない」とか言っているけど、そんなことはよく分かっている。僕の教室にも、二人称が「お前」の子はよくいるから。


「それは気にしてないよ。ジェラルドが呼びやすい方で、呼んでいいよ」


 途端に、スパイスみたいな甘い香りが鼻をくすぐる。なんだか気まずい。僕は完全に、ジェラルドのことを、そういう相手として意識しはじめているから。

 僕の身体を抱えたまま、ジェラルドがしゃがみこむ。僕もなんでか離れる気になれなくて、そのままじっと抱き合っていた。

 一体、僕たちは、何をしているんだろうか。

 この不思議な時間は、僕のくしゃみによって終わった。ジェラルドは大げさに「寒いのか」「風邪をひいていないか」とか騒いだけど、恥ずかしい。僕は「なんでもない」の一点張りで、図書館へと戻った。

 迎えに来てくれたルークは何も言わなかったけれど、お兄さまは僕を見た途端に「アルファに触られたのか」と大騒ぎしていた。まったく、鼻がよくって嫌になる。

 それにしても、制服に彼のにおいが残るくらい抱きしめ合っていたと思うと、ものすごく恥ずかしかった。この件はお父さまとお母さまにも報告され、お父さまは半泣きになり、お母さまは微笑まし気に笑っていた。

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