表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

29/30

29 その後

 僕たちの学生生活は、本当に濃密なものだった。

 婚約に、将来に向かっての勉強。これからの夢を語らった高校の三年間。それに大学の四年間は、かけがえのない時間だ。

 僕は、教師への進路を希望した。それを受け入れてもらうには時間がかかったけど、僕はやり遂げた。

 大学を卒業して、今年の春から、小学校の先生として働けることになった。


 お兄さまとルークの騒動で、家は大きく揺れた。そのおかげで、どさくさに紛れつつ、僕はジェラルドと婚約を結ぶこともできた。とはいっても、正式な婚約者になるのは、高校の卒業まで待たなくちゃいけなかったけど。

 最終的に、全部、僕とお兄さまの希望が通った形になる。お父さまとお母さまはちょっと老けた気がするけど、気のせいだろう。

 ルークは最後まで渋っていたけど、最終的に受け入れたらしい。らしい、というのも、僕の視点からだと、ルークがちょっと唐突に折れた感じだったからだ。


 僕が高校を出て、大学へ入った年の夏。

 予定にないヒートを迎えたルークと、二人きりで一週間を過ごしたお兄さま。

 やっと出てきたルークのうなじには、バッチリ、噛み跡があった。シーツでみのむしみたいになっているルークと、彼を抱えてやたらと上機嫌のお兄さま。二人がお風呂に入って落ち着いてから、僕は「ちょっと」といぶかしんだ声をかける。

 お兄さまは、せっせとルークの髪を拭いていた。僕をちらりと見て、「なんだい」と尋ねる。


「まさか、嫌がるルークへ、無理やり迫ってないですよね。もしそうだったら、いくらお兄さまでも、絶対許しませんよ」

「ち、ちがうんです、エリスさま」


 ちょっとぽやんとした顔のルークが、おろおろと首を横に振る。頬が赤い。


「お、おれから……その……」


 なんていうことだ。

 詳しいことは聞かないけど、僕はあんぐりと口を開けた。そのままお兄さまとルークの顔が近づく。二人は、すごく仲睦まじい様子だった。

 めら、と、どす黒い嫉妬の炎が渦巻く。

 ルークは僕のだし、お兄さまも僕のだ。

 それに僕だって、ジェラルドと「そういうこと」をしたいのに。僕の「そういうこと」はダメって言う割に、自分たちはいいのかよ。

 納得いかなくて、僕は家を飛び出した。

 当時、僕たちは未成年だったことを理由に、深い接触を禁じられていた。なんでかディープキスがバレてしこたま怒られ、バードキス以上のことを禁止されたのだ。

 その禁止している当人たちがこんなんで、納得いくわけがない。

 腹いせにジェラルドとエッチなことをしてやろうと、マクソン家を訪ねた。結局ジェラルド本人に「自分を大切にしろ」とめちゃくちゃ怒られて、そのまま家に帰されたんだけど、どさくさでディープキスまでは成功したのでよしとした。


 それと似たようなことが、何回もあった数年間だった。


 お兄さまは当主になり、ルークはその配偶者になった。二人の間には子どもも生まれて、家が一気ににぎやかになった。

 当初はいろいろ反対していたお父さまとお母さまも、孫にメロメロ。これでこの問題は、収まるところに収まったと思う。


 それで、僕の方も、その時が来た。


 白いタキシードを着て、頭にヴェールを被る。婚礼衣装を着た僕を見て、お父さまとお兄さまはボロボロに泣きはじめた。お母さまも涙ぐんでいる。まったく、仕方のない人たちだ。もうすぐ式場へ入るっていうのに。

 式場の中からは、たくさんの招待客たちのざわめきが聞こえる。係員から花束を渡されて、家族を見た。呆れながら首を横に振る。


「なんで僕じゃなくて、あなたたちが泣いているんですか」


 そもそも、この人たちが「就職するなら結婚しなさい」とか要求したのが、この式のきっかけだったっていうのに。まあ、僕としては、別に構わなかったけど。

 ルークの方へ寄ろうとしたら、足元の甥っ子が、よだれでべたべたの手で触ろうとしてきた。いつもだったら大丈夫だけど、今日は晴れ着だから、ちょっと逃げる。


「ダメだよ、こっちにおいで」


 ルークが、ひょいと抱き上げてくれた。すっかり親の顔になって、子どもをあやしている。


 入場の合図の、ファンファーレが鳴った。顔を上げて、「ほら」と、お父さまを急かす。


「お兄さまと散々喧嘩して、譲ってもらった、僕との道行きですよ。行きましょう」

「ああ。この物言いも、もうなかなか聞けなくなるのか……」


 この物言いとはなんだ、この物言いとは。だけどそう言われるとなんだか、胸が切なくなって、鼻の頭がつんと痛んだ。式場内への扉が開く。

 お父さまが、鼻をすする音が聞こえた。僕も涙をこらえながら、式場の奥へと続く、赤い絨毯の道を見つめた。


 たくさんの招待客。道の向こうには、もう、ジェラルドが待っている。


 お父さまはジェラルドのところまで、ゆっくり、ゆっくり、僕を連れていった。惜しむみたいな足取りだった。

 だけど僕はさっさとお父さまから手を離して、ジェラルドの手を取る。

 ヴェール越しでジェラルドに微笑みかけて、「行こう」と促す。


「はやく結婚したい」


 エリス、とお父さまの悲痛な声が聞こえた。ジェラルドはお父さまを一瞥してから、仕方ないと言わんばかりに頭をかく。


「独身最後の一言だぞ。せっかくだし、何か言っておいたらどうだ?」


 そうか。独身最後の一言か。

 たしかに、この結婚を機に、僕はライブラ家を出る。でもそれは、僕を決定的に変える出来事というわけじゃない。

 僕が決定的に変わった結果として、この結婚があるだけだ。だから、今この瞬間は、僕に大きな変化をもたらすわけじゃない。


 でも。


 お父さまを、もう一度見る。涙を拭いながら、僕を見ていた。

 まったく、いつもながら、仕方のない人だ。後ろを見れば、同じように涙を流すお母さまと、それを支えるお兄さまとルークがいる。


 正直に言えば、僕は家族に受けたたくさんの仕打ちを、根に持っている。恨んですらいる。

 だけど、恩がないわけじゃない。愛していないわけでも、ないんだ。


「それでは、行ってまいります」


 きっと僕たち親子は、一生分かり合えないんだろう。

 お前はオメガだからって、たくさんの制限をかけられた。たくさん傷つけられた。彼らが僕を愛していることは、僕にとって、なんの免罪符にもならない。

 だけど僕は、この人たちから、たしかに愛されていた。彼らなりの独りよがりな方法で、大事にされていた。僕もまた、彼らを愛してしまっている。


「どうかそちらも、お元気で」


 ありがとうなんて言えないけど、これくらいは、言ってあげよう。返事を待たずに、ジェラルドに寄り添った。振り返らずに、その先を歩き始める。


「あれでよかったのか?」


 ジェラルドが尋ねてくるから、うん、と頷いた。ジェラルドは、低く、小さく笑った。


「お前はやっぱり、優しい」


 まったく、困ったものだ。ジェラルドはあんなに賢いのに、僕に対して盲目すぎる。ありがとうも言わないなんて、結構ひどい仕打ちだと思うんだけどな。

 そしてとうとう、祭壇の前に着く。僕たちは立ち止まって、司祭の言葉を待った。

 結婚についての説教。それから、誓いの言葉。

 みんなの前でお互いの愛を宣誓して、指輪を交換する。

 ジェラルドに手を取られて、左手を差し出す。長い指が指輪をつまんで、ゆっくり、僕の薬指に通す。すっぽり嵌まる重みが、愛しかった。

 僕もジェラルドの手を取って、左手の薬指に指輪を嵌める。少し震える指先を、あやすみたいに、ジェラルドが握った。


「エリス」


 名前を呼ばれて、いよいよ泣きそうになる。なんとか指輪を嵌めると、ジェラルドも、泣きそうな顔で微笑んだ。


 それでは誓いのキスを、と言われて、ジェラルドがヴェールに手をかける。


 視界が鮮明になる。ジェラルドは少し背を屈めて、僕へ顔を近づけた。

 高校時代からも背が伸びて、今は僕より頭ひとつ分背が高い。身体つきも、ずっと逞しくなった。

 からかうみたいに、ハンサムな顔が笑みの形に歪む。


「泣いてるのか?」

「泣いてない」


 鼻をすすって、抱き着くみたいにジェラルドの肩へ手を置く。背伸びをした。

 ジェラルドは「いじっぱり」と囁いて、僕の腰へそっと手を当てる。そのまま引き寄せて、僕たちはキスをした。

 みんなが、わっと手を叩く。僕たちは顔を離して、もう一度唇を合わせた。

 お互いの熱が、じんわりと融け合っていく。やわらかな感触に、うっとりした。


 舌を入れようとしたら、引きはがされる。不満を全面に押し出して「なんで」と聞くと、ジェラルドは顔を真っ赤にした。


「そういうのは全部、今晩やるから、いいんだよ」


 そうか。夜か。

 なら、いいか。


 僕は上機嫌になって、ジェラルドの腕にしがみついた。


「ジェラルド。愛してる」


 こっそり囁くと、ジェラルドは、僕の頬にキスをした。

 また式場の中が、わっと湧いた。祝福の声が響いていたこの景色を、僕はきっと、死ぬまで忘れないんだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ