15 ガリ勉、挫折する
一枚いちまい、テストを返却される。点数を確認する。
いちいちジェラルドと点数を比べることはしなかったけど、僕の調子は上々だ。最初に直感した通り、これまでのテストより、ずっと点数がいい。
これは、本当に、やったかもしれない。いよいよ、ジェラルドに勝つ日が来るのかも。
テストの最後の一枚が返却された。やっぱりこれも、すごく出来がよかった。
勝った。僕は確信した。喜びが胸にあふれる。
これでやっと、ジェラルドと、これまでと同じように話せるようになるはずだ。いや、違う。デートするんだ。
もっと仲良くなりたいって、言うんだ。
ホームルームで、テスト順位が掲載されたと担任が言う。僕はそれが終わってすぐ、教室を飛び出した。掲示板までは遠くて、何度か他の生徒に追い越される。廊下を走って、ぜいぜい言いながら、なんとか一年生の成績順の張り紙を覗き込んだ。
成績上位五十名。もちろん、一番上から、名前を探す。
一位は、またジェラルドだった。
もう、僕の名前がどこにあろうと関係ない。僕は、ジェラルドに勝てなかった。それだけが事実だ。
いちばん上に掲げられたその名前を、茫然と見上げる。しばらくして、後ろの方から、騒がしい集団がやってきた。
「おい、ジェラルドがまた一位だぞ。あいつって、本当に天才だよな」
「なんだっけ。誰かがあいつに勝つって言って、張り切ってなかったっけ」
「オメガだとか、いろいろ聞いたな。だけど、そいつは身の丈ってヤツを知ったほうがいいんじゃないか? 勝てるわけないだろ、あんなアルファ中のアルファ」
直感的に、彼らの視界には、僕なんかいないと分かった。僕はただの道化で、みんなジェラルドに注目しているんだ。
ジェラルド、と誰かが声をあげる。彼が来たようだった。
「またきみが一位だぞ。すごいな」
ゆっくり、その声がした方に振り向いた。ジェラルドは「よせよ」と言いながら、笑っている。彼を取り巻く人たちは、みんな、口々にジェラルドを褒めた。
改めて、張り出された順位を眺める。僕は二位だったらしい。
だけどみんな、ジェラルドの話をしている。
僕の話は、誰もしていない。二位だったのに。
「そういえば、二位はまたアイツか? あの、入学式でジェラルドに喧嘩売ったオメガ」
「そうじゃないか?」
びく、と身体が震えた。聞いちゃいけないと思うのに、噂話へ耳を傾けてしまう。
「あいつも懲りないな。いや、かわいいんだけどさ、正直。顔とか。身体もちっちゃいし」
「まあ、気持ちは分かる。ああいう強気な子って、そそるというか。生意気なオメガは分からせたい、な」
気持ち悪い。僕は人混みから飛び出して、裏庭へと走った。人気のないところへ行きたい。
もう、分かってしまった。いや、分かっていたけど、ずっと目を逸らしていた。
僕はどれだけがんばっても、彼らの中で「エリス=ライブラ」にはなれない。これだけがんばっても、ただの強気な子、生意気なオメガ扱いだ。
結果を出しても、「分からせたい」って思われるだけ。
やっと裏庭について、木に腕をついて荒い呼吸を繰り返す。少し走るだけで、僕はこのていたらくだ。
どうしよう。どっちにしたって、ジェラルドと話すチャンスだったのに、逃げてしまった。でも戻るにしても、しばらくは嫌だ。
ずるずるとへたりこんで、深いため息をつく。
涼しい風が、頬を撫でていった。火照った頬が冷えて、ちょっとだけ気持ちいい。
「はあ……」
まず、落ち着こう。木のごつごつした肌に手を置きつつ、つま先を見つめた。
ジェラルドに話しかけたいけど、しばらくは無理だろう。みんな、一位の彼と話したいだろうし、すごい人だから。
僕たちは、勝った方が、負けた方に頼みごとができるって賭けをしていた。持ちかけたのは僕だ。
ジェラルドは、僕に、どんなことを頼もうとしているんだろう。
ぼんやりしゃがみこんで、そよ風を浴びていた。遠くから足音が聞こえて、顔を上げる。
ジェラルドかな、と淡い期待をした。だけどそこにいたのは、エネメラ先輩だった。
「やあ、エリス」
家名じゃなくて、名前で呼んでくる。これまでと比べて、馴れ馴れしい。
僕はなんとか立ち上がる。微笑みを浮かべて、「こんにちは」とあいさつした。だけど自分でも分かるくらい、声は強張っていた。
先輩は「テスト順位を見たよ」と、ゆったりした口調で言う。ほのかに、バタークリームみたいな、甘ったるくて重いにおいがした。
「また好成績だったみたいだね」
「あ、いや。はは……」
誤魔化すしかない。へらへら笑っていると、先輩は唇の端をきゅうと吊り上げる。僕は背中を木へつけて、「ありがとうございます」と礼を言った。
なんとなく、彼の機嫌を損ねたことは、分かった。
「いや、すごいよ。他の色好きな、遊び呆けてばかりのオメガたちと違って、勤勉で素晴らしい。そんなきみだから、僕は惹かれたんだろうね」
黙ることにした。何か言おうとすれば、とんでもないことを口に出しそうだから。
先輩はそんなこと気にせず、僕に一歩一歩近づいてくる。
「きみは、僕に相応しい、優秀なオメガだ。僕は、きみが欲しい。意味は、聡明なきみなら、もちろん分かるだろう?」
分かりたくなくて、あいまいに笑って「すみません」と謝った。先輩は、僕の腕を掴む。びく、と身体が震えて、固まった。
「素直になったほうがいい。アルファとオメガの幸せは、番になることにこそ、あるのだから」
急に、バタークリームの香りが強くなる。気持ちと裏腹に身体が熱くなって、いやで、気持ち悪い。身体をよじって逃げようとしても無駄だった。
エネメラ先輩は、笑っている。
「かわいいね、エリス。どうだい? 分かってきただろう、己の本音が」
ああ、よく分かる。僕はこの人が、嫌いだ。必死ににらみつけるけど、彼はますます笑みを深くする。
助けてほしい。ジェラルドが、ここにいたら。
遠くから、駆け寄ってくる足音が聞こえる。先輩はそちらを見て、わずらわしそうに眉間へしわを寄せた。僕はまだ、先輩へ釘付けになっている。こわい。逃げたい。逃げられない。身体が動かない。
「エリス!」
ジェラルドの声。やっと身体が動く。ぎこちなくそちらを向くと、息を切らしたジェラルドが、こちらをにらみながら立っていた。
彼はつかつかとこちらへ寄ってきて、エネメラ先輩の手を、僕から引き剥がす。思わず、深く息を吐いた。ほっとする。
「先輩。エリスの体調がよくなさそうなので、ここで」
ジェラルドが、強引に僕の手を引く。さっきの先輩とは違って、安心できる力強さだった。
僕はジェラルドに手を引かれながら、ちらりと先輩を振り返る。彼はにこやかに笑っていたけど、妖しい目つきでこちらを見ていた。
すがりつくみたいに、ジェラルドの手を握りしめる。その手は、ちゃんと握り返してもらえた。




