1 ガリ勉、志望校へ入学する
これから通う名門校・イリスタ学園の校門は、式典のために華やかな飾り付けがされていた。
男子は僕と同じ、黒いダブルスーツの制服。女子は同じシャツとジャケットで、ボトムスはスカート。新入生らしい学生がたくさんいて、賑やかに校門をくぐっていく。彼らを一瞥して、ふん……と胸を張った。
僕は、ここにいる連中の大多数とは違う。なんせ――高位貴族ならほぼパスできる推薦入試ではなく、この国で最難関とされる入学試験を勝ち抜き、ここにいるのだから。
一般入試組の証である、胸元の黒いリボン。
僕はそれを締め直し、意気揚々と門をくぐった。
ここまで来るのに、大変なことばかりだった。この名門校へ入るためにした努力は、並大抵のものじゃない自負がある。
とはいっても、小さい頃は順風満帆そのものだったんだけど。賢く、優しく、美しかった僕。使用人たちへ読み書きと計算を教えて、感謝されるのが嬉しかった僕。エリスは賢いね、いい子だねって、ちやほやされるのが楽しかった。
蝶よ花よと育まれ、親兄弟や使用人から溺愛されて……。
その結果、普通とはちょっと違う方向で気が大きくなってしまったんだろう。この国でいちばん頭のいい中学校に入る、と言い出したのだ。
実のところ、僕はかなり頑固な性格だ。思い込んだら一直線。これまでふわふわした優しい僕しか知らなかった周りは、僕の変貌に驚いていた。でも最後には、「エリスがしたいなら」「賢いエリスならできる」って、応援してくれたんだ。
僕は、学がいらないとよく言われる、オメガだ。だからこそ、自分がこれだけ勉強を応援してもらえるということは、大きな期待を背負っているということだと思った。がんばらなくてはいけなかった。
そして無理な勉強がたたって……試験当日、体調を大きく崩した。
あの日の屈辱は、昨日のことのように覚えている。
「ああ、エリスちゃん。心配したのよ! 高い熱が出て、ずーっと意識がなかったの……!」
昏睡から目覚めたとき。お母さまはおしろいの香りがする胸で、僕を抱きしめて泣きじゃくっていた。僕と同じプラチナブロンドの猫っ毛が頬をかすめて、くすぐったくて。お父さまとお兄さまは、僕とおそろいのスカイブルーの瞳をうるませて、「天使がいよいよ帰ってしまうかと思った」と僕を見ていた。そんなこと、どうでもいい。
どうして。どうしようもない後悔と悔しさが、頭の中でぐるぐるしていた。
受験できなかった。あんなにがんばったのに、届かなかった。
僕は負け犬なんだ。あんなに応援してもらったのに、期待に応えられなかった。
そしてこの人たちは、あれだけ期待していたのが嘘みたいに、僕の失敗を気にしていない。
お父さまは、僕の手を握って「本当によかった」と言った。
「回復したなら、中学校への入学式に出られる。ああ、安心しろ。もう入学手続きは終わっている。お兄さまと同じところだ。制服姿のエリスはますますかわいいだろう……」
「もう、あなたったら。そんなことより、エリスちゃんの十三歳のお誕生日パーティーの話でしょ? 元気になったし、中学生のお兄さんになるんですもの、豪勢なものにしましょうね。のんびりしていられないわ!」
そう、僕にはのんびりしている暇なんてなかった。
次の受験の機会は三年後。それまでに、もっと自分を仕上げなければ。
そうでなきゃ、僕の努力は、本当に水の泡だ!
お兄さまも何か言っている。
「エリス。ずっとお兄さまたちと一緒にいよう。オメガのお前が、私たちみたいに苦労する必要はないんだよ。もっと楽に生きていいんだ」
そんなのどうでもいい。甘やかされたって、僕はちっとも嬉しくない。
とにかく、僕は死に物狂いで勉強に励んだ。寝る間を惜しんで本を読み、必修外国語の読み書きをし、視力はがくんと落ちた。瓶底眼鏡になった僕を見て、家族は「せっかくのかわいい顔が」「お前はそんな苦労をせずともいいのに」と嘆いた。もちろん、知ったことではない。
僕はあの時、自分に負けた。また負けてしまったら、今度こそ、僕は本当に無価値になってしまう。
中学校への入学後、僕は勉強街道を爆走した。テストでは負け知らず、常に学年一位。神童の名をほしいままにしつつ、僕は決して油断しなかった。
一般入試こそ王道。僕は名門・イリスタ学園への推薦入試の願書を破り捨てた。一般入試を受験すると言った僕に、両親は、落ちたらどこかの貴族と結婚することを条件に、許可を出してくれた。
結果は、ご覧の通りだ。僕は無事に合格し、誉れある一般入試合格者の証を首元へひらめかせている。
今の僕は、無敵だ。
つんと顔をあげて歩いていると、周りはひそひそと声をひそめて僕を見た。
「おい、あの子……ライブラ家の……」
「一般入試で入ったって本当だったんだ」
「かわいい顔してキレやすいらしいぜ。勉強の邪魔をされると怒鳴るらしい」
噂に尾ひれ背びれが生えているようだが、気にしない。どうせ僕が見目麗しいオメガだからって、ひがんでいるだけだろう。全く、卑屈な連中だ。
そんなわけで、僕は鼻を鳴らして、奴らを蔑んだ目で見た。リボンは巻いていない。となれば、自分の身分にあぐらをかいている推薦入試組だ。僕の敵ではない。
そう、僕には、これから打ち負かすべき敵がいる。
僕の入試成績を聞いたところ、どうやら次席だったようなのだ。つまり、この僕をくだして首席になった奴が、この学年にいる。噂によると、どうやら平民らしい。
一体、どんな奴なのか。この目で見定めてやろうじゃないか。
沸き立つ闘志に拳を握りしめると、ひとり、ぼんやりと立ち尽くす生徒が目に入った。背が高く、たくましい、黒髪の男子だ。ふと彼が振り向いて、目が合う。ぱち、と、緑の瞳がまばたきをした。精悍な顔立ちをしている。胸元には、僕と同じ黒いリボン。なるほど、一般入試組だろう。温室育ちの貴族の子弟とは違った、野性味のある表情だ。
その彼は、ずかずかとこちらへ向かって歩いてきた。思わず立ち止まると、彼は「きみ、一般入試組かな?」と、気安い様子で話しかけてきた。案外やわらかい話し方をするんだな、と、ぽかんと見上げる。
「俺も一般なんだ。なんて名前?」
名前を聞かれた。慌てて笑みを取り繕い、右手を差し出す。
「エリスだ。よろしく。きみは?」
一般入試組ということは、彼は敬意を払うに値する戦士だ。この学校の入試は国内最難関。それをパスしたともなれば、かなりの実力者だ。まあ、今の僕もそうなのだが……。
彼は僕の手をためらいなく握り、快活な笑みを浮かべた。
「俺はジェラルド。よろしくな」
掌は僕のよりずっと大きく、熱かった。思わず、どきりとしてしまう。
ジェラルドは手を離し、「しかし、でかい学校だ」とぐるりと辺りを見渡す。子どもみたいな感想に、僕は思わず笑ってしまった。
「そりゃあそうだよ。ここはあのイリスタだよ? 校舎は大きいし、生徒もたくさんいるさ」
「ああ、そっか。……俺がイリスタ生なんてな」
初々しい。首元のリボンをいじる手が骨ばっていて、男らしくてどきっとする。
僕は一体どうしてしまったというのか。こんなところで色ボケしている場合ではないのに。
邪念を振り切るように首を横に振って、「よかったら、講堂まで一緒に行く?」と誘ってみた。僕の家族は、それぞれ仕事があるとかで出席できなかった。まあ親に関しては、一般入試組の父兄席に座るのが嫌だったんだろう。平民も多く座っているところに、あの人たちが混ざりたがるとも思えない。
そしてジェラルドを見る限り、彼もまた、家族が来ていないみたいだ。なら、一人もの同士、話に花を咲かせたい。
だけどジェラルドは「いや、大丈夫だ」と、首を横に振る。
「ちょっと俺、用事があるんだ。じゃあ、また後でな」
彼は手を振って、あっけなく、どこかへと行ってしまった。あ、と声を漏らしても、彼は立ち止まらなかった。
いやいや。何をさみしがっているんだ、僕は。首を横に振って、顔を上げる。
彼もまた、一般入試組。これから先、テストの成績で火花を散らすことがたくさんあるだろう。もしかしたら、いいライバルになれるかもしれない。
そんなことを考えつつ、僕はクラス分けの表を見た。ひとり、「ジェラルド」という名前の学生がいた。さっきの彼と決まったわけじゃなくても、同じクラスかもしれないと思うと、なんとなくほっとする。
それに、かっこよかった……。いかにも貴族らしいお兄さまたちとは違って、野性を感じる人だった。ああいう人も、この学園にはいるんだ。同じクラスだといいな。
講堂に入って、指定された座席に座る。相変わらず周りは、僕を見てひそひそとあることないことを噂しているみたいだ。だけどそんなの、どうでもいい。
僕はジェラルドのことが気に掛かりつつも、入学生代表を務める、学年首席に向けての闘志を研いでいた。
僕が打ち倒すべき相手だ。どんな奴なのか、顔を拝んでやろうじゃないか。