96 マリンの過去と裏切り者
「だ〜からぁ〜マリンは大丈夫なんで、もう帰ってもらえますか?」
「……」
「…ほら、コイツも何も言わないでしょ?俺は元彼なんで気持ちはよく分かるんす。本音は帰りたくないって事…この沈黙で察して頂けませんかねぇ。」
「ふ、ふざけるな!誰が元彼だ。」
結局、ソフィア達が暮らす住宅街から徒歩で20分もかからない通り沿いのカフェにカレン含む3人の男女達に囲まれてマリンはいたので、ヨルア達の簡単な情報でバフェムは場所をすぐ探し当てられたのだった。
右隣りには唐突に彼女を誘って来たカレン、そして左隣りには…先程からマリンを連れ戻しに来たラフェンとバフェムをどこかおちょくるような口調で追い払おうとしている自称マリンの元彼の男…
だがマリンはラフェンの反応をチラチラと気にしながら、その男の元彼主張をムキになって否定する。
…冗談じゃない…
コイツが来るって分かってたら、カレンの誘いでも絶対に断ってた。
「なんだお前、ツンデレか?あんなに熱い夜を過ごした仲じゃねえか…」
男はマリンの反応を楽しむように、嫌がる彼女を無理矢理抱き寄せる。
「触るな性犯罪者!私はカレンに会いに来たけど、お前が一緒って分かってたら断ってた。」
…あ〜あ…
あの人に…私のおぞましい過去がバレちゃった。
コイツ…ノウイは出会ったばかりの頃にマリンを強引に食事に誘って来て、カレン達と合流予定だからと言われ渋々飲食店に入って…その際にクソ不味いお酒をしつこく勧められ飲んでしまい意識が朦朧として来て…気付いたらマリンは初めてを散らされ、当時所持していたお金も財布から抜き取られていた。
マリンはショックでその後数日は食事もろくに喉を通らなかったが、徐々にそのショックが怒りに変わって来て警察に訴えたのだが、対応した警官はマリンの身なりを見て「痴話喧嘩だろ」と軽くあしらい…時間が経ってしまっている事で盗難や不同意の行為の証拠も出せず…ほぼ門前払いとなったのだった。
こんな年齢で夜遅くまで繁華街をウロウロして男と酒を飲んで過ごすくらいだから、そういう仲なんだろうと…警官は遠回しにそう言っていた…
当時のマリンは中々帰宅しない母親が心配で、母が良く行っている繁華街まで探している内にたまたま協力してくれたカレンと仲良くなり…時々彼女の側にいたノウイとも話すようになった矢先の出来事で…
その頃は警察の偏見を打ち破るほど世間ズレしてなかったマリンは、ここで一度警察への信頼や期待が崩壊していた。
後で聞いたらその被害は彼女だけでなく、奴の餌食になった若い子は噂だけでもたくさんいたようで…
マリンはそれ以来、ノウイとは徹底的に距離を置くようにしていたのだ。
だが気が付けば…
マリン自身も母の借金を返す為に、いつの間にか奴と大して変わらない事をしていた黒歴史の日々…
…でもソフィアさんに出会って…
あの人が私を捕まえてくれなかったら、きっと今頃落ちる所まで落ちていて…どうなっていたか分からない。
…けど、あの時一緒に彼女の所へ行く事を拒んだカレンは、おそらく今も…きっとコイツにいいように使われてしまっているのだろう。
だから最初はカレンが心配でソフィアの提案は断ろうと思っていた。
けどあの時のソフィアさんの[戻るのはいつでも出来る。だけどあなたが自立の足掛かりを見つけたら、その姿に友達が刺激される可能性だってあるわ。少なくとも今のままではダメだと思う気持ちがあるなら、一度ぐらいなりたい職業にチャレンジしてみなさいよ。]という言葉に心を強く揺さぶられたのだ。
当時ソフィアさんから一緒に誘われたカレンは、結局迷いながらも断ったのだが…
今日連絡をくれたのは、本当はやっぱり助けて欲しいのかなって…
だから会いたいって思ってくれたのかなって…私は勝手に少し喜んでたよ。
でも冷静になって良く考えてみれば、ノウイとはずっと借金絡みで腐れ縁になってたカレンは、嫌々でもこの男の指示なら私を誘うかもなって…この店に入ってノウイが視野に入った瞬間に気付いた。
「カレン…結局アンタはまだこんな奴のパシリにされてたんだね。だからあの時一緒に行こうって…」
「…るさいな…警官にちょっと説得されたくらいでホイホイ付いてったアンタなんて…信用できる訳ないじゃん…」
だってあの時のあんたはかなり迷ってたじゃない…
という言葉をマリンはグッと飲み込み…
「…あのさ、ソフィアさんは注意や指導はするけど脅したり命令はしないよ。あの人は母さんの借金も色々まとめて整理してくれたから、今は変な取り立ては私の所には来ない。でも借金はなくなった訳じゃないし、母さんの入院費もソフィアさんが一部免除の手続きをしてくれた上で今は立て替えてもくれてるから、私はやってみたい仕事に就いて借金もちゃんと返せるようになる為に、毎日必死に勉強出来てる。今は毎日を安心して過ごせるから色々前向きに考えられるし…良くなる為のシンドい事ならあんまり辛いって思わないよ。カレンはどう?ちゃんとした仕事も出来ないままこんな奴に利用されるだけの毎日で楽しいの?」
「……るさぃ……アンタに何が…」
カレンは目に涙を滲ませてマリンから顔を背けてしまうが…彼女の指摘には明確な反論は出来ないようだった。
「…なんだか…彼女達にとってはそこの派手な服装の彼こそ、ここに居て欲しくない存在に見えるけどねぇ。」
「いい加減帰りなさい。この娘もさっきそう言ってたろ?」
バフェムの揶揄する言葉に、サングラスをかけたもう1人のスーツの男がそう言って割り込んで来る。
「……」
ラフェンは複雑な表情を浮かべながらマリンとカレンの様子を交互に見ているも、一向に会話に入って来る様子はなく…
バフェムはそんなラフェンは放置したまま、途中から会話に加わった男をしばらく凝視する。
「…あんた、見た事があるな…」
「奇遇だね。僕もだよ…」
多分…こいつはグエンの護衛の中で何度か見かけた能力者だ。
だけど…
この男はどうも気配が独特で…ミアハ系の人間ではないが、能力の種類がイマイチ把握出来ない得体の知れない男だった。
だがおそらく…
「お前みたいな下等の類…いや、裏切り者と一緒にするなよ。」
「…下等…ね…君みたいな上等な類は別名臆病者とでも言うのかな?グエンの側近は皆んな赤毛との対決を恐れてビビってたって、軍部の連中は皆んな噂してたけどね。」
「…あの女は所詮ミアハ系だ。俺は…」
あ……そういう事ね、分かったかも。
「あんたこそ何にも分かってない気がするよ。しばらく森には行けてないみたいだね。新しい情報が然るべき人達から伝えられてないでしょ…実際あんたの方が深刻な裏切り者なんじゃない?」
「な……」
スーツ男のポーカーフェイスが微妙に崩れた瞬間をバフェムは見逃さなかった。
「なんなら一戦交えて試してみるかい?俺の力はミアハ系じゃないけど、ある事情で少しだけ混ざったんだ。でも俺はミアハの人達を出し抜くような事はしてないし、現状アンタが身を置くグエン派はかなり浮いた存在になって来ているようだぞ。君の本来の師匠だってグエンを認めてなさそうだしな。」
「お前…調子に乗るなよ…」
…そろそろ何か援軍的なモノが近付いて来ている気配を感じ、バフェムはその男の能力を確認したくて挑発する。
「ちょ…バフェムさん。」
さすがのラフェンもここで状況の危うさを感じ、思わずバフェムの腕を引っ張る。
だがサングラスの男は再び余裕の表情を取り戻し、
「いや、貴様ごときの安っぽい挑発になんて乗るか。今ここで暴れて店内を荒らしたら迷惑だろう?それに…そこの彼女がもっと怯えてしまうんじゃないか?」
と言って、店の入り口の方を指差す…
「…え?…」
その方向を見て真っ先に表情が固まったのは、ラフェンだった。
「イ…イトリア!?」
そして飛び出すようにマリン達のいるテーブルから離れ、オドオドと何かから逃げ込むように入店してくるイトリアの元にいち早く駆け寄ったのだった。
「待てラフェン。罠かも…」
バフェムが慌てて彼を追うも、彼はイトリア以外の事は意識にないらしく…
「イトリア、なんでこんな所に…」
「……ラフェン…なの?…怖かった…」
ふらつく彼女を躊躇なく支えようとするラフェンを見て、イトリアは縋るように彼に抱きつく…
「…落ち着いて、イトリア。…もう大丈夫だから…」
ラフェンもイトリアを抱きしめ返し、彼女の背中を優しく宥めるようにポンポンと軽く叩く…
急な展開に驚きながらも、2人のやり取りを見ていたマリンは思わず目を逸らす…
「……」
そんなマリンの様子を目ざとく確認したサングラスの男は、話題が自分からズレた事で引いた態勢でいたノウイに目で合図をした。
「…なんか面白い事になってるみたいだな。取り込んでるようだから俺達は帰るわ。ほら行くぞ…」
マリンの腕を掴み、カレンには目で促しながらノウイは立ち上がる。
「あ、ちょ…まだ用事は終わってない。」
イトリアを落ち着かせようとまだ彼女を抱きしめているラフェンを気にしながらも、バフェムはなんとかマリンを止めようとするが…
「しつけぇよ、邪魔だ。」
と、バフェムを振り払うようにノウイは腕を振り回し、反対の手ではマリンの腕を引っ張って歩き出そうとする。
マリンの方も自発的に歩いている訳ではないが、ノウイに抵抗してる風でもなく…
「…マリンちゃん、君は本当にそれでいいの?」
ノウイの腕を軽く避けたバフェムは、自分の前を通り過ぎるマリンに悲しそうな表情で問いかける。
「…きっとカレンには…私が側にいた方がいいんです。じゃないとロクでもない奴の言いなりになっちゃうから…」
「おい、誰が…グアッ…」
マリンの言葉に反応し彼女の胸ぐらを掴もうしたノウイを、バフェムは今度は素早く彼の動きを封じて倒した。
その様子を見て、近くの椅子にとりあえずイトリアを座らせたラフェンもやっとマリンに近付いて来て、
「君のその覚悟は立派だけど…その子を守るには今の君は全然準備不足に思うよ。それにソフィアさんの気持ちはどうでもいいの?…君の今までの努力を全部無駄にするの?」
「……」
ラフェンが畳みかける問いにマリン自身は頭で分かっていても、彼の背後で不安そうに椅子に座っているイトリアがどうしても視野に入って来てしまい…今の彼女にはここに留まる選択肢はなかった。
溢れそうな涙を必死に堪えながら、マリンはラフェンの前を通過しようとする…
とその時、
「マリン!」
と叫びながら誰かが駆け込んで来た。
「どこに行くの?こんな男に付いてくなんて…あんた正気?自分を踏み躙った奴に付いてって何か良くなると本気で思ってる?試験はどうするの?勉強が辛いからって逃げるの?」
「…ソフィアさん…ごめんなさい。私…」
入って来るなり凄い剣幕でソフィアから詰問され、マリンはとうとう泣き出してしまう…
「…ソフィアさん、落ち着いて下さい。彼女はその友達が気掛かりみたいで…」
「だから何?この子…カレンにも私は過去に何度か声をかけたわ。でも私はまだカレンからは信頼は勝ち得てないみたいでね…今の状況から抜け出す意思はなかったのよね?その件に関して色々心配はするけれども、それの決断を責めるつもりはないわ。だってそれはカレンが考えた上の事で、カレンの人生は彼女がちゃんと考えて決めなくてはいけないと思うからよ。でもマリン、あなたは自分の意思で決めて私の所に来て…試験もあなたから受けたいと言ったのよ。私の側に居たくなくても、今は努力を止めないで試験はちゃんと受けるべきよ。」
「…でも…」
「でもじゃない。決めたのだから挑戦はちゃんとしなさい。」
「うるせえな、オバはん。こいつは嫌がってるだろ?退けよ。」
ノウイは、自分の前でマリンに説教を始めたソフィアを力尽くで押し除けようとする…
「うわっ!」
が、ソフィアはノウイが伸ばして来た腕を掴み、そのまま流れに任せて捻って組み伏せた。
そして素早く彼の両手に手錠をはめてしまうのだった。
「クソッ、何しやがる…」
「そのセリフはそのままお返しするわ。ノウイ…アンタこそ私をオバさんとか言える歳なの?そのセンスない若作りはかなりイタいわよ。今日ここに来たのが私で良かったわね。赤毛の女性だったら命の危機だったかも知れないわよ。アンタの事は我々はずっと調べてたの。大体の証拠は揃って来たから丁度いい…このまま連行します。」
「ふ、ふざけんな。俺が何したって…」
ソフィアをまだ舐めているノウイは、足を使って起き上がろうと必死に踠き始めるも…ソフィアは彼の足の関節の部分を上手く固定してその動きを封じ、
「バフェム、コイツを捕縛して置いて。あっラフェン、そのグラサン男も足止めして。」
「え?今?」
「あ、そうだ。ちょっと待ってて…」
「…相変わらず、人使い荒いんすね…」
バフェムはそう言いながら、自身のポケットから出したあるモノをノウイの身体に置き、そこからシュルシュルと紐の様な物が出て全身に巻き付き始めたのを確認しながら苦笑いする。
ほぼ同時にノウイから身体を離したソフィアはポケットに無理矢理突っ込んであった物体を取り出しラフェンに投げた。
「え、え?なんですか?コレ…」
受け取ったモノを見ても、それがどう役立つかラフェンにはさっぱり分からず…
「いいから、早くそれを男と女性に吹きかけなさい!さっき猛ダッシュでティテヌ様の所からもらって来たのよ。」
「……」
ソフィアの口からティテヌの名前が出た瞬間、サングラスの男の表情が歪み、裏口の方へと走り出したが、それをソフィアは見逃さなかった。
「ラフェン、早く!男が逃げるわ。」
「え?…」
意味が分からないまま、駆け出そうとしたスーツ男に向かってラフェンはそのスプレーをとりあえずプッシュしてみた。
だが男の動作の方が少し素早く、スプレーから逃れられてしまったのだった。
「チッ…失敗…」
慌てて彼を追おうとしたラフェンだが、
「あ、ごめんください…」
と、裏口からの若い女性の声が不意に聞こえ、同時にその女性の脇からサッと大きな黒い塊が厨房を通って一気に店内に入り込んで来て、スプレーを逃れ裏口から店外へ逃げ出そうと走り出したスーツ男と鉢合わせとなり…
「え、嘘でしょ…あれって…」
その黒い塊の姿を見た店内の人々は騒然となる…
スーツ男が鉢合わせしたのは大きな大きな狼で、その狼はサングラスの男を一撃で押し倒し、彼の首元に鋭い牙を押し当てたのだった。
「動かないで下さいね、抵抗さえしなければその狼はあなたの首を喰いちぎったりしませんから…サルジュさん。」
「……」
そのサルジュと呼ばれたスーツ男は観念したように動きを止めた…ように見えたが、ズボンのポケットからこっそり何かを取り出していた。
「ラフェン、早くその男にスプレーしてってば。そいつ何か持ってるわ!」
「あ、ああ…」
ラフェンはソフィアに怒鳴られ、ポケットから取り出した何かを狼に突き立てようとしているサルジュの手の辺りに向かってスプレーを思い切り吹きかけた。
「クソ…」
すると男は急に脱力し、手にしていた銀色の細長い何かはポロっと床に落ちた。
直後、それを握っていた手だけでなく、彼の全身がダランと脱力して行き…遂に床に仰向けになったまま動かなくなってしまったのだった。
「何だこれ…」
突然飛び込んで来た狼と、謎のスプレー噴霧に対しての男の異様な変化に唖然とするラフェン…
「……そのまま…少しでいいからあなたの側に座っている女性にもスプレーして。」
「イトリアに?…」
何故だか完全に動かなくなってしまった男を冷静に見つめながら、ソフィアは再びラフェンに指示するのだが…
彼はまだ躊躇していた。
「いいから早く!」
「……イトリア、ちょっとだけごめん。」
そう言って、虚ろな表情のままラフェンを見つめているイトリアに向けて、彼は渋々シュッとスプレーを噴射した。
「…え?……どういうこと…?」
自身に向かって放たれたスプレーに、思わず顔を背けたイトリア………
のはずであったが、再び元の体勢に戻った彼女は…
「何…するの…?」
ラフェンに対し不満そうな視線を向ける女性は…全く知らない女性になっていた。
「……」
ラフェンだけでなく、店内でその一部始終を見ていた客や店員達も言葉を失い、皆その女性を凝視していた。
「…クソッ、もうちょっとだったのに…」
狼からやっと解放されたスーツ男は、悔しそうに呟いた。
「…ラフェン、これで分かった?あんたはこのサルジュの術に翻弄され命を落とすところだったのよ。コイツがさっきポケットから出そうとしていたのはおそらく毒針みたいな武器よ。さりげなくイトリアに渡すか、上手く行かなければ自分であんたや私達をこっそり刺すつもりでいたんだと思うわ。そのスプレーは彼の術を解く為の水だったの。…それにしてもサルジュ、あなた…そもそも女神様が望まれてない事をしてるから動けなくなったって分かってる?私としてはアンタも署に連行したい所なんだけど…泉の使いの人が直接迎えに来るらしいから、ここに置いてくわ。」
「え……」
ソフィアの説明に男はあからさまに動揺し、ジタバタと思うようにならない身体を再び動かし始めた。
「動かないで下さいと言っているでしょう?やはり狼に噛み殺されたいですか?」
と、先程唐突に裏口から入って来た独特な美しさを放つ女性は、そう言いながらゆっくりと彼に近付き…引き攣った表情の彼の顔に自身の顔をかなり近づけて行く…
「お、お前…セレスだからって、偉そうに…」
怯えたような目で…でもサルジュは既に彼女から視線を逸らせなくなっていて…
「…サルジュさん……落ち着いて。…いいですか?これからあなたを迎えに来られる方達には…全て本当の事をお伝え下さいね。嘘は言えませんよ。」
「……はい…」
彼女の言葉に急に従順になって行くサルジュ…
「…よろしいお返事で、何よりです。」
サルジュの反応に満足そうに女性は呟いて、再びゆっくりとサルジュから身体を離して行った。
そして、女性は次に紐でグルグル巻きに捕縛されているノウイに近付き…同じ手順で彼にも同じ要求をした。
「…はい…」
全く反抗する様子はなく、彼も素直に返事をすると…
「…何よりです。」
と言ってニッコリ笑って立ち上がった。
「……」
彼女の所作を周囲はしばらく只々無言で見守るしかなく…
ただ…
「あの…あなた達は…」
と、2人の正体に割とすぐ気付いたバフェムが話しかけようとするも、
「ご協力を感謝致します!」
バフェムには「それ以上は何も言うな」と言う視線を送りながら、ソフィアがすかさず2人に大きめの声でお礼を言い…
「…結局あなた方にお手数をかけてしまいました。でも本当に助かりました。感謝致します。」
ソフィアは狼と女性に向かってにこやかに感謝を述べた。
「…いえ、お役に立ちたくて来ましたから…とりあえず皆さんが無事でなによりです。」
「なんであなた方がこんな所に…?」
だが再びソフィアが素早く口に手を当ててバフェムに黙るよう指示して来る。
そしてソフィアは横たわるスーツ男に向き直り、
「あの術は本来、泉の管理者を守る為だけに使用を許されている禁術のはずなのに…よりによって全然関係ない人達に邪なエゴの為に使ったのだから、もしかしたらアンタのその身体は元には戻らないかもって…この聖水を手渡して下さった女性が言ってたわ。誰にそそのかされたかは大体分かってるけど…バカな事をしたものね。」
「嘘だ…そんな事…聞いた事がない話だ。デタラメを言いやがって…クソッ…」
男はムキになって手足をなんとかジタバタさせるが…以前、起き上がる事も出来ないでいた。
「聞いた事がないの?アンタも一応後継候補者の1人じゃなかった?それだけアンタは外野に追いやられたって言ってるようなモノじゃないの。」
「…うるさ……黙れ…」
男は泣きそうで…その声は既にかなり弱々しいモノへと変化していた。
「あ、そうだ。その女の子も一応被害者ではあるんだけど…指の怪我の後処理もしたいそうなので、彼女もこのままお迎え待ちよ。」
未だにボーっとしている状態で椅子に座り込んだままの元イトリアの女性に近寄りながら、ソフィアはバフェム達に説明する。
「…一体どういう事ですか?僕はまだイマイチ状況把握が…」
ラフェンはここぞというタイミングでソフィアに状況説明を求めた。
「ラフェン…分からない?敵はこちらの色々な情報をよくよく調べて仕掛けて来ているという事よ。イトリアさんの件は然るべき人達がちゃんと動いているから…今はあなたでないと出来ない事をして欲しいの。」
ソフィアはサングラスの男とノウイの状態を改めて確認し、
「…いいわ。この2人と女性のお迎えがそれぞれ来たら、この後は良い機会だからアンタとマリンとカレンと私…少し話をしましょう。バフェムは悪いけど、その狼さんと女性をある場所まで送って差し上げてくれる?」
「現状の俺はソフィアさんの指示にノーの選択肢は無いでしょ。分かりましたよ。」
「悪いわね。後で埋め合わせはさせてもらうから…」
そうこうしているうちに、ソフィアの仲間とアネセケルの神殿関係者がやって来て、ノウイは警察、サングラスの男とイトリアに似せられていた女性は神殿関係者へ引き取られて行き…バフェムも不思議な女性と狼と一緒に消えた。
「…それじゃあ…マリンがここに来るきっかけを作ったカレンからはもう少し詳しく話を聞かなくてはならない…今後の処遇の件もあるから、2人はこのまま私達と来て頂戴。」
「……」
マリンとカレンは、アイツと一緒に警察で尋問されるよりはと…
おそらく、カレンを警察に引き渡さなかったのもソフィアの計らいと2人は理解しているので、従うしかないと考えた。
だが…
「ソフィアさん…僕は…」
少し不満そうに、ラフェンはソフィアの名を呼んだ。
「ラフェン…今のあなたはまだ冷静に判断して動ける気がしない…私があのスプレーを預かって来なければ、アンタはあのグラサン男にいいように振り回され挙げ句に殺されていたでしょうね…」
「……」
「それにラフェン、あなたはこれから大切な仕事が控えているでしょう?その為にあなたを危険な場所にはなるべく近付けるなと…ここに来るまでに叔父さんやパパにちょっと叱られたのよ。いずれ然るべきタイミングで、あなたは出動しなければならない…それまでは私といて欲しいの。お願いよ。」
「……」
「ラフェンさん…私からもお願いします。今はあなたとソフィアさんが居てくれたら、私もカレンも安心します。…この状況であなたがどこかに行くなら、私もあとを追いますから。」
「…?!」
側でマリンの言葉を聞いていたカレンは、一緒にいた頃とは違う彼女の一面を見た気がしてちょっと驚いていた。
騙されやすい母を見て育った為か…年頃でも恋愛に全く興味を持たず、母親が背負う借金を返す為だけに日々を過ごしていたような…
どこか投げやりで人生に悲観しているような子だったマリン…
いや…それは自分も似たり寄ったりだけど…だけどマリンは、お母さんを悪く言う事は今まで一度としてなかった。
彼女のお母さんはあまりにお人好しで、その事で結果的にマリンをかなり振り回していたけど…マリンの事はとても可愛がっていたみたいで…
でも彼女の母は数年前…過労で倒れ病院に運ばれて…その際の検査で違法薬物が検出されてしまい、そのまま逮捕されてしまった。
交際中の相手になんらかの形で違法薬物を摂取させられてしまったのが残っていたらしいが…彼女は倒れてからはまともに歩けなくなってしまい…お見舞い行ったマリンの顔すら分からなくなってしまったそうで…
薬物は身体からすっかり抜けたそうだが、その薬には色々不純物が混じっていたらしく、その影響も原因かも知れないとか医師は言っていたらしいが…
彼女は今、ソフィアの計らいで大きな病院に移っているが、意識はほぼなく半植物状態だと風の噂で聞いていた。
だがマリンにとってはたった1人の肉親で…生きていてくれるならそれでいいと、退院の目処の立たない母親の借金と入院費をずっと背負い続けていると、少し前にマリンの母親の旧友と自称する、繁華街の道端で酔い潰れていた女が言っていた…
ずっとずっと、ただ母の為に日銭を稼ぎ…
カレンが記憶する限り、母親関連以外の事では何か特別自己主張するような場面を殆ど見た事がないマリンだったのに…
ソフィアさんとこの青年にはちゃんと自分の思いを言えるんだね。
「わ、私もソフィアさんとラフェンさん?が居てくれるなら、マリンちゃんと一緒に行きます…」
「カレン…」
ソフィアもマリンも、このカレンの意外な言葉に嬉しさと驚きを持って彼女の方を見る。
「あ…と、とりあえずと言う意味だよ。」
気恥ずかしさを隠すようにカレンは俯いてしまうが…
「…そう…でもなんか嬉しいよ。ありがとう…」
「あ、あんたがお礼を言う話じゃないでしょ?」
嬉しさを隠そうともせずに手をギュッと握って来たマリンに、カレンはなんだかジ〜ンとして…よく分からない涙が込み上げて来て戸惑ってしまうのだった。
「…とりあえずでもいいよ。じゃあ行こう…」
ソフィアはソフィアで、内心はここまで軟化したカレンの様子が嬉しくて…派手に喜びたかったが、
「……もう…2人がかりでそんな事言われたら…それを振り払ってまで行く勇気は僕にはないよ。」
「ラフェン君、それは良かったわ。どうもありがとう…」
「…ソフィアさん、白々しくお礼を言わないで下さい。バフェムさん同様、僕にも拒否権は無さそうだからね。」
「…まあ、そんな言い方しないでよ。あなたに感謝してるのは本当に本当よ。」
この後に少し危険で大切な役目を控えているラフェンを思うと、今はカレンがやっと自分の話に興味を持ってくれた事は、心の中だけで喜ぶ事にしたソフィアなのだった。
「クゥ〜ン…」
その犬…ボーダーコリーは、ティテヌの足元まで来て切なそうに鳴く…
「トイン……」
禊ぎを終え支度を整えたティテヌは、トインの目線に合わせるように屈んでヨシヨシと頭を撫でる。
「…ありがとう…私の心痛も分かるのね。あなたはすぐに赤毛の娘の方へ飛んで行きたいでしょうに…」
「ティテヌ様…」
ドアの外でリュスタの呼ぶ声がして、彼女はスクッと立ち上がる。
「おはようリュスタ。昨日も遅かったのに、今朝も早い時間からすまないわね…」
一族の特殊な立ち位置であり重責を担うティテヌは、つい最近思いがけない裏切りを知る事となり、深く心を痛めていた…
彼女の後継者候補を志願していた者達の中に裏切り者が出ていた事が判明し、その内の1人はネヤラが推薦していた人物だった為に彼女はショックで倒れてしまい…
結果的に、今はティテヌの弟子達から信頼も厚いリュスタにかなり業務の負担が行ってしまっている状況に、とにかく申し訳なく思うティテヌなのだった。
「私もお迎えが来たようだわ。ではトイン、一緒に出ましょうか…」
ティテヌが意を決してドアを開けると…
「うゎっ!」
ティテヌより先に部屋を飛び出したトインにリュスタは驚き思わず身体をのけ反らせるが…トインは気にする様子もなく廊下を走り出し、あっという間に玄関の方へ消えて行ってしまった…
数秒後、玄関の方でリュスタのような驚きの声を上げる者がいたようだが…そのざわめきはすぐ静まった。
「…あの犬もいよいよなのですね。」
呟くリュスタの複雑な表情を見たティテヌは、
「…あなたを含め、今聞こえた屋敷の者達の悲鳴が…あの子が望む力を得た代わりに私に協力を誓ってくれた証です。」
「本当に律儀な犬ですね。そこまでして…」
「…律儀というか…まあどちらにしろトインは立派な意思を持った子です。律儀さはあなたも負けておりません。あの裏切り者達にはあなたやトインのひたむきさを見習って欲しかった…あのような…知恵だけが回る哀れな存在にいいように丸め込まれて…本当に情け無い限りです。」
「まあ…奴は暗示の力を持つグエン側の能力者を上手く利用したみたいですから…この度の不祥事は多めに見て差し上げて下さい。ソフィアさんがサルジュを足止めする際に散々脅かしてくれたみたいですから…しでかした彼等には良い薬となるでしょう。」
「…だと良いのですけどね。我々の存在は長いこと世間に隠され、現状はテイホ国に守られている形になってはいるけど…アリオルムの女神様はミアハもイウクナも都合よく利用と排除を繰り返して来たこの国には御怒りなのです。そもそも我々は故郷の星を離れる決断をした際に、ミアハの民には懇願して共にこの星に来てもらったはずなのに…いつの間にやら為政者は忘れてしまった。というか、あえて忘れるようにして行ったのです。今回は背後にグエンが居た事で、我が弟子の一部はミアハより永く管理を許されて来たこの泉の神殿の方が格上と吹き込まれた事も、決して小さくはない実害です。不肖の弟子達はおそらく今後10年くらいは女神様の怒りによってこの泉どころか、森にすら近付けないでしょう。」
ティテヌは眉間に皺を寄せて元弟子の不祥事を嘆き、思わず両手で額を抑える…
「…事態が落ち着いたら私も引責を考えなければなりませんが…グエンにこのまま政治を任せていては国を滅亡させられてしまいます。仮にテイホが衰退してもウェスラー殿がこの神殿の管理を引き継いでなんとか保護して頂ければ、女神様は受け入れて下さるとは思うのですが…食料不安が全世界に広がっている今の状態で、ミアハの民が去りテイホが乱れれば、この星全体の長期的な混乱への引き金となり得ますから…簡単に衰退されても困るのです。」
「ティテヌ様…」
リュスタは苦悶の表情を浮かべて不安を吐露するティテヌを労わるように、彼女の震える肩にそっと手を置いた。
「…今だから申し上げますが、以前より私は今回そそのかされた者達はティテヌ様の後継者としての選別の壁を超えて来られる資質を感じておりませんでした。彼等は意義や本質よりも格式や表面的な権威の方に興味を持つ傾向がありましたから。…あなた様には我々が…ネヤラ様や弟子達や私がおります。この度の事は不要な者が振るい落とされたと思って、どうかそのままお進み下さいませ。」
「…ありがとう…リュスタ…」
「…ティテヌ様…?」
彼を見上げるティテヌの瞳は潤んでいて…それは彼女にとってとても珍しい事だった。
リュスタは彼女が他者に弱気な部分を見せた事に少し驚いた。
「…自分の力不足を思い知らされます…あなただったらどんなにか…」
だがティテヌはハッとして、その涙を隠すように視線を下の鞄の方に移し…
「…これは弱音です…情け無い…どうか忘れて下さい。あなたをいたずらに困惑させて申し訳ないです。さあ、行きましょう。」
「………御意…」
部屋を出て廊下を歩き出すティテヌの後をゆっくりと追うリュスタ…
…もっともっとあなたのお役に立てる存在でありたいが…自分は何の兆しもない身故…今のあなた様の重責をそのまま変わって差し上げる立場にはない。
幼い頃に山の中を彷徨っていた自分を…出自の分からない孤児の私を…たまたま父君と薬草摘みに来ていたあなた様は私を見つけて下さり、父のヘンゾラ様に頼み込んで私を自宅にまで連れ帰り、ずっと今に至るまで兄弟のように接して下さった。
当初この神聖な森の民達は素性の分からない自分を警戒し、更にティテヌ様がそんな自分を屋敷に置いて下さっていた事も相まって、妬まれ冷たくされた過去もあったが…
ティテヌ様はそれを知ってか知らずか、
[リュスタ、あなたはとても賢くて優しいわ。お父様もあなたには期待しているのよ。この森を共に守って来た皆もいつか…きっとリュスタの素晴らしさを理解して頼りにして来るようになるだろうから…だから、どこかに行ってしまわないでね。もしも私が巫女に選ばれたならきっと…ずっとあなたを守ってあげられるから…]
と…
塞ぎ込んでいる私を、見かけによらずおてんばなあなたは木の上や急流の川沿いを登った滝壺の近くまで連れ出し、そんな事を言ってはいつも私を励まして下さった。
あれから15年…
言葉通り、あなたは一生を女神様に捧げる覚悟で巫女になられ、7年の月日が流れた。
泉の守り人は一時的にセレスの能力者が後継者不在期を埋めて下さる時代もあったが、それを良しとしないテイホ政府の圧力もあり、基本的にはこの森の住人から志願して来た弟子達の中から、巫女と共に泉で禊を行った際に御神託が降りた時にのみ決まる。
そしてそれは唐突に、何の前触れもなく現れるのだそう…
それはティテヌ様であっても予測出来ないらしく…この方は自身の人生の全てを巫女として生きる覚悟でおられるが…いつご神託が降りないとも限らないのだ。
どちらにしても私はあなたを…どんな状況になろうとも…一生賭けてお仕えしお守り致しますから…
「ネヤラ様も私も、生涯あなた様の側でお支えして行きますから…どうかそれはお忘れなきよう…」
彼女の背負う者を少しでも軽減してあげたいリュスタは、思わずそう言葉をかけた。
だが、彼の言葉にティテヌは…
「…あなたのその気持ちは嬉しいけれど…ネヤラはともかくあなたは…一生は言い過ぎよ。でも…問題がある程度解決してミアハの新たな体制が落ち着くまでは、どうしてもあなたの支えが必要なのです。今はネヤラもあの状態だからあなたも大変だと思いますが…どうかよろしくお願いしますね。」
ティテヌは彼の言葉にやや困惑しながらも優しく微笑み、再び歩き出すのだった。
「……」
リュスタはふと…数日前のティテヌの父ヘンゾラとのやり取りが脳裏を過った。
おそらくヘンゾラ様は例の事はまだこの方には伝えていないご様子だ…
まあいい。
自分の出した結論に後悔はないし、ティテヌ様には後でその件で何を言われようと、自分の決意は変わらない…
「はい、私も後悔なきようお仕えさせて頂きます。こちらこそ、よろしくお願い致します。」
「…?…ありがとう…」
何か…微妙に含みのあるような…リュスタの言葉に違和感は感じたが、既に今日の大事な予定に意識が移ってしまっていたティテヌは、今はお礼を言うだけに留めるのだった。
「…?」
…変な匂い…薬っぽいのと獣臭…?
何が起きている?
「…あれ?ジェイさ……」
「……」
部下の声の後の…この静けさはなんだ?
「……?」
…奴は戻って来たのか?
ついさっき奴は慌てて…後は頼むとか部下達に言って出て行ったようなやり取りが聞こえたけど…
「……」
部屋に1人…ほぼ放置されたように残され閉じ込められているレベンは、怪訝そうにドアの向こうへ聞き耳を立てる。
次に誰かがこの部屋に入って来たらその時はきっと自分の最後なのだと、もうある程度覚悟は決めているが…
さっきの…
かつてソフィアから泉の巫女の術のかかった貴重なモノだからこれを緊急用に持っていてと言われてある布を渡され、よく分からない中で手順も教えられて…
ダメ元でその方法でラフェンを呼んでみたが…
あの方法で実際にラフェンに何か伝わっているかどうかも、現時点で俺は確かめようがない。
「………」
「……?」
それにしてもなんだこの変な沈黙は…
人…?何かが廊下を動き回る気配はあるのに、話し声が全くしなくなって…
「……」
ジェイは一体何を…?
「?!」
外?…遠くで人の怒号?
なんだか複数の人達が揉めているような…
「……」
レベンは中途半端に拘束されている身体をジリジリとドアの方に近付けて、更に耳をすませて通路の様子を伺おうとした、その時…
「!!」
レベンの部屋の鍵を開けようとする音がして彼は思わず身を固くし、ゴクリと唾を飲む…
…いよいよか…
「あらぁ…割と元気そうねぇ…良かったわぁ…」
「…へ?…」
今まで聞いた事がない…まるで女性のような喋り口の男が入って来た。
その異様な…ジェイらしき男は、口元に仮面…いや防護マスクのようなモノを付けていて、それを頭から脱ぐと…
彼はレベンを見るなりニコッと笑い…
「あ、ごめん…あんたの分のマスク忘れちゃったぁ…」
レベンは呆気に取られ…そして少し遅れて来た強烈な睡魔に倒れてしまったのだった。
いつも拙い文章をお読み頂き、ありがとうございます。
諸事情により、しばらく更新はお休みとなります。
再開は夏後半の予定で、おそらくお盆明け以降となります。
貴古由




