93 成就した願いと待ち受ける企み
「……」
ヒカは成就の間を後にして、一旦両親と研究所に戻り…
その後1人残されたハンサは、石化したセダルの像を特製の布で拭きながら、先程まで像の前でしばらく無言で泣いていたヒカの姿を思い出す…
…無理もない…
あの子はヌビラナに行く前が、セダル様に接した最後の記憶だったのだから…
何より、セダル様はあの子達を幼い頃からずっと…最後まで気にかけていらした。
女神の契約や諸々の事情はあれど、長い間なるべく彼等を側に置き、守りながら指導していればそれだけ…
絆だってそれだけ…
それは自分も同じで…
ミアハにおいて能力者になる為の数値に届かない若者は、エルオの丘の中の瞑想を重ねる事によってある程度その力を発達させる事が可能なケースもあり、ハンサはかつて毎朝足繁くここに瞑想の為に通った。
あの頃、セダル様がここで遭遇する度にお声をかけて下さった記憶の数々が、最近になって次々蘇って来ていて…
ハンサもヒカの今の心境は痛い程に分かる。
「セダル様、あなた様は…実は私や長の皆さんには事前に後継者をちゃんと告げていたのですよね…」
セダルからハンサに直接渡されていた、例のエルオの丘の資料室の奥の小部屋を開ける為の鍵…
ハンサは自身の首元にかけられているその鎖を引っ張り出して、美しい細工が施された燻し銀の鍵をセダルに見せるように像の前に差し出す。
後継者の書かれた紙の入った封書を置いたとされる奥の小部屋は、資料室のその奥にある。
…そもそも、その資料室には長老セダルの許可無くしては誰も入れないのだ。
つまり…
この鍵は資料室の鍵でもあり、それを前もって渡された時点で後継者は…長達は暗黙のうちに知らされたも同然だったのだ。
「あなた様はご自身の最期を予見する言葉と共に鍵を渡されたから…ヨハ君達のヌビラナ長期派遣の前の混乱もあって、私は後継者の件はしばらく思考の外にありました。…だから…」
ハンサが鍵の意味に気付いたのは、長老セダルがミアハの民を集めてあの事を告げた時…
その時、ハンサはイレンとの雑談中に不意に彼から後継者の話を振られハッとし、急いでセダルの元へ辞退を前提に確認しようと駆け込んだ。
だが…
[その件は女神様にも申請済みの決定事項だから、私はもう話す事はない。下がりなさい。]
と、取り付く島もなかった…
ハンサはあの時…自分の人生の支柱的存在と言っても過言でない長老セダルの残り僅かな寿命を知ったショックで、鍵を渡された意図に全く考えが及ばなかったのだ。
そもそも能力者の経験もない自分が…長老や長候補として意識する事すらおこがましいと、後継者候補の視野には自分はなかった。
セレスでは特に神聖視されている能力者ではない自分を一体誰が後継者と認めるのかと…
だが、戸惑いと混乱の中で渋々下がろうとしたハンサに、セダルはボソリと呟くように言った。
[女神様にもご意思はある。エルオの女神が受け入れられないような人物は私は選べないんだよ。それにこれはミアハの事を第一に考えねばならない立場である私の下した結論でもある。今はただ覚悟して受け入れなさい…きっと道は開ける。]
「…どうやらその道は今日…開けたようです…」
セダルの像を拭き終えたハンサは、像を安定させている台座のような部分から下がり、片膝を折って儀式時や目上の者に対して取る体制を取った。
「本日、ここエルオの丘と、かつて我等の女神エルオがこの地に降りたった始まりの場所とされるアネセケルにて…ヌビラナの女神とエルオの女神との約定締結により得た力を持つリクシュが、アリオルムの女神との契約をティテヌ様の手助けにより結ぶ事がが叶いました。そして、その契約の力を受けし泉の力により、私は本日セレスの能力者の基準に達した力を得る事が叶いました。喪が明け次第、私はイレン様の元で修行に入らせて頂きます。」
現在…ここ成就の間にはセダルの像のみが鎮座し、広過ぎるくらいに感じる空間の中にハンサは1人いた。
通常なら最奥の先代長老の像の外に1体ぐらいは、石化で寿命を全うしたセレスの能力者の像があり、一般のセレスの能力者の像は大体1カ月くらいでその姿は崩れ、エルオの岩盤に吸収され消滅してしまうのだが…
今は偶然か女神の計らいか…
まるでミアハの民とのお別れの儀まで待ってくれているように、今、この空間は先代長老セダルの像のみが鎮座する空間となっている。
「…明日のお別れの儀には、きっとミアハの民のほぼ全員がここに押し寄せます。でも民の皆は本当のお別れではない事は知っていますから…あなた様と生きた日々をそれぞれが語り感謝する、意義深い時間となる事でしょう…」
ハンサはセダルの像に大事な報告を終え、頭を上げ退室しようとしたが、改めて立ち止まり…目の前のセダルの顔をじっくりと見つめる…
「…先程のリクシュを通しての御伝言はしかと受け取りました。ご忠告を胸に刻み、精進して参ります。」
[道は開けたろう?遠い過去に一度君の奥底に沈めた願いは叶った。だから、タバコはもう止めなさい。君達の成長と民の平安を、私はずっと見守っているからね。]
ついさっきのリクシュの内緒話がハンサの脳裏に鮮明に蘇って来て…
「無茶振りをして後でタネを明かすようなイタズラ心が相変わらずおありなんですね。はい。ご期待に添えるよう…精一杯精進致します。ただ…」
今は止まらない涙を隠す事もなく、ハンサは続ける…
「ミアハの未来の為に、命懸けで危険や困難に挑んでいる者達をどうか…」
『勿論、見守っていますよ。今はあなたのすべき事を…』
「え…?」
思いがけない優しい女性の声に、ハンサは思わず周囲をキョロキョロと見回す…
が、当然誰もいない…
…これってまさか…女神様…?
「……」
…まあ…勝手に思わせて頂くくらいはいいですよね…?
いつの間にか涙も止まり、思わずハンサの表情も少し緩んだ。
だが数秒後にハッとして彼はセダルの像に視線を戻し、
「…まさか、これもあなた様のイタズラとかヤメて下さいね。」
と話しかけると…
「?!…」
セダルの顔は少し笑ったような気がした…
「…?」
バタバタと廊下を走って来る足音に嫌な予感を覚えながら、男はドアの方を見る。
「ウェスラー様!!つい先程官邸の方に送られて来たメッセージと映像を確認したのですが…」
…予想通り…ドアを開け、飛び込むように入って来たのはデュンレだった。
「…廊下を走るなんてお前らしくないな。今は…」
「とにかく、ご覧になって下さい!」
上司に最後まで発言させないデュンレの切羽詰まった勢いに、ウェスラーの心には言い知れぬ不安がどんどん広がって行く…
「…とにかく…落ち着きなさい。」
自分自身にも言い聞かせるようにウェスラーはデュンレを宥めるが、彼のその表情は今まで見た事がないくらい蒼白で…それでいて、その目には怒りと憎しみ…そして悲しみも混在する、底冷えするような炎が宿っているように見えた。
自身の前に突き付けられた機器を確認するのが、彼は恐ろしくさえ感じた。
「…!!……」
…なんだ…?
…これは……
現実に起きている事…なのか……?
「…あの2人をここに呼んでくれ…」
目の前に映し出されているモノの残酷さに、ウェスラーは深く深く心を抉られていた。
椅子に縛り付けられている若い女性…それはおそらく…
グッタリとしてはいるが…意識はあるようで、虚ろな表情でこちらをチラリと見て、鬱陶しげに再び目を閉じた…
側にいた男は次に、その女性の手を取りカメラに向かって手の先を見せる…が、その手の指はほぼ爪が…
「……」
生爪は剥がされ…まだそれ程時は経っていないのだろう…
指先からは鮮血がポタポタと滴り落ちている…
その男はそれから女性の痛々しい手を離し、次はダラんと前に下がっている長めの髪を女性の首に掛けた。
…その髪に隠れていた首筋には赤い小さな点が数カ所あり…
「……」
その…あえて見せつけた点の意味を、ウェスラーはすぐ理解した。
と、
再び誰かが慌ただしく廊下を走る気配があり、少しの間思考停止していたウェスラーは、やっと気配の方へ意識を移す…
「お呼びですか?」
呼ばれて入室して来た2人は既に何かを察していて、努めて冷静にウェスラーに尋ねる。
「…これの真偽の確認を…それから……」
「ええ…分かっております。」
「え…?」
指示する前に応えたタニアの方をウェスラーが見ると…
タニアにもたれ掛かるように意識を失っているデュンレが視界に入った。
「…怒りの沸点が振り切れて感情の制御が出来ない状態になり始めておられたので…デュンレさんにはひとまず眠って頂きました。」
「…そうか……」
意思疎通の早さとタニアに手際の良さに思わず感心してしまうウェスラーだったが…
今のデュンレの気持ちは、自分にも痛いほどに分かった。
いっそ自分も彼のように気を失えたならどんなに楽か…とも…
だがそれで何かが解決する訳じゃない。
「…で、その映像は…?」
「ウェスラー様ぁ〜!!」
再び叫ぶ声と共に廊下を走って来る人が…
その人物は、デュンレが開けたままにしてあったドアをそのままに部屋に飛び込んで来て、ウェスラーに丸まった紙のような物を手渡したのだった。
「…なんだこの紙切れ…」
渡された紙をウェスラーが丁寧に開くと、中には小石と…小さな焦茶色の欠片のようなモノが下に落ち…紙には
[映像がフェイクでない証拠をお送りします]
と書かれていた。
「ついさっきガラスが割れたような音がして、急いで音がした方へ様子を見に行ったのですが…トイレの窓ガラスが割られていて、これが転がっていたそうです…」
焦茶色のカケラをウェスラーは拾い、日の差す窓の方にかざしながら見つめると…
それは剥がされてあまり時間の経っていない生爪のように見えた。
「…〜〜〜……」
彼の表情は再び険しくなって行き…
それは先程よりも更に殺気が増してるような…恐ろしい表情だった。
「…これと…さっきの映像を、君達はどう見る?」
「…映像は1度コピーされているようですが…残念ながら…どちらもイトリアさんご本人の物のようです。」
…ああ…
ヨルアの回答にウェスラーは目の前が真っ暗になり、崩れるように背もたれに身を預けた。
「…ご心痛はお察し致します。…ですが…恐れながら、ここが正念場と思います。イトリアさんのいる辺りは特殊能力の対策がかなり念入りに施してある場所の為に、捜索が中々進みませんでした。が…今しがたトビアタのとあるビルにいる事が判明し、現在、カシル含め人を至急向かわせています。」
「トビアタだと…?その地域の東部にテイホ軍の迷路のように入り組んだ地下施設があるはずだ。まず敷地内には入れてもらえないだろうし、安易に突入などしたら最悪の事態にもなる可能性があるぞ。」
状況が少し進展し、絶望感に浸っている場合ではなくなっている事に必死に意識を向けながらウェスラーは、
「君達の力であの子の様子はもう少し細かく分からないのか?」
とヨルアに詰め寄る…
「…私はテイホ政府要人達の一部が特殊能力者対策で脳内に埋め込んでいるチップに使用されている金属が苦手ですが、あの場所周辺はその希少な金属がふんだんに使用されているようで、どうにもイトリアさんの位置把握が上手く行きません。タニアちゃんは私より少しそれの耐性があるのですが、あの辺りはその金属の壁に加えて特殊電波や様々な仕掛けがあるようで…」
ヨルアは申し訳なさそうにタニアの方を見る…
「え…」
釣られてウェスラーもヨルアの視線の先に目をやるが…
既にタニアは消えていた。
「…どういう事だ?」
訳が分からず、ウェスラーは苛立ちながら再びヨルアを見る。
「たった今、テイホ国のある場所からあなたの自宅に向けてミサイルが放たれましたので、対策の為に僕と入れ替わりでタニアちゃんは現場に行きました。敵の予定ではもう何日か後だったみたいですが…」
「は?…」
ウェスラーが驚きの声を発した直後、すぐ横で人の気配と見覚えのある男の声が…
「…エンデ…?」
「今はタニアちゃんよりその男の方が、娘さんの状況を詳しくあなたにお伝え出来るでしょう。そしてその妖精も…いざとなればかなりの行動力と攻撃力を発揮致します。」
「え?……妖精…?」
見ると、エンデの頭には羽の生えた小さな人のような存在が…
そのシエルと共に現れたエンデの姿を確認すると、ヨルアはゆっくりウェスラーに一礼をして退室しようとする…
「待て、君はどこへ行く?」
ヨルアもこの場所から離れて行く雰囲気だったので、彼は慌ててヨルアに行き先を確認しようとする。
「例の男…私の敵がグエンの側から離れたようなので…私は暫し下がります。イトリアさんの方へは更なる強力な援軍が参りますので…あなた様はどうか今は静観を…」
「…!?……分かった。」
ほんのりピンク色に変化したヨルアの髪を見てウェスラーは一瞬怯んだが…
背を向けた彼女を静かに見送ったのだった。
「さて、では私もそろそろ出かける。エンデ、と、その…誰だっけ?」
「シエルです。」
「そうか、シエルか…じゃあエンデとシエル、お供をよろしくな。」
と言ってウェスラーは立ち上がる。
「はい。ここが正念場です。難しい状況を承知で申し上げますが、平常心で乗り越えなければならない事をお忘れなきよう…」
「…分かっている…」
ウェスラーは自分に言い聞かせるかのように…絞り出すようにそう応え…エンデやシエルの方は見ずにドアを開けた。
「…何処へ行くつもりだ?」
部屋の中央に置かれた軍事作戦用の大きなホログラム地図を人々が囲み、頻繁に行方が把握出来なくなる向こうの特殊能力者達の対応に苦慮し、作戦進会議がしばしば紛糾している中で…
テオがさりげなく退室したタイミングで背後から、詰問のような口調で行き先を確認して来る存在がいた。
「…あの娘の居所が向こうにバレましたから、これからトビアタの方へ援護に行って来ます。」
「お前は仲間へ指示は現場ではしないのではなかったか?……逃さんぞ。」
「……」
グエンが言い終えた直後にカチッっという微かな音が背後から聞こえ、テオは思わずハァッと溜め息を吐いた。
「私を殺したいならどうぞ。」
と言いながら振り向いて、両手を広げながら彼は微笑む…
「……」
…分かっている…こいつは…
それに…
現状、こいつの仲間は実行部隊だけでなく、軍部上層にも複数入り込んでいる。
今の時点でコイツと揉めたら、指揮系統が混乱して困るのはむしろグエン側なのだ。
だが…
余裕の薄笑いさえ浮かべる目の前の男の異様さに、グエンは向けた銃口をまだ下げられないでいた。
「…まあ俺はどっちでもいいけど、このまま黙って行かせた方が無難じゃないですか?かつて俺の処刑執行のサインをした政治家と、その死んだはずのテロ首謀者そっくりな男が官邸の中で接触してる所をマスコミや敵対政治家にでも知られたら…あなたもう後がない立場でしょ?」
「…処刑は10人の立ち合いの元でしっかりなされているし、その記録映像もある。それに15年以上も前の話をすぐ思い出せる奴なんてそういないよ。私もね、今更恐れるモノなどないんだよ。」
賢いのに死を恐れない駒は一見便利そうだが、中々コントロール下に置けないケースも多い…
何か独特のスイッチが入って暴走されるリスクも考えると更に厄介なのだが…
「…そう…でもあんた…顔が真っ青だよ。恐れるモノが無ければなんで俺なんかと手を組んだ?」
「……」
死んだはずのテロリスト…
こいつにはそもそも心があるのかさえ…
とにかく得体が知れない男。
「…我が国の未来の為に決まってる。」
「へぇ…未来の為に劣勢を承知で隣の大国と戦争する気なんだ。」
「…黙れ…劣勢などではない。」
「まあなんでもいいよ。俺も仕事の結果はちゃんと見たいしさ。あんたの邪魔する気はさらさらないから安心しなよ。」
「……」
…そう…
こんな奴の側は良い…仕事がやりやすい…
統治する立場にはあれど、その資質を欠いた者の周辺にいるのは…本当に心地よい…
そういう奴は俺みたいな存在にとても協力的だ。
「……誰か来たみたいだね。撃つ気ないなら行くよ。」
誰の?
何の為の仕事…?
そんなのは知らん…
「…おい待て…」
「グエン様。」
踵を返し歩き出したテオの後ろ姿に声をかけたグエンだが、背後から女性秘書の声が…
「何だ?」
グエンは慌てて銃をしまいながら振り向く。
「ご来客です。」
ああ…いわゆる…政敵か…
色々と厄介な存在ではあったが…
「…私は一旦、会議の方に戻るから…応接室に通しておいてくれ。」
「…かしこまりました。」
これは秘書も心得ている「しばらく待たせておけ」の指示で…彼女は余計な質問は挟まず、スッと下がって行く…
そして、グエンがもう一度振り返ると…もうあの男はいなくなっていた。
「……」
奴はやはり逃げたのだろう…
私からではなく、多分…
グエンはニヤリと笑う。
得体の知れない奴には相応の不気味な存在を…と思い付き、彼はテオに近付いた。
いや、あのテオだという確証はなかったが…あの容姿で独特な雰囲気…
何より、奴への接触のきっかけをくれた男は…
死刑の執行待ちだった仲間のジェイを密かに処刑した事にし部下にした時から、運命の輪は静かに回り始めていたのだろう…
テオがどうして生きていたかは…本人から聞いたが、グエンには理解の範疇を越えていて…未だ半信半疑なのではあるが…
駒としては中々優秀に思えた。
だが最近のあいつは…何かを密かに恐れているようには感じていた。
詳細など知らんが…
おそらく、あの男はミアハの連中の何かに…どうやら怯えみたいなモノを感じているらしい…
ならば…こちらはただそこに付け入って利用するだけだ。
共通の敵に対しては、それが有効と考えるグエンなのだった。
「…さて、政敵…いや、消えゆく敵を見届ける為に、一度クールダウンして置こう…」
グエンは例の作戦の完了を待つ為に、一旦執務室へと歩き出した。




