92 目覚めた人 愛しい家族
一方、時間は少し戻り…
エルオの丘内部のマナイの塔の上…
昏昏と眠るヨハを守るように佇むドームの脇で、アネセケルでの儀式を終えたヒカは、ミアハに着いてすぐに妖精のアーテと何処へ行ってしまったリクシュを待ちながら、絶える事なくヨハに語りかけていた。
「もうすぐですからね…待っていて下さい。きっとあの子がヨハさんを起こしてくれますから。あの子…リクシュは本当にあなたにそっくりで…能力も頭の良さも全部ヨハさんみたいで…加えて妖精さんともお話し出来たりする力もあるようなんです。…ヨハさんに似てくれて、私はとても安心しています。本当にとても良い子なんです。ヨハさんは、リクシュが赤ちゃんの頃から似たような話を繰り返してるなぁって…私に呆れてるかも知れませんね。」
ヒカはリクシュがまだ首が座らない頃から彼を連れてずっとここに通い続けた。
ヨハに無事リクシュが生まれた事を知らせたくて、ずっとここでおしゃべり繰り返してる自分を、もしかしたらヨハはウンザリしていたのかな…?と、急に思い始めて、少し落ち込み出すヒカ…
「…ごめんなさい、ヨハさん…私はうるさかったかな…?」
透明なガラス質の部分から見える彼を、ヒカは改めて見ると、陶器の様な無機質な肌の透明感が更に増して来ているように思えて…泣きそうになる…
「リクシュの気配を感じて下さったらもしかしてって…私が出来る事はそれしか浮かばなかったんです。あなたに会いたい…ヨハさんの声が聞きたいです。」
…私はこんな語りかけをどれくらい繰り返して来たのだろう?
毎日1度は何か話しかけてないと、いつの間にかヨハの心臓が止まってしまうのではないかと気が気ではなかった3年…
あなたはいつも側で私を見守って下さり…
それが当たり前になっていた師弟関係の日々だった。
ヌビラナでの事は今でも夢ではないかと思ってしまいます…
私は結局、あの地でもあなたに守ってもらってばかりでしたね。
あなたと過ごす日々は当たり前ではなかったと思い知らされる今…
会いたい気持ちがどんどん募ります。
ヨハさんの事を考え出すと、自分だけ時間が静止したように身体が固まり…少しして我に返ると、家族やフィナさんが苦笑いしていて…
そんな私を…カシルさんはあの手この手で笑わせてくれました。
なぜだかマリュさんも途中からいて、私と同じように丘の中で出産をされた事に少し驚いたりしましたが…
マリュさんは可愛い女の子を産みました。
大好きな、もう1人のお母さんのような存在のマリュさんが来てからは、そんな風になる回数も少し減っていた気がするエルオの丘での後半の時間…
ヨハさん、もう夜は明けましたよ。
「早くあなたに会いたいです…」
どうやらリクシュの力でヨハが起こせるらしい事が分かると、ヒカの中に押し込めていたヨハへの気持ちが止めどなく溢れて来て…
「ちょっと待っててね」とだけ告げていなくなってしまったリクシュが待ち遠しくて仕方なくなっているヒカだった。
けど何より…
あの子がやっと言葉を発してくれたのは嬉しいが、儀式後にいきなり外部の人達の所へ不思議な力を使って移動し出したリクシュが…
心配も勿論あるがそれ以上に…
どんどんと手の届かない存在になって行ってしまいそうで…
ヒカはとても複雑だった。
「…何処に行っちゃったの…?リクシュ…私の…私達のリクシュ…」
不安と恐れがじわじわとヒカの心を侵食して行く…
ヒカはまた涙がポロポロと…止まらなくなってしまう…
「ママ…」
「?!」
そんなヒカの背中に、不意に抱きついて来る温もりと、待ち望んでいた可愛い声が…
「…良かった……何処に行っていたの?ママをあまり心配させないで…」
「…うん……」
震える母の声から色々な思いがリクシュには伝わって来るのか…抱きつく力が少し強まり…
「…ごめんね…」
と、泣きそうな声でその温もりの主は小さく謝った。
「……」
…ありがとう…優しいリクシュ…
…分かってる…
あなたは普通の子ではない…大切な用事があるから行くのよね。
私こそごめん。
「リクシュ…顔が見たいの。ママにもあなたを抱きしめさせて…」
ヒカが頼むと、リクシュはパッと身体を離して母の前に素早く回り込んで来る。
「ママ。」
と、ヒカを見て彼は満面の笑みを浮かべた。
「リクシュ…」
ヒカは堪らずリクシュを思い切り抱きしめる…
「…分かってるの。分かってるから……困らせてごめんね…」
謝りながら自分を抱きしめる母にリクシュも抱きつき…
「…ごめんねは僕だから…ママ大好き。生まれる前から…これからもずっと…ママが大好きだよ。」
「リクシュ…ママも…生まれる前からあなたが大好きだったよ。生まれて来てくれて、ありがとう。」
涙と一緒にずっと抑えていた感情がどんどん溢れて来る…
「…僕も早く会いたかったよ。パパも…生まれる前に1度だけお話したよ。」
「え…?」
唐突にヨハの事に触れたリクシュに驚き、ヒカは思わず屈んで我が子と視線を合わせて彼の顔を見る…
「ヨハさんに…?…なんて…?」
「生まれた僕に会いたいって…だから頑張るって…ママを頼むって…」
「……」
ああ……
リクシュの言葉に再び涙が溢れ出すヒカ…
「……」
「…だから…」
蹲る母に再び抱きつき…
「パパを起こそう…ママ手伝って。」
と言った。
「な、なんでもするよ。どうすれば…」
ヒカは涙が止まり、真剣な目をしてリクシュに詰め寄る…
「うん…ちょっとだけ待ってて…」
リクシュはそう言ってヒカから離れ、上空で2人を見守っていたアーテを見上げ、ドームのヨハの顔の真上辺りを指さす。
「……アーテ、ここ…」
リクシュに頷いたアーテは急降下でドームに降り立ち、ヨハの顔の近くまで来て小さな穴を開ける…
…と、小さな穴はどんどん広がって行き、正装したヨハの上半身全体を露わにした。
すると、
「ありがとう、もういいよ。」
とリクシュはアーテを止めて、ヒカの方を見る。
「パパが目覚めたらドームは消えるから…それまでママはパパの手を握って名前を呼んでね。僕はアーテと、これと、おじいちゃんの言葉でパパの中を起こすから…」
リクシュはティテヌから授かった、先程の儀式の時の聖水の入った容器をヒカに見せ、少し不思議な事を言った。
…おじいちゃん…?
「…分かった…」
ヒカはとりあえずコクンと頷き、胸元に組まれていたヨハの両手をしっかり握り締め、
「直ぐ声をかけてもいいの?」
と、リクシュにタイミングを尋ねる。
「…少し待って。でもママならその時はすぐ分かるよ。」
そう言ってリクシュはヨハの額に手を当て、何やらよく分からない言葉を唱えながら彼の頭部全体に聖水を掛けて行く…
と…
その動作を見ていたアーテが、今度はヨハの腹部に移動し…
淡いピンクの光をヨハに向かって照射した。
「……」
「………」
少しして、ヒカがソワソワし出す…
……どうしよう…
もう声をかけていいのかな…?
タイミングなんて分からない…
「……」
リクシュを見るも…彼は真剣にヨハを見つめながら呪文のようなモノを繰り返していた。
…声かけは多少早くても問題ないよね…
と、ヒカが再びヨハの顔に視線を戻し名を呼ぼうとすると…
「…あ…」
ヨハの額に触れていたリクシュの手が青白く光り出し、血の気がまるでなく…陶器の様だったヨハの肌の色が…ほんのりと色付いた気がした瞬間…
「?!」
今まで…ずっと姿はあるのに空っぽの様に感じていたヨハの身体から温かな気配が、握っていた彼の手からしっかりとヒカに伝わって来て、
きっと今だ…
「ヨハさん……?」
ヒカは彼の名を呼んでいた。
「ヨハさん、起きて……」
「……」
「…ヨハ……ル・……お兄ちゃん……ねえ、お兄ちゃん…起きて。」
もういいよね…
今なら私の願いを言っても…誰も困らない…よね?
「…私を置いて行かないで…家族になって…一緒に生きて…お願い…」
涙が…また出て来たが、ヒカはなりふり構わず呼び掛け続けた。
「お兄ちゃん…大切な四葉のクローバーを守って栞にしてくれてありがとう…ねぇ起きて…」
「…!」
次の瞬間、
僅かな身じろぎと共に、その手はヒカの手をしっかりと握り返して来た…
そして…
「!!…」
長い間閉じられていたその青い瞳は…
ゆっくりと開き…ヒカを見た。
「………おはよう……ヒカ…」
「お兄…ヨハさん…」
ああ…会えた……やっと…
ヒカもギュッと彼の手を握り返して、
「……嬉しい…です。おはようございます。もう…夜は明けましたよ。」
と答えた。
「……」
ヨハはそんなヒカを見て微笑み…そのまま自分の額に手を置いて呪文を続けているリクシュに視線を移す…
「あ…君は…リクシュ…」
「……」
父の言葉にもリクシュは謎の言葉を止めず……
だがヨハの頭部には、リクシュの涙が時々ポタッと幾度か落ちて行く…
「……」
リクシュの動作を、彼の両親であるヨハとヒカは温かい目でしばらく見守っていた。
すると少しして言葉は止み、リクシュの手がヨハの額から離れると…
ほぼ同じタイミングでヨハの腹部に光を当てていたアーテも彼から離れて天井へと高く飛び上がった。
すると直後にヨハの身体がやや浮き上がり…
と同時に長い間ヨハを包み込んでいたドームは一瞬で消えてしまったのだった。
「…白い…長いお髭のおじいちゃんがパパの起こし方を教えてくれた時、女神様の言葉はちゃんと言うんだぞって……だから僕、頑張ったよ。」
…長いお髭のおじいちゃん…?
涙で濡れた彼の頬をハンカチでそっと拭ってあげているヒカに向かって、褒めて欲しそうにリクシュは打ちあける。
ヨハもヒカも、内心は謎のおじいちゃんの事がとても気になるのだが…
「リクシュ…パパの手を引っ張ってくれるかな?」
ヒカとリクシュのやり取りに割り込むように、ヨハは横たわった状態でゆっくり地面に着地していた彼が、サッとリクシュに手を差し伸べる。
「うん。」
と、リクシュは途端に笑顔になって、父の願い通りに手を引いて必死にになってヨハの身体を起こすのだが…
ヨハの上半身が途中まで起き上がったところでバランスを崩し、リクシュはよろけて父の胸に倒れ込んでしまう。
「…捕まえた。こんな大きくなって…パパは嬉しくて泣きそうだよ。」
と、その態勢を待ち構えいたようにヨハは、まるで自分のコピーのような顔立ちのリクシュを思い切り抱きしめるのだった。
「く、苦しいよ…離してよ〜」
「嫌だ…離さな〜い。」
父親からの愛溢れる容赦ないハグに、リクシュは悶えながらも楽しそうで…
「ママ助けて…」
とヒカに助けを求めるが、彼女はニコニコしながら…
「ヨハさん、ズルいです。私も混ぜて。」
と、ヒカも2人に抱きついて行くのだった。
「もう、苦しいってば〜」
と、ヨハのヒカの間で踠きながらも…リクシュはとても楽しそうに笑っていた…
やっと…
やっと訪れた家族の交流…
というか、じゃれ合い…
リクシュは、父が起きてくれた事が嬉しいが…それ以上に初めて母が心から笑っている姿を見るのが本当に嬉しくて…
「……」
文句を言いながらも、2人にされるがままになっていた。
「……」
「…ほら、ハンカチ…」
待ちかねたヨハの声を、瞑想の広間で待機しながら様子を伺っていたエイメとリュシは確かに確認し、慌ててギリギリ様子が見える場所まで移動してマナイの塔を見下ろし、2人は号泣するが…エイメは流れる涙を全く拭おうともせずにいたので、見兼ねたリュシがエイメ自身が無意識に握りしめていたハンカチをなんとか引き抜き…
彼女に手渡したのだった。
「…もう少しあのままでいさせてあげたいのですが…」
唐突に、
2人の背後でハンサがため息混じりに呟いた。
「…ハンサ様…」
いつの間にか背後にいたハンサに2人は少し驚きながらも…
「…またあの子…リクシュはどこかへ行かねばならないのですか?」
半ば諦めたような表情で…でも悲しげにリュシはハンサに問う。
「…当初の予定では、リクシュ君だけで対応しなければならない事でした。けどティテヌ様は…間に合うならヨハ君も同行した方が良いと…なぜなら」
「ハンサ様、それ以上のご説明は結構です。聞いてしまったら…世界があの子達の力を必要としていると分かっていても…彼等に行くなと懇願してしまいそうなバカな親がここにいますから…」
「……」
…そう…確かに…
これから彼等はかなり危険な場所に行かなくてはならないのだ。
「…リュシさん…あなたのそのご英断に感謝致します。今の私にはそれしか言えない…申し訳ないです。…では。」
ハンサは辛そうにそう言って、彼等に背を向け歩き出した。
「……」
…リュシもエイメも分かっていた。
こんな状況で、ミアハの重い重い荷物を背負わざるを得なかったハンサ…
近くでヒカ等をずっと見守って来たそんな彼も、これからは私情を挟める余裕もなく、残酷な役回りを…ミアハの危機の為に粛々とこなして行かねばならないのだという事を…
ハンサを取り巻く者達は皆知っているのだった。
「ヨハ君…おはよう。…良かったね。」
「…ハンサさん……」
ハンサが階段を降りてマナイの塔に降り立った頃には、彼等の和やかなスキンシップは終わっていて、そこには微妙な空気が漂い始めていた。
そんな空気の中で、彼等まとわり付く様に飛び回る、見知らぬ新たな妖精…
その妖精…アーテの表情にも笑顔は消えていて…
その様子は、ハンサにあの夜のリンナと自分のやり取りを思い出させた。
おそらく…今しがたアイラから自分に伝えられた件とほぼ同じ内容の事を、儀式直後からリクシュと共にいるあのアーテという妖精が、リクシュやヨハの袖を必死に引っ張りながら告げたであろう事は、ハンサにもなんとなく想像は出来た。
「ヨハ君…目覚めたばかりなのに本当に申し訳ない。」
辛そうに謝るハンサだったが、ヨハ本人はとても穏やかな表情で彼を見ていて…
「ミアハの為ですから、あなたが謝る事ではないです。僕はヒカとリクシュに出会わせてくれた女神様に恩返しがしたいし、自分を教え導いてくれたセダル様とあなたを安心させたい。その為なら、僕で出来る事はなんでもやりますよ。」
「…ヨハ君……」
…いや…
呼ばれているのは君だけじゃない…
むしろ…
ハンサは、やはり辛そうに…ヨハからリクシュへ視線を落とす…
「…リクシュ…君はヨハ君からだけでなく、タニアちゃんやトウ君の持つ特殊な力を全て合わせて、更にそれ以外の力も有しているようだ。この状況で女神様がその力をお与えになったという事は…」
「うん。おじいちゃんも言っていたしアーテも…僕は虹の星の女神様や向こうの泉の女神様からも何かもらったって…だから、もらったモノを大事に使いなさいって。さっきパパと一緒に行ってってアーテが教えてくれたから…これからパパと行くの。」
「…おじいちゃん…?」
笑顔で一生懸命に説明するリクシュの言葉の中のおじいちゃんというワードに、やはりハンサも引っかかるモノがあった。
「うん、夢の中に出て来る髭のおじいちゃんだよ。でもさっきパパを起こしている時には僕の横にいて、ミアレの御言葉は間違えないで最後まで唱えなさいって…」
「…?!…」
リクシュの思いがけない告白にはハンサだけでなく、その場にいたヨハもヒカもある共通の人物を想像し、お互いに目を見合わせる…
「…えっと…リクシュ、そのおじいちゃんに髪の毛はあった?」
「ない。あ、今いるよ…」
不意にリクシュは、質問して来たハンサの右隣の辺りを指差した。
「おじいちゃんが……え?……うん…うん…分かった…」
ハンサの隣をじっと見つめながら、リクシュは何やらうんうんと頷く…
「……」
そんな彼の不思議な動作に、他の3人は唖然としながらも様子を見守る…
そしてリクシュはゆっくりハンサに近寄り…
「ハンサ様、内緒話をしてもいい?」
「…おじいちゃんがそうしろって言っているの?」
真剣な表情で頼んで来るリクシュに、ハンサは努めて冷静に確認をする。
「うん…」
「…分かったよ。どうぞ…」
どこまでも真剣なリクシュを断る事も出来ず、ハンサは内心戸惑いながらも彼の背丈に合わせるように屈んで見せる。
「…あのね………」
ハンサの耳に両手を当てて、リクシュなりに声の大きさを抑えて囁く彼の言葉を聞いているうちに、ハンサの表情はみるみる強張り…
「……」
驚いたように見開いた目には涙さえ滲んで来ていた。
「……だって。終わりだよ。」
「………あぁ……ありがとう…」
リクシュがハンサの耳元から手を離しても、ハンサは固まったように動かず…その目からは今にも涙が溢れ落ちそうな状態になっていた。
「あ…じゃあリクシュ、そろそろ行こう。」
一瞬訪れた沈黙を破るように、アーテに手を強く引っ張られたヨハは何かを察し、慌ててリクシュを促す…
そして、何やら異変が起きているハンサの事は頼むと言いたげにヨハはヒカに目配せし…
「じゃあヒカ…後でたくさん話しをしよう。」
と笑顔で告げて、彼女が待ちかねた人は、愛しい息子と共に消えたのだった。
「あ、あの…き、お気を付けて…」
ヒカはヨハの言葉にすぐ反応出来ず、慌てて声をかけた時には既に2人は消えていて…
「……」
急にハンサと2人きりになり、いつもとかなり様子の違う彼にヒカはどう言葉をかけたらよいか…
「あの…」
オロオロしながらも、ヒカは意を決して話しかけようとした。
だが彼は素早く腕で涙を拭うような仕草をし…彼女に背を向け、
「大丈夫…僕は大丈夫だよ。」
とだけ言って、上へ登る階段の方へと歩き出してしまう…
が、その途中で彼はふと立ち止まり、ヒカの方へクルッと向き直る。
「…ヒカちゃん…まだ君はセダル様とお別れはしていなかったよね…?今なら僕も少し時間があるから…セダル様の所へ行ってみる?」
「…よろしいのですか?」
ヒカはハンサの提案に驚く。
なぜなら、セダルの死はまだミアハの民には公式に発表されておらず…元老院の準備が整い次第、次期長老となるハンサの声明でその事実は明らかになるのだが、その後に成就の間で執り行われる先代長老と民との最後のお別れの儀までは、元老院以外の者はそこには立ち入れないのだ。
「セダル様は君の事を最後まで心配されていたし…君はヨハ君と共に危険を承知でヌビラナでの任務に頑張ってくれたんだ。それに…あの方は今の危機を乗り越えミアハに新たな時代を引き寄せる力を持つ者として君達を信じておられた。だから元老院も、君の事をリクシュ君を産んでくれた功労者と捉えているしね。」
「そ、そうなのですか…でも私は…」
リクシュはあくまでヨハと愛し合い将来を誓った結果、生まれて来てくれた子とヒカは思っているので…そんな大層な立場に、知らない間に押し上げられていた事には困惑しかなかった…
「…君もまさか危険を伴う任務中で…その…ヨハ君とそういう展開になるとは思いもしなかっただろう?」
「!……」
…確かに…
だが、よりによってハンサにそんなに踏み込んだ確認をされるとは思いも寄らず…ヒカは絶句した。
ハンサは周囲に人の気配があるかを注意深く確認し、更に続ける…
「…ごめんね。ヨハ君が無事に目覚めてくれた今だからこそ、君は知っておいた方がいい思うんだ。あの星で君達が結ばれた事は、エルオの女神とあの星の大いなる意識体…つまり女神同士が結んだ約定により導かれていた結果でもあるんだ。だから我々は…」
「ハンサさん、恐れながら…分かっております。でもヨハさんはお医者さんになる為にティリに行く前に、私の事を家族と思うからって言って下さいました。家族ならばずっと死ぬまで絆は切れないからって。なのに…師弟関係を一方的に壊してしまった私は、あの星であの方にとにかく謝罪し、改めて部下にして頂きたいと懇願したのです。でもそれは拒否されました。…けれども、いつ死ぬか分からないならば、私とは家族でありたいと…ヨハさんは言って下さいました。その言葉があの方の本当の気持ちと私は信じています。いや…信じたい…です。その言葉が私には全てで…女神様の計らいがどんなモノであっても、皆さんに今の私達の事をどう言われても、ヨハさんとリクシュと…本当の家族になれた事は感謝しかありません。これからの日々は、私は覚悟を持って、家族の為に大切に生きねばならないと思っています。」
ティリでお医者さんになる前…?
「……」
…ああ君は…
「…君は…思い出せたんだね?」
「…はい。ヌビラナで…あの方と育児棟で過ごした日々を全て鮮明に…それが女神様のお力によるものなのか、ヨハさんの家族と言う言葉に私の何かが反応した為なのか…理由は分かりませんが…とても大切な思い出を取り戻せて、今は本当に幸せです。」
「…!…」
…なんて……
君はなんて幸せそうに笑うんだ。
…君は…そんな表情も出来る子だったんだね。
かつてヨハ君は、君が自分の事を全て忘れている現実を受け止めきれず、ショックで倒れて3日ぐらい意識を失っていたと…記憶している。
だけど悲しかったのは…やはりヨハ君だけじゃなかったんだね。
そしておそらく…
アネセケルでの儀式の後で僕がティテヌ様に呼ばれて話した直後…君も少しの間いなくなった時間があった。
その時に…君も多分…ティテヌ様からあの事を聞いたのかな…?
ヒカの口から出た覚悟という言葉に、妙に重い響きをハンサは感じていた。
いや…
それはヨハ君が目覚めた事で芽生えた、彼女なりの自覚が言わせた言葉なのかも知れない…
微妙に変化した彼女の雰囲気に関しても、今はあえてこちらが深読みする必要はないと思う事にしたハンサだった。
「そうなんだね。だけどヒカちゃん、君の家族はヨハ君とリクシュ君だけではないし、大切にしなければならない絆は家族だけではない事も忘れないでね。」
ヒカはハンサの言葉にあっという表情をした。
「…はい。そうですね。私は…エルオの丘の中で……」
そうだ……私は…
あの人達は…リクシュを産んで3歳になるまでずっと…側で寄り添ってくれていたのだ。
[リクシュが生まれて、私達にも新しい生き甲斐が出来たのよ。それに…一時はどうなる事かと思ったけれども、今はあなたと別れた長い時間を取り戻せている気分でとても幸せよ。何より、ここで過ごす事自体がなんだか心地良いの。これって凄いと思うのだけど…家族皆んなでこんな体験をさせて貰えるって凄い事だと思わない?…これからは私達にもっと頼って。どうか私達には変な気は使わないでね。]
ヒカがお礼を言うと、いつもエイメだけでなくリュシやトウも似たような言葉を返してくれていた。
そしてセランも…
最初こそ会話はあまりなく、なんとなく話しかけ辛い雰囲気はあったが…
産気付いてからはずっと側で励ましてくれて、リクシュが無事生まれた時は涙を零しながら、
[お姉ちゃん、おめでとう。]
と言ってくれた。
思えば、出産からはリクシュを通して大分普通に話せるようになったし、周囲も交えて盛り上がる会話自体も増えて来ていた…
けど私は…
リクシュが成長し、3歳を迎える日が近づくにつれ…目覚めないヨハへの不安がどんどん膨らんで来て…周囲の人との会話もどこか上の空だった。
それはヨハが目覚める時までヒカ自身は自覚がなかった事だが…
「あの…私…」
「君の家族への気持ちをあえて僕に伝える必要はないよ。だがそれだけ今の君は、周囲の人に目を向けられる余裕が出て来たのだと思うから、良い事だと思う。セダル様もきっと喜んでおられるよ。」
と言うとハンサは、ヒカの頭を一度だけ撫でて微笑んだのだった。
「…はい。叶うならば、私は今からセダル様にはこれまでのお礼をお伝えしたいです。」
そう言ってヒカは、そんなハンサを満面の笑顔で見上げるのだった。
「…そうか、じゃあ行こうか…」
リクシュの能力は素晴らしく、聡明でとても優しい…
彼を突出して特別な子とは感じるが…人を束ねて海千山千の大人達を相手にして行くにはまだまだ経験が乏しいし、とにかくあの子はまだ幼い。
だから…僕が正式にあの子との師弟関係を結ぶ前に…なんとしてもミアハは危機を乗り越えて、君達家族の団欒の時間を少しでも作ってあげたい…
…だって君は…
君達は……
「……」
彼は、込み上げてくる感情を押し込み…再び階段に向かって歩き出した。




