89 出発する者達
「では、私はハンサ様とリクシュ様と共にアネセケルの地下神殿へ戻らせて頂きます。」
そう言って、儀式を滞りなく終えたばかりのティテヌは祭壇から一歩下がり、両腕を顔の前に組み片膝を引きながら、組まれた両腕で顔を隠すようにして頭を下げた。
「…こちらこそ…この度はわざわざティテヌ様御自らお越し頂き儀式を仕切って頂けた事は…今後のミアハの民の中では伝説に近いモノとなる事でしょう。本当にありがとうございました。」
ハンサと共にもう1人の長老代行の立場となったイレンが、そう言って長達と共に深々と頭を下げた。
「いえ、私共の方こそ…こんな稀有な儀式にお招き頂いた事は伝説に……いえ、伝説にならないように今は頑張らないと…あなた方の去られた後のアリオルムなど考えたくはありませんから。引き続き私達も全力でミアハの民を応援致します。」
途中までにこやかに話していたティテヌは最後は真顔となり、言い終えた直後に素早くリクシュの側に移動してしゃがみ込む…
「リクシュ様、私達をアネセケルの神殿まで連れて行って下さいますか?」
「…?」
リクシュは一瞬キョトンとしたが、あっと思いついたようにティテヌに笑顔で、
「うん。」
と頷く。
「!!……」
初めて聞くリクシュの返事に、皆が驚いたように彼を見る。
すると彼は片手を上げて、その人差し指を天に指し示すような形を取り…
「アーテ、来て。」
と、誰かを呼んだ。
すると…
リクシュの指し示した人指の先が光り始め…
「え…?…」
リクシュの指の先には妖精が…
「…リンナ…?……じゃない…」
そのリンナよりやや小さめな妖精はリンナより髪が短く…
リクシュの顔の前に移動すると、その髪はふわふわと靡いて虹色に煌めくのだった。
「…距離もあり、人数も少し多いからアーテを呼んだのですね?…素晴らしいです。」
頭を撫でて褒めるティテヌをリクシュは嬉しそうに見て、
「リンナは疲れて寝ちゃった…だからアーテに頼んだの。」
と説明した。
そしてリクシュは今度はヒカの所まで行って、
「ママ…パパを起こしてあげたいから一緒に来て欲しいの。」
とにこやかに言って、驚いたまま固まっているヒカの手を握った。
「…まったく……」
ウェスラー達のいる部屋の隣室に控え、周囲の様々な情報を収集ながら待機しているタニアは、軽い舌打ちをした直後に呟く…
舌打ちの理由にすぐ気付いたヨルアが、少し愉快そうにタニアの方を見る。
「図太いのに…彼はタニアちゃんに関する事に対しては臆病よね。でもこれが初めてじゃないし、またすぐグラつくんだから…タニアちゃんが慣れるしかないわよ。」
「…分かってる…ちょっと長く離れると悩み始めるの。いい加減覚悟を決めて欲しいのに…私の為だけじゃない…パパにも…あの村にとっても彼は大事な存在なんだから。」
ヨルアとは対照的にやや不機嫌なタニアは、今まで2人で色々と話し合って来た事はなんだったの?と、脳内のエンデの残像に問いかける…
そんなタニアの心情が見たくなくても見えてしまうヨルアは、
「…でも気持ちは通じているんでしょ?タニアちゃんがその都度安心させてあげる必要はありそうよ。彼のお母さんに対しての罪悪感みたいなモノが彼を無意識に追い詰めてしまうみたいだから…あ、でも…子どもが出来てしまえば彼もいよいよ覚悟が決まるわよ。」
「な…まだわ、私達は婚約だって…」
珍しいヨルアの具体的なアドバイスに、タニアは急にしどろもどろになる。
「ふふ…イチャイチャはしていても一線は越えてないみたいね。」
「そ、そんなとこまで見ないで。もう!」
真っ赤になって抗議するタニアに、ますます揶揄いたくなって来るヨルアだったが…
「私は面白がってるけど、一応、真面目なアドバイスのつもりよ。…まあ…今すぐに子どもは安易に考えられないタニアちゃんの気持ちも分かる。でも、あの男に本当に決心させたいなら子どもよ。目の件は避けられない未来だけど、タニアちゃんならきっと支えられる…」
「……」
…それは分かっている…
だけど…物理的に離れてしまうと揺らぎ出す彼に、どうもモヤっとしてしまうタニアだった。
「……愛する人との子どもを想像出来る未来なんて…私には羨ましい事よ。タニアちゃんは私にとってその羨ましい人生を進もうとしている事は、ちょっとだけ頭の片隅に置いて欲しいモノだけどね…」
あ……
タニアはハッとしてヨルアを見るが、彼女は既に背を向けていて片耳に手をやり、誰かに連絡をしようとしてるところだった。
「あ、今運転中よね、ごめん。あいつ等やっぱりあの子にちょっかいかけて来てる…うん、もう元の仲間と合流しちゃってるわ。それでね…………だからソフィアも意識して冷静に見て上げて。じゃあよろしく。」
マリンちゃんか………なるほどね…
「彼はマリンが思ってる以上に冷静で賢い。だけどそれがまだあの子はよく分かってないから……あの子…元々は健気で真っ直ぐな気質なんだけど…親を取り巻く環境が酷かったからね。他人を信じる事には時間がかかるんだよね…知り合いの若い頃にちょっと似ていてなんかほっとけなくて。ソフィアじゃなくてもちょっかいかけたくなるんだよね…」
…知り合いって…あの先輩か……
タニアに背を向けたまま言うヨルアに、
「ヨルアさん、そういうのはちょっかいじゃなくて手助けって言うのでは?」
と、苦笑しながら敢えて指摘する。
「…まあ…例え冷静でもすぐには気持ちなんて切り替えられない事はよくあるから…まだあの2人は多少の紆余曲折はありそうだからね。面白がってるだけよ。」
背を向けたまま会話しているヨルアの姿は、タニアにはどうにも照れ隠しに見えて…今度はタニアの方がニヤニヤしてしまうのだった。
と…
「おい、これ…」
ノックなしでカシルが唐突に部屋に入って来て、ある小さな機器をテーブルの上に置く。
「…以前の改良型みたいだ。説明いるか?」
念の為の盗聴対策でカシルは意識的に説明を省いているようだった。
…これは以前マシュイの開発した通信機の改良型イヤーフォーンという事か…
「……説明は大丈夫みたい。」
カシルの前でマシュイの父がアイラに必死に説明している過去の様子が脳内のスクリーンに現れ、使用方法や注意点は会話の中で大体理解した2人だった。
「今後館内ではこれでやり取りしろってさ。じゃあ2人分を置いて行くな。」
カシルは冴えない表情で、用事を終えるとそそくさと退室しようとする…
この2人には、見られたくないモノを見透かされる上に余計な言葉まで投げかけられそうで…
カシルからしたら一刻も早く離れたい存在が、ここに2人もいるのだ。
特にタニア…
あいつは妙にセランの肩を持っていたから、出来ればこの役目はやりたくなかったのだ。
「…あんたも色々ややこしい思考回路になっちゃってるのね。タニアちゃんは余計な口を挟む気ないから、代わりに私が言ってあげる。自力では無理のようだけど、息子君の力であの男はいずれ目覚めるから、それは安心なさいな…」
背中に向けて放たれたヨルアの言葉にカシルは歩みをピタッと止め…
「…そうか…」
とだけ言った。
「これで多少雑念は晴れたでしょ?」
「うるせ……」
ヨルアの揶揄するような助言にそっけなく返すと、カシルはスッと出て行ってしまった。
「…自分から突き放したクセにね…あれじゃまるで…」
あれは…
昔…カシルの彼女が不治の病に罹って酷く落ち込んでいると…
風の噂で聞いたヨルアは、一度だけ遠目に彼の様子を見に行ってしまった事があった。
別に話す気もないのに…
何も力になんてなれない事は分かっていたのに…
学生時代はいつも強気で前向きだったカシルが無性に心配になって…
まあ…若干の好奇心もあるにはあったが…
さっきの奴はあの時みたいな顔してたな。
モテるクセに…器用に遊ぶ事も出来るクセに…本気の恋愛モードに陥ると途端に健気で臆病になるんだから…
「セランちゃんはあの程度で諦めるような子じゃない。いずれカシルさんも前向きにはなると思うけど…問題はその後よ。」
「…彼女のお母さん…よね?」
「…エイメさんはまだカシルさんの違う一面を見ていないから、誤解はしてるけどいずれそれも…だけどエイメさんの本当の心配はそこじゃない。」
「……」
それはきっとカシル自身もどこかで気付いてるから、セランを傷付けたくなくての拒絶なのだろう…
だけど女神様はカシルに幸せになって欲しくて…だからかつて彼に特別なブルーベリーの実を授けたのだろうから…
叶うならば、カシルには今度こそ幸せな結末の恋をして欲しいと願う2人だった。
「え…?予定変更?」
不意に指示して来たソフィアに思わずラフェンは聞き返す…
「理由はまだよく分からないけど、ヨルアちゃんがそう言ってるから…大丈夫。だからあんたは今すぐバフェムと行って。」
「行ってって…2人でなんとかなる状況なんですか?」
なんだこの雑な指示は…
と、ソフィアに若干呆れ気味のラフェン…
「…だから私も詳細は分からないのよ。だけど、ヨルアちゃんがそういう言い方をする時はそれなりの援護や準備があるって事だと思って動くしかないわ。当面の援護はバフェムに任せてあんたはマリンちゃんの方に集中して。じゃあね。」
「え、ちょっ……切れちゃった…指示が大雑把すぎるでしょ。場合によっては誰かの命が無くなるかも知れない状況じゃないの?あの人はマリンちゃんが心配じゃないのかな…」
そう愚痴り…少々苛立ちながら歩くラフェンは耳から手を離す。
そんなラフェンに並行して歩くバフェムはフッと失笑し、
「…まあ落ち着いて。ミアハの人の力は不思議な事が沢山あるからね。僕は体験を持ってそれを知っているから…マリンさんの側にもテイホの能力者がいるみたいだから、我々が下手に段取りを把握してない方が上手く行く事もある事を彼女は知っているみたいだよ。…それにあの人は、マリンちゃんがほっとけなくて自宅に彼女を住まわせているくらいだから…心配してない訳ないよ。」
そう言ってラフェンの肩を軽く叩く…
「……」
…まあ…ラフェンの心配は他にもあって…どちらかというと彼はその件から自分が離れる不安の方が少し大きいのだ。
「それに…あの人の救出には強力な味方が沢山動いているんだ。僕達は僕達で必要とされている事に集中しようぜ。」
そう付け加えて、バフェムはもう一度彼の肩を叩いて彼を追い抜いて行く…
「…はい…」
…そう…イトリアさんの件では、君が直接出来る事は…ない。
聡い君なら…少し冷静になればすぐ分かる事だよ。
それに…
今のイトリアさんの状況を知ったら…君はおそらく冷静に任務は遂行出来ないだろうから…
ごめん…今は言えない…
そう…イトリアは今…
とりあえず命の心配こそないが、本当は辛い状況になっていた。
彼女の心が壊れる寸前の状態になっている事は、ラフェンには伝えられない重苦しさを抱えながら、バフェムは車のドアを開けた。
「なんで…なんでこんな事するんだ…?もう止めろよ…」
薄暗い地下室の片隅に蹲り…顔が晴れ上がり別人の様に変化してしまっているレベンが力無く…だが泣きながら呟く…
「…うるさいなぁ…あと1人分足りないんだから…まあしょうがない。」
虚ろな表情で痛みに悲鳴を上げ続けるイトリアを見つめながらジェイは言う。
「よ…3枚も剥がせば十分だろ…しかも麻酔もしないで…まともな神経じゃない…」
今現在、部屋の中心部で行われている事を直視出来ず、彼は頭を抱えて言葉を吐き出す。
あの狂気の作業を何度も止めさせようとして、反抗虚しくレベンの顔は今の状態になっていた…
「…また生えて来るんだ。他の部位を切り出すよりずっと優しいよ。またボコられたくなかったら黙ってろ…グダグダ言ってるならお前も手伝わせるぞ。」
「ヒッ…勘弁してくれ…」
「……」
部屋の中央に置かれた椅子にイトリアは座らされ、逃げられないように胴体部分をロープで椅子に固定した上で更に大の男4人が彼女の手足を押さえ付けて動きを封じ、4枚目の生爪を剥がしているところだった…
イトリアは幾度となく言葉にならない呻き声を上げるが、彼女の目は既に希望の光を失っているようにレベンには見えた。
「よし、出来た。」
剥がし終えた4枚目の爪をシャーレのような物の中に入れた男が嬉々として部屋を出て行く…
「一応手当てしとけよ。上玉の大事な商品だから、何かあったら大金がパーだ。」
ジェイの指示で手足を押さえていた残りの3人がイトリアの指を丁寧に手当てをし始め、手早く消毒をして包帯をし終えたところでさっきイトリアの爪を持って出て行った男が戻って来た。
「どうだ?上手くいったか?」
「はい。最初の一枚だけは例の処理で良いのですよね?」
一仕事を終えたようにやや寛いでタバコを吸っているジェイに、その男が改めて確認をする。
「ああ…。あれで奴等はかなり感情的になってくれるだろうし、こちらの本気度も強烈に伝わるだろからな。……おい、何してる?余計な事するなよ。」
「え…でも…いくらゲスな金持ちに売るにしても傷とかあったらダメでしょ…?」
「それはまだいいんだよ。この子はこの後に向こうの部屋で撮影に協力してもらうからね。爪が本物っていう証明も加えてしておけってテオさんの指示なんだ。だから首のソレもね…見せた方がいいだろ?」
「ああキスマーク…」
戻って来た男が、グッタリしているイトリアの少しはだけた胸元の赤くなっている部分を確認し、苦笑いした。
「アンタら本当に…これをあの秘書にも見せるって事でしょ?マジで…」
アンタらマジでクズですね…という言葉は、約束の高額報酬を受け取る前の男はギリギリの所で飲み込んだ。
「ちょっと目を離したらコレだからな。処女膜は絶対手をつけるなって言っておいたが…キスマークつけやがって、まったく…」
「まったくじゃないでしょ。処女膜の話をするくらいなら、最初に商品には絶対に触れるなと言えば済む話でしょう?」
「…昔な…あの人が釘を刺したのに女を刺激して、とんでもない状態になって命を落とした男がいたんだ。一応、こいつが化け物かどうかを試す意味もあった。後でそのキスマークもお前に消してもらう予定だ。落ちぶれだとはいえ、こいつら一族は元は辺境貴族だ。俺等みたいな金持ちや役人に人とも思われないような扱いもされないだろうし、泥水を啜るような生活なんてした事はないだろう。それにこいつの親父は懲りもせずにまた人を見下ろしこき使う立場にのしあがったんだ。このくらいの痛みが耐えられないくらいならそれまでなんだよ。どうせあの秘書はこの子は抱けない…コピーを抱いてれば十分だ。…その子を椅子ごと隣の撮影室へ運んでくれ。」
吸いかけのタバコを灰皿に押し付けて立ち上がりながら、ジェイはイトリアへの一連の作業を行っていた男達にそう命じて先に出て行った。
そしてそれに続くように男達も、意識はあるものの虚ろな表情でグッタリとしているイトリアの座っている椅子の足をそれぞれ抱えながら、彼等もゆっくりと出て行った…
「……」
ああ俺は…
間違いなくあの子の破滅の手助けをしてしまったんだな…
あの子は既に心を壊しかけている。
生命こそ奪われなくとも、世の中のルールをクソとも思わない何処ぞの金持ちの手に堕ちれば…
彼女は今後…身も心もまともな扱いはされないだろう…
俺だって…
奴等の言う事を聞いたって…約束通りに妹を返し報酬をくれる保証なんて何もないに等しいのに…
[私達は懸命にあなたの妹の行方を追っているの。パパの人脈と私の仲間の力を信じて欲しい。だから今は誰に何を吹き込まれても、私達がその情報を確認するまであなたは動かないで。]
ラフェンと再会させてくれたあんたを、俺は信じきれなかった…
その結果がこれだ。
あの子への酷い仕打ちの場にあえて立ち会わせ、手の内をベラベラと躊躇なく話してるって事は…
おそらく奴等は俺を生かして自由にする気はないんだろう。
ごめん…
ラフェン…ソフィアさん…
なによりイトリアちゃん…
本当にごめん。
残された部屋に1人…絞り出すような嗚咽とともに、両膝に顔を埋めて涙を零すレベン…
『過去の行いを嘆いてばかりでは何も変わりませんよ、レベン…今のあなたに出来る事を探しなさい。』
レベンは耳元で囁くような女性の声にハッとして顔を上げる。
「誰だ……?」
キョロキョロと周囲を見渡すも、この部屋にはレベンしかいない…
…そうだ…
そういえばソフィアさんは前に…
ケイトの事はきっとソフィアさん達がなんとかしてくれる。
だから…
俺はせめてあの子を…イトリアちゃんを助けなければ。
「……」
…そうだレベン、俺にだってまだやれる事があるはず…
レベンはシャツの内側に貼り付けていたある布を握りしめ、彼の名を心の中で必死に呼んだ。




