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8 エンデの準備


「やはりか…」


エンデは病院の受け付けで門前払いを喰らい、建物の外に追い立てられる。


「せっかくウェクさんに服を貸してもらったのにな…」


村長の息子に貸してもらった服を残念そうに見回しながらエンデは呟く…


この国でも都会にはキチンとした医療設備があると村長から教えてもらった時、一度は必ず実際に現場の様子を見てみたいという願望がエンデはずっと強くあった。


村長が村の農産物を街の青果市場に卸しに行くついでに、自分をそこから近い大きな病院の前まで連れて行って欲しいと、ずっと頼んでいたのだ。


だがこんなに立派な病院でも、全ての人を診てくれる場所ではないとも聞いたので「衣食住がなんとか満たされていれば良い暮らしという…貧しい村で育った我々のような村人がいきなり赴いても、多分、身なりだけで差別されて門前払いを受けると思うよ。せめて待合室の様子だけでも見学出来るようにこれを着てみて」と、村長の長男のウェクが都会へのお出掛け用の服をエンデに貸してくれたのだが…


有力者のコネや紹介状がないと、建物の中に入る事も無理だった。


エンデの生まれ育った国ユントーグは、貧富や地方格差は凄まじく…首都や周辺都市以外の地方の村は診療所すらないところも多く、エンディの住む村も多分に漏れずそれぞれの家で使えそうな薬草を育てて怪我や疾病に対応するしかなく、容態が深刻化した際に苦痛が激しそうな場合は、苦肉の対応策として「終わりの薬」を用意して置くのだ。


村でも村長や一部のそこそこ裕福な家は、都会の病院に受診出来るだけの金銭的余裕はギリギリあるが…彼らも病院へ繋がるコネを持たないと診てはもらえないとの事。


エンデはそれが普通なのだと疑問も持たず受け入れていたが…ミアハの様なとても小さな国でも病院はあって、国民は皆もれなく受診出来るという状況を知ってかなり驚いた。


上流市民の為の病院しかない我が国の、その理由をエンデなりにちゃんと知りたかったのだ。


この病院の拒絶は予めエンデには見えていた展開でも…命を守るべき場所で味わう実際の理不尽さには、やはり滅入るモノがあった。


だが病院の位置は把握出来たし、他の目的はこれからと、気持ちを切り替えてエンデは歩き出す。


「お前の気持ちは私も痛いほど分かるがな…先に言っとくが、現実はかなり厳しいぞ…」


数時間前の、隣でトラックを運転しながら呟く村長さんの言葉が耳の奥に甦り…彼の話は全くもって真実とエンデは痛感する。


エンデはウェクに書いてもらった街の簡単な地図を手に、辺りを見回しながらゆっくりと歩く…


「病院の通りを右に…あの道へ入るのか…」


しばらく歩くと、しっかりした門構えの広い庭…その向こうに大きな建物が見える場所に着いた。


とても広い庭では沢山の…シンプルだが小綺麗な服装の子どもが体操の様な事をしていた。


「…これが…学校…」


ここはエンデ達の住むポウフ村から車で約2時間程の、首都の手前のかなりひらけた大きな街レブント…


この華やかで開けた街の病院や学校は、見た感じとても洗練されていて…選ばれし者のみが立ち入りを許される場所のようにエンデには見えた。


まぁ…ここは見学以前に唐突なよそ者の入場はまず無理だろう…だが場所は覚えた…


地図の見方と…この辺の地域の空間認識の仕方を理解したエンデは、地図をポケットにしまい…


「今回はこれでいいか…」


と、クルッと向きを変えて元来た道を戻り始める。


そして村長のいる市場まで、時々裏路地を覗きながらエンデはゆっくり歩いて行く…


「……」


華やかで小綺麗な表通りとは違って、少し細い道に入ると…怪しげな人達や座り込んで動かないぼろぼろの衣服の老人や…蹲る子供の姿も時折目にする。


あの子達は…確か…


と…


路地を覗き込むエンデに気付いた、危ない気配を漂わせる2人組の男がゆっくり近付いて来たので…慌てて表通りに戻って人混みに紛れ込む…


「…今日はここまでにしよう…」


今度は早足で、エンデは真っ直ぐ村長の待つ市場を目指した。





2か月後…


エンデは再びレブントの市場を目指す村長のトラックの助手席に乗せてもらっていた。


荷物を下ろす際の手伝いを済ませたら、村長が用事を終える1時間前後が自由時間となるので、エンデは市場に着いて素早く荷下ろしを頑張った。


「じゃあ1時間後に戻ります。」


と、1人市場を出て行こうとするエンデに村長が声をかけてくる。


「人気のない細い道には入るなよ。怪しい輩に追っかけられて上手く逃げられたのは運もあるんだ。トラブルが起きても大人が必ず助けてくれるとは限らないんだからな…気を付けるんだぞ。」


村長はエンデの不思議な能力をある程度把握はしているが、まだまだ子供の経験値と体力では対応が追いつかない事もあると心配しての注意だった。


「分かってます。せっかく連れて来てもらったのだから、村長さんには迷惑を掛けないよう気を付けます。」


子供扱いする村長に対して少し不満気に答えるエンデに、村長は軽くため息を吐く…


「…分かってないと思うぞ。お前がここで事件に遭遇してどうかなってしまったら、テウルは何と思う…?決して焦るな。お前の夢には俺も出来る範囲で協力してやるから…もう変な気を遣って作物や木苺は持って来なくていい。その代わり、ここで怪我したりトラブルに巻き込まれたらもう連れて来ないから、それを心しろ。」


村長の言葉にエンデは立ち止まる。


振り返り、深く一礼をしてすぐ向き直り、エンデは歩き出した。


徐々に遠くなるエンデの後ろ姿に、村長は再び溜め息を吐く。


「思い立ったら一途で…結構頑なだよなぁ…なんか…だんだんテウルに似て来たな…」


苦笑いしつつ、次回からエンデには誰か大人を付き添わせなければと…かなり小さくなってしまった後ろ姿を見守る村長だった。


一方、エンデは…


「…急にじいちゃんの名前を出すなんて反則じゃないか…似てるのはどっちだよ…まるでじいちゃんに言われてるみたいだった…」


エンデは村長に気付かれないように、しばらく歩いてから頬を伝う涙を腕で拭った。


テウルは…

もしも自分が病気になってしまったら、エンデは思うように動けない自分の世話を懸命にするだろう…だがまだ子供の彼が、病人の世話をしながらここで日常の生きる為の全ての作業を一人でこなせるとはとても思えず、いずれ共倒れになる事を恐れていた。


終わりの薬を求めても、母を救えなかった事に強い後悔のあるエンデは、恐らくテウルの頼みを拒む事も想像がついた。


故にテウルは…もしも自分が動けなくなってしまった時は、見舞いと称して「終わりの薬」を飲ませに来て欲しいと予め村長に頼んでいたのだ。


そんな2人の約束をエンデは気付いていたけれど、ずっと知らないふりをして…テウルが倒れた時も村長には中々知らせに行けなかった。


村長は村長で、エンデが知らせに来て駆けつけた時、既に事切れて身綺麗にされベッドに寝かされていたテウルを見て、彼はテウル達の密約を知った上で、万が一の時は息を引き取るまで誰にも知らせず傍にいる覚悟をしていたであろう事をなんとなく察した。


全てが落ち着いた頃に村長がエンデに話してくれた事は…テウルは火事で家族を失う以前から、かなり疲れると動悸がしたりする事を時々周囲にこぼしていたらしい…


更に…


エンデの運命を変えた大火事では、なんとか炎から逃れた人でも酷い火傷を負っても適切な処置も出来ないまま…合併症で亡くなった人も少なくなかった事を、2人はエンデのいる所で話したりはしなかったが…既に…エンデは火事の夜からしばしば悪夢で見ていた。


村における人々の病気や命に関わる現実は厳しく、[そういうモノ]と…エンデは無意識に受け入れていた事だが…


ミアハの人達と接点が増えるに連れて、彼等の生活の様子の映像が見える機会も増え…


彼らは身体の不調や怪我をした際には、皆漏れなく特定の医療施設に行って治療や手当てを受けている事に大きな衝撃を受けたのだ。


その施設のある建物は大層立派なモノもあるが、エンデの自宅ぐらいの小さい規模の施設もあった。


…例え規模は小さくとも、この村にあの施設が一つでもあったら…


という願望がエンデの中で日増しに膨らんで行き…あの施設を村に作る為の手段をエンデなりに調べる事にしたのだ。





「あ、あの子だ。」


やっと会えたとばかりにエンデは路地裏に駆け込む。


そこには膝を抱えて座っている男の子がいた。


「ねえ君、お腹が空いてるでしょ?」


その少年は見た感じ5.6歳くらい…緑色の髪で緑色の目をしていて、髪は汚れ、着ている服は汚れてるだけでなくボロボロだった。


いきなりなんだ?という表情で少年は顔を上げ、警戒を顕に立ちあがろうとするも…おそらく何日もロクなモノを食べていないのだろう…足に力が入らずコケてしまい、エンデが慌てて少年の腕を掴んで支えた。


「驚かせてごめんね。君はここら辺の子じゃないよね…僕は多分、君の故郷を知ってるし、なぜここにいるのかも知ってる。血を抜かれたりあちこちの皮膚も少しずつ取られて髪も抜かれたよね?痛いし怖くて逃げて来たんでしょう?」


「な…んで…分かるの?…誰…?」


少年は怯えていた。


エンデはとりあえず安心させたくて、掴んでいた腕をゆっくり離しながらニッコリ笑って、この為にカバンに入れて来た木苺を練り込んだクッキーを少年に差し出す。


「木苺のクッキーだよ。僕の得意なお菓子なんだ。食べる?」


少年はまだエンデを怖がりながらも空腹には勝てず、クッキーを恐る恐る受け取って口にする。


「美味しい…」


少年は初めて笑顔になり、ムシャムシャとアッと言う間に食べてしまった。


「もっと食べたい…」


と、手を出してクッキーのお代わりをせがむ少年に、


「美味しいでしょ?はい。」


とエンデは苦笑いしながら2枚目を渡す。


差し出されたクッキーを今度は奪うように取り、少年は夢中で食べる…


そんな少年にエンデは、


「食べながらでいいから聞いて。君に嫌なことした人達はもうここまで君を追って来ないと思う。だけど、ここにこのままいても君は寒い季節を乗り超え切れず死んでしまう可能性が高いんだ。僕と一緒に来ないか?お菓子ばかりは食べられないけれど、お腹は空かなくて済むくらいの食べ物はあるよ。僕の畑のお手伝いをしてくれれば分けてあげる。そして、落ち着いたら…君の家族と暮らしていた場所も、探す事も出来ると思う。…どうかな?僕は絶対に嘘はつかないよ。約束する。」


「……」


3枚目を要求する手をエンデに伸ばしながらも少年の反応は微妙で…


あまりに自分の置かれている状況を詳しく知っているので、少年は痛い事をたくさんさせた人達の仲間と疑っている事をエンデは察知した。


「僕は君を攫った仲間じゃないよ。僕ね…小さい頃に火事で死にそうになってから人より色々なモノが見えるようになったんだ。例えば…君は赤ちゃんの時に怪我して左足首にその後が残っていて…一昨日くらいに前歯が抜けたでしょう?それ以前にも歯が何本も抜けてるけど、その歯は抜けて良い歯だから大丈夫だよ。じきにもっと頑丈な歯が生えて来るから…」


3枚のクッキーを口に運ぶ途中で、少年は驚いたようにエンデを見る。


「…少し信じてくれた…?君を助けたい僕の気持ちも信じてくれると嬉しいな…」


と…エンデはここで唐突に嫌な顔をする。


「とりあえず、ここを離れよう。もうすぐこの道に入って来る酔っ払いのおじさんに絡まれそうだから…騒ぎになると君も嫌でしょう?」


クッキーをかじる途中の少年の両腕を掴み、エンデは急いでやや強引に立ち上がらせようとする。


有無を言わせないエンデの動作に少年は戸惑いながらもたついている間に、通りの奥からふらふらと足元の覚束ない男がこちらに歩いて来るのが見えた。


「なんだぁ…ガキども…ここで何か悪だくみしてんのかぁ…」


エンデの言う通り、このままだとあの男に絡まれて厄介な展開になる事に少年は慌て始め、そこで初めて目の前の不思議なお兄さんに従う動作をとって、導かれるまま必死で歩き始めた。


「お〜い、逃げんのかぁ…ガキども…」


追いたいが身体があまり言う事を聞かない千鳥足の酔っ払いの男はコケて倒れ…尚も何か言って来る声はどんどん小さくなって行き…


2人が大通りに出ると…もう追っては来なかった。


「どうしてあの変な人が来るって分かったの?お兄ちゃん…なんか…凄い…」


夢中で逃げたが…落ち着いて来ると、少年はエンデが本当に不思議な人だとじわじわ分かって来て…驚きながらも彼を信用し始めていた。


「そうかな…でも実は君の特殊な力もなかなか凄いんだよ。今はよく分からないかもだけど…とりあえず、ここから市場に向かうからこれを…」


と、エンデは隣に並んで歩く少年に帽子と上着を渡す。


「これは…?」


少年はエンディから渡されたモノの意味がよく分からず、隣を見上げる…


「君の髪と服が汚れ過ぎていて、表通りを歩くには悪目立ちしてしまっているから…早く身に付けて。」


そう笑いかける…吸い込まれそうな美しい藍色の瞳を持つお兄ちゃんの顔は一応笑顔だが…常に周囲を警戒している…


「…分かった…」


少年は言われた通りにする。


「あぁ結構似合ってる。カッコイイよ。村に戻ったら一番にお湯で身体を洗おう。汚れたままでいると病気になりやすいからね。」


そう言って謎のお兄ちゃんは周囲を気にするのを止めて少年と手を繋ぎ、


「じゃあ…市場まで少し急ぐよ。」


と言って早足になった。





「お前…あの子達をどうするつもりだ?」


エンデはあれから2回、村長のトラックに乗せてもらってレブントの裏通りで行き場を失ったミアハの浮浪児を見つけては拾って来た。


彼等は皆、ミアハの能力を欲しがる大国の回し者が攫って来た研究サンプルで…思うような成果が望めない事が判明し、脱走を黙認した結果、レブントまでなんとか生きて辿り着いた子達…


大国メクスムからミアハまで1番近いルートは、このメクスムの属国ユントーグを通る道だが…攫った奴らはユントーグが閉鎖的で素性の分からないよそ者を心配してどうこうする余裕もなく、同時にウッカリ政府のお尋ね者を手助けした罪で投獄される事も恐れる人々だという事も把握している。


大国の影の研究者達は、レブントの街にはエンデみたいなモノ好きは殆ど存在しない事を分かった上で、生き抜けないのを計算済みで子供達の脱走を放置しているのだ。


「ミアハに返してあげたい。家族も心配しているでしょうし、あの子達はミアハの地に戻れさえすれば、失われた特有の能力は復活出来ます。…この村は、誇り高いが野心を持たない国ミアハとの繋がりを大事にして、彼らの力を借りて自治の在り方を参考にすべきです。両親の受け入れ態勢が整うまでは僕がお世話して、その間に子供達には僕のお手伝いをして貰おうと思って…。僕…もうすぐ捕まるから…」


連れて来た子供達の衣食住の世話をし、エンデがこなしている日々の作業を少しずつ手伝ってもらい…


夜はテウルが寝場所にしていたスペースを改造して子供達用の大きなベッドを作って寝かせ、エンデ自身は昼間作業の合間に意識を飛ばして収集した情報を深夜睡眠時間を削って整理し、レブントや大国の様々な知識や常識を学んで…


そのパターンを生活のルーティンとして繰り返し…子供達の小さなアクシデントはまま有りながらも、半年近くが過ぎた。


そんなエンデ達の様子を気にかけ色々と手助けしてくれる優しい村長一家…


ある夜、子供達が寝付いた頃を見計らったようにやって来た村長は、エンデの今の話の後半部分を聞いてサッと顔が青ざめる…


「…やはり…来るのか…?」


村長の為に準備したお茶の残りを自分用のコップに注ぎ、それを一口啜ったエンデは、


「はい、必ず…約1年後くらいですかね…」


と、平然と答える。


「だから色々急いで準備しないと…いずれユントーグはメクスムに完全に吸収されますから…混乱の前にこの村の立ち位置を少しでも良くする為にはそれなりに準備が必要です。」


「だからってなぁ…どうしてお前が…本当に他に方法はないのか?」


「ないです。…というか、村とあの子達の為にはこの方法が一番と考えています。あの子達は間もなくやって来るこの村の危機を乗り越えれば、いずれ村にとって心強い存在になってくれますから…村長さんからじいちゃんを通して譲り受けたこの土地を、知らない奴らに踏み躙られたくないんです。僕なりの方法で聖地と共に守り抜きます。僕がいない間は、あの子達にここの掃除等の管理を任せるつもりですが、メクスムかユントーグ中央部の役人が来た時だけ、村長さんが管理している体で対応して頂けると有り難いです。…あの大火事の時みたいに、いつも村の外部の人間に踏み躙られっぱなしにはしたくないから…僕、頑張りますから…その時が来たら、子供達の事をどうかよろしくお願いします。」


エンデは椅子に座ってお茶を飲む村長の側まで来て膝を付き、頭を地べたに付けて懇願した。


「エンデ、止めてくれ。お前が村の為にありもしない罰を受けるなら、私も村長の立場でやれる事をやるまでだ。私は私で村の為に備えないとな…あの子達の事は心配するな。必ず守ってやる。お前が無事に戻り、あの子達を無事ミアハに返すまでな。…だからエンデ、頭を上げるんだ。」


村長は立ち上がり、強引にエンデを起こす。


「私達は今までに何度もエンデの不思議な力に助けられている。…本当に、いてくれて良かった…あの大火事でのテウルの活躍には本当に感謝しかないよ。…そうだ…あの火事で焼けてしまったが、私の家には古くから伝わる村の文献があったのだが…君のよう…」


村長が話の途中でふと古い文献の事を思い出した時、


「うわ〜ん…」


子供の泣き声が聞こえて来て、2人はハッとなる。


「…あぁ多分、イードです。一番下の金髪の…5歳になったばかりだから、まだ時々夜泣きするんです。…他の子も起きちゃうから…ちょっと行って来ます。」


苦笑いしながらエンデは出て行く…


「……」


…そう言えば…前にもこんな場面が…


かつてここに避難していた時、火事の夢を見るたびに夜泣きするエンデをテウルがよく宥めていたな…


「…テウル…まだまだ子供と思っていたが、あの子はいつの間にやら……お前…誇らしかろう?」


村長は、空になったコップをもて遊びながら、かつてテウルの特等席だった斜向かいの椅子に向かって笑いかけた…




「セジカ…」


暗闇のベッドの中で、小さく名前を呼ばれたセジカは暫く動かず…


隣で眠るサハの様子を伺いながらそっと起き上がり、無言のまま小屋を出て行く…


夜が深まった事を待ち侘びていたように、ホ〜ホ〜とどこかでフクロウが鳴いている


夕食の支度をしている時にエンデから耳打ちされた通り、雑木林から神殿に向かう道の手前で待つ彼の元へ急ぐ。


このような形で彼に唐突に呼ばれた事の意味は、ある程度察しが付いているセジカだが…歩きながらどんどん涙が込み上げて来て…それを必死に堪えながら、またひたすらに歩く…


今夜は大きい方の月だけが出ている夜で、それが満月になっていてやたらに美しい夜…


「セジカ。」


セジカの姿を見て、エンデは軽く右手を上げる。


「サハを起こさずに出て来られた?」


彼の声はいつもと変わらず穏やかだが…満月の月明かりを背にしている為か、セジカにはエンデの表情がよく見えない。


「…はい…」


色々な感情が混ざり、言葉がうまく出て来ないセジカ…


エンデはセジカの頭をそっと撫でる。


「そんな不安そうな顔をしないで…大事な眠る時間を削いでしまってごめん。…連中は明日の午前中にやって来るから、その前に君と少し話をしておきたかったんだ。」


…やはりか…


セジカの緑色の瞳から止めどなく涙が溢れ出て来る。


「…本当にごめん、セジカとサハには暫く心細い思いをさせてしまう…ここに連れて来たのは僕なのに…本当に、本当にごめんね。」


その言うと、エンデはセジカをギュッと抱きしめる。


「うっ…ぐす……僕…分かっていたのに…泣いたりしてごめんなさい…」


「なんで謝るの?僕こそ…ここに連れて来たのは僕なのに…不安にさせてごめん。僕の為に泣いてくれてありがとう…セジカは本当に優しい子だよね…」


エンデは抱擁を解いてセジカの両肩に手を置き、笑いかける。


「でも、僕は絶対に戻って来るから…神殿とサハの事をよろしく頼むね。前にも少し話したけど、サハは君とここに残る事を選択してくれたけど、まだ自分の不安と向き合うには幼いし、何より突発的に無茶をしそうだから…あの子が望めばお父さんはミアハからすぐ迎えに来ると言っているから、お互いに大変だったら村長さんと相談してサハのお父さんに連絡してね。」


セジカは…


エンデが1番最初にレブントの裏路地から連れ帰った子。


彼は…ミアハに戻れる家があるようでない。


レブントだけでもそれらしい浮浪児は他にチラホラ見かけたが…他の街にも迷い込んだセジカ達の様な身の上の子はまだまだいる。


今回、ピンポイントで連れ帰った子達は…エンデなりに条件が合う事で救出を優先した子…


救い出している一方で、彼等はエンデの目的に叶う子という打算もあり、路地には同時に他にも手を差し伸べるべき子はいたが、今のエンデには3人以上は支えきれない未来が見えていて…今救える子と敢えて見過ごす子の辿る運命の差を見てしまうと…なんとも辛く…罪悪感に苛まれた。


純粋に自分を慕うセジカ達の姿にも喜びを感じながらも、複雑な心境にもなり、心がチクチクと痛む事もある。


たが今のエンデには状況的にこれが精一杯で…


これからやって来る幾つかの困難を乗り越えたら、村とミアハの架け橋となるべく、神殿周辺の地に彼等達の為の施設も作り、大国のエゴの犠牲になったミアハの子供達を可能な限り救いたいと考えているのだ。


セジカ、サハ、イード…


セジカとサハは緑色の髪と瞳を持つ男児で、どちらも2.3歳の頃に攫われていて、セジカは間もなく誕生日を迎えると9歳になり、サハは7歳…


彼等は体格は華奢な割にタフで…セジカは大人しくサハは少しやんちゃで好奇心が強いが、共通している事はとても優しい…


セジカは彼が攫われて間も無く母親が亡くなり、父親は能力者であるが…妻が病死してからは心痛から健康を害し、少し長い期間を寝込んだ際に何かと面倒を見てくれた女性の同僚と縁があり、一緒に暮らし始め赤ちゃんが生まれる節目で再婚している為、ミアハにおけるセジカの居場所はあるようでない状況にある。


父親の方は一緒に暮らしたいようだが、セジカは家族の記憶もあまりない上に血の繋がらない家族がいる事に気持ちが追いつかず…一度はミアハに帰ったのだが、程なくしてエンデの手伝いがしたいと戻って来てしまい、エンデを兄のように慕っている。


一方、サハの両親は健在で、引き取りたいとすぐに申し出はあったのだが、サハには他に兄弟が3人いて、サハの末の妹が体調を崩して入院し無事に退院出来たのだが、まだヨチヨチ歩きの赤ん坊な為、健康面は不安定要素が多いので…家族は皆サハが生きていた事を喜んではいるのだが、落ち着かない兄弟達の様子と赤ちゃんの体調に関しての微妙な緊張感もあり、サハにとっては居心地が良くなかったらしく、彼も戻って来てしまった。


ただ、両親はサハを手元において暮らしたい気持ちは強く、妹の状態が安定し元気になればミアハに戻る可能性は高いのだが…


サハはエンデを深く信頼し、決して楽とは言えないここの暮らしを気に入ってくれているが、とにかく面倒見が良くて優しいセジカにかなり懐いているので…ミアハにスンナリ帰るようには見えない。


ただ…やんちゃな割に泣き虫な面もある子なので、エンディのいない間はセジカに負担が行ってしまう事がちょっと心配の種ではあるのだ。


イードは淡い金髪に薄茶色の瞳で黄金の肌色の特徴をもつ幼児だが体格は割とがっしりの男の子で、サハとあまり変わらない年齢に見えるが実際は5歳という最年少で、幸運にも攫われた途中で逃げて来たようで両親の記憶もあり、攫われたのが比較的最近で幼い事もあって、知らせを聞いて程なく両親揃ってエンデの家まで彼を引き取りに来たのだ。


エンデが自宅に連れて来てすぐにイードは他の2人と仲良くなり、エンデにも懐いてどこに行くにも付いて来て、村の生活に慣れたタイミングのお迎えだったので、両親と帰る事をかなりゴネたが、「またいつでも遊びにおいで」と特別な日に食べる為の木苺のジャムをパンに塗って渡すと、笑顔になって帰って行った。


エンデには彼は言葉通りこれからちょこちょこ村に遊びに来る姿が見えているし、イードもエンデの夢の実現には心強い味方になる可能性を未来に秘めている貴重な人材として期待している子でもある。


イードに関してはまだ幼い事もあり、エンデがいなくなる前にとりあえず両親の元に帰れて良かったと安心している。


「明日、君達は朝食後すぐに神殿の掃除に行って欲しい。サハには大事な用事で僕がしばらく出掛ける話は時々して置いたから、掃除から帰ったら[きっとそうだ]と伝えて。」


「……」


セジカは特に言葉を発する事なく、潤んだ目で時々相槌を打ちながら、エンデの言葉を真剣に聞いていた。


「君は賢く思慮深い…だからあまり心配はしていないけど、大事な判断を迫られる状況になっても、とにかく落ち着いてね。ここに役人が来るのは最初だけで…後は大丈夫と思うけど、もしも怪しい人間が敷地内に入って来たら…」


エンデはセジカとサハの二人に普段から言い聞かせている緊急事態の対処法をとりあえずもう一度セジカに説明をした。


「僕は僕なりに君達を見守っている事を忘れないでね。僕はメクスムの奴等の信頼さえ得られれば1年くらいで一旦身柄は解放される。それまでなんとか乗り切って欲しい…。多分、怖い思いをする様な事はないから…普段通りに日々を過ごせばいいんだ。どうか留守番をよろしくね…」


「あの…これ…」


今までずっと黙ってエンデの話を聞いていたセジカがおずおずと手を差し出す。


「…なんだい?」


差し出されたセジカの手には干した草のような繊維状のモノで編んだ腕輪の様な形状の物体が乗せられていた。


「ライカムの草を乾かして編んだ腕輪です。柑橘の様な良い香りがするし、その香りは人の気持ちを安心させると村長さんに聞いたので、サハと一緒に編んだんです。エンデさんはきっと無事に帰って来ると祈りを込めました。」


エンデはセジカの説明が終わらない内に早速それを腕に通して香りを嗅ぐ…


「…う〜ん、良い匂いだ…それに綺麗に編めているね。ありがとう。」


所々やや出っ張っりがあるのは…恐らくサハが編んだ部分だろう…


ライカムは陽射しの温かさをじんわり感じられる季節に淡い黄色の花を咲かせる精神安定の薬草でもあり、村では痛み止めとしても使用する。


「実は、僕達の分も編んだんです。」


セジカは少しはにかんで、ポケットから3個の腕輪を取り出してエンディに見せる。


「3個あるけど…」


「イードの分です。…また4人で…一緒にお芋を焼いたり川で遊んだり…木苺のお菓子を作るんです。」


…セジカの目は涙が今にも溢れ落ちそうになっていた。


「…そうだね…僕も楽しみにしているよ。」


…ライカムの花言葉は…「再会」


この腕輪に込めたであろうセジカの切ない願いがエンデの心を締め付ける…


サハの動揺を極力小さくする為に自分の居なくなる事は事後報告で、セジカに上手く伝えてもらう前提で…


今夜は、もうサハの前では伝えられない注意事項を念を押す意味で話すだけだったのに…セジカの表情は月明かりでやけに悲しげに見えて…エンデは堪らずもう一度、セジカを強く抱きしめる。


決して楽ではない…ここでの生活を望んでくれた彼等に少しでもより良い未来を引き寄せてあげなければ…


かつてじいちゃんも、こんな風に自分を見ていたのか…?


「大丈夫だよ。必ず戻るから…君がそんな顔をしてたら悲しくなる…」


「…っく…う……ごめんなさい…」


セジカはエンデにしがみつく様に抱きついた。


「…謝るのはこっちだよ…心細い思いをさせてごホントにめん。セジカ…本当に優しい子だね…」


「……」


「………」


エンデはセジカの宥めるように時々ぽんぽんと背中を叩きながら、いつの間にか角度を変えた満月をしばらく眺め…


そして…


またどこかでフクロウの鳴き声が聞こえて来ると…


エンデはやや強引にセジカから身体を離し…


「僕はまだ少しやって置く事があるから、君はもう帰って。サハが起き出すのも心配だから…」


「はい…」


心細げに返事をし、家に向かうセジカの背中にエンデは、


「暗いから足元に気を付けて…今度4人揃ったら皆んなで川遊び用のボートを作ろう。」


と声を掛ける。


「ええきっと。約束ですよ。」


振り返り、手を振ったセジカは…少しだけ笑った。




翌日…


セジカとサハが神殿の掃除と周辺の整備を終え、日が傾く頃に帰宅すると…


2人をここに優しく迎え入れ、食べ物と居場所を与えてくれた主人は…


予告通り、居なくなっていた。





「お前…」


少し前…


ありもしない罪を周到に準備し、前触れもなく押し入った林の中のボロ家には、今、デュンレの隣で風に当たりながら窓の外を見つめる夜空のような深い青い目の…手錠を掛けられて座る若者がいた。


10年近く前に起きた大火の傷跡も未だ完全には癒えぬ田舎の村の、質素な小屋の様な建物の中で彼は椅子に座り…置かれた状況には全く似つかわしくない小説を読んでいた。


それは数年前にメクスムで流行った冒険小説だった。


教育施設も整えられない貧しい村の、中心部の集落からも離れた林の中に暮らす若者が都会の流行りの小説を手に読書…


そして何より…こいつは…


我々がいきなり押し掛け拘束しても、終始驚く様子は無く…抵抗もしなかった。



まるで…


いや…


大国の力で罪を捏造してまで属国の警察に介入し、あの人が欲した男なのだから…当然、それなりの理由を有する男なのだろう…


それに…コイツの目の色…


拘束時にまずサングラスを掛けさせろと言われていた意味がすぐに分かった。


極秘案件ゆえに移送時の悪目立ちを避ける意味があったのだろう…世界には青い目の人間はそこら中にいるが、あんな…独特な深い青の瞳は初めて見た。


声に反応し、サングラスを少しずらしながら車窓からこちらに視線を移した若者のその目を直近に見てしまったデュンレは、その吸い込まれる様な青の深さに思わず息を飲む…


「……」


「…?…僕の目はそんなに珍しいですか?」


薄っすら口角を上げる彼の質問には余裕すら感じ、こちらの戸惑いは見透かされているかの様…


やはりこの余裕は…突然に謂れの無い罪で拘束され連行されている途中の人間の様ではない。


「…まるで何の目的でどこに行くか、予め知ってるみたいな態度だな。」


男は再び視線を窓の方に戻し、


「まあ…僕の今後の扱いは、あなたも漠然とご存知の様ですから…」


「?!」


…やはりあの方は…


「…お前は今、罪人として然るべき場所に連行される途中という事だ。無駄に痛い思いをしたくなければ、その鷹を括った様な口の利き方は止める事だな。」


動揺を誤魔化す様にデュンレは努めて淡々と言葉を紡ぎ、自身と手錠で繋がっている隣りの男を軽く威嚇する。


「…罪人…なんですね。」


と、忠告を右から左へ流すように余裕すらある言葉を呟く男の胸ぐらを、デュンレは空いている手で掴む。


「俺は今、忠告したつもりだが?…三度目は無いぞ。」


「…では僕もいいですか?3つ後ろの車に尾行されてますよ。報道関係みたいです。それから、少し急いだ方がいい。間もなくこの辺は激しい雷雨に巻き込まれて彼らの車も撒けず、後々厄介な状況となってあなたの敬愛する上司にドヤされる羽目になりますよ。」


エンデが言い終えるや否や、デュンレは目を見開き舌打ちしてから、彼を1発殴り、


「タラ、飛ばせ。奴らを撒くんだ。」


と、運転席の男に指示を出す。


彼らの車が猛スピードで何台もの車を追い抜いた数分後…辺りに雷鳴が轟き、滝のような雨が降り出した。





初めて見る、とても高いビル…


だがエンデは、目の奥の淡い藍色の光の映像の中で既に何度か見ていた建物…


この後、この車は地下に向かい、そこから上に行く移動用の箱の様なモノに入って、この建物の最上階へ行く…そうだ…あの箱はエレベーターという名前だったか…


「降りろ。」


隣りの金髪でサングラスの男は手錠を外しながらエンデの下車を促す。


「いいか、くれぐれも妙な気を起こすなよ。命が惜しくば…村にも迷惑を掛けたくないなら黙って指示に従え。」


そう言いながら男は上着を脱いで金髪の鬘を外し、代わりにエンデには茶髪の鬘を被せて、先が筒状の黒いモノを黒い上着で隠すようにしてエンデの脇腹の辺りに先を当てて突く。


これは銃というヤツか…殺傷能力の強い武器だな…


「……」


エンデは黙って素早く車を降り、金髪から黒髪に変わった男がそれに続いた。


二人が降りるとすぐ車はどこかへ行ってしまい、運転手も戻って来なかった。


既に見た映像通り、男はエレベーターにエンデを誘導し上に向かう。


そして、最上階の表示が出てエレベーターの扉が開き…


これからのエンデや村、更にはミアハの運命にも関わる人物の待つ部屋へ…


エレベーターに1つ…廊下に至っては、そこかしこに監視カメラだらけ…


その階は、エレベーターのある側にドアが1つ、廊下を挟んだ向かいには3つ…


どのドアの右側にもインターフォンの様なモノが付いているが、その大きさや頑丈さ複雑さも際立っているドアが向かい側に1つ

だけあった。


そのドアの両側には黒服の警備らしき男が立っていて…


黒髪の男は真っ直ぐそのドアに向かい、両側に立つ2人には目もくれずにインターフォンに付いた数字のボタンを複雑な順番で押し、Yシャツの胸元のポケットから出したカードを下の部分に差し込む。


すると、その上の部分から


「入れ。」


という声と共に、カシャンという鍵が外れた様な音が聞こえ…


男はやや大きな声で、


「失礼します。」


と言いながらドアを開けた。


そこは…


派手さはないが洗練されたデザインの家具が配置され…事務的な仕事をする場というより、この部屋の主人の寝泊まりする場に見えた。


ベランダに面する方のカーテンの引かれた窓際に、この部屋の主人らしき男がガウンの様なモノを羽織って立っていた為に、エンデにはより彼のプライベートルーム仕様の部屋との印象が強く映ったのかも知れない。


実際、ガウンの男がここで寝泊まりしてる姿がエンデには見える。


そして、彼こそが謂れのない罪を理由にエンデをここまで引っ張り出すよう指示した張本人だ。


エンデを連行した男と同じ黒髪だが、やや白髪混じりの初老のその男はゆっくりと振り向き…


「やあ、エンデ君、メクスムへようこそ…」


と言って少し口角を上げたが…目は笑っていなかった。





「ふう……」


窓を少しだけ開けて夜風を感じながら、エンデは大きく深呼吸をする。


脱走防止か窓は顔半分くらいの幅しか開けられないが、外の空気は感じられるので、それはエンデにとっては有り難かった。


心の通じる者のいない空間とはこんなにも息苦しいものか…


テウルが亡くなって少しの間の孤独は確かに辛かったが、当時は気にかけてくれる村長家族や時々来訪するミアハの能力者達との交流が生きる活力をくれた。


少なくとも今後1年は、彼らやセジカ達に会う事は許されないだろう…


しかもエンデがセジカに告げた1年は順調に事が進められたらの最短で…村長やセジカには言えなかったが、下手をすれば本物の監獄行きとなり村には二度と戻れない可能性だってある。


あの男…この国の有力な政治家で、身分はハッキリ明かさなかったが…恐らく副大臣くらいの立場で…強い野心を抱く男。


自身をシルムと名乗ったが…本当の名は違う。


彼は今、とにかく野心を叶える分だけの資金と…山あり谷あり集散離合の複雑な歴史を持つライバルで同盟国でもあるテイホの内部情報を可能な限り欲している。


ポウフ村の大火事の後、時々調査に来ていた彼の側近の役人が村長一家の会話の中でエンデの不思議な能力の話題を耳にし、あの男まで情報が上がって行く具体的な様子が、先程会話している中でクリアに見えた。


そう…彼はエンデの能力を、野心を叶える為の足掛かりにしようとしているのだ。


デュンレや室内にいた警備員らしき人達全てを人払いし、早期釈放を餌にまずエンデに命じた仕事は、為替や株の未来の具体的な値動きを男に知らせる事。


まずは明日から3日間くらいその仕組みの勉強をさせられるらしい…


シルムから存在しない罪…10年近く前の、連合国内で複数の暴動を起こし軍から逃れる途中のポウフ村でら目眩しに放火し集落の8割近くを焼き払った犯人を、村長とエンデ達が一時匿ったという罪をでっち上げ、村を解体すると村長を脅し、罪をエンデに背負わせるなら村長と村の罪を免除するという一方的な駆け引きを強制し、エンデをここに閉じ込める流れを作った男から、まずエンデが最初にやるべき仕事の概要をざっと聞かされて…


その後すぐに連れて行かれた場所は隣室で、シルム達の部屋の1/4くらいの広さだが風呂トイレベッド付きで、掃除の行き届いた上品な部屋だった。


監獄とは比べ物にならないくらい良い部屋だが、部屋には監視カメラが数カ所しっかり付いていて、しばらくは部屋から一歩も出る事は許さないだろう。


彼らの中に踏み込みたいとは思わないが、最低限信用されないと生きてこの国を出る事は出来ないだろうから…


これから綱渡りのような駆け引きが始まると思うと…エンデは吐きそうになった。


…まあ…深夜は若干警備員は減るし…[身体]をベッドに寝かせて置けば、行動を疑われる事はないだろう。


エンデは窓を少し開けたままベッドに横になる。


そして…


意識をポウフ村の雑木林まで飛ばす…






「ねえセジカ兄ちゃ……どうしたの?」


朝ごはんを作ってくれているセジカの所へ行って、今朝はどの食器を用意すればいいかを尋ねようとしたサハは、彼が涙を拭う瞬間を見てしまい…ビックリした。


「ん…なんでもないよ。昨日、村長さんから胡椒を貰ったからスープに入れてみたんだけど、湯気が顔にかかったらくしゃみと涙が出て来たから拭いただけだよ。今朝はパンとスープだよ。サハはパンとスープ用のお皿とスプーンを出してくれる?


「…分かった…」


隣りに立つ自分の所にもスープの湯気は来るけど…そんなに沁みるかな…?と、サハは腑に落ちないセジカの言葉にやや怪訝そうな顔をしながら2人分の食器を出して行く…


昨日…村長は胡椒を差し入れに来た帰り際に、


「もしも…深夜にすぐ近くでフクロウが鳴いていて近付いても逃げなかったら、それはエンデが意識の乗り物にしているフクロウだから、2人の日々の出来事をそのフクロウに話してあげると喜ぶと思うぞ。平静を装ってはいても、あの子自身も今はかなり心細いだろうからね…。たまにしか来れないと思うけれど、もし深夜にフクロウが来たら優しくしてやってくれ。」


と、セジカは耳打ちされた。


まさか…言われたその日の深夜にフクロウがやって来るとは思わなかった。


サハを起こすべきか迷ったが…村長さんの言う通りのフクロウなのか半信半疑だったので、1人でフクロウの様子を見守った。


その薄茶色のフクロウは少し開けていた窓際に止まり、そこからジッとセジカを見つめていた。


セジカもどうして良いか分からず…ベッドから動けないままフクロウを見つめていた。


そして…


沈黙を破ったのはフクロウで…


「ホー…」


まるでセジカに語りかける様に、フクロウは小さく鳴いた。


夜行性の鳥が夜中に人間に挨拶に来るなんて…


セジカは恐る恐るフクロウのいる窓際に近付き…


「…エンデ…さん…?」


と話しかけ、無意識に手を伸ばしていた。


野生のフクロウなら近づいた時点で逃げるだろうし、手を出したら怖がって攻撃して来る可能性もある。


だが…そのフクロウは…


手を伸ばしたセジカの手首のライカムの腕輪をくちばしで優しく突いた。


村長の話が一気に真実味を帯びた瞬間…セジカは涙が止まらなくなってしまった。


エンデが本当に二人の事を心配している事と共に、彼自身も今は知らない地で怖い人に囲まれてかなり不安だろう事が伝わって来てしまったから…


彼の望む世界がどういうモノか、セジカにはまだよく分からない部分は多いが…


少なくともセジカが見て来たエンデは、いつもセジカ達や村やミアハの事ばかりを考え、思案していた。


今だって…


この人は…危険を顧みず村の為にでっち上げの罪を背負っているのだ。


「僕達…頑張りますから…エンデさんの事…ずっと待ってますからね。お身体を大事にして下さい。」


フクロウにそう告げると、


「ホー…」


と、再び返事をするように小さく鳴いて、ライカムの腕輪をチョンと突いた。


セジカは泣き笑いの顔でフクロウの脚を軽く撫で…


エンデがいなくなった後のサハや村の様子をフクロウに語り出し…


セジカが話し終えると…彼は満足したようにどこかへ飛んで行ってしまった。


そして朝…

村長がくれた胡椒の香りで昨夜の事を思い出してしまい、涙が込み上げて来たのをサハに見られて慌てて頬を拭ったセジカは…


…今度はサハも起こして上げないとな…


と思うのだった。





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