79 一夜と3年
ある日…
唐突に長老セダルはミアハの民をエルオの丘に集め、これから起こり得る事と、それに対して我々が取るべき選択肢の話をした。
その日から遡る事、1週間前…
「もしもヒカさんに寄り添ってここで過ごして下さるなら…ヒカさん達と共に同じ時間の流れを過ごす事になります。それでもやり遂げる覚悟がおありなら…」
ハンサによってある一室に呼ばれた者達…その中の1人の女性が、
「私は母親ですから、何も躊躇はございません。」
迷いのない目でハンサを見つめながら、彼女は食い気味で即答する。
「また君はそうやって抜け駆けみたいに即答してしまうんだから…ハンサさん、私達はあの子が特異な星の元に生まれたのだと理解した時から、出来る限り寄り添って行こうと決めております。あの子の為に出来る事ならばなんでも…」
隣でいち早く反応した妻を少し不満そうに見つめながら、男も即答した。
「あ、あの…私も…今は医師を目指していますので、そういう面でお手伝い出来る事があればなんでもさせて下さい。」
「!?…」
両親の素早い反応に負けず劣らずのタイミングで声を発した少女に、周囲の人間は皆少し驚いてはいたが…家族…特にエイメは嬉しそうに涙ぐんでいた。
「そうですか、それは助かります。」
ハンサはにこやかに少女の申し出を受け止め、同席していたフィナの方を見る。
「ええ本当に、これから共に対応してくれる優秀な看護師達の選抜をする予定なのですが…お身内の中にこんな可愛らしい医師志望者がいらしたなんてね。ただ、実際の場で私があなたにお願いする事は、看護師の助手という立場になるけれども…よろしいかしら?」
彼女は嬉しそうに…けれど、限られた人数の中で混乱が起きないよう、少女の役割を慎重に確認をする。
「はい、勿論です。現時点で何も資格のない私が出来る事は限られていると承知しております。けれども家族の事ですから…私で出来る事はなんでも仰って下さい。」
「あら、頼もしいこと。私も業務上は慣れているとはいえ、未知の状況でこんな妹さんがいる事は心強いですね。緊張感を持ちつつ…けど気負わずに頑張りましょう。」
「はい、よろしくお願い致します。」
フィナとセランのやり取りを、周囲は優しい眼差しで見守っていた。
「という事で、皆さんのご協力が必要になって来るのはヒカさんが目覚めてからとなりますが、いち早くその気配を感じ取るであろうリンナがヒカさんの目覚めをトウ君に知らせて来るまで…それまで皆さんは研究所で待機となります。ヨハ君の力の満ちるエルオの丘内部への出入りには、リンナを伴っての移動でないと、失神するか弾き飛ばされる状況になるそうなので…一応周囲に警備の者は配置しますが、日没後は皆さんはどうか研究所からは出ないようお願い致します。」
「あの…質問していいですか?」
ハンサの質問が一区切りしたタイミングで、トウがハンサに向かって手を挙げる。
「あ、トウ君どうぞ…」
とハンサが返事をした時、
「遅くなりまして、失礼しま…あれ?…そうか…やっぱり来ていたんだな。良かった良かった…」
カシルが息を少し弾ませながら入って来てすぐにセランを見つけ、なんとも嬉しそうに空いている椅子に座った。
「……」
対照的に気まずそうにカシルを見ようとしないセラン…
そんな2人の様子を交互に眺めながら、何かよく…分かったような分からないような…という表情をするセランの家族…
「あ〜カシル君、あなたの出番はヒカさん出産後のメンタルケアと赤ちゃんの健康管理ですから…あなたは現状かなり多忙な事は把握しているので、後半のフィナ先生の補助としてご協力をお願いします。」
この件はヨハに頼まれているので、ハンサは改めてカシルに依頼した内容を説明した。
「分かっておりますよ、ハンサさん。ご配慮を感謝しております。任せて下さい。ヒカちゃんと赤ちゃんには笑顔を絶やさない会話を色々と考えてますから。」
自信満々に、そしてやたら嬉しそうにカシルは話す。
「……」
エイメはやや不信感の眼差しをカシルに向け…
セランは…ヒカの事になると嬉しそうに話すカシルの様子を見てどんどん表情が無くなり…
俯いていた…
「…あ、確かハンサさんは日没の時と夜が明けてヒカちゃん親子を研究所に移す時の2回しか立ち会わないって聞きましたけど…」
カシルはなんとなく自分に意識が向いている状況を変えようと、軽い気持ちでハンサに質問する。
「おそらく…世が明けてヨハ君の役目が終わった時点で、ミアハ中は大騒ぎになるでしょうから…その準備や対応にしばらく私は追われる事になります。」
ハンサが淡々と答えると、カシルはしまったという顔をし…
「…余計な質問でした。…すみません…」
と、ハンサに向かって頭を下げた。
「…?」
この時点で、セランとトウはこの2人のやり取りの意味がよく分かっていなかったが…
大人達は皆なんとなく腑に落ちて…沈んだ空気になっていた。
「皆さんも既にご存知の通り、ヒカちゃんの子はおそらくミアハの希望を持って生まれて来ると…あの方は仰られています。長老とヨハ君がエルオの丘に籠る日が決まれば、それは日没直後から実行されます。そして日が沈み夜が明けたなら、それは大きな転機の始まりとなり、様々な変化の波がミアハに押し寄せますが…その中には希望も生まれているはずなんです。皆で力を合わせて、その希望を大切に育てて行きましょう。」
ハンサはただ沈んでばかりはいられないこの国の状況を遠回しに伝え…近い未来に実行される計画の打ち合わせは、更に詰められて行くのだった。
ただ…
今後エルオの丘の中で起こる事を全て把握しているはずのハンサには、1つだけ告げられていない件がある事は…
長老セダルは、エイメとフィナとトウだけには密かに告げていた。
そしてその件は、ミアハの民がセダルとの別れを受け入れ始めた頃に初めてハンサは知る事となり…
それは彼にとってはかなりショックな内容となるモノだった。
一方、時は再び1週間後に戻り…
「お前は何のつもりだ?こんな錚々たる顔触れを集めて押しかけて来て…」
ケントが折り入って至急話がしたいと言って来たのは昨日の夜で…
彼のただならぬ様子に慌てて時間を空けて、翌朝の訪問を許可してみればゾロゾロと…
仕方ないのでとりあえずアイラは彼等を自宅の簡易的な会議室に案内する。
一昨日、ミアハに於いて民の大半がエルオの丘に集められ…衝撃的な話をセダルが告げた件は、ノシュカとバフェムによって直ぐにアイラ達に報告されたのだが…
それから間もなく…
アイラは思いがけずよく知った顔触れに囲まれる展開になっていた。
その中で…
「私の方も一応確認させたが君はどうだい?」
というケントの囁きに、
「…問題ないようです。流石です…」
と、隣にいたエンデが小さく答える。
「お前等は…私を舐めているのか?」
2人のコソコソとしたやり取りを素早く察知したアイラは、不快な表情を顕にし、
「用件は何だ。私は暇じゃない。単刀直入に言え。」
と、ケントに向かって声を荒げる。
「あ…すみません、この集まりには参加希望者がもう2人おりまして…」
アイラとケントのピリピリしたやり取りにエンデがすまなそうに割って入り、彼はアイラに2つ銀色の小さな機器を渡す。
「それはつい最近、私の息子がエンデさんの案をヒントにして発明した通信機器です。ミアハの国の地下で採れるある特殊な鉱石に付随して発掘される事の多い…こちらも珍しい鉱物ですが、それはある周波数にだけ反応する鉱物で…この特徴を活かしてマシュイが通信機器を作ったのです。これは今の段階ではその鉱物を通信機器に利用出来る技術も他に存在せず、しばらくは外部に傍受される事のない通信手段なのです。今、その機器はある人達と繋がっています。どうかそれを両耳に掛けて下さい。」
ケントの背後に控えていたロイが嬉々として説明をし出すと、ケントはやや苦笑する。
「ったく…いきなり押しかけて来て…これも何かサプライズのつもりか……え…?」
通話の相手はまさにサプライズと言っていい人物達だった。
「…彼等もその機器を通してこれから始まる話し合いに参加されます。」
と言ってニッコリ笑うケント…
そのケントの両耳にも…いや、今アイラ宅に押しかけて来ている人達の耳にも漏れなく…その機器が掛けられている事に気付いたアイラは、
「君達は…一体何を……?」
ケントがここに持ち込んでいる問題…
それは、当初アイラが漠然と考えていたモノよりも、かなりスケールが大きく厄介な事である事を…
彼はこの後に思い知るのだった。
時は再び1日遡り…
「なんだ…見かけないと思ったらやっぱりここか。すっかり引きこもりだな…」
「……」
長老による少し長い大切な話が終わって、瞑想の広場から人々が引き始めた頃にその人物を探し回ったが彼はどこにもおらず…
ハンサにここに来る為の許可をもらって、カシルはやっとその人物を見つけた。
だがその人物…ヨハに声をかけても、彼は反応せず…
ヒカの眠るドームに寄り添うように佇んでいた。
「ヒカをひとりぼっちにさせたくないし…何より力の温存もして置かないとだから…自然とここに来てしまうんだ。」
カシルの声掛けから少し経って、振り向く事もなくヨハは口を開いた。
「なんかな…」
そんなヨハを見て、カシルは切なそうな表情で頭を掻きながら目を伏せる…
「今のお前はかつての俺に見えてしょうがない…」
カシルはヨハの正面まで行き、ゆっくりとしゃがみ込む。
「…皆んなでヌビラナに向かう前の夜に…リラの事は少しだけヨハには話したろ…?」
「ああ…そんな事もあったね。その人の話をするカシルは終始いつもの君らしくなかったから…よく覚えているよ。」
ここでやっとヨハは顔上げ、カシルと目を合わせた。
「俺はさ…、リラの為と思って入らせた希望の機器が、既に最初から問題を起こしていて、最愛の人の命が既に終わっているであろう事が分かっても…実際にその機器から彼女を出す事は、彼女を本当に死なせてしまう行為に思えて…何年も出口のない迷路を彷徨っている感じだったんだよ。」
「……あのさ、僕の状況は君とは違うよ。だってヒカは…」
「そうだ、実際お前は違う。ヒカちゃんは生きているし、あの子は必ず目覚めると長老やエンデ達が言っているし、俺もあの子はこれから目覚めて可愛い赤ちゃんを産むと思う。」
そう言ってカシルはヒカの眠るドームに腕を伸ばしてそっと触れる…
「…問題はこの子だ。この子が…ヒカちゃんが近い未来に過去の俺のようになりそうで心配しているんだよ。本当はお前もそれが一番心配なんだろう?」
「……例えそうだとして…それを指摘したからって何か変わるのか?…君の心配してくれる気持ちは分かったから…その話はもう止めてくれ。」
ヨハは顔を少し歪め、カシルから背を向けた。
「ヨハ…お前は1人じゃないんだ。お前は生まれてくる赤ちゃん顔も見れない状況で、ミアハの為に命を賭けようとしてるんだからな。絶対に諦めて欲しくないから俺は言うぞ。ヒカちゃんと家族になって生きて行きたいんだろう?そう願ったから…あの子の中には命が宿ったんだ。まずは責任を持って目覚めろ。そうなる為に俺達も全力でサポートするから…」
そう言いながら、以前見た夢が…赤子を抱いてここまで必死にやってくるヒカの姿が…終始目の前にチラついてしまうカシル…
「……」
ヨハは相変わらず無言で背を向けていて…
「…さっきお前を探していたらさ、ゼリスが俺に話しかけて来たんだ。ビックリしたよ…話した事もない俺にさ…お前…ゼリスに襲われてもいいのか?」
「……」
そして、ヨハがムキになる姿を見たくてカシルはつい…
「お前が目覚めなかったら、俺が赤ちゃんのパパになっちまうぞ。」
と挑発するように言うのだが…
「…ヌビラナでさ…ヒカと外に投げ出されて…裂けた地面にあの子が落ちて行く時に少し…10秒くらい時間を止めたんだけど…僕はヒカのように女神に眠らされてる訳でもないのに、それから何日も目覚めなかったんだ。多分、目覚められなかった…たった10秒の時間の干渉でその状態だからね。3年は僕の能力を限界まで使わないと…だけどミアハの為には必要な3年で…本当に力の極限の問題なんだよ。」
ムキになる事もなく…
背を向けたままのヨハは訥々と話す…
「…いい加減…こっち向いて話せ。」
「……」
ヨハはゆっくりと再びカシルの方へ向き直る。
「僕はもしもを考えなくちゃならない責任があるんだ。ヒカが生きて行く為の金銭的な事は、全てハンサさんに託してあるけれど…」
今度はヨハの方からカシルに近付き、彼の腕をギュッと掴んだ。
「ヒカはさ、君といると本当に朗らかに笑うんだ…だから…」
「止めろ…」
「?!」
カシルは思わずヨハを抱きしめてしまっていた。
「カシル…」
「頼む…もうしゃべるな。俺で出来る事は何でもやってやる。エンデもタニアもトウも、今その為に動いている。だから………諦めないでくれよ。」
「……」
「いくらなんでも早すぎる。俺はお前のいない世界は考えたくない…」
「…珍しいね…」
ヨハを抱きしめるカシルの腕も…声も震えていて…
おそらく彼は…
「うるさい。しゃべるな…」
「……」
「…絶対に…諦めんなよ。きっと、きっとお前は目覚めさせるから…」
掠れた声で言いながら…
カシルは抱きしめていた片方の手をヨハの頭に持って来て、唐突に彼のシルバーブルーの髪をぐしゃぐしゃ掻き回した。
「ちょっ…なんだよ。止めろ。」
ヨハがたまらず嫌がって抵抗すると、
「…じゃあ諦めないって言え。」
そう言いながらカシルはぐしゃぐしゃを続ける…
「わ、分かったから…諦めないよ。」
「…よし。」
ヨハの言葉を聞いて、カシルはパッと身体を離す。
そして、泣き顔を見られないよう…今度はカシルがスッと背を向けてしまう。
「…もう…頭をぐしゃぐしゃとか…長老みたいな事するのは止めてくれ…」
ヨハは髪を直しながらブツブツ文句を言い…
「…それに僕はそういう趣味はないって前にも言って…」
と更に言いかけたところでカシルが振り向いた。
「ヨハ。絶対に目覚めるんだぞ。次回会ったら絶対殴ってやるからな。」
目を細め、殺気を帯びた意地悪そうな笑顔のカシルを見て、ヨハは思わず後退り…
「僕は…君のいないタイミングで目覚めるから安心して…」
じわじわ迫るカシルとゆっくり距離を取る。
「何が安心してだ。よく考えたら今でもいいんだよな…こっちへ来い、1発殴ってやる。人の厚意を茶化しやがって…」
「嫌だ。」
自分に向かってツカツカ歩き出すカシルから逃げるヨハ…
「なんだ…ちゃんと歩く気力もあるじゃねえか。逃げるんじゃねえ。」
段々と早足になるカシルから逃げ回るヨハ…
「だから、力を温存してるんだよ。さっき言ったはずだけど…人の話聞いてる?」
「うるせー!お前等は兄弟揃って人をおちょくりやがって…ここは聖域だろうが、走るんじゃねー!」
ヨハはヒカの眠るドームから素早く離れ、それを走って追うカシル…
いつの間にやら追いかけっこ状態になっている2人だったが…
「…カシル君、ご家族が君を探してますから至急研究所に来て下さい。…聖域を走るのは止めなさい。すぐ止めないと、2人共出禁にしますよ。」
「……」
ハンサの声に、2人の動きはピタッと止まる…
「すみませ〜ん。今行きます。みんなヨハが悪いんで、後で叱ってやって下さ〜い。」
カシルが上にいるハンサに向かって叫ぶと、
「…言われなくても、後で2人共お説教です。」
とすぐに声がして、
直後に遠ざかって行くハンサの足音が微かに周囲に響いていた…
「…僕を出禁て…」
ヨハは苦笑し…
「…ったく、ご家族が探してますって…俺は迷子か?親父も最近なんだか干渉してくるんだよな…何なんだよ…」
と、カシルはバツが悪そうに頭を掻き…
「まあ…続きはまたな。」
そう言いながら、階段の方へと歩き出す。
「……」
そんなカシルの後ろ姿を無言で見つめていたヨハだったが…
「…今日はありがとう…」
と、一言だけ放った。
「ああ、次こそ殴ってやるから…またな。」
カシルは片手だけで反応し.上の…かなり鎮まりつつある騒めきの方へと去って行った。
「やっと来たか。3人でお前を探し回っていたのに見つからなくて…一体どこへ行っていたんだ。」
研究所の入り口でスタッフを探して尋ね、応接室のドアを恐る恐る開けたカシルに父のタトスは即反応した。
「こんな時に応接室なんかに案内してもらって…今日は研究所の職員も皆んな駆り出されて忙しいんだから、用件は電話でもよかったんじゃないですか?」
意外な場所での家族との対面に、カシルはなんとも居心地の悪さを感じながら、不満そうにミリの隣に座った。
「…そうだな…確かにお前の言う通りかも知れない。お前も最近はあちこち動き回って忙しいそうだから…こんな機会でもないと家族揃っては中々話せないと、ハンサさんには無理を言ってしまった。すまないが、彼には後でお前から謝っておいてくれ。」
「……」
今日は皆揃って、光沢ある…男性は紺色で女性は真紅をそれぞれ淡く薄めたような色の生地の伝統衣装をそれぞれが身に纏っている。
勿論、カシルも同じで…
普段ミアハの能力者達が任務の際に来て行く制服のようなモノは、その伝統衣装をスタイリッシュにしてもっと簡素に動きやすい形に作られているが…
この伝統衣装は袖も裾も末広がりのような形で全体的にふんわりとした雰囲気だが、ハシユという独特な翼のようなデザイン刺繍の入った帯状のモノで腰の上の辺りを締めていて、そのふんわりした全体の形を引き締めている。
いつもミアハの民がこの衣装を着るのは年に一度、ミアハの民がエルオの女神に包まれてこの地上に降り立ったとされている日に必ず着用するミアハの伝統衣装で…
それ以外のお祝いでもない日に家族がこの衣装を着て1つの場所に集まるというこの状況が…
今のミアハの事態の異常さを物語っていて…
更に、息子の指摘に何も反論して来ない父の姿はカシルは過去に見た事がなく…
そんな父の姿もなんだか悲しかった。
「本当に…色々調子狂うよ。…こんな日だからかも知れないけど…」
多分この人は、何か大事な話をしようとしている予感はあって…カシルはそんな父タトスと怖くて目を合わせられないでいた…
「…そうだな。まあ今はいわゆる異常事態だろうからな。それでな、長老は決断を迫られる状況までは少し猶予はあると仰っておられたが…私達の答えはとうに決まっている。私と母さんは、常にエルオの女神と共にありたいと願っている。その気持ちは変わる事はないと、今の段階でお前達には直接伝えて置く事にしたんだ。まあ…お前達はまだ若いから、選択に関しては大いに悩んで決めていいんだ。だがそれは重い決断だ。どちらを選んでも心は痛むと思う。…だからこうやって…まだ落ち着いている状況で、家族揃った状態で私達の気持ちをお前達に伝えておきたかった。だから、ハンサさんに無理を言ってお前を呼んでもらったんだ。」
「…まだどうなるか分からない事でしょう?こんな話はまだ…」
ミリはそうタトスに鎮痛な面持ちでそう言って…俯いてしまう…
「…ミリ、どうなるか分からないから今伝えて置くんだよ。ただ、若いお前達は私達の答えに引っ張られる必要はないんだ。今日はどうしても皆と話せる時間が欲しかったんだ。…カシルも…わざわざ呼び出してすまなかったな。私の用件はそれだけだ。」
「…らしくなく謝らないでくれよ。父さん達の気持ちは分かったよ。だけど俺は…まだ何も諦めてないから。今日のもしもの話が後で笑い話になるように、今の俺は頑張るのみなんだよ。だってさ、結果的にここで俺が頑張らなきゃ…両親の期待を裏切って妹にそのツケを負わせてまでして、今の仕事に就いた意味がないだろ?」
「カシル…」
母のティアナはさりげなくハンカチで目頭を押さえてながら、夫と子ども達のやり取りを噛み締めるように聞いていた。
「じゃあ…これから一旦村に戻って、それからテイホでアイラさんに会う予定なんで…悪いけど俺はもう行きますね。」
そう言いながらカシルは立ち上がる。
「え?もう行くの?父さんがせっかく…」
ミリがカシルに責めるような視線を送る…
「だから、俺は家族と会うのがこれが最後なんてサラサラ思ってないんだよ。絶対にそうして見せるから。じゃあな…」
ミリにそう言いながらカシルがツカツカとドアまで歩き、ノブに手をかけた時…
「カシル…」
と、タトスに呼ばれた。
「…話し忘れた事でも…?」
とカシルが振り向くと…
「ああ……リラさんには本当にすまない事をしたと思っている。それだけは…」
「じゃあそれは後日また会った時に……リラのお墓の前で言ってあげて下さい。…失礼します。」
…なんだよ…こんなタイミングで…
父からの思いがけない謝罪にカシルは驚き…かなり動揺してしまっていた。
慌てて部屋を出たところで、
「そうだな…是非そうさせてもらおう。」
という父の声が中から小さく聞こえて来て…
カシルはなるべく足音を立てないよう…
けれどなるべく早く、駆け足に近い状態で外を目指し、自身の車までダッシュで駆け込んだのだった。
「なんで…こんな時に…」
車が研究所から遠ざかったのを確認し、カシルは中々止まらない…よく分からない涙を何度も何度も拭いながら呟く…
いや…こんな時だから伝えたかったのかも知れない…
親父は多分…子ども達と揃って話せる機会はもうないかも知れないと…本気で思っている。
…ああ…本当に…今日という日は…
俺達の国はそれだけ追い詰められているという事か…
能力者達のテイホ国への派遣はここ最近激減していると聞いている。
テイホ政府からの自国のクライアント達への圧力もあるが、それ以上に、ミアハの元老院はテイホ国内での能力者の安全が確保出来ないと考え初めているから…
グエンはミアハ国を敵視する事で自身の政治生命を延そうと必死で…
今はまだ準備段階だが、早ければ1ヶ月以内…遅くとも3ヶ月以内には段階的にミアハにあらゆる攻撃を仕掛けて来る…とアイラは見ている。
かつてどんな攻撃にも耐えたミアハ国だが、今の進化した兵器ではどうにもなるまいと、
初めてミアハを潰した英雄にもなろうと画策しているらしい…
だがそれよりもなお…
あの人の最後を具体的に想像する事は…こんなに寂しく悲しいモノなのだと、カシルは改めて思い知る。
あいつは…きっとあの時既に…
タニアと2人でポウフ村を出た、あの朝のやり取りがぼんやり蘇って来る…
…こんな未来も知ってしまうという事は、結構シンドい能力なのかもな…と、
タニアやエンデ、そしてヨルアのような…優れた予知能力者の心境に初めて思いを馳せてしまうカシルだった。
だが…
きっと変えられる未来はある、と…
彼は頬を伝う涙を思い切り拭って、アクセルを踏んだ。




